世界で1番幸せな死に方

月瀬ゆい

世界で1番幸せな死に方

「ねぇミツキ、世界で1番幸せな死に方って、何だと思う?」


 また始まった。

 木枯らしが吹きすさぶ学校の屋上で、私は卵焼きを頬張った。


 ぴったりと肩を寄せ合うように私の右隣に腰を下ろしているのは、クラスで一、二を争うほどの美少女、山江ネアだ。


 ネアは持ち前の美貌と、頻繁に出る先のような突拍子もない発言で、周囲から浮いている。彼女の話では、家にも居場所がないらしい。

 「屋上でミツキと過ごす時間はね、わたしが唯一心休まる大切なものなの」と笑っていたミツキの姿が、不意に思い起こされた。


「なに、ネア。あんた、希死念慮でもあったの?」

「そういうのじゃないよ。そうじゃなくて、ただ純粋に気になったの」

「ネアはどう思うの? 世界一幸せな死に方、だっけ」

「わからないからこうやって口に出してるんでしょ。ミツキは? ミツキが思う、世界で1番幸せな死に方ってなぁに?」


 お弁当を食べ進めながら、ぽんぽんと会話のキャッチボールをする。

 ネアからの問いに、私は少し考えてから、自分なりの答えを口にした。


「私は絶対に百二十歳まで生きるって決めてるから。家族に見守られながら、安らかに老衰で死にたい」

「天寿を全うして、ってことかぁ。うんうん、いいね」


 私の無難な答えを聞いて、ネアは嬉しそうに何度も頷く。

 ネアはまた考え込むような仕草をしてから、桜色の唇を開いた。


「……わたしはね、みんながみんなわたしのことを大嫌いなったあと、誰にも知られないままひっそりといなくなりたいなぁ」

「ふーん、どうして?」


 自分の死を悲しんでもらいたくないの、と続けると、ネアはくすくすと笑った。


「だって、死んじゃったわたしなんかのために、その人が悲しい思いをするなんて嫌だから。だから、わたしが死んで清々するって全員が口を揃えて言うくらい、世界のみんなに嫌われてから死にたいなぁ」


 ネアはこんなにかわいい顔をしていて、成績も悪くはないくせに、恐ろしく自己肯定感が低い。

 高校から仲良くなった、ネアと出会って半年と少しだけの私にも、ネアが置かれている環境が劣悪であることは容易に想像ができた。

 ネアはクラスで浮いている、どころの話ではない。トップカーストの女子グループにイジメられているのだ。クラスのボス的な女子の想い人が、ネアのことを好きになり、告白されたネアがそれを断ったことで始まったらしい。クラスが違い、ネアも話題にしないため詳しくは知らないが。


(イジメのことを知っていながらなにもしない私も同罪なんだけどね)


 先生には言ったけど、相手にされなかった。面倒事には関わりたくないんだろう。私が言えた義理ではないが、汚い大人だ。


 私はごちゃごちゃになった心を落ち着けるように軽く息をついてから、何でもないようにそっけなく「そう」とだけ言った。


「…………ねぇ、ミツキ。わたしが死んだら、ミツキは悲しい?」


 少しの沈黙を破ったネアの言葉は酷く物騒で、それでも本人はとても真剣な顔をしていた。


 そりゃ悲しいよ、と半ば反射的に出かかった言葉が、喉の中で止まる。

 

 ネアが死んだら悲しいと、私が言ってもいいのだろうか。

 イジメを黙認し、劣悪な家庭環境を知っていてもなお何もせず、こんな最低な私と仲良くしてくれるネアのやさしさに甘え続けている、私が。


「……わかんないよ。だって、今ネアは生きてるし」


 絞り出した答えは、そんな非情なものだった。


 昼休みの終了を告げるチャイムを口実に、空になった弁当箱を乱雑にまとめて屋上をあとにした。

 ネアの顔を見ることは、できなかった。




◇ ◇ ◇




 翌日の朝。

 

 ネアに謝ろう。「ネアが死んだらとても悲しい」って、本心を伝えたい。


 心の中でそう唱えながら、教室のドアをくぐる。

 いつもの二倍騒がしい教室は、近づく文化祭による浮ついたものではなく、困惑と動揺に満ちていた。


 一体何があったのだろうか。ただならぬ雰囲気を感じ取り、ざわつく周囲に視線を彷徨わせていると、「ミツキちゃん」と背後から声をかけられた。


 振り向くと、そこには気弱そうなクラスメイトが立っていた。名前は……なんだっただろう。

 

