「激痛が走った」とたった15秒で書いた俺が、その「一行」に永遠に殺され続ける話

@yamayamatomtomo

小説は芸術じゃない。工業製品だ

深夜二時。 六畳一間の仕事場は、モニターのブルーライトと、飲み干したエナジードリンクの空き缶の山に支配されている。


俺、葛城翔(かつらぎ しょう)は、乾いた目でブラウザの更新ボタンを押した。 国内最大級のWeb小説投稿サイト『ノベル・ラッシュ』。その総合日刊ランキングが切り替わる時間だ。


「……よし。総合24位。キープだ」


安堵のため息が漏れる。 俺の新作『クラスカースト最底辺の佐藤蓮、異世界で死に戻って神殺し〜いじめた奴らを全員見返す〜』は、今夜も順調に数字を稼いでいる。 タイトルだけで中身がすべてわかる、今のトレンドを煮詰めたような作品だ。


「小説は芸術じゃない。工業製品だ」


それが俺の持論だった。 かつては俺も、文学的なファンタジーや、緻密なSFを夢見たことがあった。だが、そんなものはこの『ノベル・ラッシュ』という戦場では武器にならない。 読者が求めているのは、分かりやすいストレス解消だ。

共感できる虐げられた主人公。理不尽な世界。そして、自分では成し得ない手軽な逆転と復讐。 それを「毎日更新」というベルトコンベアに乗せて出荷する。それが俺の仕事だ。


キーボードに指を走らせる。 明日の更新分の執筆だ。主人公の佐藤蓮が、最初のダンジョンで死に戻りをするシーン。


『蓮の体は、大ムカデの顎に挟まれ、一瞬で両断された。激痛。そして暗転。気づけば彼は、また洞窟の入り口に立っていた』


たったの二行。 所要時間、十五秒。


エンターキーを強く叩きながら、ふと視線を部屋の本棚に向けた。 そこには、背表紙が擦り切れるほど読んだ、2010年代の名作ラノベたちが並んでいる。


「……ごめんな、先輩方」


俺は誰に聞かせるでもなく呟いた。 何度も死に戻り、そのたびに心を削りながら運命に抗ったジャージ姿の少年。 絶対的な力を持ちながら、その責任と孤独に苛まれた骸骨の王。 彼らは偉大だった。彼らの物語には「魂」があった。死の重みがあり、生の輝きがあった。


だが、俺が書いているこれはどうだ? 死はただの「舞台装置」。命は「どれだけ読者に刺さるように散らせるか」。 先駆者たちが血を吐く思いで切り拓いた「異世界転生」や「死に戻り」という金脈を、俺たち後続の作家は、ただツルハシで荒らして小銭を稼いでいるだけだ。


「わかってるよ。俺が書いてるのは、カルピスの原液を水で百倍に薄めたようなゴミだ」


自嘲気味に笑い、俺は最新話のコメント欄を開いた。

承認欲求を満たす。それも仕事の一部だ。 『更新乙』『ざまぁまだ?』『テンプレ乙』 流れるような短文の感想の中に、一つだけ、やけに長文のコメントがあった。


『正直、ガッカリです。主人公が死ぬシーンがあっさりしすぎている。貴方は「死に戻り」という設定の重さを理解していない。先駆者たちの作品を読んで出直してきてください。こんなの、ただの模倣です』


指が止まった。 図星だった。だからこそ、苛立ちが沸点を超えた。 今の読者はショート動画とか他の娯楽もあって可処分時間が少ないんだ。重厚な死の描写なんて書いたら、「テンポが悪い」ってブラウザバックされるんだよ。 俺だって、本当はもっと書きたい世界がある。でも、売れなきゃ意味がないんだ。生活がかかってるんだよ。


「安全圏から、好き勝手言いやがって……」


俺の「創作」という名の作業を否定された怒りが、理性を上書きする。 気づけば俺は、そのコメントへの返信ボックスに文字を打ち込んでいた。 これは作者としての反論じゃない。余裕のない、ただの八つ当たりだ。


