三年間愛した純粋な彼女が、ヤリサーの罠に嵌まって壊れていくのを僕は止められなかった。だから、仲間を集めて地獄の宴を終わらせることにした

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第一話 三年間愛した彼女が、知らない男の腕の中で笑うまでのカウントダウン

春の陽光が、真新しいキャンパスの並木道を鮮やかに照らしていた。

多くの学生が行き交う中、俺、浅葱悠馬(あさぎ ゆうま)は、少し重い教科書を抱えながら、待ち合わせ場所である噴水の前へと急いでいた。


「悠馬くん、こっちこっち!」


聞き慣れた、そして世界で一番大好きな声が俺を呼ぶ。

そこには、高校時代から三年間付き合っている恋人、日和紬(ひより つむぎ)が立っていた。

紬は、清楚という言葉を形にしたような女の子だった。

少し癖のある黒髪を丁寧に整え、春らしい淡いピンク色のワンピースを着こなしている。高校時代は図書委員を務め、いつもお気に入りの文庫本を大切そうに抱えていた姿が目に浮かぶ。


「ごめん、紬。講義が少し長引いちゃって」

「ううん、全然大丈夫。私もさっき着いたところだし」


紬はそう言って、花が綻ぶような笑顔を見せた。

その笑顔を見るだけで、上京してからの慣れない一人暮らしの疲れも吹き飛んでしまう。

俺たちは、地方の同じ高校に通っていた。

高一の秋、放課後の図書室で、勇気を出して告白したあの日のことは今でも鮮明に覚えている。

真っ赤な顔をして「私で良ければ」と小さく頷いた紬の可愛らしさは、俺の人生の宝物だった。


「ねえ、悠馬くん。お昼、学食じゃなくて駅前のカフェに行かない? 新しくオープンしたって、サークルの先輩が教えてくれたの」

「サークルの先輩? ……ああ、あの『エデン』とかいうインカレサークル?」


俺の問いに、紬は「うん」と楽しそうに頷いた。

大学に入学して一ヶ月。

紬は、華やかなインカレサークル『エデン』に勧誘され、入部を決めていた。

正直、俺はそのサークルにあまり良い印象を持っていなかった。

勧誘していた先輩たちの身なりが派手すぎたし、何より、紬のような内向的な子が馴染める場所には思えなかったからだ。


「……あそこの人たち、結構派手だろ? 紬、無理して合わせたりしてないか?」

「大丈夫だよ。みんなすごく優しくて、都会に馴染めない私に色々教えてくれるんだ。代表の桐生さんなんて、すごく仕事ができる人で、将来の相談にも乗ってくれるの」


紬が口にした『桐生』という名前に、俺の胸に小さな刺が刺さったような感覚がした。

だが、新しい環境で友達ができた彼女を疑うようなことはしたくない。

俺は自分の狭量を恥じ、無理に笑顔を作って彼女の隣を歩き出した。



それから数週間、俺と紬の時間は、砂時計からこぼれ落ちる砂のように、少しずつ、だが確実に削られていった。

以前なら、週末はどちらかの家でゆっくり映画を観たり、手料理を作ったりして過ごしていた。

しかし最近の紬は、サークルの「合宿」や「イベント」を理由に、俺との約束をキャンセルすることが増えた。


「ごめんね、悠馬くん。今日はどうしても外せないミーティングがあって」

「……夜の十時からミーティングか?」

「うん。みんな集まれるのがその時間になっちゃうんだって。終わったらすぐにラインするね」


スマートフォンの画面越しに届くメッセージは、どこか事務的で、以前のような温もりが感じられなかった。

それだけではない。

紬の服装も、持ち物も、劇的に変わっていった。

清楚だった彼女が、いつの間にか露出の多い服を好み、ブランド物のバッグを手にするようになった。

図書委員だった頃の、あの素朴な可愛らしさは、都会の毒に侵食されるように消えかけていた。


ある日の午後、俺は大学のラウンジで、高校時代からの親友である佐伯湊也(さえき みなとや)と向かい合っていた。

湊也は俺と同じ大学の工学部に通っていて、紬の変貌を心配している一人だった。


「悠馬、お前さ、日和(ひより)のこと、ちゃんと見てるか?」


湊也がコーヒーを啜りながら、真剣な目で俺を見てきた。


「見てるよ。ただ、最近はサークルが忙しいみたいで……」

「サークル、ね。あの『エデン』って、あんまり良い噂聞かないぞ。女子大生を高級ホテルに連れ回してるとか、怪しい投資の勧誘をさせてるとか。代表の桐生って男、かなりヤバいって話だ」


