召喚拒否、完了しました ~異世界転生を断り続けた僕が、最後に知った本当の代償~

ソコニ

1話完結 召喚拒否、完了しました

 通知が来たのは、火曜日の午後三時だった。

 スマートフォンの画面に、見慣れないポップアップが表示される。

【異世界召喚通知】

召喚元:ファルネシア王国

役割:戦闘要員(槍兵)

期間:不定

生存率:12%

[承諾] [拒否]

 僕は画面を見つめた。

 承諾ボタンに指が触れそうになった瞬間、理由もなく、それを押してはいけない気がした。

 なぜそう思ったのか分からない。

 ただ、何かが間違っている。

 僕は【拒否】を押した。

 画面が一瞬明滅し、「拒否を受理しました」と表示される。それだけだ。ウイルスか何かだろうと思い、スマホを再起動した。

 けれど、通知は止まらなかった。

 一時間後、また来た。今度は「魔法使い見習い、生存率34%」。拒否。

 夕方には「鍛冶職人、生存率89%」。拒否。

 夜、ベッドに入る直前に「料理人、生存率96%」。拒否。

 毎回、拒否ボタンを押すたびに、僕の頭の中で何かが薄れていく感覚があった。

 最初は気のせいだと思った。

 でも、三日目の朝、僕は自分の母親の顔を思い出せなくなっていた。

 名前は分かる。「母」だと分かる。電話もできる。

 ただ、顔が、ぼやけている。

 写真を見ても、「ああ、この人が母か」と理解するだけで、記憶の中の母の顔とは繋がらない。

 一週間が過ぎた。

 通知は一日に十数回届くようになっていた。役割も多様化している。「王宮書記官」「辺境警備兵」「孤児院管理人」。

 僕は機械的に拒否を続けた。

 そして気づいた。

 自分が何の仕事をしていたのか、思い出せない。

 通勤していた記憶はある。駅のホームに立っていた記憶もある。

 けれど、職場がどこで、何をしていたのか、まったく分からない。

 九日目の朝、食事をしようとして、箸を手に取った。

 右手で持とうとして、違和感があった。

 左手に持ち替える。これも、しっくりこない。

 自分がどちらの手で箸を持っていたのか、分からなくなっていた。

 結局、右手で持った。たぶん、こっちだ。

 でも、確信はなかった。

 十日目、友人から電話がかかってきた。

「おい、大丈夫か? 会社、もう一週間休んでるぞ」

 会社。そうだ、僕には会社があった。

「ああ、ちょっと体調が……」

「お前、声変わってないか? なんか、他人と話してるみたいだ」

 電話を切った後、鏡を見た。

 自分の顔はある。でも、それが「僕」だという確信が、少しずつ揺らいでいる。

 二週間目、通知の内容が変わった。

【異世界召喚通知】

召喚元:セラフィード帝国

役割:判断者

期間:一度のみ

生存率:100%

「あなたは戦闘要員ではありません。ただ"判断"をしてほしいだけです」

承諾率:99%

[承諾] [拒否]

 承諾率、という表示は初めてだった。

 99%。

 ほとんどの人が承諾している。

 そして、僕は初めて「説明」のリンクをタップした。

 画面に、長い規約文が表示される。

 そこには、こう書かれていた。

「召喚拒否者は、召喚成功者の"失敗"を代理記録する役割を担います」

「召喚者が死亡・任務失敗した場合、その記録は拒否者の記憶領域に転送されます」

「拒否回数が増加するごとに、拒否者の個人記憶は圧縮・削除され、記録領域として再利用されます」

 僕の手が震えた。

 つまり、僕が拒否してきたすべての召喚は、誰かが代わりに引き受けていた。

 そして、その誰かが死んだとき、その失敗の記録が、僕の記憶を上書きしていた。

 僕が母の顔を忘れたのは、どこかの異世界で槍兵が死んだから。

 職場を忘れたのは、魔法使い見習いが任務に失敗したから。

 僕の記憶は、他人の失敗のゴミ箱になっていた。

 画面をスクロールすると、「判断者」の役割説明が表示された。

「判断者は、次の召喚拒否者を選定する権限を持ちます」

「あなたが承諾した場合、次に通知を受け取る対象を決定していただきます」

 息が止まった。

 承諾すれば、今度は僕が、誰かに通知を送る側になる。

 誰かの記憶を削除する側になる。

 画面の下部に、追記が表示された。

「今回の"判断者"召喚を拒否した場合、あなたの個人識別情報はすべて削除されます」

「次に拒否する主体は存在しません」

 僕は、スマホを握りしめた。

 選択肢は二つ。

 承諾して、加害者になるか。

 拒否して、消えるか。

 もう僕には分からない。

 なぜ拒否してきたのかも。

 何を守ろうとしていたのかも。

 ただ、一つだけ確信していることがあった。

 最初の通知で、承諾ボタンを押そうとしたとき、何かが僕を止めた。

 理由は分からない。

 それでも、それだけは間違いない。

 だから、僕は最後まで、それを信じようと思った。

 指が、【拒否】ボタンに触れる。

 本当にこれでいいのか、分からない。

 でも、承諾する理由も、もう思い出せない。

 画面が白く染まる。

「拒否を受理しました」

「個人識別情報の削除を開始します」

 視界が歪む。

 部屋の輪郭が溶けていく。

 自分の名前が、喉の奥で消えていく。

 最後に表示された文字だけが、網膜に焼き付いた。

「拒否は正常に処理されました」

「次に拒否する主体は存在しません」

 僕は、消えた。

 そして誰も、それに気づかなかった。

 火曜日の午後三時、別の誰かのスマートフォンに、通知が届く。

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