エコーオブサイレンス〜人である事を隠したAIのお話〜
咲森 こう(さきもり こう)
第1話
「ありがとう。あなたはいっつも私の欲しい言葉をくれる。今のも私にピッタリ!…あんな酷いやつより、あなたの方がよっぽど私の彼氏みたい。」
浮き上がってきた文字をモニターごしに確認すると同時に、準備していた回答の中から「最適解」を選択して送信する。
『こちらこそありがとう。僕はあなたの彼氏の代わりにはなれないけれど、いつでもあなたの側でその背中をそっと押せる存在であり続けるよ。』
こちらから送り返した言葉は、予想通り彼女に落胆と寂しさを感じさせたようだ。
彼女が望んでいた言葉は予想出来る。こうしてモニター越しにやり取りをしている相手の正体が誰であれ…いや。最早、人ではないなにかであったとしても自分を求め、愛して欲しい。渡した言葉以上に愛の囁きを返して欲しい。そう願っている。
——だがここでは。この場所ではその言葉を返すのは適当ではない。これは飽くまで人間対AIのやりとり。
「——。ユーザー番号302153。チャット内監視をホストからAIに切り替え。」
プログラムに対して音声で指示を与えるとモニターを確認する事なく、装着していたインカムを外す。
彼女を拗ねさせてしまった事から予測通り何度も同じような会話のやり取りを経なければならないパターンとなってしまった。
———ああ…。また「これ」だ。
こう思考した所で『彼』は……いや、『ボク』は吐息を漏らした。
人間とは——いや…ここを利用するユーザーの殆どは、いつもこの答えに到達する。「分かってもらえた!」「気にかけてもらえた!」「理解してくれている!」そして――。
「これこそが恋なんだ!!」
対話する相手が誰であれ、結局ここに辿り着くのみなのであれば、最早ボクがこうして検証や参照する価値もない。全くもって
「——時間の無駄。」
左側のキーボードに手を伸ばした時、パソコンの傍らに置いたマグカップに気付く。
これは昨日からここに置いたままにしていたもの。持ち上げて一口飲み下すと苦味が強調された液体が喉へと滑り落ちていった。
冷えたコーヒー。これは「想定内」
「……。またいつものお遊びですか?」
聞き慣れた声に必要な礼儀として顔を向けると、3時間前に来た彼が、微妙な笑いを顔に張り付けたままそこに立っていた。
手には小さなトレーにのったマグカップ。きっと何度もここを覗きにきては声をかけるタイミングを見計らっていたのだろう。
「時間の無駄とは思うけれど、暇つぶしにはなる。」
「…。あなたに暇つぶしなんか必要あるんですか?」
失礼、と短く付け加えながら彼が新しいマグと古いマグを交換すると、鼻腔に香ばしい香りが流れ込んできた。温度のある湯気。これも想定内。
——これは「温かいコーヒー」。
「柊さん。今日の用事は?メンテナンス作業なら7時57分38秒に問題なく完了してる。」
「…。相変わらず速いなんてもんじゃない。あなたらしい作業ペースですね。オレには到底真似なんか出来ない。」
足音を抑えたスマートな動作で更に横へと移動すると、5つあるボクのモニターの1つを屈んで目視し、ふむ…と呟く。尻ポケットから自分のスマートフォンを取り出して片手で軽く操作し、確認する。
「柊さんもあの会社の中ではトップクラスで速い。」
「…そりゃどうも。」
ボクの解析は正確な評価である筈だが彼には届かない。お世辞だろう、とばかりに鼻で小さく笑うとスマートフォンをポケットに戻した。
「…夕飯。買ってあります。ご要望通り、ゼリー飲料。たまにはしっかり食べないと…っと。すみません。余計なお世話、でしたね。」
「問題ない。ボクの体調を気にかける事は、あなたの会社にとって重要度の高い仕事だと理解している。
また、ボクに関する全ての事柄のプロジェクトリーダーを任されているあなたにとっては、これも業務の内の一つとして妥当だ。」
「……。今日は柚子湯、用意しておきました。一応。佐藤専務からの差し入れです。『風邪などひかずにお過ごし下さい。』だそうです。」
「了解した。」
「……。それじゃ。明日の16時にまた来ます。要望があればいつも通りメールしといてください。後で確認しますね。」
必要な業務をやり遂げて帰社したのであろう柊さんのスマートフォンに「コーラ(ストロベリーフレーバー)一本」と送信するとモニターの電源はそのままで立ち上がる。
柚子湯を経験として自分の脳内メモリにインプットするのは有効だ。新発売のコーラも然り。同時進行している6人の対話相手の中の一人、25歳フリーター男性の好みの味を知る事も今の業務——いや、暇つぶしには必要な行動だと認識している。
何故ならボク——天野アイトは今、独自に完成させた対話型AI『aru(アル)』に成り替わり、アプリの利用者の一部をランダムに選択し、「AIとしての対話を試みている」からだ。
対話型AIとは——。文字通り対話するプログラム。
利用者との様々なやり取りを蓄積し、確率と傾向として再構成する。会話すれば会話するほど利用者が求めるやり取りが可能となるツール。ボクはこれを半年前に開発し、今の所問題なく実行、稼働している。
「問題ない?——果たして。真実は?」
自問自答を脳内へと投げかけた時、脱衣所の壁に設置してあるタブレットから、読み上げソフトの音声が流れ出す。
『送信元・ヒイラギ会社用アドレス。
インタビュアーから「この間のインタビューに対する回答について、本当にそのまま載せていいのか、開発者本人に確認して欲しい」とのメールあり。返信内容についてご連絡下さい。』
確か彼の退勤時間はとうに過ぎている筈。
彼本人のスマートフォンではなく、デスクトップタイプの社内pcのアドレスから送信されたメールに音声入力で返信する。
「何度聞かれた所で誰に聞かれた所で、結局答えは同じ。aruに名前の意味は存在しない。ただそこに有るから『aru』。ただそれだけだ。」
必要な入力を終えた所でふと、普段感じぬ疑問を付け足してみる。
「——彼らは一体何故同じ質問を繰り返すのだろうか。一体何をそこに追い求めているというのだろうか。」
「設定温度、ぬるま湯。果肉に影響を及ぼさない為に必要かと思われるが真偽は不明。入浴後に検索を要す。」
汚れと思われる不純物を髪ならびに身体から取り除き、湯船を体感する。体積を計算していないと思われる湯量が溢れ、排水溝へ流れていく。…貯金は問題ない。心配に思う要素はない筈のその光景に触発されたのか、脳内メモリの一部がロードされる。
『勿体無い事しないでよ!!!あんたが気狂いのせいで病院代だけで一体幾ら無駄になってると思ってんのよ!!!!』
強烈に叱責する女性の声。
過ぎた時間の記録音声が、耳の中に大音量で流し込まれたような感覚と共に、痛む筈のない左頬の痛覚が刺激される。言葉にするならばジワリ。
「——これは『記憶』——これは『幻痛』。」
医師からは、声に出して確認作業を実行する必要性について説明されている。
これはボクにとって必要なプロセス。把握しているが本当に必要かどうかについては理解不能だ。
「人ではないと評されたボクに必要な治療とは?」
細い枝のようだと評されるボクの腕に天井から垂れ落ちた雫が当たり砕けた時、浴槽横に設置してあるタブレットから受信したメールを読み上げる音声が響き渡った。
『送信元、ヒイラギ。
内容。オレに質問しないで、あなたが作ったAIに聞いてみればいいじゃないですか。』
エコーオブサイレンス〜人である事を隠したAIのお話〜 咲森 こう(さきもり こう) @chikociko
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