魔王軍が恐れた無能力者

塩塚 和人

第1話 無能力者、前線へ

 魔法が使えないというだけで、人はここまで静かに扱われなくなるのか。

 バネッサは列の最後尾を歩きながら、そんなことを考えていた。


 土の地面は踏み固められ、無数の足跡が重なっている。前線へ向かう徴用兵たちの靴底が、同じ道を何度も削った結果だ。空気は乾いていて、遠くで金属がぶつかる音が絶え間なく響いていた。


 ――ローデン前線補給都市。


 魔王軍の侵攻に備える、人類側の最前線拠点。その名を聞いただけで、平民の多くは顔を青くする。ここに送られるということは、運が悪ければ数日で死ぬという意味だった。


 バネッサは十六歳。

 平民。

 そして、無能力者。


 魔力を持たない者は珍しくない。だが、まったく循環しない者はほとんどいない。彼女の体内では、魔力という概念そのものが存在しなかった。


「おい、無能力。遅れるな」


 前を歩く兵士が振り返りもせずに言った。名前を呼ばれることはない。必要がないからだ。


「……はい」


 短く答え、歩調を早める。返事をしたことに意味はない。ただ、そうする癖が残っているだけだった。


 ローデンの城門をくぐると、空気が変わった。

 魔力の匂い。

 これは感覚ではなく、説明として知っているだけだ。魔法兵が多い場所では、魔力の使用によって空気がわずかに歪む。バネッサ自身には感じられないが、周囲の兵士たちが顔をしかめることで、それが分かる。


「今回の補充は少ないな」

「無能力者まで混じってるしな」


 ひそひそとした声が、遠慮なく背中に刺さる。

 聞こえていないふりをするのは、慣れていた。


 整列後、指揮官が全体を見渡す。赤い外套を羽織った壮年の男だった。


「――魔王軍斥候部隊が、この都市の北で確認された」


 空気が張りつめる。


「魔族は魔法を使う。結界も張る。正面から挑めば被害は出る。だが、我々には魔法兵がいる」


 魔法兵たちがわずかに胸を張る。


「無能力者は後方支援だ。運搬、補給、雑務を任せる」


 バネッサの役割は、最初から決まっていた。


 その日の午後、彼女は城壁の外で荷運びをしていた。

 魔法兵たちが前に出る中、彼女は安全な位置に置かれる。理屈としては正しい。無能力者は戦力にならない。


 ――そのはずだった。


「敵だ!」


 警鐘が鳴る。

 斥候部隊。想定より早い。


 魔法兵たちが詠唱を始める。詠唱とは、魔法を発動させるための集中動作だ。言葉と呼吸で魔力を整え、外へ放つ。


 その隙を、魔族は狙ってきた。


 城壁の影から、黒い影が飛び出す。下級魔族。角が一本、体格は人間よりやや大きい。


「下がれ!」


 誰かの叫び声。


 バネッサの足が止まる。

 距離は近い。魔法兵の詠唱は、まだ終わっていない。


 逃げろ、という理性と。

 ――間に合わない、という冷静な判断。


 魔族が振り下ろした腕が、魔法兵に届く直前だった。


 バネッサは走った。


 考えはなかった。体が先に動いた。

 拳を握り、魔族の足元へ踏み込む。


 狙いは、膝。


 骨と関節の位置は、嫌というほど知っている。人体構造の本で覚えた知識。家畜の解体で見た実物。


 ――外側靭帯。


 拳が当たった瞬間、手応えが変わった。

 魔族の脚が、ありえない方向に折れる。


 咆哮。

 体勢を崩した魔族に、今度は顎を打ち抜く。


 魔族が倒れた。


 一瞬、時間が止まったようだった。


「……倒した?」


 魔法兵の詠唱が終わり、放たれた魔法は、すでに地面に伏している魔族を焼いただけだった。


 バネッサは息を整える。拳が痺れている。正直、痛かった。力も足りていない。


 それでも、勝った。


 周囲の視線が集まる。

 驚き、困惑、そして――評価。


 指揮官が歩み寄ってきた。


「名前は」


「バネッサです」


「無能力者、だな」


「はい」


 男は数秒、彼女を見つめた。


「……使えるな」


 その言葉は、称賛ではなかった。

 ただの事実確認だった。


 その夜、簡易ステータスが表示された。

 兵士に配られる簡易鑑定札だ。


------------------------

【バネッサ】

レベル:1

HP:100

攻撃力:8

防御力:6

命中精度:30

人体理解:25

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 数字は低い。

 だが、ゼロではない。


 バネッサは拳を見つめる。


「……壊せる」


 魔法は使えない。

 けれど、魔法が生まれる前の“体”なら。


 その理解が、まだ小さく、しかし確かに芽生え始めていた。


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魔王軍が恐れた無能力者 塩塚 和人 @shiotsuka_kazuto123

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