第2話


教室を優雅に立ち去った先輩を見送り、隣の席へと視線を戻す。

先ほどから呆然と立ち尽くしていた女子は、まだ硬直が解けていない様子だった。

チャイムが鳴り、教室が慌ただしくざわつき始める。

それでようやく我に返ったのか、彼女はぎこちなく動き出し、自分の席に座った。

状況が理解できないんだろう。

……分かるよ、君。

先輩はよく「気の抜けた行動」をしてしまう。

今回のは多分、俺に付いてきてしまったのだろう。

昼休みは、部室で昼食をとり、そのまま本を読む。

最近はもっぱら、こんな感じで部活に参加している。

べ、別に先輩に会いたいからじゃないからな。

先輩は淑やかで静かな性格だが、意外と物怖じしない。

かといって、肝が据わっているわけでもない。

特に何かを聞かれることもないし、嫌がられている様子もない。

弁当を隣で食べることについても、きちんと話して許可はもらっている。

そんなこんなで昼休みが終わり、それぞれ教室へ戻る――はずだった。

だが、先輩は下を向いて歩くことが多い。というか、ほとんどずっとだ。

考え事をしているのか、何も考えていないのかは分からないが、前を歩く人にそのまま付いていってしまう。

部室を出るとき、たまたま俺が先に出た。

だから、俺に付いてきてしまったのだろう。

最近は部室でも隣に座っているせいか、違和感なく俺の隣の席に腰を下ろし、部室から持ってきた本を開いていた。

先輩の行動に、おかしなところは何もない。

――通常運転だな。

美人なのに、実に可愛らしい。


 放課後、とりあえず先輩に一言挨拶してから帰ろうと部室へ向かう。

その途中、部室に入ろうとする女子生徒を見かけた。先輩以外を見るのは、これが初めてだった。

その女子生徒は中にはいるやいなや、先輩に向かって、ぎゃあぎゃあと何か騒いでいる。

先輩は眉をひそめ、目をぎゅっと閉じ、音源から少しでも耳を遠ざけようとするかのように身体をくねらせていた。

『あのさ、凜!毎回迎えに行くの恥ずかしいんだからね!

