創作のこと
いわもと
創作のこと
評価、というもの。評価する人と、される人がいる。評価する人は、それなりの経歴や地位がある。そういう人が評価を行う場所がある。賞、というもの。賞が欲しい人はたくさんいる。賞を貰えたら、認められたということだ。それはとても嬉しい。そう思う人はたくさんいる。しかし賞は、みんなにあげることは出来ない。ほとんどの人が賞をもらえない。だからこそ、賞の価値は高い。賞の価値は、人によっては、10カラットのダイヤモンドよりも高い。賞を取れたら、自分が嬉しいだけではなく、周りに対してもアピールできる。賞を取れたら、その人は、他の人にとって、賞を取る前よりも、魅力的に見える。
思い出してほしい。初めて自主的に絵を描いた時のことを。まず絵を描いた。楽しいからなのか、悲しいからなのか。分からないけれど、絵を描きたくて、描いた。そのはずだ。そしてそれを、誰かに見せた。見せたら、その誰かは喜んでくれた。すごいね、とか、いいね、とか、そんなことを言ってくれた。あるいは、誰にも見せなかったかもしれない。一人で、満足して、その絵はそのまま、捨てたかして、どこかへ行ったかもしれない。とにかく、まずは、描きたいから描いた。見てほしいと思ったとすれば、そう思ったのは、描いた後だったはずだ。
それが、時を経て。賞を取るために、作る。評価されたいから、作る。という風に、初めて絵を描いた時と、目的が変わってはいないか。これは、社会に出たことと、無関係ではない。社会は、信用で回っている。物を売る、買う。お金を貸す、借りる。このような時に、信用はとても大事になる。信用のない人から、物を買おうとは思わない。信用のない人に、お金を貸そうとは思わない。信用は、とても大事だ。就職活動のための履歴書には、自分が信用に足る人間であることを証明するための、学歴や職歴、資格を書く欄がある。なぜ、描きたいから描く、というのが、評価されたいから作る、になってしまったのか。それは、創作したものを通じて、自分が信用に足る人間であると、証明しようとしているからだ。こうなれば、絵は、小説は、詩は、他の色々なものは、学歴や職歴、資格と同じものになる。自分が信用に足る人間であることを証明するための、手段の一つになる。創作したものを通じて、信用を得るのは難しい。たとえば絵を描いて、信用されるにはどうすればいいだろう。「僕はこんな絵を描きました」と描いた絵を渡して、評価されるだろうか。絵が好きな人ならともかく、一般の人は、それだけでは評価しないだろう。それよりも「僕はこんな絵を描いて、こういう賞を取りました」の方が、一般の人にも評価されやすい。賞というのは、創作する人としての自分と、一般の人を繋ぐものでもある。そういうこともあり、賞というのものを、たくさんの人が欲しがっているし、賞を取るために創作する人もたくさんいる。
一つの賞につき、一年で与えられるのは一人、多くても三人くらいだ。その少ない枠を巡って、たくさんの人が、頑張って創作する。賞でなくても、最近だとバズるために、たくさんの人が、頑張って創作する。疲れないだろうか。過剰に期待したり、深く落ち込んだりしないだろうか。そうでない人もいる。そうでない人は、作りたくて作っているから、賞やバズの結果を気にすることはあれど、過剰に期待したり、深く落ち込んだりはしないだろうと思う。ほとんどの人が賞をもらったり、バズることはないので、賞やバズを目的とするのは、健康に良くないのではないか。それでも賞がほしい、というのなら、頑張ってほしい。人それぞれにそれぞれの事情がある。しかし、もう疲れた、と思うのであれば、立ち止まるのも必要ではないか。
原点は、描きたいから描く、だった。それがいつしか、アピールのために作る、になってしまった。しかし、作っても作っても、アピールにならない。じゃあ、何のために作っているのか。分からなくなる。そこで、原点に戻る。描きたいから描く。であれば、描きたくなければ描かない。それでいいのではないか。アピールや、自分が信用に足る人間であることの証明は、創作を通してでなくても、出来る。むしろ、創作をそのように、いわばビジネスツールとして使うことは、創作の本質的な、根源的なものとは実は、相反するではないか。作りたくて作ったものが、結果としてビジネスツールになる場合は相反しないが、始めからビジネスツールとして意識され、作ったものは、不純であるような気がする。不純が悪いわけではない。純粋が良いわけでもない。しかし、本質や根源とかけ離れた創作をするのなら、いつか何らかの歪みが出てもおかしくはないと思う。
誰にも見られないものを、作るというのは、作りたいという欲求がなければ、できない。しかし、作りたいという欲求があるのであれば、誰にも見られない、評価されないということは気にせずに、自然に、作っているはずだ。そして、作った後に、それを見せたい、評価されたいという欲求が生まれるだろう。その時は、半ば子供のように、近くにいる信頼できる人や、趣味の合う人に、作ったんだけど、と言って、恥ずかしがりながら、見せればいい。全然知らない、賞をあげたりする評価する人は、色々と忙しい。知らない人の作ったものを、読む優先順位は、仕事とはいえ、それほど高くない。賞やバズのために大きな時間や労力を使うのは、正直に言って、たくさんの人にとっては、割りに合わない。それよりも、仲間を作り、あるいは、仲間に入れてもらったりして、作ったものを見せられる人を作ることに、時間や労力を使ってみるのも、悪くはないだろう。もちろん、誰にも見せない、それでいい、という選択をすることも、とてもとても、純粋で、尊いことだと思う。
創作のこと いわもと @momonoketsu
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