尽くしたがりのつくしさん
マノイ
第1話 賑やかな職場
「佐野さん、お茶どうぞ」
「ありがとう」
木製の四角いコースターの上にマグカップが優しく置かれた。中には濃いめの緑茶が八割程度注がれている。
「んっん~っと」
俺は少しだけ肩を動かして解すと、そのマグカップを手にして口につける。
熱くは無いが温くもない絶妙な温度。
一口目だけ少し口をすぼめてしまう強めの苦み。
鼻孔をくすぐる鮮やかな緑を想起させる香り。
俺の好みに適した完璧な一杯だ。
完璧なのはお茶の淹れ方だけではない。
午後二時四十五分という、一般的な休憩時間の午後三時には少し早い時間も、俺がお茶を飲みたくなるベストなタイミングだ。
「ふぅ」
半分程度を飲んでからマグカップをコースターに置き、このお茶を入れてくれた人物に視線を向ける。すでに席に戻って仕事を再開していたその人物は、俺の視線に気付いたのかタイミング良く顔をこちらに向けてくれた。
「
「ありがとうございます」
お礼を言うのはこっちの方だ、と思わなくもないが、お礼はお茶を受け取った時に言ってもらえるだけで十分だと固辞されたことがあるため、素直に美味しかった報告だけをするようにしている。
今年の新入社員で俺の部下。
とはいえ俺も今年主任に昇格したばかりで管理職というわけではないから、部下というよりも一番新しい後輩という印象が強い。
IT業界における技術力は並。
ただし努力家であるため、どんどん新しい知識を吸収して成長著しい。
人当たりは柔らかく、性格は穏やか。
二十四歳らしいが、少しだけ童顔なのか二十歳前後に見える。
ちなみにどうでも良い話だが俺は二十八歳。本当にどうでも良いな。
そして彼女の最大の特徴は、気が利くこと。
お茶を淹れてくれるからという話では無く、仕事面においても細かいところに良く気が付き新人ながらチームメンバーの的確なフォローをしてくれている。チーム内のコミュニケーションも良好で、常に相手を喜ばせる行動を心がけているように見える。そしてそれを確実に実現できているため、おそらく観察力が高いのだろう。
なんてつい分析してしまうのは、俺が主任になり、プロジェクトを円滑に進めるためにメンバーの様子を気にするようになったからだろう。元々相手の事を考えるタイプではあったが、より顕著になった気がする。
「佐野さん。何度も言ってるけどそういうのよくないッスよ」
「またか、
「女性にお茶汲みさせるとか、いつの時代の話ッスか。パワハラっすよパワハラ」
砕けた口調で不満を口にするのは、俺の二つ後輩の
本当は俺が注意すべきなのだろうが、この業界、そのくらいなら普通だと思ってしまっているのは多分問題なんだろう。
「何度も言ってるだろ。俺はやれなんて一度も言ってない」
「きっと嫌だって言い辛いだけッスよ。新人は上司にお茶汲みしなきゃダメって思い込んでるッス」
「そうか、それは問題だな。ならお前はもう淹れて貰うなよ。お前だって彼女にとっては先輩であって上司みたいなものだからな」
「え!? それは困るッス!」
真心さんは俺だけじゃなく、丑岡にも飲み物を用意してくれる。うちのチームはもう一人女性がいるが、彼女は持参の水筒があるので施しを受けていない。
「では今日から丑岡さんの分は用意しませんね」
「真心さん!? それは悲しいッス! 俺にも淹れて欲しいッス!」
「くすくす。はい、承りました」
「おい丑岡。今のは先輩命令でパワハラじゃないのか?」
「ぎゃー!違うッス!そうじゃないッス!訴えないで欲しいッス!」
「う~ん……佐野さん、どうすれば良いのでしょうか?」
「簡単な話だ。全力で慰謝料分捕れ」
「かしこまりました」
「終わった……俺の人生終わった……」
がっくりと項垂れる丑岡。
その姿を見て笑う俺と真心さん。
もちろん本気ではない。
