鮭と涙と大阪弁
辛口カレー社長
鮭と涙と大阪弁
椅子から立ち上がり、大きく伸びをした。書斎の窓から見えるオホーツクの山並みは、ちょうど紅葉が深まり始めた頃だ。
写真を撮りに、ドライブにでも行きたい衝動に駆られながらも、僕はこの一週間、人里離れたこのログハウスに閉じこもり、原稿と格闘し続けていた。コーヒーを入れる時間すら惜しい。
――ガタガタガタ。
突然、玄関の方から凄まじい物音がした。
――あいつ!
弾かれたように、僕は玄関へと走る。その間も、ガタガタという音は止まない。あいつが玄関ドアを無理やり開けようとしている音だ。
「待て待て待て!」
そう叫びながらガラッと乱暴に引き戸を開けると、そこには二メートルを超えるであろう、巨大なヒグマが立っていた。分厚い
「あのさ、前にも言ったでしょ? そこのボタンを押して、三十秒くらい待ってって。これ、インターホン、ね?」
「ああ? 人間のルールなんぞ知らんわ。それより、なんで鍵かかっとんねん。こんなとこ、誰も泥棒に入らんやろ?」
クマは全く悪びれる様子もなく言い放った。
「まぁ、努力してくれたら、嬉しいんだけど……」
正論に
「んなことより、ほれ」
クマは、手に持っている銀色に輝く
「ありがとう。もうそんな時期か」
「
クマが迷惑そうに言う。その声は低くて太いが、妙に親しみやすい抑揚を帯びている。
九月から十月にかけて、産卵のために
「なぁ、あとでゴミ拾い、手伝ってな? 今年は一段と酷いわ」
「うん。任せて」
クマの表情は読めないが、その低い声には確かな憤りが滲んでいた。釣り人たちの置き土産は、釣り糸、空き缶、ペットボトル、コンビニ弁当の容器などの、大量のゴミ。そのゴミを野生動物たちがせっせと拾い、人知れず森の生態系を守っていることを、人間たちは知らない。
僕は少しでもオホーツクのために何かしようと、たまに動物たちに混じってゴミ拾いを手伝っていた。初めてゴミ拾いに参加した時、動物たちは僕のことを警戒して近寄ってこなかった。人間と野生動物には、適度な距離感が必要だ。近寄ってこないのは当然だろう。いや、人間に対する不信感もあったのかもしれない。
そんな中、僕に声をかけてくれたのが、このヒグマだ。僕はてっきり「人間ってヤツは」とか「都会へ帰れ」とか、文句を言われるものだと覚悟していたが、クマは目を細め、静かに言った。
「風邪ひくなや」
まるで近所に住む、口数の少ないおっさんみたいなことを言うもんだから、危うく笑いそうになった。
それからというもの、このクマは毎年、秋の訪れと共に、僕の家に新鮮な秋鮭を届けに来てくれるようになった。動物たちの間で、「オホーツクの山の中に住んでる、変わり者の人間がいる」と、僕のことは有名なようで、クマはすぐに僕の家だと分かったらしい。
僕がこのログハウスを建てる時、彼らは最初「侵入者」として警戒していた。でも、僕が彼らの生活圏を尊重し、静かに暮らしているうちに、奇妙な「隣人」として認識されるようになったらしく、それ以来、僕はクマと、そして彼の仲間たちと、奇妙な共生関係を築いている。
「〆切の方はどうや?」
「相変わらず終わりが見えない。今回は特に筆が進まなくてね」
僕はクマから鮭を受け取った。ずっしりとした重さが、獲物の尊さを物語っている。
「なぁ、あんた自分の書くもん、ほんまに好きなんか?」
クマの不意の問いかけに、僕は言葉を失った。僕は一応、売れない小説家だ。この静かな場所で、誰にも邪魔されずに、ひたすら物語を紡いでいる。
「……好き、だと思うけど」
「なんで自信なさげなん?」
「仕事で書いてるとさ、好きとか嫌いとか、そういうことを言ってる場合じゃなくなるんだよね」
「よう分らんけど、そんな生活、楽しくないやろ」
そう言うと、クマはくるりと巨大な背中を向け、のっしのっしと歩いて行った。岩のような大きな背中だ。
――なんで大阪弁なのか、今日も聞き忘れたなぁ。
そんなことをぼんやりと考えながら、玄関のドアを閉めた。
クマが去った後、僕は鮭を捌きながら、彼の言葉を反芻はんすうしていた。
――自分の書くもん、ほんまに好きなんか?