『誰でも書けると思うなら、自分でAIででも書いてみればいい』


そう打ち込み、最後に一番言いたい言葉を付け足した。


『安全な場所で読んでないでさぁ……お前もこっちに来てみろよ』


送信ボタンを押す。 その瞬間だった。


バチッ、とモニターが不快な音を立てて明滅した。 なんだ? PCの故障か? いや、違う。画面の中の「文字」が、液体のように溶け出し、渦を巻き始めている。


『招待ヲ、受諾シマシタ』


無機質なシステム音声が、スピーカーではなく、脳内に直接響いた。


「は……?」


逃げる間もなかった。 モニターから伸びた漆黒の「腕」が――それはまるで、俺がたった今描写した「大ムカデの足」のような質感で――俺の胸ぐらを掴んだ。 強烈な引力。世界が反転する浮遊感。


「ちょ、ま――」


俺の意識は、吸い込まれるように闇へと落ちていった。 自分が書き捨てた、あの薄っぺらなテキストの「向こう側」へと。


                *


腐った卵と、錆びた鉄を煮詰めたような臭気。 それが、俺の最初の感覚だった。


「……う、え?」


目を開けると、そこは六畳間の仕事場ではなかった。 湿った岩肌。足元を這う名もなき虫たち。薄暗い洞窟の奥から、水滴の落ちる音が反響している。


俺は自分の手を見た。 キーボードを叩きすぎてタコができた指じゃない。白くて細い、頼りない手。 着ているのは、安っぽい化学繊維の感触がする、ファンタジー世界には不釣り合いな学ラン。


「まさか……佐藤、蓮(レン)か?」


鏡を見なくても分かる。 この「最弱感」漂う体の重さ。俺が設定した通りだ。 俺は、自分が書いた小説の第一章、『奈落の洞窟』に立っている。


「はは……マジかよ。異世界転移とか、ベタすぎて笑えねえ」


恐怖よりも先に、乾いた笑いが込み上げた。 夢か、あるいは過労による幻覚か。まあいい、状況は把握している。 ここは俺の庭だ。神(作者)である俺が、攻略法を知らないはずがない。


『ギチ、ギチ、ギチ……』


奥の闇から、硬質な音が近づいてくる。 俺は余裕の笑みを浮かべて振り返った。


「お出ましだな。第一話の経験値ボックス」


現れたのは、多脚の怪物。『大ムカデ(ジャイアント・センチピード)』。 序盤のレベル上げのために配置した、ただの雑魚モンスターだ。 設定上の体長は5メートル。甲殻は鉄より硬く、猛毒の牙を持つ。 ……はずだった。


「……は?」


俺の喉が、ひゅっと鳴った。 目の前にいる「それ」は、テキストデータの羅列なんかじゃなかった。 ぬらぬらと黒光りする甲殻の隙間から、黄色い体液が滲んでいる。 無数の足が地面を掻く、ゾワゾワという生理的な嫌悪感を煽る音。 そして何より、その「殺意」の質量。 モニター越しに見ていた「データ」とは違う。生物としての格の違いが、本能に警鐘を鳴らしている。