俺達流の冗談だって三人とも分かっている。
だから丑岡だって本気で凹んでいる訳ではなく、すぐにいつも通りの雰囲気に戻った。
「でも佐野さん。マジな話、こんな風にお茶淹れて貰ってたら会社から注意されないッスかね。ほら、今ってそういうの煩いじゃないッスか。いくら本人がやりたいって言っても怒られないッスかね?」
「知るか。そんなの言わせとけ」
「なんか雑な反応ッスね」
「だって本人がやりたいってんだからやらせりゃ良いだろ。別に犯罪行為とか風紀を乱すとかしてるわけじゃねーし、仕事だってちゃんとやってるんだ。文句を言われる筋合いなんて無いだろ」
「世の中の全員がそう思ってくれてれば楽なんスけどねぇ」
「全くだな」
あるいは自分達の近くに面倒な奴がいなければそれだけで十分だ。
そう考えると今の俺はかなり恵まれているのだろう。
同期や友人からは信じがたいような非常識な話が沢山飛び出してくるからな。
なんて考えていたら、これまで会話に混ざって来なかったもう一人のチームメンバーの女性が口を開いた。
「丑岡、昨日レビューした仕様書のミス、修正漏れてる」
「え!? マジっすか!?」
「それと修正した場所に誤字がある」
「マジで!?」
「世間話をする暇があるならミスを減らしなさい」
「うう……はいッス」
眼鏡をかけた知的美人が、淡々とした口調で丑岡を指導する。
俺の一つ下の後輩で、静かに黙々と作業するタイプ。感情が表に出にくいこともあり取っ付き難そうな印象があるが、実は結構付き合いが良くて飲み会には必ず来る。
丑岡とは正反対に几帳面で作業が丁寧。
だとすると作業が雑な丑岡のことを苦手としそうなものであり、ミスを淡々と指摘している所から周囲からもそう思われそうなのだが、そうではないことを俺は知っている。
「相変わらずミスが多いな」
「集中してやってるんスけどね」
「いや、まだ集中が足りないんだろう。席替えしよう」
「え?」
「部長の目の前の席に移動しろ」
「それだけは勘弁してくださいッス!」
「おいおい、そんな反応したら部長が悲しむぞ」
「いや、その、だって、佐野さん意地悪ッス!」
部長は仕事に対して非常に厳しい女性だ。俺が入社した時はまだ課長で、俺をビシバシと鍛えてくれた。
丑岡がミスをするたびに鬼のような形相で睨んで、ミス出来ない状況を作ってくれるに違いない。
まぁ、そういう環境は丑岡にとって逆効果だと分かってるからこれも冗談だがな。
丑岡は多少のミスは目を瞑ってのびのびとやらせた方が成長するだろうというのが俺や課長の判断だ。
「せめて、せめて課長の前でお願いするッス!」
「それじゃ意味無いだろ。課長甘いからな」
チラっと課長の席を見るが、そこには誰も座っていない。出張中で戻ってくるのは来週だ。
その課長もちゃんと丑岡のミスを注意してくれるだろうが、雰囲気が優しすぎて恐怖で縛るようなことは出来そうにない。むしろ今より気を抜きすぎてミスが増える未来しか見えない。やはり晴着さんに任せる今の形が一番良いに違いない。
「とにかくミスは減らすように常日頃注意して……ん?」
「どうしたッスか?」
「仕事に戻るわ」
「了解ッス」
ノートパソコンにチャットの通知が来たので話を打ち切った。
ちょっとした通知なら後回しでも良かったのだが、相手が相手なので放置は出来ない。
部長が俺にメッセージを送ってくるなんて珍しいな。
部長は会議中で自席にはいないので、会議中に送って来たのか。いや、時間的に会議が終わってからその場に残って送って来たのかもしれない。
社内チャットツールを開き、メッセージの内容を確認する。
『今晩、私的な相談に乗って貰えないかしら?』
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