沢田和早


 最近卵が高い。数十年間「物価の優等生」と呼ばれてきた卵はここ数年で劣等生になり下がってしまった。

 これまでは月に2パックは買っていたが最近は数カ月に1パック程度だ。米の高騰も相まって今や卵かけごはんは高級料理となり、貧乏学生が口にできる代物ではなくなってしまった。最後に卵を調理して食べたのはいつだったろうか。思い出せない。


「だけど、そんな卵渇望の日々も今日で終わるんだ」


 僕は期待に胸を躍らせながらアパートの呼び鈴を押した。


「おう来たか」


 無愛想な顔でドアを開けたのは僕の先輩だ。

 先輩は小学校で一学年上、中学校で一学年上、高校で一学年上、そして現在、大学では一学年上ではなく同級生である。先輩は一年浪人してしまったからだ。

 同級生を先輩と呼ぶのもおかしな話だが、小学校の頃からそう呼んでいるので、今更別の呼び方を考えるのも面倒くさい。先輩も「よせよ、同級生だろ」などと反論したりもしないので、そのまま呼んでいる。


「先輩、本当に卵を腹いっぱい食べさせてくれるんでしょうね」

「ああ。俺に二言はない」

「イクラとかタラコみたいな魚卵じゃないですよ。鶏卵ですからね」

「くどいな。とにかくあがれ」


 部屋に入ると先客がいた。黒のスーツをビシッと着こなした中年の男性が居間に座っている。見知らぬ人物だ。


「これはこれは初めまして。お噂はかねがねお聞きしております。腹心を務めておられるとか。さぞかし智謀に長けておられるのでしょう」


 こちらが申し訳なくなるほど腰が低い。それに腹心とか智謀とか何を言っているのだろう。そもそも何者なんだ、このおっさんは。


「ああ、失礼いたしました。私はこういう者です」


 差し出された名刺には「卵屋たまごや玉五兵衛たまごべえ」と書かれていた。卵屋とは珍しい名字だな。


「えっと、卵屋さん、今日は何の用で来たんですか」

「卵屋なんだから卵を売りに来たに決まっているだろう」


 先輩が横から口を挟んできた。卵屋って名字じゃなくて職業なのか。


「つまり卵専門店の卵ってことですか。それってスーパーの卵より高いと思うんだけど」

「そんなことはない。こいつは異世界の卵屋だからな」

「異世界! マジですか」

「マジだ」


 それから先輩の話が始まった。数カ月前、駅前を歩いていたら偶然玉五兵衛さんに出くわし、一瞬で異世界からやって来たのだと気づいたのだそうだ。

 玉五兵衛さんは魔族領北東辺境地にあるウンボア村の住人なのだが、最近僕らの世界から大勢の転移者がやってきて、こちらでは安価で売られている商品を高値で売りさばいて大儲けしたり、田舎でのんびり異世界ライフを楽しんでいる姿を見て、じゃあ自分も別の世界へ行って金持ちになってやろうと考えるようになったらしい。

 調べてみると日本では卵が高値で取引されているので、異世界の卵を売りさばくことを思い付き、こちらの世界へやってきた、ということだった。ウンボア村? どこかで聞いたことがあるな。


「ひょっとして僕の誕生日の前日に先輩が仕組んだ未知の文字が書かれた未知の鉱石って」

「そうだ。彼に頼んで取り寄せてもらったのだ。持つべきものは魔界の友だな」

「じゃあ、この人も魔族なんですか」

「そうだ」


 改めて玉五兵衛さんを見る。どこからどう見ても姿は人間だし、言葉も日本語にしか聞こえなかったぞ。先輩の言葉を信じていいのかな。凝視していたら玉五兵衛さんが愛想笑いを浮かべた。


「おや、お疑いのご様子ですね。無理もありません。私も魔族の端くれですから幻術を使えるのです。今は大手商社のサラリーマンっぽく見せています。本当の姿はかなり禍々しいのですよ」

「言葉はどうしているんですか。鉱石に書かれていた模様みたいな文字は日本語とはかけ離れていましたが」

「それも魔術によって自動翻訳しております」

「じゃあ、玉五兵衛という名前は」


 と言いかけたところでまたも先輩が口を挟んできた。


「おい、くだらんことを詮索するな。ラノベを読んでみろ。異世界の住人はみんな人間の姿をしているし、言葉だってすぐ通じる。逆もまた然りだ。ありのままを受け入れろ」


 まあそういうことにして話を進めよう。


「それで取り扱っている卵は何の卵なんですか」

「ウンボア村に生息するコケコケ鳥の卵です。姿形はこちらの世界のニワトリにそっくりで、卵もそっくりで、肉の味もそっくりです。私たちの世界では10個1円で取引されているので、もう笑いが止まらないほど稼がせてもらっております」