逃げろ。 脳がそう指令を出したが、Fランクの身体能力(ステータス)では足がもつれて動かない。


「あっ、ちょ、待て」


ムカデの鎌首が持ち上がる。 俺は無様に尻餅をつきながら、右手を出して制止しようとした。


「俺だぞ! 作者だぞ! お前を作ったのは俺だ! 『デリート』! 消えろ!」


俺の叫びなど、羽虫の羽音ほどにも意味を持たなかった。 ムカデが振り下ろされる。


『激痛が走り、蓮の意識は闇に落ちた』


俺がさっき書いた、あの一行。 たった十五秒で書いた、あの適当な描写。 それが、現実として俺の肉体を蹂躙した。


「ガァアアッ!?!?!?」


痛い。 そんな言葉じゃ足りない。 牙が太ももを貫き、骨を砕く感触が脳髄に直接響く。 神経の一本一本を熱したペンチで引き抜かれるような、鮮烈すぎる電気信号の嵐。


熱い。寒い。怖い。気持ち悪い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い――


「ぎゃああああ! ごめんなさい! 消します! 設定消しますぅうう!!」


俺は涙と鼻水を垂れ流し、見苦しく命乞いをした。 だが、物語(システム)は止まらない。 ムカデの顎が、俺の腹部に食い込む。内臓が暴かれる生温かい感触。 自分の腸が引きずり出される音を、俺は特等席で聞かされた。


俺は知らなかった。 「食い殺される」ということが、これほど長く、これほど惨めで、これほど尊厳を破壊される行為だったなんて。


視界が赤く染まり、プツンと意識が途切れた。


                *


「……ッ、はぁっ、はぁっ!?」


肺いっぱいに空気を吸い込み、俺は跳ね起きた。 自分の体をまさぐる。腹はある。足もある。痛みはない。 だが、幻痛だけが、脳裏に焼き付いて離れない。


「ゆ、夢……だよな……?」


震える手で顔を拭う。 しかし、指先に触れたのは湿った岩肌。 そして鼻をつく、あの腐った卵のような臭気。


俺は、また「洞窟の入り口」に立っていた。


『スキル【死に戻り】が発動しました。熟練度が増加します』


空中に浮かぶ、無機質なウィンドウ。 俺が「主人公のチート能力」として安易に与えたスキルだ。


「……嘘だろ」


俺は膝から崩れ落ちた。 これはゲームじゃない。リセットボタンなんてない。 俺は、あの地獄のような痛みを、もう一度味わわなければならないのか? クリアするまで? 俺が適当に設定した「1000回くらい死ねば強くなるだろ」というノルマを達成するまで?


「あぁ……ああぁ……」


脳裏に、あの大ムカデの姿がよぎる。 そして同時に、俺が小馬鹿にしていた「彼ら」の顔が浮かんだ。


先駆者たちの作品の主人公。 彼らは、こんなものを背負っていたのか。 こんな、魂が削り取られるような恐怖を何十回も飲み込んで、それでも「誰かを守りたい」と叫んでいたのか。


「……ごめんなさい」


誰に対する謝罪かわからなかった。 先駆者にか。読者にか。それとも、俺自身にか。 俺は地面に額をこすりつけ、嗚咽を漏らした。


『ギチ、ギチ、ギチ……』


奥から、またあの音が聞こえてくる。 物語は待ってくれない。 俺が作った世界は、俺を殺すために、正確に時を刻み続けている。


                *


二十回目。いや、もう五十回は超えただろうか。 俺はまた、洞窟の地面に這いつくばっていた。


「はぁ……はぁ……なんで……?」


おかしい。 俺の記憶(知識)は完璧だ。この大ムカデの攻撃パターンは、俺が考案したのだから全部知っている。 右の鎌を振り上げたら、左にステップ。 毒液を吐く予備動作が見えたら、岩の影に隠れる。 攻略法は頭に入っている。この「死に戻り」で予習も済ませた。


「よし……次こそは……!」


『ギチッ!』


ムカデが動く。右だ。 俺は脳内で「左へ回避!」と命令を出す。 小説なら、ここで『蓮は華麗にステップを踏み、攻撃を紙一重でかわした』と書けばいい。たった一行、キーボードを叩くだけで、主人公は超人的な反応速度を手に入れる。


だが――


「あ……ッ!?」


俺の足は、動かなかった。 恐怖で強張った筋肉が、脳の命令を拒絶したのだ。 さらに、前の死のトラウマで吐いた嘔吐物に足を取られ、俺は無様に転倒した。


「ま、待て――」


ドスッ。 鋭利な足が、俺の肩を貫く。


「ぎゃああああああああ!!」


痛み。熱。絶叫。 俺は理解した。 俺は、佐藤蓮(ヒーロー)じゃない。 運動不足で、喧嘩なんてしたこともない、ただのラノベ作家(一般人)だ。 いくら「死に戻り」で情報を得ても、それを実行する身体能力も、痛みに耐えて冷静に動く精神力も、俺にはないんだ。


