第5話

それは、空間そのものを貫く――灼熱の長槍だった。


弓弦を放った瞬間、目に見えない気流が私のマントを巻き上げ、長い髪が風に舞う。指先と弓弦の間で空気が圧縮され、弾けるように広がった衝撃が、淡い衝撃波となって周囲へ拡散した。


魔力を宿した矢が放たれ、空中の【腕喰い】へと一直線に突き進む。


大きな音はない。

矢は何の抵抗もなく【腕喰い】の眉間へと吸い込まれ――無音のまま、抗いようのない死を連れていった。


そしてそのまま後頭部を貫通し、背後の壁に小さな穴を穿つ。


「――ドサッ」


私はわずかに身をひねり、【腕喰い】が突進の余勢のままかすめていくのをやり過ごす。

次の瞬間、魔物は少し離れた地面に倒れ伏し、二度と動くことはなかった。


《【腕喰い】を撃破しました。

経験値5を獲得。レベルが2に上昇しました》


直後、世界各地の空に、巨大な青いパネルが突如として出現した。

雲間に浮かぶそれは、否応なく人々の視線を引きつける。


《世界アナウンス:

冒険者X(名前非公開)が【腕喰い】を初撃破!

称号【貫通者(かんつうしゃ)】を獲得しました》


――そういえば。


ゲーム『SEEKER』では、最下位クラスの魔物であっても初撃破の実績が用意されていた。


もっとも、こうした雑魚の初撃破報酬は大したものではない。

本当に重要なのは、エリートやボス級の討伐だ。


前世では、人類初のエリート撃破は三日目だった。

そしてそのたった一つの称号のために、あまりにも大きな犠牲が支払われている。


でも――私は知っている。


すべてのエリート、そしてすべてのボスの攻略法を。


三日もいらない。

明日の朝には、私はそいつを仕留められる。


「……わ、私……死んでない?」


千夏が、ようやく恐る恐る目を開いた。

【腕喰い】が襲いかかってきたときの圧迫感は、ゲームの中では決して味わえないものだったはずだ。


無理もない。

彼女はついさっき、魔物を前にして“死の淵へ片足を踏み出す”感覚を、現実として突きつけられたのだから。


しかも、腕を失った中年の男性が血だまりの中で叫び続けていた。

恐怖を煽るには、十分すぎる光景だった。


……気の毒なおじさんだ。

幸い、魔物が倒された直後、すぐに医師が駆け寄って応急処置を始めていた。


千夏は信じられないものを見るように、私を見つめる。


「た、倒したの!? あの化け物……あの怖いウサギ……死んだの?」


「うん」


私は小さく頷いた。


「【腕喰い】なだけ。ゲームと同じで、急所を撃てば即死する。ほら、行こう。今は少しでもレベルを上げないと」


「【腕喰い】……なだけ!?

あれ、虎より大きかったよ!?

そんなの前にして、どうして平気でいられるの!?

ねえ、あなたって……恐怖ってものを感じないの?」


……正直に言えば。


あの程度では、まだ恐怖と呼ぶほどじゃない。


あまりにも多くの戦いを経験してきたせいで、敵や魔物に対する“恐怖の本能”は、とうの昔に摩耗していた。


私にとってそれらは、ただの――

「解くべき問題」だ。


仕組みと手札を把握すれば、答えは必ず出る。


「それに!」

千夏は混乱を吐き出すように叫ぶ。


「これ、どういう状況なの!?

なんで【腕喰い】が現実にいるの!?

どうして現実世界にゲームのUIが出てるの!?

こんなの、科学的にありえない!」


説明するまでもなかった。


私のスマートフォンが、狂ったように通知音を鳴らし始めたからだ。


《私は今、渋谷にいる。

ここで起きてることを話したら、絶対に頭がおかしくなったと思われる……

お願いだから、自分の目で見て。

これは悪夢だ。

誰か、お願いだから目を覚まさせて》


ネット上には、無数の動画が次々と投稿されていく。


群れをなして人間を狩り、下水道へ引きずり込むゴブリンたち。

地下鉄のトンネルでは、土を押しのけて現れる骸骨兵。

列車に閉じ込められ、人々はわずかな灯りの下で身を寄せ合っていた。


そのすべてが――

人類の常識を、根こそぎ粉砕していく。


導き出される答えは、あまりにも単純だった。


――ゲームの世界と、現実世界が重なった。


「理由はわからない」


私はそっと千夏の肩に手を置き、怯えきった瞳をまっすぐ見つめて言う。


「でも、受け入れるしかない。

ゲーム化した世界では、自分が強くならないと生き残れない」


千夏の震えは、次第に収まっていった。

彼女は大きく息を吸い、そして、強く頷く。


ふと振り返る。


そこにあったはずの、見慣れた校舎は消え失せていた。

代わりにそびえ立つのは、尖塔を持つ幻想的な魔法建築。


入口の表札も、いつの間にか書き換えられている。


《転職所》


ルールを理解し始めた人々は、次々と転職所へ向かい、長い列を作っていた。


幸い、私と千夏はゲームキャラクターと直接融合している。

今さら新米向けの転職手続きをする必要はなかった。


――――


私たちは、そのまま区役所へ向かう。


そこはすでに、《冒険者ギルド》へと変貌していた。


「まだ業務中だ」と主張する区役所職員たちは、

ギルド側から“不法侵入者”と認定され、意味のない抗議の末に、警備員によって容赦なく外へ放り出されていた。


ギルドホール内部は、中世ファンタジーそのものの内装に一変している。

入口には依頼掲示板が立てられ、紙を一枚剥がすだけで自動的にクエストを受注できる仕組みだった。


「――見つけた。

探していたのは、これだ」


一目でわかった。


一見すると地味だが、裏にとてつもない報酬が隠された“特別な依頼”。


私は、手を伸ばす。


その瞬間。


依頼書の端を掴んだ私の指先と、ほぼ同時に――

もう一方から、細く白い、冷たい手が同じ紙を掴んだ。


顔を上げる。


その姿を見た瞬間、呼吸が一拍、止まった。


「……人喰……燈里?」

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