――そんな生活、楽しくないやろ。
即座に「はい」とは答えられない。
僕の小説は、いつも売れない。文学賞の最終選考には残っても、いつも受賞を逃す。批評家には「物語として成立しているし、構成は巧みだが、魂がない」と評されることが多い。
僕には、本当に書きたい「何か」がないのかもしれない。感動も、怒りも、悲しみも、全て頭の中で組み立てるだけで、心から溢れ出る感情がない。そんな空虚な人間が書く物語に、読者が熱狂するはずもないことは、僕自身が一番分かっている。
この孤独なログハウスは、僕にとって逃避場所だ。東京での失敗、人間関係の軋轢あつれきやしがらみ。全てを断ち切り、この地で物語という名の虚構に埋没することで、現実の痛みを誤魔化していた。
その夜、僕はゴミ拾いの準備を終え、薪ストーブの火を見つめていた。
ふと、クマが初めて僕の家に現れた、もう五年も前のことを思い出した。あの時の僕の顔は、今思えばひどく疲弊した、生気のない表情だったに違いない。彼はきっと、僕の孤独を見抜いていたのだ。だからこそ、初めて会った時に「風邪引くなや」と、優しさとは違う、どこか放っておけない者に対するような、温かい言葉をかけてくれたのだろう。
次の日、約束通り僕は海岸沿いのゴミ拾いに参加した。早朝のオホーツク海は鉛色に光り、ひどく荒れていて、冷たい風が容赦なく吹き付ける。
僕は他の動物たちから少し離れた場所で、ひたすらゴミを拾い続けた。すると、背後から大きな影が近づいてくる気配がした。
「あんた、顔色悪いな」
ヒグマだった。彼は左手に持ったゴミ袋に拾った空き缶を器用に入れながら、僕の隣に立った。
「徹夜したからかな。でも、大丈夫」
「大丈夫ちゃうやろ。顔、ひきつっとるで」
クマはしばらく黙って、遠くの水平線を眺めていた。そして突然、ポツリと話し始めた。
「ワシなぁ、昔、人間と暮らしてたことがあんねん」
「え……人間と?」
僕は絶句して固まった。
「おっちゃんが一人、山奥で民宿やっててな。ワシは子どもの時に親とはぐれて、そのおっちゃんに拾われたんや。そやから、人間の言葉も、暮らし方も、よう知っとる」
まさに、絵本の中のような話だった。
「おっちゃんは、よう泣く人やった。民宿が流行らへん言うて泣き、奥さんが病気で倒れた言うて泣き。ワシ、その涙を見るのが、ほんまに苦手やった」
クマはゴミ袋を持つ手を止め、重々しく首を振った。
「あんたの顔、そのおっちゃんによう似とるわ。頑張ってるフリして、無理して笑って。でも、心の奥がガタガタなん、隠しきれてへん」
「そんなこと――」
「嘘つくなや。あんた、ほんまは何にも書けへんのやろ?」
その言葉は、僕の一番深い傷に突き刺さった。思わず、手に持っていたペットボトルを地面に落とした。カラン、と乾いた音が、静かな海岸に響く。
「何言ってんだよ。〆切はちゃんと守ってる」
「〆切なんか関係あらへん。あんたの心の中、カラカラや。水が欲しくて堪らんのとちゃうか?」
クマはそう言って、僕に一歩近づいた。その大きな瞳が、僕をまっすぐに見つめる。
「おっちゃんはな、病気の奥さんのために、いつも冗談言うて、笑かそうとしとったんや。でもな、夜中になると、人知れず泣いてたわ。ワシは、その泣き声をずっと聞いてたんや。最初は可哀想やと思った。でもな、ある時、分かったんや。泣くことで、そのおっちゃんは、明日を生きる力を養っとったんやて」
クマはさらに一歩、僕に近づく。
「おっちゃんが死んだ時、ワシは初めて声を上げて泣いた。人間の真似や。声なんか出すつもりなかったのに、出てもうたわ。誰にも聞かれんように、山奥で、何時間も」
