03
その日、残りの学校生活は気まずかった。
優里と目があってお互いぎこちなく笑う。廊下で家島さんとすれ違ったときに気まずくて壁に隠れる。授業内容をノートにとるのも、ペットボトルから水を飲むのも、落ちた消しゴムを拾うことも、なにか行動する度に気まずさが纏わりつく。
耐えきれなくて帰りのHRが終わるなりいの一番に教室を出ると、昨日出会えなかった月島先輩が立っていた。
制服の白いワイシャツの上に、絵の具の散った緑色の作業エプロンをつけている。小柄で幼い顔立ちだから、高校生というより中学生に見える。
私に気づいた月島先輩が「どうも」ぺこりと会釈する。
私もつられて頭を下げた。
「月島先輩。どうして普通科にいるんですか」
「昨日流太さんが僕に会いに芸術科にきたっていうから。なにか用事かなと思って」
「……あ、そうです。ちょっと待っててください」
私は教室のロッカーの中から大きな菓子折りを取り出して、月島先輩に渡した。
「学祭のお詫びにと思って、これを渡したかったんです。和菓子なんですけど」
「やったー! いいの?」
月島先輩が嬉しそうに目を輝かせた。
「僕甘いの好きなんだ。ありがとう。でもやけに重たっ。中身なに?」
「小分けになった羊羹です。絵を描くときエネルギー使うだろうから糖分補給にいいかなって。地元の名産だから、食べ飽きてるかなとは思うんですけど……」
「ああ、僕地元はこっちじゃなくて島育ちだから。中開けていい?」
「どうぞどうぞ」
月島先輩は包装紙を風情なくバリバリ破き、ずらりと並ぶ羊羹に歓喜のため息をついている。よかった。これなら……と希望がわいたのも束の間、
「ペアコンサートの申込書の提出、今日中に生徒会室に持っていかなきゃでしょ? 申込書にはもう署名した?」
鋭く切り込まれた。
この話題、避けられないみたい。
「まだ書いてないなら、志麻が持ってる申込書に早く記入しないと」
「ライブペイントの邪魔したこと、その羊羹でチャラにしてもらったりは……」
「ダメだね。僕、志麻と付き合い長いし」
「そういう志麻先輩の姿がないですけど」
「途中で授業抜け出したみたいに。虹が出てたから近くまで見にいったんだって」
月島先輩は窓の外を指さした。夕焼け前の雨上がり、雲間から覗く太陽はまだ明るい。
「わざわざ授業をサボって虹ですか?」
意外すぎて、私はちょっと笑ってしまった。
「小さい頃は他の子が虹で騒いでるの鼻で笑ってたのに」
「じゃあ昔よりロマンチストになったんだね。ついでに志麻はああ見えて優しいやつだよ。一緒にピアノ弾くの、楽しいと思うけどなぁ」
志麻先輩に続いて月島先輩まで、頑なに私と志麻先輩をペアにしたいらしい。やっぱり違和感がある。
「月島先輩まで、どうして私を連弾相手にしたいんですか。なんか、志麻先輩も強引だし」
「そりゃ志麻は友達だし、僕も普通にピアノ弾きたいし、興味あるしね。普通科一ピアノがうまい男と、その男が認める女が一緒になって一台のピアノを弾くって、あついじゃん。誘っても誘っても流太さんに断られるって、志麻がぼやいてたよ」
「……志麻先輩、怒ってました?」
「その場しのぎで“いいよ”って頷かれるよりずっといいし、誠実だって言ってた」
「私、全然誠実じゃないです」
「そうなの?」
「嘘つきで、言い訳ばっか得意ですし」
隣のクラスのHRが終わったのか、教室から帰宅する生徒が次々と廊下に出てくる。そのなかに家島さんと、その友達の姿があった。「じゃあね、流太さん」と手を振ってもらえたけど、家島さん達は帰り道に私の話題をだすだろう。
私は月島先輩に頭を下げた。
「志麻先輩に会ったら、ペアコンサートは無理ですって言っておいてください」
「ライブペイントを邪魔したお詫びに、なんでもしてくれるんじゃないの?」
「羊羹で許してください。それ、全部で一万円したんです」
「誠意の塊ではあるね、その金額は」
食べかけの羊羹を見て驚く月島先輩。その隙に、「じゃあ」と背を向けようとしたとき、「ひと筋なんだってさ」と言われた。
「……なにがですか?」
「志麻。君の弾くピアノが一番好きなんだって」
そんな、ばかみたいなこと。
「ありえません。それに私は先輩のピアノが一番好きなわけじゃないですし。誘われて、すごく迷惑してるんです」
そのまま階段をおりようとすると、中段にいる志麻先輩と目があった。いつも絶妙なタイミングであらわれる先輩は、心臓に悪い。
志麻先輩は極端に目を細めて、私を見上げた。
「虹の写真きれいに撮れた。陽ちゃん、見るか?」
「……大丈夫です」
「どうして謝るんだよ。俺が今の話、聞いてたからか?」
志麻先輩を無視して足早に階段を降りる。学校を出て、駅の改札口を越えたところまでは耐えられた。
そこからは背中を丸めて、おまえはなんて最低で、卑屈で、嫌な子どもなんだ流太陽と自分を罵倒しながら家に帰った。
誰か私の唇を太い糸と針で縫ってほしい。そういえば言い訳も嘘も、ひどいことも全部言わずに穏やかな学校生活を送れるのに。
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