聖域
北尤
第1話
午後一時三分の陽光は、新宿駅のホームのアスファルトをどろどろに溶かしているように見えた。 光は、黄色の点字ブロックから正確に五十センチ下がった位置に直立していた。電車がチューブから絞り出された歯磨き粉のように、音もなく入線してくる。ホームドアが設けられていたが、光はそれに決して近づかず、車両の慣性が完全に死ぬまで微動だにしなかった。 黒いTシャツはすでに光の汗で背中に張り付いている。肩甲骨のラインが、呼吸に合わせて浮き沈みするのが外からでも確認できた。身長は百七十五センチ。ジーンズのポケットに突っ込まれた両手は、拳を握りしめたまま動かない。目深に被った黒のベースボールキャップのせいで、目元は濃い影に沈んでいる。 電車のドアが開いた。冷気とともに、重たい湿り気を帯びた乗客の群れが吐き出される。光は彼らの流れが途切れるのを待ってから、ゆっくりと車両に足を踏み入れた。
車内は空いていた。光は優先席から最も遠いドア横のスペースに陣取った。 座席には、スマホを膝から滑り落としそうになりながら眠りこける女子高校生が一人。その正面には、詰め襟の男子高校生が三人、声を押し殺してニヤニヤと彼女を指差している。離れた位置には、額の汗をハンカチで拭いながら書類に目を落とす、くたびれたスーツ姿のサラリーマンが二人。 光は彼らを一人ずつ、スキャナーのように視線でなぞった。誰の目にも光は映っていない。光は再び身震いをした。車内の冷房は二十四度に設定されているはずだが、光の額からは絶えず新しい汗が噴き出し、顎の先から床のゴムマットへと滴り落ちた。光は右手の親指の爪を、人差し指の付け根に深く食い込ませ、視線を固定した。
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