僕の胸の奥で、何かが崩れ落ちる音がした。僕は長い間、泣いていなかった。感情というものを必死で抑え込んでいた。泣いてしまったら、もう立ち直れないんじゃないかと恐れていた。
「あんた、なんで泣かへんのや」
クマの問いかけは穏やかだが、有無を言わさぬ迫力があった。
「あんたの書いとるもんには、ホンマの悲しみが、ホンマの喜びが一つも入ってへん。そやから、誰も感動せえへんのや」
――魂がない。
批評家の言葉が、クマの口を通して、真実の重みを持って僕の心を打った。僕はとうとう耐えられなくなった。声は出なかった。ただ、熱いものが堰を切ったように溢れ、とめどなく流れ落ちた。冷たい風にさらされた頬を、熱い涙が通り過ぎていく。
僕の手は震え、膝から力が抜け、その場に崩れ落ちた。僕は地面に顔を伏せ、嗚咽を漏らした。それは、過去の失敗に対する後悔、未来への不安、そして何よりも、自分自身の空虚さに対する、魂の慟哭だった。情けない。恥ずかしい。でも、止まらない。五年間溜め込んだ全ての感情が、今、涙という形になって噴出していた。
どれほどの時間が経っただろうか。荒れたオホーツク海の潮騒が、やたらと大きく聞こえるような気がする。
顔を上げると、クマは静かに立っていた。
「ちいとは落ち着いたか?」
「うん、ありがとう」
「これ、あんたにやるわ」
差し出された熊の手には、小さな何かが乗っていた。
「これって、木彫りの……熊?」
北海道のお土産としてよく見かける、熊が鮭をくわえている、あの民芸品だ。素朴な木彫りで、その表情は泣いているようにも、笑っているようにも見える。
「これは、おっちゃんの形見や」
クマは、静かに言った。
「おっちゃんは民宿をたたむ時、ワシにこの木彫りの熊の置物をくれたんや。『お前には泣き言ばっかり言うてたから、その礼や。人間の泣き言なんか、つまらなくて、くだらなくて、しんどかったやろ?』って。それ以来、ワシはこの置物をおっちゃんやと思っていろいろ話しとる。なんかあった日も、なんも無かった日も、嬉しいことも、腹立つことも、愚痴も、なんでも」
クマは、置物を僕に向かってそっと押しやった。
「あんたも誰かに話せ、あんたのホンマの気持ちを。人間に話せんかったら、ワシの背中にでも言うてみい。そしたらあんたの小説にも、ちゃんと『水』が入るはずや」
僕は涙でぐしゃぐしゃになった顔を拭い、木彫りの熊の置物を両手で受け取った。ひんやりと冷たかったが、クマの手の温もりが微かに残っているようだった。
「ありがとう。大事にするよ」
「礼なんぞいらん。それよりゴミ拾い、ちゃんとやれや」
クマはそう言って、くるりと背中を向けた。やっぱり岩のような背中が、また、のっしのっしと歩き出す。
僕は立ち上がり、残りのゴミを拾い集めた。さっきまでの重い空気は消え、心が驚くほど軽くなっていた。まるで、重い荷物を下ろした後のようだ。
家に帰り、鏡を見た。目が腫れていたが、その奥には久しく見たことのない、澄んだ光が宿っていた。
僕は机に向かった。〆切は間近だが、不思議と焦りはない。パソコンの画面を開き、書きかけの原稿を全て削除した。そして、新しいファイルを開き、キーボードを叩き始めた。
最初に書いたのは、クマと、大阪弁のおっちゃんと、木彫りの熊の置物の話。それは、僕の胸の奥から止めどなく溢れ出てくる、紛れもない「水」だった。涙と共に流れ出た、僕の魂の物語。
――もうすぐ、新しい小説が生まれる。
新しい僕が、このオホーツクの地で再スタートするんだ。
窓の外を見ると、紅葉はより一層鮮やかに色づき、青い空の下で輝いていた。
新しい小説の執筆は、それまでの苦行とはまるで違った。
