THE NIPPON 弥生時代から古墳時代まで
勝木勇光
前編
序章
「次!」
宦官(かんがん)の甲高い声が回廊に響いた。 朝貢に来た者たちが行列をなしていた。
洛陽(ルオヤン)の南宮である。
進み出たのは、黒い顔に青黒い刺青を刻んだ男であった。
胸板が黒光りしていた。
男の背後では160人ほどの生口(奴隷)が下を向き、土下座していた。
「どこから来た?」
宦官は壁に掛けられた地図を指さした。
自分の国を示せ、ということだった。
粗雑な線で海と陸と川が描かれただけの世界図を見て、黒い男は怪訝な顔をした。
「どこから来た? ここに指で示せ」
宦官は面倒くさそうにもう一度繰り返す。
男は背後を振り返り、通訳を手招きした。
通訳は黄色人種で、ひょろりとした体格で、なめらかな漢語をつかった。
「持参した地図でよろしいか?」
宦官は鼻で笑い、顎をしゃくった。
通訳が献上品の荷から鯨皮に描かれた地図を取り出した。
広げられた瞬間、その場にいた役人たちが息を呑んだ。
そこには山河、入り江、岬まで細密に刻まれた列島の姿と長江下流域から広州あたりにかけての図があった。
黒い男は北部九州を指さした。
「ウォー(倭)だな……?」
宦官は口の端を吊り上げ、小さく呟いた。
すると、黒い男は砂盆に歩み寄り、太い指で砂のうえに象形文字を描いた。
仮面をつけて舞うシャーマンの姿を象った文字であった。
宦官は顔をしかめた。
「……これは、なんだ?」
数名の役人たちは興味をそそられた。
野蛮人が文字を書いたというだけでも驚きだった。
書記のひとりが言った。
「これは古い文字の夏(か)ですな」
夏という文字は暑い季節を意味しているが、もともとはそうではない。古代の王朝を意味していた。上半分が「面」であった。
その説明を聞いた宦官は声をあらげた。
「何のことだ!」
通訳は動揺した。
「我が王、ウガヤさまは夏王朝の王家の末裔にございます」
「姓が夏ということか? 倭人に姓があるとは聞いたことがないが・・・・・・」
「倭人に姓はございませぬ。ウガヤさまは夏の王家の直系の子孫でございます」
「おまえたちは歴史を知らん」
「多少はわかります」
宦官は嘲笑を込めて言った。
「夏とはこの世の最古の王朝である。始祖は禹王。夏は中夏(=中華)の夏で、中原そのものを意味する。倭の地ではない。その黒い顔が中夏の始祖の末裔だと? 笑わせるな」
「しかし、ウガヤさまはその禹王の子孫にございます」
通訳は必死に頭を下げた。
宦官は面倒になり言った。
「もういい。名は、なんと申す?」
「ウガヤさまでございます。王家の総帥にございます。本日は皇帝に生口160名を献上いたします」
宦官は黒い男を一瞥して乱暴に木簡へ筆を走らせた。
そのとき、禹王の末裔は升(ます)に水を汲んで飲んでいた。
「倭面土国王、朝貢す。名は帥升。生口一六〇人を献上」
というのが、公式の記録となった。
「夏王」とは書かれず、「倭面土国王」となったのは、「夏」が面と土の二文字になったからで、これは、「夏」という象形文字をそのままザツに書き写したことによる。
名は「ウガヤ」ではなく、「帥升」となった。
帥は多数の人間を率いていたことを表しており、それが姓として記された。
で、名前は、升(ます)となったわけだ。升には「昇」という意味もあるが、宦官にはそのつもりはなかった。
通訳はなおも言葉を続けた。
「皇帝陛下にお目通り願いたいのですが……」
しかし、宦官は回廊内で順番を待っている者たちへ向かって怒鳴った。
「次!」
その記事が後に『後漢書・東夷列伝』に採用されることになるとは、その場の誰一人として知る由もない。
以下はその文面の和訳である。
「安帝の永初元年(107年)冬10月、倭国が使いを遣わして貢献した。安帝の永初元年、倭国王帥升等が生口160人を献じ、謁見を請うた」
倭の面土国はここではたんに倭国となっている。
が、唐の時代に書かれた「翰苑(かんえん)」という類書には「倭面上国」となっている。不機嫌な宦官が走り書きしたオリジナルの木簡メモは唐代にはすでに失われていたわけだが、なにかの書類に記録が残っていたらしい。「三国志」のオリジナル原稿を書いた陳寿のように、個人的に古い文献を集めて歴史書を書いていた役人がいたのだろう。そして、そういうものを集めるコレクターが唐代にもいたのだろう。で、そういう者の蔵書の中には「倭の面土国」という記載があったのだろう。「翰苑」を書いた張楚金はそれを見たのだが、「土」の文字を「上」と読んだらしい。
第一章 帥升の朝貢
一
私の父は漢人であった。大陸で暮らす武人だったらしい。が、合戦に負けて奴隷となり、洛陽でウガヤさまに買われたそうだ。