「あのね、ミツキさん、ミツキさんは、山江さんと仲良かったよね」


 ここでどうしてネアの苗字が出てくるんだろう。

 状況は少しも理解できない。迫ってくる嫌な予感から必死に目を逸らしながら、私は曖昧に頷いた。


 彼女は「やっぱり……」と悲痛な表情になった。それから、意を決したように私に何かを伝えようと、口を開く。

 この先を聞きたくないのに、体はほんの少しも動かず、耳をふさぐことすらできなかった。


「窓から見えるでしょ、あそこの、燃えてる家。……あの家はね、山江さんのお家なの。山江さんは、まだ登校してきてない」


 けど、今山江さんが学校に向かってるなら、火事に巻き込まれていないかもしれない。

 そんなフォローを入れられたけど、私はわかってしまった。

 

 ――ネアは、もうこの世にはいない。


 家族に対する恨み節も零していたから、これはきっと彼女なりのささやかな復讐なのだろう。

 時計を見れば、もう八時十五分。きっとこの時間、ネアの家族はもう家を出たあとなんだろうな。


 呆然と立ち尽くす私を痛ましそうに見つめるリオがうつむいた時、ヴヴ、とポケットのスマホが振動した。


 ある種の現実逃避だったのかもしれない、学校にいる間スマホを見ない私は、ポケットから取り出した機械の電源を入れた。


「……え」


 ロック画面の通知欄に踊る『山江ネア』という文字に、私は目を見開く。

 連絡先の交換はしていても、メッセージのやり取りや通話をしたことは一度もない。

 プライベート設定をオンにしているせいでメッセージの内容が表示されないのがもどかしい。

 渦中の人物からのメール通知を、私はダブルタップする。


「あ……ああぁ」


 スマホの小さな画面いっぱいに表示された文面に、私は涙が止まらなくなった。

 

『花村ミツキへ

 これをあなたが読んでいる時、わたしはもうこの世にいません。

 友人へ送る最初で最後のメールが遺書だなんて、とってもおかしい! でも、案外わたしたちらしくて、いいのかも。

 ミツキならわかってくれると思うけど、とっくに家は無人です。わが家を燃やして胸がすく思いだなんて、わたしって最低だね。まあ、わたしの親不孝は今に始まったことじゃないけど。

 わたしが昨日、世界で1番幸せな死に方の話をしたの、覚えてる? ミツキのことだから、きっとわたしが死んだら悲しいって答えなかったこと、後悔してるでしょ。わたしは全然気にしてないし、むしろ嬉しかった。まあ、素直に悲しいって言ってくれたら、もっと嬉しいけど! まあ、それは置いておいて……わたし、わたしなりの世界で1番幸せな死に方、わかったの。それはね、世界一大好きなたった一人に、世界の全員分悲しんでもらうこと! 死ぬ直前になって改めて考えてみたら、みんなに忘れられて消えちゃうなんて幽霊みたいな最期より、最愛の人だけに思い切り悲しまれたいって、そう思った。

 どう? 幻滅したかな?

 昨日、わたしは希死念慮なんてないって言ったけど、あれは嘘。本当は、中学の時からずっと死にたいって思ってた。家でも学校でも、嫌なことばかりだったから。

 ミツキはわたしが初めて好きになった人。だから、わたしの鮮烈な最期を、ずっと覚えていてほしいな。

 焼死はすごく辛いらしいから、燃える家に飛び込んだりしないで、首を切って死ぬの。首切りがどれだけ痛いかは、死んでしまわなきゃわからないよね。ミツキがあの世に来たら、自殺の感想を聞かせてあげる。かわりにミツキは天寿を全うした死の感想を教えてね。約束だよ。

 他の誰がわたしを忘れても、あなただけはわたしを覚えていてね。死んでも忘れちゃダメだよ? なーんて。

 愛してるよ、ミツキ。世界一、あなたのことが好きです。

 来世というものがあるのなら、願わくばまたミツキと再会できますように。

 山江ネアより』


 涙で視界がぼやけて前が見えない。ほおをとめどなく流れる熱い液体は止まる気配がなく、私はその場に崩れ落ちる。


 様子のおかしい私を、クラスメイトが何事かと取り囲み始める。私はそれを気にする余裕もなく、幼子のように、ただ泣き続けた。


 スカートが秋風に揺れる、十月の出来事だった。

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