心臓が嫌な音を立てて跳ねた。

湊也の言葉を否定したかった。

だが、最近の紬が時折見せる、何かに怯えるような、それでいて虚ろな表情を思い出すと、言葉が詰まった。


「……紬に限って、そんなことはないと思う。あいつ、真面目だし」

「その真面目さが危ないんだよ。あいつら、都会に慣れてない純粋な奴から狙うんだ。悠馬、一度ちゃんと踏み込んだ方がいいぞ。手遅れになる前にな」


湊也の忠告が、俺の耳の奥でずっと鳴り響いていた。

手遅れ。

その不吉な言葉を振り払うように、俺は紬に電話をかけた。

五回、六回と呼び出し音が鳴り、留守番電話に切り替わる寸前で、ようやく繋がった。


「……もしもし、悠馬くん?」


背後から騒がしい音楽と、男たちの笑い声が聞こえる。


「紬、今どこだ? 飲み会か?」

「え、ええ。ちょっとした打ち上げ。もうすぐ帰るから、また明日ね」

「待ってくれ、紬! 明日、大事な話があるんだ。俺の家に来てくれないか」

「明日……明日はちょっと……。ごめん、また連絡する!」


一方的に電話が切られた。

俺の中に、冷たい怒りと、それ以上の恐怖が渦巻いた。

もう我慢できなかった。

俺は、紬が言っていた『エデン』のたまり場だという、駅近くの高級マンションへと向かった。

オートロックの入り口で、入居者の後について中へ入る。

エレベーターが最上階に到着し、扉が開いた瞬間、重低音のビートと酒の匂いが俺の感覚を襲った。


「うわ、何だお前? 誰の紹介?」


廊下でたむろしていた、いかにも遊び慣れた風の男たちが、場違いな俺を見て失笑した。

俺は彼らを無視し、奥にある一際大きな扉を開けた。

そこは、豪華な家具が並ぶ広いリビングだった。

シャンパングラスを片手に騒ぐ男女。

その中央に、周囲から王のように崇められている一人の男がいた。

整った容姿に、高級そうなスーツ。

あれが、桐生凱士(きりゅう がいと)だろう。

そして、その隣には。


「……紬?」


俺の声は、騒音にかき消された。

だが、俺の視界にははっきりと映っていた。

桐生の腕の中に抱かれ、頬を赤く染めて、だらしなく笑う紬の姿が。

彼女の手には、俺が贈ったペアリングはなかった。

代わりに、キラキラと光る、安っぽい派手な指輪がはめられていた。


「あら、誰かと思ったら。紬ちゃんの『地味な彼氏さん』じゃない?」


桐生が、俺の存在に気づき、わざとらしく大きな声を上げた。

部屋中の視線が、俺に集まる。

嘲笑、憐れみ、蔑み。

そんな刃のような視線の中で、紬がゆっくりとこちらを向いた。


「悠馬……くん……?」


彼女の瞳は濁っていた。

以前の、あの澄んだ面影はどこにもない。


「何してるんだ、紬! 帰るぞ!」


俺は彼女の手を掴もうとした。

だが、その手は空を切った。

桐生が紬の肩を抱き寄せ、俺を遮るように立ち塞がったからだ。


「おいおい、乱暴だなぁ。彼女は今、最高に楽しんでいるんだ。邪魔をしないでもらえるかな?」

「お前に言ってるんじゃない! 紬、行こう!」

「……帰らないよ」


絞り出すような、だが冷淡な声だった。

紬は、桐生の胸に顔を埋めるようにして、俺を拒絶した。


「悠馬くんと一緒にいても、何にも変わらない。私、やっと分かったの。都会には、私の知らない、もっと自由で素敵な世界があるって。桐生さんは、それを教えてくれた」

「騙されてるんだよ、紬! こいつらは君を道具としか思ってない!」

「道具……? ふふ、失礼な奴だな」


桐生が鼻で笑い、紬の耳元で何かを囁いた。

すると紬は、あんなに大切にしていた俺との時間を否定するように、俺を睨みつけた。


「悠馬くんこそ、私を縛り付けようとしてるだけじゃない。図書委員の頃の私でいてほしいなんて、ただの押し付けだよ。今の私を見て。こんなに綺麗な服を着て、みんなに注目されて……私、今が一番幸せなの」