母は、この地に最初に奴隷として連れて来られた者たちの子孫だそうだが、その祖先の地がどこなのかはわからない。ただ、ングワム(黄河)のあたりにあった太古の昔の王朝の民だったと聞いている。
ちなみに、それらの者たちは百姓をするために買われてきたが、米のつくりかたは知らなかったらしい。水田のつくりかたを百姓に教えたのは大人(だいじん)さまだったようだ。
ちなみに、奴隷としてこの地に来て、代々百姓をしている者たちのことを下戸(かこ)という。
下戸たちを統治しているのは大人(だいじん)さまである。大人さまたちは太古の昔からこの地で暮らしており、肌の色がちがうし、髪の毛はちぢれている。
下戸の肌は大人さまのように黒くない。髪は直毛である。
私の母は美しかったゆえに少女時代はウガヤさまの妾であった。が、やがて父に払い下げられた。私はその二人の間の次男である。
ゆえに、私は黒い肌の王族ではなく、田に生きる百姓でもない。弓や釣り糸を引く力は持たぬし、泥のなかを漕いで進む力もない。
が、父に教わった漢語が使える。数字も読める。ウガヤさまが村々を巡るときは書き付けを取り、祭祀や収穫の段取りを記す。
ウガヤさまのクニは、大陸の国のように大きくはない。千人ほどの村が三つ、さらに海を渡った半島に二つの村がある。
村々は稲を植える百姓たちで満ちていたが、大人さまたちは別の暮らしをしていた。
かつては川上に別の集落を構えていたと聞く。
だが今は、百姓の村の中央に柵で囲んだ一郭を築き、その中に住まう。柵の中に下戸が足を踏み入れることは許されない。
大人さまは狩りや祭祀をして百姓たちに命令を下す。
米づくりは百姓の務めと定められていた。
我々はイヌを飼う。これは肉を得るためである。子犬は成犬になると屠られ、食卓にのぼった。それは百姓にとって当たり前の糧であったが、大人さまたちはそれを卑しいと見下している。大人さまたちにとっての肉は山や海のものであり、小屋の中で育てるものではない。
私には皆に隠れて逢瀬する娘がいる。名をアヤという。
アヤは大人の娘である。黒い顔には刺青があり、髪はちぢれている。手足は長く、乳や尻には張りがあった。声には気品があるが、怒ると怖ろしい。
アヤには私以外にも男がある。が、私といるときが一番楽しいらしい。
今朝のことである。
「今日は石神さまの後ろの森よ」
とアヤは言った。私は勇んで森に出かけた。
そこには大きな石がある。遠い昔に海の向こうから運んで来たものだと大人さまたちは言っているが、私は信じていない。どんなに多くの人手を集めたとしても、人の力で運べるような石ではない。しかも、その石はひとつではない。
アヤはその石の後ろにいるはずだった。だが、そこに立っていたのはウガヤさまだった。
「オマエ、ここで何をしている?」
とウガヤさまは言った。
私は正直にアヤの名を口にした。嘘をつく勇気はなかった。
すると、ウガヤさまはニッコリ微笑まれた。私は一瞬、安堵した。が、それですむはずがなかった。
その晩、私は柵の内へ呼び出された。
焚き火が揺れる中、大鍋がぐらぐらと煮え立っていた。鍋の底には丸石が沈められていた。
「拾え」
ウガヤさまは静かに命じられた。
神の心にしたがう者は火傷しないと言われていたが、湯のなかに手を入れて火傷を負わなかった者を見たことがない。だが、私は膝をつき、腕を湯の中へ突っ込んだ。
生きるためにはそれをしないわけにはいかなかった。
瞬間、腕は刺すような痛みに包まれた。
急いで石をつかんだが、これも熱かった。
呻き声をあげながら石を鍋の外に置いたとき、手のひらの皮が剥けていた。
私はそれだけのことでゆるされた。
ウガヤさまには私が必要だったのだ。
だが、アヤはゆるされなかったらしい。
その後、アヤの姿を見た者はいない。
人々の口伝では、彼女はイヌの餌にされたという。が、私は信じていない。アヤは遠いクニの大人のもとへ送られたのだと思う。
二
ウガヤさまはイノシシを捕る。浅瀬にクジラやイルカを追い込んで捕ることもある。着飾ったウガヤさまが獲物を配下の者に担がせて村に戻ってくるときは、何があっても皆でひれ伏した。
年に2回、稲刈りが終わるとウガヤさまは丸木舟の船団を率いて村々を巡った。
百姓たちは収穫した米を袋に詰めて船団に積み込む。
私はその袋の数を記録する。
あるとき、その私の記録と倉庫内の袋の数が合わないことがあった。大問題になった。
しかし、しばらくすると犯人が判明した。
山の中で発見された倉の中には百をこえる米袋があった。
ずらりと並ぶ米袋を見て、私は思わず息を呑んだ。これだけの米を隠し持てば、2百人ほどが冬を越せる。
犯人はひとりではなかった。
首謀者の名はタルといった。
縄で縛られたタルはウガヤさまの前に引き出されて膝をつかされた。
