02





 学校につくと、一年一組の教室には数人の生徒しか残っていなかった。みんな最終日の学祭を満喫しに出てったみたい。



 机にカバンを置いて窓を開けると、騒がしい声や音楽が、ドチャスカと聞こえてきた。



 うちの高校はで分かれていて、どちらも学祭のクオリティが高いと話題らしい。他校生はもちろん、近隣の大学生やOBも期待してやってくると、担任の先生が言っていたのを思い出す。



 広いグラウンドを見渡すと、イベントステージが何箇所があって、最終日の今日もほとんどを芸術科が独占していた。



 なかでも一番盛り上がってるステージは、横三メートル、縦二メートルぐらいの大きな紙が貼られた壁に、つなぎを着た生徒達(多分、絵画コースの生徒達)が筆を走らせてライブペイントをしている二ブースだ。



 学祭案内の冊子説明には『芸術科美術コース専攻の二年生によるライブペイント』と書いてある。地元の図書館に寄贈する二枚の絵を北ブース、南ブースに分かれて完成させるのが目的みたい。



 学祭期間中なにもすることがない私は、教室からずっとライブペイントを見ていた。



 北と南、どちらの絵も上手だけど、北ブースの絵がとくに神秘的だと思う。ああいうの、印象絵画っていうんだっけ?



 その大きな絵は一面淡いミルクベージュ色で、下にいくにつれ、おぼろげなラベンダーから青色に変化して塗られている。三色はうっとりするほど見事なグラデーションになっている。



 唯一不満があるとすれば、音楽だ。



 ライブペイントのステージ横に置かれたレモン色の電子ピアノの存在は、度々私の心を乱した。そこではピアノを弾ける生徒が入れ替わりになって、ライブペイントを見ている観客をピアノパフォーマンスで盛り上げていた。



 クラシックやジャズ、ポップス、アニソンやドラマのサントラなんかがスピーカーにのって雑多に流れるたび、なぜか胸がむかむかしてくる。



「陽、はーるー、おはよ!」



 クラスメイトの花菱優里(はなびし ゆうり)に後ろから抱きつかれたのは、そのときだった。むぎゅっとした頬ずりに驚いた私は思わず優里を突き飛ばそうになった。けど、ぐっと堪えた。



 ……落ち着け、慌てるな、大丈夫。


 優里はいい人で“何も知らない”んだからわざとじゃない。頬に残るぞわぞわした感触を堪えながら、平然を装った。




「おはよう優里、遅刻じゃない?」


「ちがーう、家ちゃんのところにいたの、隣のクラスの。それよりまた芸術科の出し物見てたの?」


「だってすごいよ、あの絵」


「すごいけどぉ、優里絵のことあんまりわかんないもん……あ、ちょっと待って。今ピアノ弾いてるの、志麻先輩じゃん」



 ツインテールにした髪の毛先に人差し指を絡ませていた優里が窓から身を乗り出した。



 その瞳には、レモン色の電子ピアノを弾き始めた普通科二年の男子生徒が映ってる。


 人目をひく顔立ちで、生徒から人気の志麻慧悟(しま けいご)という先輩だ。人気、とハッキリ言えるのには理由がある。



 というのも(全部学祭準備中に優里から聞いた話だけど)志麻先輩が一年生の頃、生徒への暴言が目に余る生活指導の宮島(みやじま)という男性教師先生がいたらしい。



 そんな志麻先輩は、ある日を境に宮島のターゲットになった。来る日も来る日も宮島に一対一で暴言を吐かれる志麻先輩。けれど志麻先輩はけろっとしていたそうだ。

そんな志麻先輩に宮島の怒りはエスカレート。



 ある日、生徒指導室で三時間みっちり、人格否定されるほどの暴言を吐かれ続けた。


「出来損ない」

「学校辞めろ」

「他の生徒がお前のマネするんだよ。土下座して俺に謝れ」


と教育者にあるまじきセリフ。



 志麻先輩は「はい」「すみません」「そうです。俺って最悪ですよね」と殊勝な演技をしながら、宮島の発言をボイスレコーダーに録音していた。そうして、市の教育委員会に自ら提出しにいったのは有名な話だ。



 宮島は解雇され学校を去り、入れ替わりで宮島のせいで不登校になった生徒三人が登校してきたとき、学校中のみんなは校舎内から拍手で彼らを出迎えた。


 ちなみに三人のうち一人は滑山(なめやま)という二年生で、志麻先輩と私と同じピアノ教室に通っていた男の子だった。



 弱い仲間にはとことん優しい。

 志麻先輩は、そういう人間だ。




「志麻先輩って普通科だよね? なんでピアノ弾けるんだろう」


「藝大出身の先生のところに熱心に通ってたから、うまいんだと思うな」


「そうなの?」


「……あっ」


 しまった、と気付いたときはもう遅い。私は、すぐさま自分の発言を後悔した。案の定、優里が「陽って志麻先輩と知り合いだったの?」と驚いている。



「小学生のときにちょっとだけ同じ教室に通って、遊んでたりしてたたから……」


「なにそれ、知り合いっていうか友達じゃん。ねね、南校の友達が志麻先輩紹介してほしーって言っててね。陽、志麻先輩の連絡先知ってたら……」


「む、昔の話だよ、今は違うから!」


 私は慌てて否定した。



「昔は教室の子みんなで遊んだりしてたけど、私は小五ぐらいでピアノ辞めちゃったから。それから一回も喋ったことないしもう疎遠だよ」


「そうなの? ……あれ。ってことは陽もピアノ弾けるの?」


「弾けないよ。辞めてから一回も鍵盤に触ってないし」



 言いながら、不審がられない程度に優里と距離をとった。



 私が日々で悩んでいることは学校にも友達にも伝えていない。



 触覚過敏は感覚過敏のうちの一つで、皮膚になにかが触れたとき、過敏に反応する特徴がある。重度じゃないけど私はこの原因不明の過敏に、物心ついたときから悩まされている。



 日常生活を送ることはできるけどに過ごすのは難しい。



 おまけに刺激の感じ方や程度には個人差があって、私の場合は今朝みたいに、ブラシのピンが頭皮に当たるとぞわぞわして落ち着かない。縫い目のある服や靴下、手触りに引っかかりがある服は苦手でチクチクする。顔に化粧をするとスタンプを永遠に押され続けてるみたいに不快だし、皮膚と皮膚の接触もちょっときつい。



 ベタベタ、ネバネバは大嫌い。小学校の頃は粘土を触ってあまりの不愉快さに失神したこともある。



 でも友達に“私、体にハンデがあるの”なんて絶対言えない。


 ハンデを持つ人間と本気で仲良くしたいと思う同世代の子がいるなんて希望、当事者の私にはない。




だからね、リボンなんて渡せないんだよお父さん。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る