僕が書き始めたのは、まさにあの時、海岸でクマと交わした会話だ。亡くなった民宿の「おっちゃん」の話。そして、僕の孤独と、ようやく流すことのできた涙の記憶。
タイトルは「涙の連鎖 ―オホーツクの鮭と涙と大阪弁―」に決めた。
以前の僕は緻密なプロットと論理的な構成で物語を組み立てていた。しかし今、ただ書きたい衝動のままにキーボードを叩いている。論理よりも感情。頭で考えるよりも、心で感じることを優先した。
作中、クマが僕に語った言葉は、ほとんどそのまま使った。
「あんたの書いとるもん、ホンマの悲しみが、ホンマの喜びが、一つも入ってへん。そやから、誰も感動せえへんのや」
この一節を書いた時、僕は再び涙が溢れるのを感じた。あの時、海岸で流した涙は、僕の内側を洗い流し、枯れていた脳と体に新しい水を与えてくれたのだ。
執筆は徹夜の連続だったが、疲労感はなかった。むしろ、書くことによって心が満たされていくのを感じていた。
〆切の日、僕は生まれたばかりの原稿を印刷し、封筒に詰めた。いつもなら「終わってしまった」という虚脱感に襲われるのだが、今回は違う。「やっと世に出せる」という清々しい達成感があった。
原稿を郵送した後、僕はすぐにクマに会いに行った。ゴミ拾いの時以外、僕から会いに行くのは初めてのことだった。
山の奥深く、彼がよくいる沢沿いの周辺。
「おーい! クマー!」
声を張り上げると、沢の音に混じって重い足音が近づいてきた。
「なんや、あんたか。珍しいな」
「書き切ったよ。新しい小説。あの時、君がくれた言葉、全部書いた。僕の一番恥ずかしいところも、情けないところも、全部」
クマは「そうか」と一言だけ言い、川岸の石の上にどっかりと座り込んだ。
「どうやった? 気持ちよかったか?」
「ああ、凄く。初めて、自分が生きてるって感じた」
「よっしゃ。じゃあ次からはあんたがワシに鮭を持ってこい」
「えっ?」
「ワシばっかり持って行っとったら不公平やろ? ギブアンドテイク、お互い様ってやつや」
その言葉は冗談のようでありながら、僕への深い信頼と、未来への期待が込められているように感じられた。
それにしても、本当に彼は人間のこと、人間社会のことをよく理解している。今さらながら、クマの格好をした人間なんじゃないかと疑ってしまう。
「分かったよ。君が食べたことがないような激ウマな鮭、持ってくるから」
「ずいぶんとでかいこと言い出したなぁ。まぁ、期待して待っとるわ。作家先生」
それから半年後。僕が書いた「涙の連鎖 ―オホーツクの鮭と涙と大阪弁―」は日本アニマルファンタジーノベル大賞を受賞した。
連絡を受けた時、僕はログハウスの床に座り込み、声を出して泣いた。今度の涙は悲しみでも後悔でもなく、純粋な驚きと喜びの涙だった。それは、僕の孤独な五年間と、クマとの出会いによってようやく報われた、魂の震えだった。
選考委員の講評は、驚くほどストレートだった。
「今作には、これまでの作者の作品にはなかった『魂』が宿っている。特に、ヒグマの言葉を通じて主人公が自身の孤独と向き合い、涙を流すシーンは、読み手の心の奥底にある感情を震わせる。これは著者自身の生の慟哭であり、文学としての真実である」
僕はあの時、クマが指摘した通り、初めて「水」を作品に入れることができたのだと悟った。
受賞式は、東京の大きなホテルで開かれた。僕はオホーツクを離れ、久しぶりに人混みの中にいた。真新しいスーツに身を包み、スポットライトを浴びた壇上に立つ。何百もの視線が僕に集中していた。
緊張で足が震える中、僕はマイクの前に立った。
「この度は、栄えある賞を頂き、心から感謝申し上げます。僕は長い間、自分の小説に『魂がない』と言われ続けてきました。それは、僕が感情を恐れ、自分の心に嘘をついていたからです」