「紬、君は……」


俺の言葉は、涙で詰まった。

目の前にいるのは、俺が愛した紬じゃない。

桐生という怪物に、魂まで作り替えられた別人のようだった。


「聞こえたかい? これが彼女の本音だよ。君みたいな、将来の設計図も描けないただの学生が、彼女を幸せにできるわけがないだろう?」


桐生は俺の胸を軽く小突き、部屋の隅にあるゴミ箱を指差した。


「ああ、そういえば。彼女、これがいらないって言ってたよ」


ゴミ箱の中に、見覚えのある銀色の輝きがあった。

俺がバイト代を三ヶ月貯めて、高校の卒業記念に贈ったペアリングだった。

それが、食べ残しのピザや空き缶と一緒に、汚物のように捨てられていた。


「……もう、いいわ。悠馬くん、二度と会いに来ないで。私、桐生さんのパートナーとして、このサークルで生きていくから」


紬はそう言い放つと、桐生に促されるように部屋の奥へと消えていった。

後に残されたのは、爆笑するサークルのメンバーたちと、冷え切った俺の心だけだった。


「さて、ゴミ出しの時間だ。追い出せ」


桐生の側近らしき男たちに腕を掴まれ、俺は暴力的に廊下へと放り出された。

エレベーターの扉が閉まる瞬間まで、中から聞こえる笑い声が、俺の鼓膜をズタズタに切り裂いた。


マンションの外に出ると、春の夜風は驚くほど冷たかった。

俺はふらふらと、近くの公園のベンチに座り込んだ。

三年間。

毎日話し、笑い合い、お互いの夢を語り合った三年間が、たった一ヶ月の『都会の毒』によって、塵のように消え去った。

悔しさ、悲しみ、そして自分への情けなさが、黒い泥のように胸の底に溜まっていく。


「……あ、あはは……」


乾いた笑いが漏れた。

俺はバカだった。

彼女を信じることで、彼女の変化から目を逸らしていた。

俺が彼女を甘やかしていた間に、奴らは彼女の心の隙間に食い込み、腐らせていったんだ。


だが、それ以上に許せなかった。

桐生という男。

そして、一人の女性の人生を弄び、その純粋さを踏みにじって悦に浸っている、あのサークルの連中。

彼らにとって紬は、使い捨ての玩具に過ぎない。

今は「お姫様」のように扱っていても、飽きればポイ捨てされるのは目に見えている。


「……救う? いや、そんな綺麗な話じゃないな」


俺は、自分の手のひらを見つめた。

怒りで震えすぎて、感覚がなくなっている。


「解体してやる」


言葉が、冷たく、重く、地面に落ちた。

俺は特別な力を持ったヒーローじゃない。

特別な才能があるわけでも、裏の顔があるわけでもない。

ただの、どこにでもいる、裏切られた大学生だ。

だが。

だからこそ、地を這うような執念で、奴らを追い詰めることができる。

一人じゃ無理でも、奴らに傷つけられ、捨てられた者たちは、他にもいるはずだ。

彼らの怒りを集め、奴らが築き上げた「エデン」という名の偽りの楽園を、根こそぎ破壊してやる。


「紬……君は言ったな。今が一番幸せだって」


俺は立ち上がり、夜空を見上げた。

街の灯りに遮られて、星一つ見えない。


「その幸せが、どれほど脆い砂の上の城か、じっくりと教えてあげるよ。君が俺にすがって、泣き叫んで、許しを請う日が来ても――俺はもう、その手を掴まない」


俺は、ゴミ箱に捨てられたあの指輪のことを思い出した。

あの瞬間に、浅葱悠馬という人間の「善意」は死んだ。

あるのは、冷徹な復讐心だけだ。


翌朝、俺は大学のラウンジで湊也を待った。

昨日とは別人のような、感情を削ぎ落とした俺の顔を見て、湊也は目を見開いた。


「……悠馬。お前、その目……」

「湊也、頼みがある。協力してくれ」


俺は、静かに、だが鋼のような固い声で言った。


「『エデン』の実態を暴く。あそこにいた奴ら全員、二度と表の世界を歩けないくらい、徹底的に叩き潰す」


湊也は少しの間絶句していたが、やがて力強く頷いた。


「……分かった。お前がそこまで言うなら、俺も腹を括るよ。俺の知り合いに、神堂のサークルでひどい目に遭った奴がいるかもしれない。当たってみる」

「頼む。俺も、被害者を探す。一人一人、会って話を聞く。奴らが何をしてきたのか、その全てを記録する」


これは、ただの痴話喧嘩の延長じゃない。

一人の男の人生を賭けた、静かな、だが苛烈な戦争の始まりだった。

紬。

君は、自分がどれほど大切なものを捨てたのか。

そして、俺という男を敵に回すことが、どれほど恐ろしいことか。

まだ、何も知らない。


俺たちは、動き出した。

一歩一歩、泥を啜るような地道な調査から。

だが、その一歩が、やがて桐生凱士を、そして日和紬を、逃げ場のない絶望の淵へと追い詰めることになる。


大学の講義室。

華やかな服を着て、取り巻きたちと笑いながら歩く紬の姿を、俺は遠くから無感情に眺めていた。

彼女はこちらに気づくこともなく、誇らしげに桐生から贈られた指輪を周囲に見せびらかしている。


(笑っていられるのも、今のうちだ)


俺はノートの隅に、最初のターゲットの名前を書き込んだ。

復讐の設計図は、まだ描き始めたばかりだ。


この物語は、愛を失った男が、友情と連帯を武器に、巨悪という名の虚飾を剥ぎ取っていく記録。

そして、全てを失った後に残る、虚無と絶望の物語だ。


俺、浅葱悠馬。

十九歳、大学生。

俺の、長い復讐劇の幕が上がった。



「紬。君の言う『新しい世界』を、俺が木っ端微塵に壊してあげるよ」



独り言は、騒がしいキャンパスの雑踏に消えていった。

だが、その決意は、俺の心の中で黒く、重く、脈打ち続けていた。

もう後戻りはできない。

俺は、地獄への道を進むことを選んだのだ。

愛した女を絶望させるための、最低で、最高な復讐のために。

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