 業務スーパーでも卵の値段は1パック200円台だからな。同じ値段で売っても異世界の200倍の利益か。そりゃ儲かるわけだ。


「今回はお近づきのしるしに20個ほど持参いたしました。売値は440円ですが原価の2円でお譲りしましょう。中身をお改めください。私は異世界の卵売り。もし卵に黄身と白身がなければお代はいただきません。コケコケ」

「先輩、台所を借りますよ」


 大きさも色も形も鶏卵とほぼ同じだ。試しに10個割ってみた。黄身も白身もちゃんある。あとは味だが何を作ろう。手軽にできる厚焼き玉子にするか。砂糖、醤油、それにマヨネーズを加えるのが僕流だ。工夫すれば丸いフライパンでも形の良い厚焼き玉子を作れる。よし、うまく焼きあがったぞ。


「うん、うまいな」

「風味も食感も鶏卵と変わりませんね」


 先輩も僕も納得の味だった。2円を渡す。玉五兵衛さんは愛想よく受け取った。


「今回はお近づきということで原価で提供しましたが、次回からは1割引きとなります。よろしいですか」


 あまりよくない。バーゲンで1パック200円以下になることもあるのだ。1割引きではそれほどのお得感はない。眉間に皺を寄せて考えていると玉五兵衛さんの愛想笑いが大きくなった。


「ではコケコケ鳥をお買いになりませんか。カゴも付けて1羽980円でお譲りします」

「鳥を?」


 そこから玉五兵衛さんの説明が始まった。コケコケ鳥はニワトリにそっくりだが大きさも重さも3分の1程度。卵を産む時にコケコケと鳴くだけで普段は大人しいので近所迷惑にはならない。産卵は1日1回、最大5個まで。産卵のタイミングと個数はランダム。寿命は約1年。肉は普通にうまいので不要になったら潰して食えばよい、とのことだった。

 うまい具合に僕のアパートはカゴから出さなければ鳥の飼育は認められている。飼えないわけではないがすぐに結論は出せない。相手は生き物なのだ。


「どうしようかなあ。生き物を飼う以上、命に対して責任を負わなきゃいけなくなるでしょう。それに餌とか糞とかお金も手間もかかるし」

「心配ご無用。コケコケ鳥は餌を必要としません。水だけで生き続けます」

「餌不要! マジですか?」

「本当です。餌を食べないので糞もしません。さらに魔術によってこの世界の細菌とウイルスに対する耐性を獲得しているので病気にもなりません。カゴに入れっぱなしにしておくだけで毎日卵を産み、寿命になればコロリと死にます」


 つまり維持費不要で最低でも365個の卵を入手できるってわけか。それがたった980円。安い!


「買います!」

「毎度ありがとうございます」


 玉五兵衛さんはカバンから鳥かごを取り出した。中にはニワトリを小型化したような鳥が入っている。


「ではこれから飼い主の登録をさせていただきます」

「登録? そんなのが必要なんですか」

「はい。この鳥はこれでも魔獣ですので主従契約が必要なのです。でなければ卵を産みません」


 魔獣と聞いて若干胸がざわめいた。だが安い卵の魅力には勝てない。いくら魔獣でもこんな鳥に何かできるわけもないし1年後には死ぬのだ。契約してしまおう。


「わかりました。ではお願いします」

「おい、いいのか。魔獣との契約だぞ。N〇Kと契約するのとは訳が違うんだ」

「大丈夫ですよ。卵を産むだけの鳥に何ができるっていうんですか。先輩だって卵を食べたいでしょう」

「そうか。おまえがいいのなら何も言わん」

「それではお許しも出たことですし、さっそく契約させていただきます」


 玉五兵衛さんはコケコケ鳥の羽根を一本引き抜くと呪文を唱え始めた。日本語ではない。きっとウンボア語なのだろう。やがて羽根は淡い光を放ち始め、その柔らかい羽毛が僕の頬を撫でた。くすぐられるような感触が体中に広がり、全身の力が抜けてしまった。


「はい。これで終了です。あなたと鳥がどれだけ遠くに離れても主従関係が壊れることはありません。これから1年間、楽しい卵ライフをお送りください」


 代金を払ってコケコケ鳥のカゴを受け取る。今日から毎日新鮮な卵が食べられるんだ。食生活は改善し心身ともに健康な日々が送れるに違いない。僕は大満足だった。


 * * *


「おまえ、最近元気がないな。ちゃんとメシは食っているのか」

「はい……食べてます」


 と答えたが自分の声に張りがないのがありありとわかる。充実した卵ライフが始まって2週間。コケコケ鳥は毎日卵を2個産んだ。たまに3個の時もあった。4個の時も1度だけあった。