タルは30年前に大陸から連れてこられた鉄の職人の子であった。鍛冶場を受け継ぎ、鉄を打ち、刃物や鍬や鋤を作り、村々の田を広げてきた。その功績は疑いようもない。実際、ここ10年でウガヤさまの水田は二倍に広がった。
「鉄があったからこそ田が広がった。もはやワシの働きなくしてウガヤさまのクニは成り立たない」
タルはウガヤさまの前で言った。そして、自らが三つの村のどれかの長になるべきだと、何度もウガヤさまに訴えていたことを申し述べた。
ウガヤさまは、しかし、ニッコリ微笑んだだけだった。
タルは密かに隣のクニの王と通じていた。
そのクニの名は、「ノ国(奴国)」という。
そのノ国の王の曾祖父は漢王朝から金印をさずけられており、代々その威光をもって多数の兵士を配下に置いていた。
タルは、その兵を借りようと考えていた。
今回見つかった米袋は、借りた兵士への報酬となるはずだった。
村人たちの前で、タルは縄に縛られながらも声を張り上げた。
「ワシはただ正当に報いられたかったのだ!」
広場にざわめきが走った。多くの百姓はタルの鍬を使って田を耕してきたのだ。誰もがその功績を知っていた。
しかし同時に、彼の裏切りが身の程知らずなことであるとも感じていた。
やがてウガヤさまは立ち上がり、松明に照らされた黒い顔で一同を見回しながら言い放たれた。
「タルよ、ワシに刃向かうとは愚かなことだ」
沈黙が降りた。
その後の裁定は苛烈であった。タルは大きな甕棺(かめかん)に生きたまま入れられて埋められることとなった。タルの手下となった者、運び手、見張り、帳簿の木簡を改ざんした者などからは合わせて160人が選ばれた。
彼らは「生口」として漢(後漢)の皇帝へ献上されることになった。
ウガヤさまには考えがあった。
ノ国王は金印をもらって漢の皇帝の手下となっている。そのノ国王と通じた者たちも漢の皇帝の手下だということになる。ならば漢の地に帰るべきだと・・・・・・。
出立の日、160人は縄で繋がれ、船へと押し込まれた。別れを惜しむ女のすすり泣き、子の叫び、男の呻きが波に吸い込まれていった。それらの声が土中のタルの耳に入ったかどうかはわからない。
三
海へ漕ぎ出した船団は、秋の北風に押されるように半島を目指した。
航路は数千年まえから同じらしい。
まずはイキ島(壱岐島)を目指し、次にはツマ島(対馬)を目指し、大陸の半島の海岸が見えたら西に沿って進み、さらに海岸に沿って北に進み、ラクロ(楽浪)と呼ばれる半島に突き当たったらそこから西に進み、マラードン(山東)という半島の北側に渡る。そこから北上してングワム(黄河)に入る。
船はすべて丸木舟であった。各艇には7名から10名が乗った。小さなマストがあり、ムシロのような帆があったが、それで得られる推進力はわずかであった。なので、縄で繋がれた生口たちは沖に出ると縄をとかれ、櫂を漕がされた。
ウガヤさまが乗った先頭の艇には中央部に小さな櫓(やぐら)があり、そこに銅でできた太鼓が吊り下げられてある。これを叩くとかん高い音が海面から深海にまで染みこんだ。その音を聴くとイルカやクジラは逃げ散った。
ウガヤさまは先頭の艇の船首に腰をおろし、胸を反らせて微動だにしなかった。その黒い顔は波の飛沫に濡れて光り、海を切り裂く岩のように見えた。
ウガヤさまはノ国王と漢の皇帝との関係をなんとかしたいと考えているようだった。だが、具体的にどうしたいのかまではわからなかった。
「自分も金印をもらうつもりなのだろう」
と、皆は語っていた。生口を多数献上するのはそのためだと言う者が多かった。だが、私にはそうは思えなかった。ウガヤさまはだれかの機嫌をとって獲物を得る人ではなかった。
航海は順調ではなかった。
日照りの翌日には突風が吹き、いくつもの艇が転覆した。これによって積荷の多くが失われた。しかし、死人は出なかった。
漢やノ国は大きな船を使うが、大きな船は転覆すると沈む。しかし、我らの艇は転覆しても沈まない。
ングワム(黄河)に入って数日が過ぎると洛陽の港に着いた。
石を積んだ白壁の建物、帆を下ろした異国の船、そして城門を守る兵士たちの鉄兜。
それらの光景は遠くから観ているぶんには夢か幻のようだった。だが、上陸すると港はいつもごったがえしている。汚物がそこらじゅうに散乱しており、ネズミが走りまわっており、病人や死人がそのへんに放置されていた。市ではイヌの肉と人間の肉が一緒くたに売られている。
港から道に入ると荒涼たる景色になった。
生口たちは縄でつながれ、砂塵にまみれて進んだ。彼らの目には恨みと絶望が入り混じっていた。
その列の最後尾を見やりながら、私は胸の奥で思った。
……生口たちはこの地で何年生きられるのだろう?
