ほのかの孤高の異世界グルメ

松本蛇

第一食 騒音と静寂の裏路地マコンドラ


 私の名前は、松本 ほのか。

 滋賀県立膳所(ぜぜ)高校に通う16歳。

 ……だったはずが、今の私は異世界の路地裏に佇んでいる。

 事の発端は母の一言


「夏休み1ヶ月だけ、旅行しよう! イケメンもいるよ!」


 そんな甘い言葉に誘われてついて来たのに……。

 蓋を開けてみれば、待っていたのは異世界サバイバル生活

 これじゃあ日本にいる時より忙しい。


 ふざけるな。


 我慢の限界を迎えた私は、借宿であるテントを飛び出し、あてのない旅……もとい、散歩に出た。


 手には、母から巻き上げたお小遣い銀貨数枚と、翻訳文字盤。


 言葉は通じない。メニューも読めない。

 頼りになるのは、私の直感と、女子高生の適応能力のみ。


 時間や学校の校則、そして母親の小言にとらわれず、幸福に空腹を満たすとき、

 つかの間、私は自分勝手になり、自由になる。

 誰にも邪魔されず、気を使わず物を食べるという孤高の行為。

 この行為こそが、異世界に放り出された女子高生に平等に与えられた、

 最高の癒やしと言えるのである。

 さあ、店を探そう。

 私の胃袋は今、猛烈に異世界を欲している



 時間だ。

 腹が……減った。

 私は王都の大通り(メインストリート)から一本外れた、薄暗い路地を歩いていた。

 観光客向けの煌びやかなカフェなんて求めていない。

 路地の奥、古びたレンガ造りの建物に、煤けた看板が揺れている。

 店名は……文字盤で解読する。


『魔獣の胃袋(ビースト・ガッツ)』


 ……いいじゃないか。潔い名前だ。

 私は意を決して、重厚なオーク材の扉を開けた。

 カラン、と乾いたベルが鳴る。

 店内の照明は極限まで落とされ、獣脂のロウソクが揺らめいている。

 客層は……濃い。

 カウンターには、丸太のような腕をした強面の男たち(たぶん冒険者かドワーフ)が陣取り、ジョッキを煽っている。

 私が店に入ると、彼らの視線が一斉に突き刺さった。

 その中の一人、禿頭で髭もじゃの男が、私を見てフンと鼻で笑う。

 言葉はわからなくても、顔を見ればわかる。


(おやおや、こんな小娘が何の用だい? ママのおっぱいでも吸ってな)

 ……というところか。


 ふん、言わせておけばいい。

 私は周囲の視線を完全にスルーし、空いているテーブル席につく。

 すぐに、ダルそうな顔をした猫耳のウェイトレスがやってきた。

 ドンッ、と音を立てて水と革張りのメニュー表を置く。

 その目もまた、私を値踏みしている。


(味もわからないお嬢ちゃんさ。さっさと帰んな)

 ……完全にアウェーだ。だが、それがいい。


 この逆境こそが、食欲のスパイスになる。

 私はメニュー表を開く。

 ここからが、私の推理の時間だ。

 文字盤を片手に、難解な異世界文字を解読(デコード)していく。


『ゴブリンの爪の唐揚げ(毒抜き済み)』

『コカトリスの石化肝臓のソテー』

『スライム・スープ(酸味強め)』


 ……パンチの効いた料理名ばかりだ。

 だが、待て。

 チラリとカウンターの常連たちを見る。

 彼らが食べているのは、こんな定番のゲテモノ料理ではない。

 もっとこう、根菜のような、野趣あふれる何かだ。

 メニュー表には載っていない「裏メニュー」か、あるいは「日替わり」か。

 私はメニュー表をパタンと閉じた。

 目を閉じ、静かに手を上げてウェイトレスを呼ぶ。

 猫耳のお姉さんが、気怠げに戻ってきた。

 私は彼女の目を真っ直ぐに見つめ、事前に調べておいた「あの言葉」を紡ぐ。


「……グラ・ナル・ドラ(今日のおすすめを)」


 その瞬間、店内の空気が凍りついた。

 常連たちのジョッキを持つ手が止まる。

 ウェイトレスの猫耳がピクリと立ち、顔色が変わった。

 彼女は慌てて厨房の方を振り返り、中にいるシェフらしき巨漢に何やら早口で伝えている。

 シェフがのっそりと顔を出し、私を凝視した。


(こ、こんな小娘が……正気か?)


 そんな心の声が聞こえてきそうだ。

 やがて、ウェイトレスが神妙な面持ちで戻ってきた。

 手には料理ではなく、「一枚の紙」と「鉄のスコップ」が握られている。

 ……スコップ?

 紙にはこう書かれていた(文字盤訳)。


『マコンドラの悲鳴サラダ ~セルフ収穫コース~』


 なるほど。

 店の裏の畑にある『マコンドラ』を自分で収穫してこい、ということか。

 鮮度が命、ということね。望むところだ。

 私はスコップを受け取り、店の裏口から小さな畑に出た。

 そこには、地面から不気味な紫色の葉を茂らせた植物が並んでいる。

 ウェイトレスは「危ないから」とでも言うように、店の扉の影から耳を塞いで心配そうに見守っている。

 マコンドラ。

 地球で言うマンドラゴラの一種だろう。

 引っこ抜くと断末魔の悲鳴を上げ、それを聞いた者は精神崩壊、あるいは石化して死に至るという魔植物。

 私が葉に手をかけようとすると、ウェイトレスが悲鳴を上げそうな顔で口元を押さえた。

 本来なら、抜いて絶叫を聞いた時から、私の人生はジ・エンド……のはずだった。

 ふ……甘い!

 現代の女子高生を舐めるなよ!