 それを焼いたり、茹でたり、生飲みしたりして毎日消費していた。以前よりは格段に健康になっているはずなのだ。それなのにまるで元気がない。特に下半身に力が入らない。


「不思議だなあ。毎日新鮮な卵を食べているのに」

「不思議でもなんでもない。毎日鳥が卵を産んでいるから元気がないんだ」

「えっ、どういうことですか」

「おまえ、玉五兵衛の説明を聞いておかしいと思わなかったのか。餌も食わずに水だけで毎日卵を産めるはずがないだろう。あの鳥と主従契約を結んだ瞬間、おまえはあの鳥の餌になったんだよ」

「僕が餌? どういうことですか。僕は飼い主なんですよ。主人は僕なんですよ」

「違う。主人はあの鳥だ。飼われているのはおまえのほうだ。勝手に勘違いするな。あれはそういう契約だったのだ」


 戦慄が全身を駆け巡った。確かに玉五兵衛さんはどちらが飼い主でどちらが主人になるのか説明しなかった。故意に言わなかったのだ。はめられた。騙された。


「先輩は知っていたんですか」

「無論だ」

「だったらどうして止めてくれなかったんですか」

「止めたぞ。〇HKとは違うって言ったぞ。それでもおまえはいいと言ったから好きにさせたんだ」


 もっと詳しく教えてほしかったなあ。まあ言葉不足なのはいつものことだけど。


「だからってどうしてこんなに元気がないんだろう」

「さっき言っただろう、おまえは餌だって。あの鳥は契約した生物から生殖細胞を奪い取る魔術を使う。それが鳥の糧となり、余剰分が卵となって排泄されるのだ」


 驚愕のあまり腰が抜けそうになった。鳥の卵の原料は僕の卵だったのだ。どうりで下半身に力が入らないはずだ。


「じゃあ知らぬ間に僕の生殖能力はあの鳥に奪われていたってことですか」

「そうだ。寿命が一年というのは、人間の場合約一年で生殖細胞を奪い尽くされてしまうからだ。おまえが種なしになった時点であの鳥も死ぬ」

「冗談じゃないですよ。そんなことになったら永遠に子供を作れなくなるじゃないですか。大問題です」

「いや、何の問題もない。男の生涯未婚率は今や30%に達している。おまえみたいに地味な容姿、平凡な能力、退屈堅物、卑小俗物な男が結婚できるわけがない。結婚できなければ生殖細胞などあったところで何の意味もない。意味のない細胞なら卵にして食ってしまったほうがいいだろう」

「うぐぐ……」


 絶対に同意できないのだが一言も反論できないのが口惜しい。先輩の言う通りだったとしてもこのまま放置しておくことはできない。


「契約を解除するにはどうすればいいんですか」

「解除は不可能だ。主従のどちらかが死ぬまで契約は続行する」

「ならあの鳥を殺しましょう」

「まあ、そうなるわな」


 というわけでコケコケ鳥は翌日鳥鍋になった。鳥を絞めて捌くのは先輩に任せた。高校2年の夏に自給自足でアマゾンを放浪しただけのことはある。見事な手際だった。


「はふはふ、美味しいですね」

「うむ。これなら980円で鳥だけ買ってもいいかもな」

「コケコケ鳥なんて二度と見たくありませんよ。それよりも先輩、ちょっと気になったんですけど」

「なんだ」

「あの卵屋がこちらの世界で売っている卵って、僕と同じようにこちらの人間と主従関係を結んで産ませているんでしょうか」

「そう考えるのが自然だ。一番安上がりだからな」

「契約に同意とか必要なんですか」

「不要だ。おまえの場合だって魔力を込めた羽根で頬を撫でられただけで契約が成立しただろう。本人の意思など関係ないんだ。NH〇より質が悪い」


 またしても胸中がざわつき始めた。羽根に触れただけで主従関係が成立してしまうのなら、本人の知らぬ間に鳥の餌にされている可能性だってある。満員電車や人ごみの中なら羽根が肌に触れても気づかないだろう。そしてどれだけ遠くに離れても主従関係が壊れることはないのだ。あの異世界人は卵で大儲けしていると言っていた。だとしたら大変な数の被害者が発生しているのではないか。


「最近、世界中で少子化が進んでいますよね。コケコケ鳥と関係があるんじゃないでしょうか」


 僕の問いに先輩は即答しなかった。少し間をおいて「さあ、どうだろうな」と答えて薄笑いを浮かべただけだった。それはまるで人類の存亡などまったく意に介そうとしない魔王の冷笑のようだった。













  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

沢田和早 @123456789

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画