並行世界間デスゲーム

御角

並行世界間デスゲーム

 目が覚めると、そこには何もなかった。一面真っ白な世界。ああ、そうか。俺は死んだんだ。そう思った。

 だって目が覚めるはずない。俺は確かに踏切の中に飛び込んで、そこで意識が途切れたのだから。

 しかし、妙だった。下を見ると俺の足が見えた。手も見える。動かせる。地に触れているというはっきりとした感覚があった。

 さらに妙なのは、瞬きを一つした、まさにその瞬間に、目の前に現れたものだ。

 そこにいたのは、俺だった。身にまとう衣服は全く異なるが、困惑しているようなその顔は俺と瓜二つにも程がある。

「ここはどこだ、早く帰らなくては……妻も子供も待っているのに」

 向こうの俺は俺を見て驚き、続いて顔をしかめた。

「あなた……いや、なんでもありません。失礼」

 鼻をつまみ、カッチリとしたスーツ姿の俺は、俺自身から目を背けた。

 俺は腹が立った。こいつは、俺が俺であることに気がついてもいないのだ。それもそのはず。今の俺はホームレスで、身なりもボロボロで、妻や子どころか彼女の一人も出来たことのない、どうしようもない天然記念物、略してDTだ。

 だとしても、あからさまなこいつの態度は目に余る。ゴミを見るような目しやがって。わかってるのか? 俺はお前なんだぞ。わかって、いるのか。

「クソ、時計も壊れてるし。一体なんなんだよ畜生」

 大丈夫、どうせこれは夢だ。俺はもう死んでいる。死ぬ間際の、短く儚い悪夢に違いない。きっと、そうに違いない。

 目の前にいた俺は、俺のことを無視して歩き出す。やつの身につけているマフラーが目に入った。

 思わず引っ張った。「ぐぇ」と奇妙な悲鳴をあげて、俺は立ち止まる。

「な、に……を……」

 醜い顔をさらに歪めて振り返ろうとするものだから、つい手に力が入ってしまった。手元の帯を引っ張り、手繰り寄せるほどに、もう一人の俺は苦しみ、のたうちまわり、その度に胸がスカッとした。

 やがてピクリとも動かなくなった俺は、湯気のようなものを上げながら空気に溶けて消えていった。あれほど強く握りしめ、伸びていたマフラーも、蜃気楼のように手からすり抜けていった。

「おめでとうございます。あなたは世界線の消去に成功しました」

 突如、天井から声が降り注ぐ。見上げるが、そこには何もない。

 そしてまた、目の前には俺が現れる。冬だというのにTシャツ短パンで、丸々と太っている姿の俺が。

「あと二回ほど勝てば、世界線は収束し、あなたの意識をお好きな世界にお連れすることができます。では、頑張ってください」

 どこから取り出したのか、太った俺はいつの間にか小さいナイフを両手で握りしめていた。震えてはいたが、その目は完全に殺す気だった。

「ふひっ、俺はもう一回やり直すんだ。勉強も仕事もできる俺になって、幸せになるんだよぉ。……死ね、おっさん」

 嘘だろう、と思った。こいつも気づいていない。同じくらいの底辺にいるはずなのに、俺を俺だと認識できていない。

 俺は笑った。可笑しくてどうにかなりそうだった。俺はそんなにみすぼらしいか。自分に甘く、何もできないくせに体だけは立派で、堕落し切ったこいつよりも下か。底辺以下なのか。

 腹の息を全て吐き出した瞬間、俺は目の前のデブを俺だと思うのをやめた。

 デブはナイフを構えて猪のように突っ込んでくる。足は遅かった。羽織っていた毛布を投げつけると簡単に転んだ。

 その隙に手を踏み付け、強引にナイフを奪い取る。ためらっている暇はなかった。

 気がつくと、振り下ろしたナイフは分厚い脂肪の壁を突き抜けて、深々と首に刺さっていた。引き抜くと噴水のように血が噴き出て、床に落ちる前に消えていった。

「おめでとうございます。あなたは世界線の消去に成功しました」

 これが一体なんなのか、わからない。夢か現実なのかも、もうどうでもいい。

「あと一回勝てば、お好きな世界線へお連れします」

 これが本当でも嘘でも構わない。どうやって殺そうか、そればかり考えていた。

 目の前に現れたのは、最初に殺したはずの幸せそうな俺だった。マフラーはしていない。右手にはぬいぐるみ、左手にはケーキの箱を持ち、その清潔な顔はみるみる青ざめていった。

 俺は逃げた。荷物を全て放り投げて必死に逃げていた。だが、しばらく走ったところで足元の何かにつまずいてコケた。あたりにはグチャグチャのケーキが散乱していた。この空間は始まりもなければ終わりもない。ループしていたことに、この時気がついた。

 馬乗りになって殴りつけ、思い切り首を絞めた。どのくらいそうしていたのか。俺は膝が痛くなるほどに長い間、地面にへたり込んでいた。

「おめでとうございます。並行世界は収束しました。世界線消去へのご協力、誠にありがとうございます。それでは、お好きな世界線をお選びください」

「……幸せに、全部手に入れて、幸せになりたい」

「本当によろしいですか?」

 こくりと頷くと、声と共に、俺の意識はまた深く闇に沈んでいった。

「おめでとうございます。あなたが選んだ世界線は、し……」


 目が覚めると、俺は病院にいた。踏切のそばで倒れていたところを、通りがかりの人が助けてくれたらしい。

「目が覚めたんですね! 大丈夫ですか?」

 とても可愛い人だった。

 それからしばらくして、俺はホームレスではなくなった。日雇いで稼いだ金でスーツを買い、ハローワークに行き、職と家を得た。

 さらに数年後、俺は天然記念物を卒業した。愛する妻と可愛くてたまらない子供まで得た今の俺は無敵だった。絶望して死のうとしていたのが嘘のようだった。

 今日は子供の三歳の誕生日だ。早く家に帰らなくては。パパと呼ぶあの声が恋しい。それにしても、よく冷える。

 リュックからマフラーを取り出すか迷ったが、両手が塞がっていたので諦めた。早く家に帰って温まりたい。家に帰って、それから……。

 ふと視線を上げると、赤信号だった。

 夜が、白く反転する。

 俺は思わず、大切な荷物を手放した。

 白い空間の中、目の前に俺が立っていた。

「おめでとうございます。あなたが選んだのは、消去される世界線です」

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