病院警察〜医療特別捜査課〜

@Yu-men

プロローグ〜karte1「湯けむりの奥、消えた呼吸」

プロローグ


その判断は、会議室で下された。


病室ではない。

手術室でもない。

患者の顔が一切見えない場所だった。


モニターに表示されたのは、ただの数字。


年齢。基礎疾患。回復見込み。医療コスト。


誰かが言った。


「優先度、下げます」


反対意見は出なかった。


沈黙は、承認だった。


救急外来では、医師が時計を見ていた。


二十二分。


その時間が、何を意味するのかを

彼は知らなかった。


「まだ、様子を見ろ」


イヤーピース越しの指示に、医師は従った。


カルテには『標準治療を選択』

とだけ記録された。


病室で、患者は呼吸を乱していた。


誰も、彼の名前を呼ばない。

誰も、彼に説明しない。


優先順位は、すでに決まっていた。


その夜、死亡時刻が記録された。


不自然なほど、整った数字だった。


翌日。


病院警察医療特別捜査課が、その病院に入った。


彼らはまだ知らない。

この病院が、人を救う場所ではなく、

選別する場所になっていることを。


そして、

この「二十二分」が、

一人の男の人生を壊すことを。



医師として働いていると、

時間は平等じゃないことを知る。


同じ一分でも、

救命処置の一分と、

会議で消える一分は重さが違う。


その日は、二十二分だった。


理由は分からない。

ただ、気づいたときには

処置開始の時刻が

「遅れてはいけない線」を越えていた。


判断は間違っていなかった。

少なくとも、記録の上では。


それでも、患者は死んだ。


「次から気をつけよう」

「今回は運が悪かった」


そう言われて終わった。


だが医療に、

運で片付けていい死なんてない。


から、

俺は時計を見る癖がついた。


時間じゃない。

誰が、いつ、止めたのかを。



ICUの前には、夜の病院特有の静けさがあった。

モニター音と消毒液の匂い。

そこに、微かに混じる硫黄の匂い。


「……温泉帰りだね」


そう言ったのは、

ナースステーションにいた

日下部鈴奈だった。


彼女はカルテを抱えたまま、

一歩だけ声を落とす。


「下呂に行ってたみたいです。

 患者さん」


中松悠は、ICUのガラス越しに

ベッドの上の男性を見た。


六十八歳。

三日前、温泉旅行から帰宅後に発熱。

呼吸困難を訴え、救急搬送。 

そして今朝、死亡。


死因は重症肺炎。


「普通の肺炎、ですか?」


中松の問いに、

鈴奈は首を横に振った。


「……進み方が、変でした」


その言い方に、

中松は小さく息を吸う。


看護師は、

確信がないことを断言しない。


検査結果を確認して、

中松は画面で指を止めた。


「レジオネラ……」


「やっぱり、そうですよね」


鈴奈は即座に反応した。


「夜勤のとき、

 最初から呼吸音がおかしかった。

 普通の肺炎じゃなかった」


「それ、記録には?」


「……書いてません」


鈴奈は視線を落とす。


「『標準治療で様子を見る』って

 決まってましたから」


決まっていた。

誰が、とは言わない。


搬送時刻、二十時十二分。

診察開始、二十時二十五分。

抗生剤投与開始――二十時四十七分。


中松は、無言で数字を追った。


二十二分。


「……遅いですね」


鈴奈が言った。


「最初の判断、

 先生じゃなかったですよね」


中松は答えなかった。


その沈黙で、

十分だった。


担当医は事情聴取で、

何度も同じ言葉を繰り返した。


「指示に従っただけです」

「病院の判断でした」


「誰の?」


「……それは」


記録には残っていない。

残っているのは

「標準治療を選択」の一文だけ。


病院としての結論は、

すぐに出た。


――不幸な転帰。

――対応に問題なし。


鈴奈は、

ICUを出たところで立ち止まった。


「……助けられましたよね」


中松は答えた。


「可能性は、ありました」


「ですよね」


それ以上、

彼女は何も言わなかった。


言えなかった。


病院を出ると、

西岡院長が待っていた。


「中松君」


穏やかな声だった。


「今回は、仕方がなかった」


「本当に、そうですか」


院長は、一瞬だけ言葉を選ぶ。


「医療には、優先順位がある」


「誰が決めるんですか」


院長は、目を伏せた。


「……現場ではないところだ」


その夜。


中松は自宅で、

過去の症例データを開いていた。


似た経過。

似た判断。

似た――


二十二分の空白。


偶然とは、思えなかった。


中松は画面を閉じ、

静かに呟く。


「これは、事故じゃない」


誰かが、どこかが、

命の順番を決めている。

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