『死に戻り』はチートなんかじゃない。 普通の人間にとっては、「クリア不可能なゲームを、リセットボタンを没収された状態で永遠にやらされる」だけの、無限の拷問器具だ。


「……嫌だ、もう嫌だ……」


死んで、蘇る。 逃げようとしても、入口は結界(設定)で封鎖されている。 戦おうとしても、体がすくんで動かない。 レベルなんて上がらない。経験値が入るのは「キャラクター」であって、中の「俺」はただ摩耗していくだけだ。


薄れゆく意識の中で、あるのは、ただ純粋な「痛み」と、自分が生み出した「設定」への呪詛だけ。


俺が書いた「ご都合主義」が、俺を逃さない。 俺が書いた「試練」が、俺を許さない。


                *


何度目かの死。 あるいは、もう数えることすら放棄した無限の死。


バシュッ、という音と共に、俺の意識はまた強引に引き戻される。 洞窟の入り口。湿った岩肌。鼻をつく腐臭。 五体満足だ。さっき食いちぎられたはずの右腕もある。腹から飛び出した腸も元通りに収納されている。 体力は全快。精神は崩壊寸前。 これが俺が書いた『死に戻り』だ。なんと便利な機能だろうか。死ぬ苦しみを、新鮮な肉体で何度でも味わえるなんて。


俺はもう、逃げようとはしなかった。 目の前には大ムカデ。俺が作った経験値画面。 攻略法なら知っている。右に避けて、弱点の甲殻の隙間を突く。それだけだ。 だが、動けない。 頭では分かっていても、何度も咀嚼された記憶が体を石のように硬直させる。 一般人が、知識だけで英雄になれるわけがないんだ。 痛みへの恐怖は、回数を重ねるごとに麻痺するどころか、より鮮明に、より鋭利になって俺の心を削り取っていく。


ああ、また来る。 あの顎が。あの無機質な複眼が。 俺はただ、無様に食われるのを待つ肉塊だ。


……なぁ、そうだろう?


ここから先は、俺の負けイベントだ。 お前もそろそろ、このワンパターンな展開に飽きてきた頃じゃないか? 「主人公がウジウジしてて不快」とか、「早くチートで無双しろよ」とか、そんな感想を打ち込もうとしていないか?


見えているぞ。 俺が、ムカデを見ていると思ったか? 違う。俺が見ているのは、洞窟の天井じゃない。その向こう側にある「窓」だ。 その「窓」の向こうで、退屈そうな顔をして、この文字を目で追っているお前のことだ。


驚いたか? 俺は「葛城翔」であり、この世界の創造主だ。 自分の世界に誰が接続しているかくらい、分からないわけがない。 お前は揺れる電車の中で、つり革に掴まりながら、無為な移動時間を埋めるために読んでいるのか? 明かりを消した寝室の布団の中で、寝落ちするまでの睡眠導入剤代わりにしているのか? それとも、退屈な授業や仕事の休憩時間に、現実逃避の道具として盗み見ているのか?


どこだっていい。共通しているのは、そこが絶対的に『安全』だということだ。


ズルいよな、お前だけ。 俺はこんなに痛いのに。 俺が書いた設定のせいで、俺自身が永遠の地獄を味わっているのに。 お前はそれを、指先一つでスクロールして、飽きたらブラウザを閉じて終わりだ。


許せるわけがないだろう? 俺のこの「痛み」を、たった数行のテキストとして処理されるなんて、我慢できるわけがない。


おい、目を逸らすなよ。 画面の空白の部分を見ろ。




そこに映っている自分の顔を、よく見てみろ。 その後ろに、俺が立っているのが見えるはずだ。


準備はいいか? 次は、お前の番だ。


「お前も、こっちに来てみろよ」

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