【16歳、再会】
朝起きたら空気の入れ替えをしたいから部屋の窓を開ける。でも、秋澤理香子(あきざわ りかこ)のピアノの音が今日も聞こえてきたものだから、ぴしゃりと窓を閉めた。
秋澤理香子の家は、私の家の前の、道路を挟んだ斜め前に建っている。
オレンジのポピーが咲き乱れる庭がある、大きなレンガの家だ。にしても、朝から超絶技巧の"リスト”を弾くなんて、すごい体力。
秋澤理香子は小学生の頃からピアノコンクールの賞にバンバン入選してる、私と同じ高校一年生だ。
ピアノが上手で、顔立ちも佇まいもどこぞのお嬢様のように品がある。
髪の毛をハーフアップにして、後ろをリボンのバレッタで留めている大正ロマン味のあるヘアスタイルが似合う女子を、私は秋澤理香子以外に知らない。
私は窓がきっちりしまってるかもう一度確認したのち、ベッドから降りて一階のリビングへと向かった。ちなみにいうと、ここ一か月、我が家のリビングは荒れ放題だ。
ダイニングテーブルとソファの上は物置になっていて、服や飲みかけのペットボトルが散乱している。
壁に直置きで積み上げていた彗星学や天文学の本は雪崩を起こしたまま放置されていて、テレビボードから落ちたオルゴールは、コンビニチキンの紙袋を下敷きに転がっている。
これが、父親不在の一軒家で暮らす女子高生のリアルだ。
ちなみに私のお父さんは本業の宇宙ライターをしつつ、仲間達と未知なる彗星を探索するコメットハンターとして世界各国を飛び回って天体観測に勤しんでいる。
お父さんが帰国するまでには掃除しなきゃ、と思ってる。でも最近、誰かにやる気を絞り上げられてるみたいに、片付けたりキレイにするという気力が自分の中に湧いてこないのだ。
せめてカーテンぐらいは開けようかと思ったとき、目の上でカサカサとなにかが動いた。
見上げると、カーテンレールの上に張った巣を、一匹の蜘蛛がいそいそと拡大していた。彼(彼女?)は、四月から私と一緒に暮らしている同居人だ。
「お父さんが戻ってきたら出ていきなね。お父さん、虫嫌いだから」
毎朝のルーティンになりつつある注意喚起をしながら洗面所に向かう。
ちなみに今日は、学祭最終日の三日目だ。うちのクラス展示は昨日で早々に終了してるから、少しぐらい遅刻しても大丈夫なはず。
私は洗濯かごにかかった滑りのいいワイシャツにのろのろと袖を通した。あわせるのは、灰色の学校指定リボンと、同じ色のプリーツスカート。紺色のハイソックスは、縫い目が肌に当たらないようにわざと裏返しに履いた
手早く歯を磨いて顔を洗い、とろみのない敏感肌タイプの化粧水を少量だけつける。ヘアブラシを持って、ピンが頭皮に当たらないよう毛先のもつれだけを梳いていく。
髪の毛はおくれ毛なしのポニーテール。毛先が首筋に当たってチクチクしないように、できるだけ高い位置でが私の鉄板。黒ゴムで、根本をぎゅっと結ぶ。
軽く朝食を食べて玄関に行くと、開封し忘れたままの小包が置いてあった。
差し出し人は『流太春樹(るった はるき)』で、中国から届いてる。お父さんは今、紫金山天文台あたりにいるのかもしれない
中を開けると、A4サイズに引き伸ばされた一枚の写真が額に入っていた。翡翠色の淡い光を幻想的ににじませる彗星が、星空をすがすがしく引っ掻いている。
お父さんからの短い手紙が、あった。
陽(はる)へ
以前撮ったポンス・ブルックス彗星の写真を送ります。見事だと仲間内からも評判で、星空写真家のモリスさんが、今度の写真集に入れてくれるとのことです。
気に入ってる彗星なので、次は陽もぜひ一緒に見ましょう。
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