俺の人生、拡散希望

羽鐘

第1話/僕に『#拡散希望』で物語を書けというのか

「ねぇ白雪、いい加減、考えてくれてるの?」  

 昼ご飯のハムサンドにかじりつこうとした僕を、渚の冷たい視線が射抜いた。


「……考えるって、何を?」  

 予想はついていたが、僕はあえて惚けた。  

 そもそも、彼女の問いに対する答えがまだ用意できていないのだ。


「決まってるでしょ! 私たちの結婚について!」  

 予想通りの反応に、僕の口から、自分でも嫌になるほど重たい溜息が漏れた。

「考えてはいるよ。でも、今の収入じゃ不安なんだ。物価は上がる一方なのに、僕はいつまでたってもうだつの上がらないシナリオライターだし……」  

 僕は正当な理由を並べ立てる。だけど、渚はそれを即座に撥ね退けた。


「収入なら私も稼ぐ。贅沢を言わなければ済む話じゃない。それに白雪の仕事だって、最近は順調でしょう? こないだの『妖怪あまてるおう』、評判良かったじゃない」

「そのあとが続いてないんだよ。僕だって君と結婚したい。でも、足元が固まっていない状態で将来を語るのは、あまりに無責任に思えて怖いんだ」

 偽らざる本音だった。

 大学の文芸サークルで、お互いの文章に惹かれ合って付き合い始めた。渚はいつも向日葵のように明るく、周囲をぽかぽかと温めるような優しい人だ。

 だからこそ、僕は彼女に苦労をさせたくなかったし、できる限りの平穏な環境を用意したかった。


「じゃあ、私はその不透明さが解消されるまで、あとどのくらいすればいいの?」

 渚の声が、いつになく沈んでいた。

「我慢だなんて……。僕はただ、現実を見てほしくて……」

「そんなのわかってる。でも、私の気持ちは? 私は早くあなたと家族になりたい。そのためなら何だってする。でも、白雪は理由を見つけて逃げているようにしか見えない」


 鈍感な僕にでも、彼女の言葉に含まれた怒りと悲しみが、胸に突き刺さるほど伝わってきた。

 僕だって努力はしている。結婚のために貯金をし、誰よりも早くデスクに向かっている。

 だけど、努力が必ずしも果実を実らせるわけではない。

 もどかしいのは僕も同じだ――そう言い返したかったが、温かな微笑みを消した渚を前にすると、言葉は喉の奥にへばりついて出てこなかった。



「わかった……待つわ。でも、条件がある」

 渚は決意を秘めた瞳で、僕を正面から見据えた。

 圧倒され、僕は思わずごくりと唾を呑む。

「条件……?」

 さりげなさを装ったはずなのに、漏れ出た声はやけに掠れていた。


「物語を書いて。それを投稿して、二ヶ月で閲覧数一万を達成させて。でなきゃ、別れる」

「二ヶ月で一万なんて無理だよ! 過去作だって、半年かけてようやく六百なんだよ!」

 渚が突きつけた、あまりに高く、絶壁のようなハードルに僕は悲鳴をあげた。

「やってもいないのに、どうして無理なんて決めつけるの。私のために、一度くらい死ぬ気で足掻いてみて。テーマはそうね……『#拡散希望』がいいわ。たくさん読んでもらわなきゃ意味がないもの」

 


「そんな……無茶だよ……」

「いいえ、無茶じゃない。私だって白雪が好きだから別れたくない。でも、私のために変わろうとしない人の言葉を、これ以上信じることはできない。……私に、夢を見させてよ」

 震える声でそれだけ告げると、渚は椅子を蹴るように立ち上がり、自分のオフィスへと戻っていった。


 食べ損ねたハムサンドが、暗雲の立ち込めた僕たちの関係を象徴するように、僕の手の中でじっとりと湿っていた。

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2026年1月3日 23:00
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俺の人生、拡散希望 羽鐘 @STEEL_npl

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