 私は制服のポケットから、白くて小さなケースを取り出した。

 ワイヤレスノイズキャンセリングイヤフォン(税込25,000円)。

 こいつの性能は伊達じゃない。

 装着。ペアリング完了。


 スマホのプレイリストから選曲するのは……もちろん、滋賀の英雄・西川貴教様(T.M.Revolution)だ。

 再生ボタン、オン。

 爆音で流れる『HOT LIMIT』。


 私の鼓膜は今、ダイスケ的にもオールオッケーな暴風の中にいる。

 外部の音など、一ミリたりとも入ってこない。

 私はリズムに乗りながら、両手でマコンドラの茎を掴んだ。

 せーの、フンッ!!

 ズボォッ!!!

 土の中から、醜悪な人の顔をした根っこが飛び出した。

 その口は大きく開かれ、この世のものとは思えない波動を放ちながら絶叫している……らしい。

 らしい、というのは、私には西川兄貴の美声しか聞こえていないからだ。

 視界の端で、遠くの鳥が数羽、気絶して落ちたのが見えた。

 すごい威力だ。だが、私には無効だ。

 私はビチビチと暴れるマコンドラを無造作にカゴに放り込み、余裕の笑みで店内に戻った。

 厨房に戻り、収穫したマコンドラをカウンターに置く。

 店内は静まり返っていた。

 常連のオジサンたちは口を開けてポカンとしている。

 猫耳ウェイトレスは腰を抜かしそうだ。

 シェフが震える手でマコンドラを受け取り、私に異世界の言葉で何かをまくし立てた。

 身振り手振りから察するに、「茹でるか? 焼くか? 味付けはどうする?」と聞いているようだ。

 恐らく、ラーメンで言う「麺の硬さ・油の量・味の濃さ」のようなこだわり注文があるのだろう。

 だが、私はシェフの目を見て確信した。

 この男なら、この食材のポテンシャルを最大限に引き出せる、と。

 私はイヤフォンを外し、シェフの太い肩にポンと手を置いた。

 そして、真っ直ぐな瞳で一言、こう告げた。


「マ・カ・セ・タ(任せた)」


 その言葉の意味が通じたのか。

 シェフの顔から驚きが消え、職人の顔になった。

 彼はニヤリと不敵に笑い、親指を立てた。

(待ってな、お嬢ちゃん。最高の料理を作ってやるぜ)

 ……言葉は通じなくても、心は通じる。

 これだから、異世界グルメはやめられない。

 待つこと数分。

 厨房から、パチパチという心地よい油の音と、香ばしい匂いが漂ってくる。

 先程までの「死の絶叫」が嘘のような、平和で食欲をそそる香りだ。

 ドンッ。

 シェフが無骨な手つきで皿を置いた。

 料理名:『マコンドラの極厚黄金フリット ~魔界の岩塩を添えて~』

 おお……。

 私は心の中で感嘆の声を上げた。

 あの醜悪な人面根が、美しい黄金色のブロックに姿を変えている。

 衣は薄く、揚げたてで表面の油が微かに踊っている。

 添えられているのは、紫色に輝く粗塩と、カットされた謎の柑橘類。

 いざ、実食。

 フォークを刺すと、サクッという軽快な音が響く。

 そのまま熱々の塊を口へ運ぶ。

 ……ハフッ、ハフッ。

 熱い! だが、それがいい!

 カリッとした衣を噛み破ると、中からホクホクとした身が崩れ、濃厚な湯気が口いっぱいに広がる。

 食感はサツマイモや里芋に似ているが、もっと粘り気が少なく、絹のように滑らかだ。

 そして、味。

 ……なんだこれは。

 栗のような甘みと、高麗人参のような滋味深い香りが同時に押し寄せてくる。

 噛むたびに、身体の芯からカッと熱くなる感覚。

 さっき聞いた絶叫のエネルギーが、そのまま「生命力(スタミナ)」に変換されて胃袋に吸収されていくようだ。

 美味い。

 文句なしに美味い。

 これ、地球で売ったら行列ができるレベルだぞ。

 次は、添えられた紫色の岩塩をちょんとつけてみる。


 ……!


 塩のガツンとした塩味が、マコンドラの甘みを極限まで引き立てる。

 甘い、しょっぱい、熱い、ホクホク。

 最強のコンボだ。

 私の箸……いや、フォークが止まらない。

(めっちゃ美味いやんこれ……! 膳所高の学食に置いてくれへんかな)

 気がつけば、心の中の口調が素の関西弁に戻っていた。

 それほどまでに、この芋(?)は私の本能を揺さぶったのだ。

 最後の一切れを口に放り込み、冷たい水を一気に飲み干す。

 ふぅ……。

 身体がポカポカする。

 ただの満腹感じゃない。力がみなぎるような、充実した食後感だ。


【本日の評価】

★★★★★(星5つ)

 命がけの収穫(セルフサービス)というハードルはあるが、それを乗り越えた先にある味は格別。

 最新のノイズキャンセリングイヤフォン必須だが、その価値はある。

 店内の雰囲気、シェフの腕、素材の鮮度、すべてにおいてパーフェクト。

 まさに異世界のグルメに相応しい名店だった。

 私は席を立ち、カウンターへ向かう。

 お代はフランから貰った銀貨を数枚置いた。これで足りるはずだ。

 シェフが腕組みをして、ニヤリと笑いながら私を見ている。

 言葉はいらない。

 私は彼に向かって、無言で親指を突き立てた(サムズアップ)。

(ごちそうさん)

 シェフもまた、太い親指を突き立てて応えた。

 男たちの視線が、入店時の嘲笑から、一人の「戦友」を見るような尊敬の眼差しに変わっているのを感じながら、私は店を後にした。

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