洛陽の城門に近づくと、すでに別の異国の隊列が到着していた。
金色の冠をいただいた男が鮮やかな絹の衣をまとって輿のうえであぐらをかいていた。10人ほどの兵士が交代でその輿を担いでいた。その背後には、槍をたずさえた兵士たちが10人ほどいて、多数の荷車を押す者がつづいていた。
「あれはノ国の使者か……」
と私が呟くと、隣にいた大人さまが声を潜めて私に尋ねた。
「ウガヤさまはノ国の使者が来ていることを知っていたのだろうか?」
私にわかるはずがなかった。
ノ国の使者は我々を発見すると輿に乗ったまま近づいてきた。そして、こちらを見下ろし、繋がれた生口たちを見やると鼻で笑った。
「献上品が生口ばかりだな」
ウガヤさまは、しかし、表情を崩さなかった。
ただ胸を張り、低く響く声で答えられた。
「ワシは金印をもらいに来たわけではない」
ノ国の使者の顔がひきつった。
だが、何も言わずに自分の隊列に戻っていった。
洛陽の街の城郭は巨大な壁である。我々はその南側の門の前に立っていた。
門には三つの扉があり、中央の大きな扉は閉ざされていた。
しかし、ノ国の使者が漢の兵士に金印を見せると中央の扉が開いた。
我々は待たされた。
日が沈んでも中には通されなかった。
「メシを食おう」
と、ウガヤさまが言ったので皆その場で炊事をはじめた。
すると漢の兵士たちが寄ってきた。
「やめろ」
と言っていたが、ウガヤさまは返答しなかった。
大人さまのひとりが大柄な兵士の甲冑の肩に手をかけ、ニコニコ笑いながらなにごとかを告げた。
すると兵士は怒りだし、その大人さまの手をつかもうとした。
だが、大人さまはその兵士の手を逆につかみ、
「怒るな、怒るな」
と言った。
言葉が通じなかった。
その大人さまは多数の兵士に囲まれた。
私はあわを食って中に入り、
「我々は腹が減っている」
と漢語で何度も叫んだ。
兵士たちは私を殴って去っていった。
ウガヤさまはその一部始終を黙ってご覧になっておられたが、兵士たちが去ると側近を呼び、私の方に顔を向けられた。
側近に呼ばれ、私はウガヤさまのまえにひざまづいた。
「ご苦労だった」
と、ウガヤさまは笑った。アヤとのことで私が鍋の石を拾ったことは覚えておられないようだった。
四
翌朝、漢の兵士の合図があり、我々は城壁の中に入った。中央の大扉は開かず、左側の小さな扉から入った。
洛陽の街路は、我らの集落とはまるで異なる姿をしていた。
道は硬く突き固められてあり、両脇には二階建ての楼閣が並び、軒先には赤や黄の布がはためいている。香辛料の匂い、家畜の糞の匂い、鉄を打つ音、人の叫び声が入り混じり、空気がざらついていた。
我らは漢の兵とともに街を進んだ。
縄で繋がれた生口たちは俯き、足を引きずりながら歩いた。
見物人が群がり、子どもが石を投げた。着飾った女たちは袖で鼻を覆い、乞食は指をさして笑った。
異国から来た皇帝への「献上品」は、洛陽の市民にとって見世物でしかなかった。
やがて道は広がり、白壁の高殿が見えてきた。
その奥に天を衝く宮殿の影がそびえていた。
行列が進むと、楼門が見えてきた。その屋根の上には大きな扁額が掲げられており、そこには「南宮」の二文字が金色に輝いていた。
首をのばしてそれを見上げた生口たちは足をもつれさせた。
楼門の階上に見え隠れしていた宦官たちは頭をつるりと剃り上げ、遠くから見てもわかるほど煌びやかな衣に身を包んでいた。
ねっとりした雰囲気が濃く漂っていた。
また大扉があった。その左右には小扉があった。
多数の人間が中に通されるのを待っていたが、ノ国の使者は見あたらなかった。
我々はまたしても待たされた。
それでも、日が沈むまえには我々に向けた太鼓が鳴った。
左側の扉が開き、
「次!」
という宦官の声が響いた。
南宮の広間に入ると、視線の先に玉座が見えた。だが、そこに皇帝の姿はなかった。黄金の冠が置かれたまま、椅子だけが虚しく輝いている。
広間を取り仕切っていたのは宦官たちであった。
よく見ると、その宦官たちの横にノ国の使者も腰かけていた。
使者は黒い顔をこちらに向けて白い歯を見せていた。
「次!」
と、また宦官の声が鳴り、ウガヤさまは前に出られた。
しばらくすると、ウガヤさまはこちらを向かれ、私を手招きされた。
五
宦官とのやりとりは要領を得なかった。
皇帝への面会はかなわなかった。
我々はどこぞの田舎の野蛮人のようにあつかわれた。
ウガヤさまが砂盆に書かれた文字は「夏」ではなく「面土」と木簡に記された。
広間を出るとウガヤさまは黙りこくった。
そのため、皆も黙って歩いた。
宦官たちの態度はゆるせなかったが、それ以上に皆のはらわたをえぐったものがあった。
ノ国の使者のせせら笑いである。
我々はたしかに漢人の城の中のことを知らなかった。事前にだれかに話を聞いておけば恥をかくこともなかったろう。我々には落ち度があった。
