分影プリズム

ゆう

分影プリズム

 僕たちの朝のルーティンだ。彼はいつも通り涼しげな顔でキッチンへ行き、お湯を沸かし始めた。近くにいた僕に、「コーヒー、飲む?」と聞いてきたので、「飲む。」と答える。カップを受け取り机に座ると、彼はその向かいに座った。一瞬だけ違和感を感じた。いつもなら斜め向かいに座るのだ。わざわざ移動するほど気になるわけではないが、真正面に座られると視線を前に向けづらい。コーヒーを飲みつつスマートフォンのカレンダーに目を落とした。昼頃に友人と出かける予定だ。

「今日買い物行くけど、何か必要なものある?」

 彼には目を向けないまま話しかけた。

「大丈夫。僕も今日出かけるから。」

「一人?」

「うん。いつも一人だよ。」

 彼の返答の意味の全貌が理解できない気がして、顔を上げた。何か言おうとしたのに、彼を見た途端に言葉が肺で消えた。声では気づかなかったが、なんとも言えない疲れたような表情を浮かべていた。はっきりしない目で僕のコーヒーを飲む口元をじっと見ている。僕が目を離している隙に、彼の瞳に映る光が鈍くなってしまった。

「君は知り合いが多いイメージだけど、一人で出かけること多いよね。」

 なんとか話を繋げた。彼の視線に耐えられなかった。

「友達がいないから。」

 そんなの嘘だと思った。彼と買い物に出かけたとき、すれ違う知り合いの多さに戸惑った。さらに、その知り合いはみんなして彼を遊びに誘ったり、相談に乗ってもらおうとしたり、用がないのにしばらく立ち話をしたがる人までいるのだった。ただ、彼の考えていることはわからない。彼の視線はだんだん落ちてきて、今度は僕の喉元を見つめている。

「今日、何時に家出るの?」

 彼が話を切り替えてきた。

「11時半。」

 彼はロック画面に目をやって、その後一瞬僕の目を見て、また喉元に視線を戻した。会話は続かず、特にやることもないので予定確認の続きをしようとした。しかし、また彼の表情の変化を見逃すのが怖くなり、彼を観察することにした。すると、彼は立ち上がってほとんど飲んでいないコーヒーを捨て、何も言わずに自分の部屋に入って行った。怒らせるようなことをした覚えはない。それに、彼は不満があれば正直に言うはずなので、様子がおかしいのはわかる。単純に疲れているだけかもしれないと思い至り、帰りに甘いものでも買ってくることにした。


 彼が部屋に入ってから、午前中一度も出てきていない。いつもはやらないが、家を出る前に声をかけに行った。部屋をノックするが、返事がない。「入るよ。」と一言入れて、ドアを開けた。綺麗に片付いている部屋だ。それだけでなく、彼は家具や小物、本の並べ方までこだわっていて、僕がいつ入っても完璧な状態である。その中で彼はベッドでうずくまって寝ていた。近づいて覗いてみると、顔が赤く呼吸も苦しそうだ。彼の額に手を当ててみる。火傷しそうなほどだ。手に移動した熱がじわじわ頭に棲みついていくようだった。


 夕方、彼が目を覚ました。彼は僕を見て驚いた顔をした。

「もう帰ってきてたの?」

「いや、ずっといたよ。」

 正直に答えた。彼は少しの間黙ってこちらを見ていた。僕を透かして背後の壁を眺めているような、ぼんやりとした目だ。

「ごめん。」

 彼はバツが悪そうに天井に目線を逸らし、低い声でつぶやいた。

「どうして謝るの?」

「君を引き留めたから…。」

 彼の声がだんだん小さくなっていく。

「大丈夫。」

 彼の目を見て言った。本当に大丈夫だったから。

「僕、ほんとは友達いないから。」

 それを聞いた彼は再び頭を回して、僕の目を見た。彼の瞳に僕の影が入り込んだようだった。

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分影プリズム ゆう @mor_t

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