話し始めると、なぜか冷静になれた。話す内容は、もう原稿ではなく、僕の心そのものだったからだ。
「この作品は、僕一人で書いたものではありません。オホーツクの山奥に住む、変わり者のヒグマとの出会いによって生まれました。彼は僕に、泣くことの尊さ、そして、自分の感情を偽らないことの大切さを教えてくれました。僕は彼の前で、何年も溜め込んでいた涙を流し、その涙こそが、僕の乾ききった心に流れ込んだ『水』となったのです」
僕は言葉を切って、ポケットから取り出した小さな木彫りの熊の置物を、そっと手のひらに乗せた。会場に、小さなどよめきが起こる。
「この熊の置物は、彼の恩師だった、今は亡き民宿のおっちゃんの形見だそうです。この木彫りの熊は、僕と、僕が愛したオホーツクの自然、そして、僕の魂の物語を繋いでくれる、たった一つの証です。この賞は、僕と、そのヒグマと、僕の小説に水を与えてくれた、全ての命に捧げます」
スピーチを終えると、会場が静まり返っていた。
――変なこと、言ったかな……。
不安がよぎった瞬間、パチ……パチと、まばらに拍手の音が聞こえた。それはやがて、僕の鼓膜を大きく震わす、万雷の拍手へと変わっていった。
受賞式から数日後。僕は東京での挨拶を全て終え、老舗市場で特注の、上質な、そして新鮮な鮭を一本購入し、それを大きな保冷バッグに詰めて、オホーツクのログハウスに帰ってきた。季節は春、秋鮭の時期ではないが、これは彼への「約束の品」だ。
翌朝、僕はその鮭を両手に抱え、クマの住処へと向かった。鮭はかなりの重さで、手が痺れそうになったが、心は弾んでいた。
「おーい! クマ―! 鮭、持って来たぞー! 出てこいよー!」
沢の岸辺で大声で叫ぶと、ガサガサと木々が揺れ、巨大な影が姿を現した。
「うっさいわ! そない大声で叫ばんでも聞こえとる。こっちは人間と違って耳ええねん」
「そんなことより、ほら! これ!」
彼の迷惑そうな顔を無視して、冷気が漏れる保冷バッグから銀色に輝く鮭を取り出し、クマの足元に置いた。
「東京で一番いいやつだよ。これで約束は果たしたからね」
クマは僕と鮭を交互に見て、うんうんと頷いた。
「ほんまになったんやな、作家に」
「まぁ、これからが大変だけどね」
「大丈夫やろ、あんたなら」
僕は「じゃ、また」と言い、帰ろうとすると、「待てい!」と呼び止められた。
「こんな立派な鮭、ワシ一人で食うても楽しくないやろ。みんな集めるから、あんたも食うていけや。お祝いや」
クマの粋な計らいに、僕は目頭が熱くなるのを感じた。
「ありがとう。全部君のおかげだよ」
「お礼なんかええわ。それより、次の物語を楽しみにしとるで、作家先生」
クマはそう言いながら、初めて僕が持ってきた鮭に鼻を寄せ、満足げに頷いた。
「おーい! こっちやー!」
クマが手を振ると、木々のざわめきと共に、エゾシカやキタキツネ、小さな鳥たちまでが続々と沢沿いに集まってきた。これが、僕がこの地で得た、真実の生活なんだと思った。
「そういえば、あの木彫りの熊って、君にそっくりだよね」
僕が照れ隠しにそう言うと、クマは豪快に笑い、大きな手で僕の頭を優しく叩いた。
「アホか。全然似とらんわ。調子に乗ってるとシバくぞ」
山の中腹から、オホーツク海がよく見える。真っ青な海は春の光を浴びて、キラキラと輝いていた。
この世界は、僕が今まで逃避していた現実ではなく、僕の全てを受け入れてくれる、愛すべき物語の舞台なのだ。
(了)
鮭と涙と大阪弁 辛口カレー社長 @karakuchikarei-shachou
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