が、それにしても、ノ国の使者がなにゆえ漢人の宦官たちとともに我々をあざけるのだろうか・・・・・・。
ウガヤさまが黙りこくるのも無理はなかった。
港に着く手前に奴隷市場があり、ウガヤさまはそこでようやくクチを開かれた。
「漕ぎ手を百人買っていこう」
160人の生口を献上したのはいいが、それらがいなくなると帰りの舟があまってしまう。多数の舟を置き捨てて帰るなどはあり得なかった。なので、舟を持ち帰るための漕ぎ手が必要だった。
奴隷市場は、ちょっとした広場になっており、木の柵がいくつもあった。柵の内には裸同然の男女が押し込められ、買い手の目にさらされていた。
ほとんどは下戸とおなじだったが、なかにはウガヤさまより黒い者もあり、金髪碧眼の者もあった。
商人は声を張りあげる。
「若い男、ひとり3千銭!」
「若い女は千銭からだ!」
「食用のは5百!」
「子どもは一律6百!」
値踏みの声に混じって、怒鳴り声や笑い声が聞こえていた。
ウガヤさまはひとつの柵の前に立ち、腕を組んで動かなかった。
私は商人の前に立ち、
「舟を漕げる若い男を百人欲しい」
と伝えると、商人は目を輝かせ、算盤に算木を並べて勘定をはじめた。
「百人となると30万銭だな。銭3百貫だ!」
そう言いながら、商人は仲間の商人を手招きして呼び集めた。
百人の奴隷をそろえるのはひとりでは無理だったらしい。
銭は私が預かっていた。しかし、3百貫もあるわけがない。3百貫の銭を運ぶとなると人足が20人では足りない。
だが、我々はウルシ塗りの櫛や食器なども持参しており、それらは高値で取引されていた。また、南宮を出るときに無礼な宦官から絹や木綿や青銅の酒器などを頂戴して荷車に乗せていた。
ウガヤさまは漕ぎ手となる男子を買うとおっしゃっておられたが、やけに厳しい人選をされた。そして、それはたんに漕ぎ手を買うということではなくて、屈強な兵士を買おうとしておられるのだとわかった。
人選が決まると、値段の交渉はわりと早く終わった。
ウガヤさまはだらだらと交渉するのが嫌いなため、高い買い物をした。
それでも手元には30万銭が残った。持ってきたのは10万銭だったので20万銭の儲けになったと言える。
が、そのとき、ウガヤさまが最初に目をつけた柵にもどられた。そこにいた女奴隷が気になっていたらしい。
それは黒い肌の大人の娘だった。
アヤによく似ていた。
「おまえはどこのもんだ?」
と、ウガヤさまは娘に尋ねられた。
娘はなにやら答えたが言葉が訛っていてわからなかった。
だが、ウガヤさまにはわかったらしい。
「ピエンハン(弁韓)か・・・・・」
と、ウガヤさまは娘の髪の毛を見られた。
たしかに髪型が雅びていた。
ピエンハンには大人の村がいくつもあり、米と鉄をつくっていた。
住人のほとんどは下戸の子孫であったが、長となる者は大人であった。
そこでは、大人の長が死ぬと妻や奴隷が殉死させられて一緒に埋められた。
奴隷となった娘はそのような村の生まれだったらしい。
で、殉死させられるのがいやで逃げたらしかった。
「この娘も連れていく」
と、ウガヤさまは言われた。
商人はウガヤさまの様子を見て値をつり上げ、3万銭を要求した。が、1万銭で話がついた。
こうして我らは娘ひとりと百人の兵士を買い入れた。
縄をつけられたまま連れてこられたそれらの目は虚ろで、遠い空を見ていたが、メシを食わせると驚くほど元気になった。私の父もこうしてウガヤさまに連れて来られたのだなと思うと涙が出た。
第二章 倭国の大乱
一
ワタシの父は夏国の将で5百の軍勢を自在に動かしていた。が、一昨年の奴国との合戦に敗れ、その責任をとって自害した。
以後、夏国はマツラ国と呼ばれるようになった。
これは、奴国の者がそう呼んでいたためである。
奴国の者がそのように呼ぶのは、漢の史書に我が国のことが「面土国」と記されてあったかららしい。面土はメタと読む。奴国人も最初はメタと呼んでいたようだが、いつの頃からか「ラ」がつけられ、メタラとなった。これが百姓たちの訛りでメズラとなり、ピエンハン(弁韓)から来た者たちの訛りが入ってマツラとなった。
ちなみに、夏国が奴国と戦いはじめたのは百年前のこと。伝説の王ウガヤが2百名の兵士とともに奴国へ攻め込み、奴国王を捕らえたのが最初である。
しかし、夏国が奴国に勝利したのはこのときかぎりであった。奴国はピエンハン(弁韓)の鉄をおさえており、その鉄を目玉とした交易で財をなして多数の兵士を食わせている。今では千人の兵を出しても歯が立たない。
ウガヤ王の頃には我が夏国もピエンハンの村を2つほど統治していて、そこから鉄を得ていた。奴国王を捕らえたときにはさらに3つの村を統治下に治めた。しかし、漢王朝の支援を受けた奴国はそれらの村をすべて焼き払ってしまった。以後、我々は奴国から鉄を買わねばならなくなった。
