07



「俺、これ出たいんだけどペア見つかんなくて探しててさ。さっき陽ちゃん見つけたとき、マジでガッツポーズした。陽ちゃん、俺のパートナーになってよ」


「なに考えてるんですか」



 私は一秒の間もおかず用紙をつっかえした。断られると思ってなかったみたいで、志麻先輩はきょとんとしてる。



「無理。絶対無理だし嫌ですよ。しかも偉い人の前でなんて。それに私達普通科ですよ? 芸術科の人の前で演奏なんて恥かくにきまってるじゃないですか、そもそもどうして私なんですか」


「元沢村ピアノ教室の出身の生徒が連弾するってなんかいいだろ。それに、俺だってもうピアノは習ってない」


「でもさっき弾けてたじゃないですか」


「好きな曲は楽譜買ったり耳コピして弾くけど、その程度だよ。でも最近ピアノもう一回やりたいなと思ってさ。最優秀とって、このお偉い人達にビシバシ鍛えてもらったら一石二鳥じゃん。陽ちゃんだって、本音は弾きたんだろ?


「弾きたいと弾ける、は違います」



 私は志麻先輩の前に、自分の掌をひろげた。




「わかりますか? 私はブランクとハンデがあるんです。正常な感覚が欠品してるんです。ドレミファソラシドを耳で拾うとき、同時にちくちくちくって刺激を指が拾うんです。小学生のときに弾けてたのは、単に奇跡が起きてただけなんです」



 それに連弾は、一台のピアノに二人の奏者が並んで弾く演奏スタイルだ。肩や腕がぶつかったり、鍵盤の上では指が触れ合ったりする。過敏な私はそわそわしてしまう。



「昔みたいに我慢しろよ、そんぐらい」


「……信じられない。今の発言、炎上しますよSNSだと」


「どうぞどうぞ。ここは匿名ばっかがぞろぞろ口つっこんでくるSNSの土俵じゃねえし。俺と、陽ちゃんの間だけでのやりとりじゃあないんですかね?」



 ……なんだかおかしい。志麻先輩って、こんなに強引だったっけ?



 気がつけば校舎の壁ギリギリまで追い立てられていた。草食動物を捕食する巨大な肉食動物のようにじっと見下ろされる。雰囲気に流されてはいけない。




「私とペアなんて組んだら、最優秀賞は無理ですよ。触ってない以前に、連弾なんてしたことないし」


「俺は中三まで沢村ピアノ教室にいたし、それまでは先生と何度か連弾をしてるから知ってる範囲なら教えられるよ」


「だとしても、もっとピアノが上手な普通科の子だって探せばいます。もしくは芸術科の生徒を誘ってください。滑山君とか羽山さんとか、二人とも沢村教室の出身でうちの高校に通ってますよね? 私よりはるかに上手です」


「今俺は誰がうまいか下手とかの話をしてるんじゃない。流太陽がピアノを弾きたいのか、弾けないのかって話をしてるんだよ」


「無理ですよ」


「ちょっとがんばろっかな、ぐらいの勇気もでない?」




 志麻先輩の声が、急に弱々しくなる。アメとムチを使い分けるホストみたいに、声の調子を変えるタイミングがうまい。



 弾きたいのか? 弾けないのか?




 さっきの自分の行動を思い返せば――白状すれば、多分、弾きたいんだと思う。秋澤理香子や志麻先輩のように、鍵盤の上で気持ちよく指を動かしたい。



 でも今さらピアノをはじめてなにが得られるっていうんだろう?


も芸術科に在籍してるわけでもないし、音大を目指してるわけでも、ピアノ関連の仕事に就きたい願望もない。


 目的と理由がないのに、わざわざ苦しいピアノに向き合うって変じゃない? そう伝えようとしたとき、爪が短く切り揃えられている志麻先輩の長い指が目に入った。



 楽器を弾くときにひっかからないように、マメに手入れしてるんだろう。



 志麻先輩が爪を切るところは想像できるけど、私は自分が短い爪を維持するところをまるで想像できない。




「どう言われてもやっぱり、ピアノは怖くて弾けません」


「志麻、僕が協力してあげよっか?」


 きっぱり拒否する私の声に、ちょっと高い男の子の声が覆いかぶさった。見ると、準備ブースの中にいた月島という先輩が立っていた。



 絵の上手な、先輩。




「こんにちは流太陽さん。僕は芸術科二年の月島紀一(つきしま きいち)」



月島先輩は私に名乗り、志麻先輩にウィンクを送ってから立板に水の如く喋りだした。




「君がピアノの演奏を止めてしまったせいで、驚いた僕達芸術科絵画コース学祭ライブチームの出演者達十人の手は短いといえど、いっとき止まってしまった。せっかくいい流れで最後の仕上げをしてたのに……これはどう見ても君に責任をとってもらわなきゃいけないよね。じゃあどう責任をとってもらおう……あぁ、そうだ!」



 月島先輩は、わざとらしく手を叩いた。




「僕達のライブペイントを生演奏で盛り上げてくれた志麻の連弾パートナーになってもらう。それで、作品作りの邪魔をしたことをチャラにしよう」




 横暴すぎるし、さっきと言ってることが違う。さすがに反論の余地ありだと突っ返すと「君さっき放送部に“なんでもする”って言ってたよね?」と打ち返された。



「言いましたけどそれは……」


「あちらの画家がそう言っていますけどどうしますか?」



 問い詰められて黙る私に、志麻先輩に恭しく追いたてられる。発言を撤回するための案がとんと浮かばない私は情けない顔で、二人の先輩を見比べた。




 あぁ。今日は学校、休めばよかった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る