ちゃんと前を見て歩く!チャイムが鳴る前に教室に戻ってきて!』

……あ、それ、よくやってるんだ。

それは大変だね。

同情の言葉を、心の中で送った。

女子生徒が「ん?」と気配に気付いたのか、こちらを振り返る。

『あら?あなた一年?新入部員がいるって聞いてたけど……えっと、たしか』

『あ、はい。一年の鯉渕です。よろしくお願いします。先輩ですよね?』

制服のリボンは赤。三年生だろう。

そう判断し、きちんと敬語で挨拶する。

『鯉渕くんね。私は三年の池崎 澪。掛け持ちで文芸部にも所属してるの。これからよろしくね』

……おお。

凜先輩とは、まったく違うタイプの美人だ。

長い髪をポニーテールにまとめ、活発そうな雰囲気。血色の良い健康的な肌。

細身ながら筋肉はしっかりついていて、背も高く、足も長い。

そして、出るところはちゃんと出ている。

つい、全身をくまなく見てしまった。

決して、邪な気持ちじゃない。

何かを感じ取ったのか、澪先輩は腕で胸元を庇うように身を守った。

『もしかして、きみ。変態なの?』

怪訝そうな顔で睨まれ、容疑者扱いされる。

『い、いえ、違いましゅ!』

慌てすぎて噛んだ。

……余計に怪しまれるやつだ。

『失礼しました。運動部に所属されているのかなと思って、つい』

最近読んだ推理小説を思い出し、なんとかそれっぽく誤魔化す。

『細身でも筋肉はついている。肌は日に焼けていないので室内競技。

手にたこがなく、腕や足に擦り傷もない。――となると、バスケ部でしょうか』

『正解よ。ふーん、推理ものでも読んだ?』

疑いは晴れたようだが、まだ少し警戒されているらしい。

 矛先が自分から逸れたことに安心したのか、凜先輩は何事もなかったように本を開いていた。

『凜!分かった!?もう迎えに行かないからね!』

 凜先輩はびくっと身体を跳ねさせ、こくりと頷くと、本に顔を隠した。


『それじゃ、私バスケ部行くね。鯉渕くん、またね!私は頻繁には来られないけど、文集の時期はちゃんと原稿書くから安心して。

あ、それと――変な気、起こさないようにね!』

 ぴしっとデコピンを食らい、念押しされた。

そして澪先輩は、弾むような足取りで部室を後にする。

 ふわりと残った香りが、彼女の健康的な美しさを脳裏に焼き付けた。

……惚れてまうよ。

 軽く頭を振り、その気の迷いを振り払う。

本来の目的を果たそうと、凜先輩に声をかけた。

『あの、先輩。今日は帰ります。また明日』

ぴくっと反応し、本に隠れたままの頭が、縦に揺れた。

……凜先輩。

あなたにも、惚れそうです。

 

 そうして、今日は部室を後にした。

今日はバイト先を探す為に部活を休んだ。

帰り道を歩きながら、周囲を観察する。

バイトをするなら、どの辺りがいいだろうか。

学校の近くは、やめておこう。

クラスメイトに働いている姿を見られるのは避けたい。

それなりの交友関係は大事にするが、プライベートとは分けたい。

雰囲気に流される付き合いは、正直面倒だ。

時間は有限である。

 ひとしきり歩いて考えた後、バスに乗り、駅へ向かう。

 駅から自宅までは、自転車で十分ほどだ。

駅周辺で、なおかつ高校生が来なさそうな場所。

そんな条件で歩いていると、さびれた古本屋が目に留まった。

――あれ?

こんなところに、本屋あったっけ。

ガラス戸越しに中を覗く。

店番らしいおばあちゃんが、こくり、こくりと舟を漕いでいた。

そのとき、視界の端に白いものが映る。

ガラス戸に、張り紙が貼ってあった。

時給一〇〇〇円

本が好きな方

店番をお願いします

……おお。

なんというか、御誂え向きのバイト先を見つけてしまった気がする。

高校生は来なさそう。

中を見ても、漫画や雑誌は見当たらない。

しかも高時給。

これは、話を聞くしかない。

そう思い、戸を開けて中に入った。

『あの、すみません』

おばあちゃんに声をかけるが、目を覚まさない。

よほどいい夢を見ているのだろう。

もう一度、少し声を大きくする。

『あのー!すみません!おばあちゃん、起きてください!外の貼り紙を見ました!』

それでも起きる気配がない。

前後に揺れる頭を、そっと手で押さえた。揺れが止まれば起きるだろう、たぶん。

すると、ゆっくりと瞼が開く。

しばらく虚空を見つめ、焦点が合っていない。

やがて、少しずつ俺の顔に視線が合い、これまたゆっくりと口を開いた。

『あら、いらっしゃい。ごめんなさいね。耳が遠くなってね。カバーはつけるかい?』

……いや、遠いんじゃなくて寝てたよね、おばあちゃん。

『いえ、買い物じゃなくて。外のアルバイトの貼り紙を見ました。まだ募集してますか?』

少し大きめの声で、目的を伝える。

『そんな大きい声を出さなくても聞こえるよ。

貼り紙かい?歩く鳩?私は店番を頼める人を探してるのよ。歩く鳩なら駅前におると思うよ』

……そうだね。

歩く鳩は駅前にわさわさいるね。何か落ちてると、おばあちゃんみたいにこくりこくりしてる。

『そう、その店番です!店番、やりたいです!』

『はぁー。そうかい。店番やるのね。お願いするよ』

そう言うと、おばあちゃんはカウンターの奥で、ぽんぽんと何かを叩き始めた。

上から覗くと、隣の縁台に敷かれた、使い古した草座布団だった。

……え。

今?

なにこれ。

『おばあちゃん、今座るんですか?今から店番?』

そう聞くと、おばあちゃんはこくりと頷き、また舟を漕ぎ始めた。

……まあ、いいか。

そう納得し、俺も隣に腰を下ろして肩からバッグを下ろす。

 カウンター越しに、ガラス戸の外をぼんやり眺め、行き交う人々を目で追った。

 結局、おばあちゃんが起きるまで、誰一人としてガラス戸を開ける人はいなかった。

それなのに。

「はい、二千円。明日もよろしくね」

そう言われて、金を渡された。


 こうして、バイト先は決まったのだった。

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