尚、漢王朝は10年ほど前に滅亡している。その領土は3つの国にわかれていて、洛陽は魏という国の首都になっている。
奴国は漢の後ろ盾を失い、金印の威光による統治に支障をきたしている。魏からも金印をもらおうとしたようだがうまくいかなかったらしい。しかし、ピエンハン(弁韓)の鉄をおさえているので兵力を維持している。
現在、夏国の王はイナヤという。
即位してまだ日が浅い。
これまでは奴国の侵略をはね返しているが、奴国に攻め込んだことはない。
「このままではいつかやられる」
と、老臣たちは心配していた。
昨日、ワタシはイナヤ王に呼びだされた。
奴国の南のクノ国に行けと言われた。
クノ国は鉄を持たぬ。だが、石を加工する技術においては比類なく、弓矢も槍も奴国の鉄器に劣らぬ切れ味を誇った。とりわけ黒曜石の鏃(やじり)は軽く鋭く、遠くまで飛ぶらしい。
クノ国が南側から奴国に攻め込み、我々が西側から攻込めば奴国はおちる。奴国をおとしてピエンハンの鉄をおさえれば夏国は安泰となろう。そうすれば、マツラなどという呼び名は消え失せる。
ワタシは20名の兵を選んだ。百名は欲しかったが国境の防備が優先される。それに、百名で動けば奴国にばれる。
5艇の丸木舟にはクノ国王への献上品が積み込まれた。主要な品は鉄の農器具と絹と女であった。クノ国は大陸と交易していないためにそれらの品を欲しがった。とりわけ色の白い女(黄色人種)には目がなかった。
出航の日、港に立つと潮風は生臭く、波は低かった。
イナヤ王は見送りにでてこられ、ワタシに言った。
「夏国はただの国ではない。かつては全世界が夏国だった。それを取り戻そうとは思わぬが、このまま滅亡するわけにはいかぬ」
兵士たちには王の言葉の意味がわからぬようだった。
二
5艇のカヌーは静かに湾を離れ、西に向かった。
ワタシは先頭艇の先に立ち、振り返って兵士たちを見渡した。皆、不安げな顔つきだった。クノ国がはたして我らの呼びかけに応じるだろうかと心配していた。
その日の午後、船団は岬の先端をぐるりとまわった。
太古の昔、その岬はツマ島(対馬)までつながっていた。
夏国はその先端に都をかまえ、対岸の大陸と対峙していた。
当時は、
・・・・・・百姓は御法度、
となっていた。
地にタネを植えて実を収穫すると大量の食物が得られるが、そのぶん人は視力を失い、知能が衰え、心が乱れ、争いが起きる、と言われている。
だが、その禁令が解かれて久しい。
大陸にタネを植える者が増え、それらを殲滅するために派遣した軍団が夏国を裏切り、現地の者たちを従えて国をつくるようになった。
その頃、岬の手前が海に沈みはじめ、先端がツ島(対馬)となった。海が広がり、陸が沈み、都を何度か移すうちに夏国の力は衰えた。さらに、南方の山の大噴火があり、これが致命的な打撃となった。
大陸の国が大きくなりすぎて我々の戦力では滅ぼせなくなると禁令が解かれ、我々も地にタネを植えるようになった。
大陸に攻め込むためではない。
大陸から攻められたときのためである。
岬を越えて進路を南に向け、風をつかんでしばらく行くと、左手に大きな入江が見えて来た。
「女どもを見せるな、布で隠せ」
と、ワタシは命じた。
下戸の娘は夏国ではめずらしくない。だが、2百里も南に下ればほとんど目にすることがない。4百里も下れば、そこはもう異国である。白い女を目当てに何者が襲ってくるかわからない。
海岸線から見えないよう気をつかいながら進み、3日ほどしたところで大きな半島をぐるりとまわり、深い入江に入ると煙を吐く山が湾の右手に見えた。
湾の奥には多数の建築物があり、櫓があった。
そこがクノ国の本拠地だった。
……アタ
と呼ばれていた。
アタの者たちも、太古の昔は夏国の配下であった。大陸に攻め込む際には先陣をまかせた。だが、今のアタはもう異国となっており、言葉もほとんど通じない。
陸地に近づくと裸同然の者が集まってきた。皆、腰蓑をつけ、槍を持っていた。女子も同じであった。
下戸の姿はなかった。
彼らの眼差しは鋭く、我々を見定めるようにじっと動かなかった。
「殺されっぞ……」
兵の一人が小声で言った。
クノ国では、イモはつくるがほとんど米をつくらず、漁労や狩猟を主な生業としている。そこの者たちは、我々とは匂いがちがう。
我々の艇が砂浜に乗り上げると男たちが石槍を構えて取り囲んだ。わたしは通訳にクノ語で告げさせた。
「おいどま、夏国ん使いでごわんど。王に謁見ば願もした」
反応が鈍かった。
そこで、ワタシは女たちを見せた。
するとクノの男たちは大きな目玉を飛び出させた。
泥ぶき屋根の大きな館に通され、ムシロのうえにあぐらをかくと、酒が出た。
それを運んで来た女たちは耳たぶに滑車型の大きな飾りものをはめ込んでいた。夏国の女も身分のある者は同様の耳飾りをつけていたが、クノ国の女たちの耳飾りは二倍ほどの大きさだった。
・・・・・・耳たぶがちぎれそうだな。
と、ワタシは思った。
やがて勾玉の首飾りをかけた年長の男が現れた。
肩幅が広い。
ちぢれた髪を後ろで束ね、それが大きく膨らんでいた。
刺青は手のひらや耳たぶにまで入っていた。
「おいが、クノ国王、ヒミヤンコでごわす」
しわがれた声が低く響いた。
ワタシは膝を折り、配下の者に献上品を並べさせた。
鉄の鍬、鋤、鋭い刃を持つ矛、鮮やかな絹布、そして白い肌の娘たち。
王の目が娘たちに注がれた。長くてまっすぐのびた髪を何度もめでた。
娘たちは下を向いたまま動かなかった。
「マツラんもんが、よう来んした」
と、ヒミヤンコ王は言った。 マツラと呼ばれることには腹が立ったが、ここは黙って受け容れた。
「歓迎していただき嬉しいかぎりです」
と言うと、クノの王は笑った。
「まあ、飲め」
と言われ、ワタシは深く頭を垂れ、漆器の高坏を手にとり、王の目を見た。
王の目はもう笑っていなかった。
ワタシは高坏の中の液体を一気に飲み干した。米でつくった酒ではなかった。
ひどくまずかったが、
「うまい」
と言った。
すると、王も飲んだ。
歓迎の踊りや歌や楽器演奏が一段落すると、ワタシは言った。
「イナヤ王は奴国を討とうと思っている」
ヒミヤンコ王の瞳が光を宿した。
「鉄ば奪いさるか?」
王は唇を吊り上げ、部屋のすみに控えていた数名の武士を振り返った。
それらは弓を持っていた。
「あればねらんか」
と王が言うと、武士のひとりが奥の柱の上部にかけられてあった奇妙な表情の真っ赤な面に向かって弓をかまえ、撃った。
矢は面の眉間を割った。
我々は思わず息を呑んだ。矢の初速が速く、貫通力もすごかったのである。
「その矢ば持って来んか」
王が命じると柱の下で酒を飲んでいた武士がニヤニヤ笑いながら立ち上がった。
矢の先には黒曜石の鏃がついていた。
「鉄んのんなかども、いっさ(戦さ)はでくっ」
と、王は言った。
「じゃどん、田畑ん広げっには、鉄が要っでごわす」
と、さらに言った。
「我らは西から、クノ国は南から奴国を攻める、というのがイナヤ王の提案です」
「さでごわすか」
「応じますか・・・・・・?」
王は笑い、
「まあ、飲め」
と言った。
三
ワタシと兵20名は足腰が立たなくなるまで飲んだ。
だが、王はけろりとしていた。
日が昇り、鳥がさえずりはじめたころには、ワタシは意識を失っていた。
目がさめると目の前に中年の男があぐらをかいていた。
「よく飲んだな」
と男は笑った。
クノ国では酒を大量に飲むことが人間関係における勝負のひとつになっていた。
「負けました」
と、ワタシは言った。
「さでごわすか、もはや酒ん要っならんか」
「はい、しばらくは・・・・・・」
「ほいじゃ、相撲ばとっが」
と、男は言い、首にかけてあった首飾りをはずした。その首飾りの勾玉は王のものより小さかったが、同じ色の石でできていた。
男の名前は二度聞き返したが聞き取れなかった。
ただ、役職名は聞き取れた。
クコチ
というものだった。それで、ワタシはその男のことを、
「クコチどん」
と呼ぶことにした。
庭にでると多数の子どもが相撲をとっていた。
クコチどんは小柄であった。
が、結果は2勝2敗となった。
クコチどんは5戦目をやろうと言ったが、ワタシは応じず、
「負けました」
と、言った。言うやいなや朝まで飲んでいた酒がクチから飛びだしそうになり、必死でそれをおさえた。
クコチどんは条件を出した。
「マツラには、砂から鉄ば取っ技があると聞いもした。そん技ば持っ職人ば、こっちに貰もした」
ピエンハン(弁韓)の鉄は石からつくられている。その石をクノ国まで運ぶのにはピエンハンは遠すぎる。できあがったものを買うのなら奴国から買っても同じである。ピエンハンの村を支配下に入れて鉄をつくらせるとなると補給路を維持するために多数の兵を駐在させねばならず、それも理に合わない。
クノ国が自前で鉄を得るには砂から鉄を抜くしかない。そして、夏国にはそれをする職人がいた。二つの家族が代々その技を伝えていた。ただし、そこでつくられる鉄は量もわずかであり、農耕具などには使えない。そのことを言うと、
「大勢でつくっば、量も増えっじゃっど」
と、クコチどんはこともなげに言った。
クコチどんはもうひとつ条件をだした。
「イナヤ王ん身内んもん一人、こっちに住まわしてもろっか。飯も酒も女も、なんも不自由はさせんど」
ワタシは困った。
それで、
「相撲を断るのにそれほどの条件を呑まねばならんのですか・・・・・・」
と、言った。
すると、クコチどんは大笑いした。
四
イナヤ王はワタシが持ち帰った話をじっくり聴いた。
「職人と人質か・・・・・」
そうつぶやくと、
「人質はひとりでいいのだな」
と言った。
とりまきの老臣たちは、あわてた。
「待て待て、急ぐな」
と口々にわめいた。
「人質を差し出すなど、夏国の威を落とすことになります」
「鉄の技は、我らが最後の秘伝……軽々しく他国に渡すべきではない!」
居並ぶ老臣たちは、口々に反対意見を出した。
イナヤ王は黙って耳を傾けていた。
やがて意見が出尽くして殿中に静けさが漂った。
すると、王は言った。
「夏国はこのままでは奴国の支配下に置かれる。奴国の王家はすでに下戸の血統にとってかわられている。古来の仁義はもう望めない」
王が心配していたのは夏国の民のことばかりではない。社殿の奥にある太古の資料や、配下の一族が伝えてきた秘伝の技、そして、あまねく空間を一身に引き受ける精神などであった。利益優先の仁義なき王にそれらの価値がわかるはずがない。
「しかし……!」
老臣のひとりがなお食い下がった。
「人質を出すは愚策にございます! 奴国に知られれば夏国は笑いもの!」
イナヤ王は黙った。
老臣たちはイナヤ王の父の代の重鎮たちであり、イナヤ王はそれらを無下にあつかうわけにはいかない。
たまらず、ワタシはクチをはさんだ。
「恐れながら……ここに先代の王がいらしたら何と申されますでしょう?」
老臣たちはざわめいた。
……勝機があるうちに勝負すべし、
というのが先代の口癖であった。
イナヤ王はわたしの顔を見た。
いろいろな思いがめぐっているようだった。
だが、言葉は発しなかった。
そのとき、それまで黙していた最年長の老臣がクチをひらいた。
「長いこと我々は先代とともに戦ってきた。しかし、一度も奴国王を打ち負かしたことがない。その我々がさらにものを言っている。そろそろ黙るときではなかろうか……」
しかし、この言葉には老臣たちの自尊心が傷ついた。
会議は収拾がつかなくなった。
翌朝、ワタシはもっとも大きな声で反対していた老臣のひとりを訪ねた。
老臣は藁葺きの住居にひとりで暮らしていたが、配下の下戸が奥で炊事をしていた。
老臣は上水路で顔を洗っていた。
「昨晩の件は、まとまりませぬな・・・・・・」
と、老臣は顔の水を手のひらでぬぐいながら言った。
ワタシは地面に腰をおろし、
「では、このまま座して奴国の支配を受け容れるということでしょうか?」
と問うた。
「それはちがう。最後のひとりまで戦い抜くのだ」
と、老臣は子どものような顔をして言った。
「しかし、それでは夏国は滅亡します」
と言うと、老臣はむきになった。
そして、配下の下戸を呼び、鍋に水をはって湯を沸かすよう命じた。しばらくして湯が煮えたぎると玉石をひとつ鍋底に落とした。
「拾ってみよ」
と、老臣は言った。
「拾えばご意見をひるがえされますか?」
と訊ねると、
「おう」
と言った。
そこで、ワタシは、
「手本を見せてください」
と言った。
老臣は目を剥いたが、石を拾うつもりはなさそうだった。
そのとき、その場に声がかかった。
「まあ、待て」
と言ったのはイナヤ王だった。
ワタシがその老臣宅にいることを知って駆けつけたらしかった。
イナヤ王は鍋を見て笑い、
「おもしろい」
と言い、素速く石を拾った。そして、真っ赤に焼けた手で石を鍋に戻し、
「手本をみせた。次はオヌシだ」
と、ワタシに言った。
もう逃げられなかった。
ワタシが石を拾うと老臣も拾った。
イナヤ王は、
「引き分けだな」
と言って笑った。
だが、老臣は言った。
「いや、二対一だ。ワシの負けじゃ」
その日の午後、会議はすんなり終わった。
クノ国への人質にはイナヤ王の弟の息子が選ばれた。
名を、タギリ、といった。まだ12歳であった。
五
その後、ワタシは何度もクノ国との間を行き来し、クコチどんと作戦の打ち合わせを行った。クコチどんは綿密な段取りをする男で、武具の手配に気をつかい、軍団の編成にあたっては個々の武士たちの器量に応じた役割分担を考えた。そして、軍団の北上経路を決め、水や食糧をどうするかなどの計画も立て、我々の計画とのすりあわせにも積極的だった。
尚、タギリは客人として遇され、クノ王の兄の娘を妻に迎えることになった。その後、弓を覚えて10名の武士の頭となった。クノの男たちはタギリのことを「タグどん」と呼ぶようになった。
奴国への総攻撃はイナヤ8年の二回目の収穫が終わったあとの夜間に決行された。
クノ国もほぼ同時に攻撃を開始することになっていた。
ワタシはイナヤ王の副官を命ぜられた。
その日は朝から小雨が降っていたが、そのことを気にする者はいなかった。
東側の国境に近づくと、ワタシは夏国の兵士たちに松明を消させた。軍勢は弓隊と槍隊を合わせて1千9百。甲冑や武具は重いので事前に国境手前の洞窟の中に隠しておいた。
「それ!」
と、イナヤ王が号令を下すと我々は静かにナカ川(那珂川)を渡った。このナカ川が国境であった。
川からあがると寒さを感じたがすぐに忘れた。
やがて、月明かりで奴国側の柵が見えてきた。
「よし撃て!」
と、イナヤ王が叫ぶと柵の中に弓隊が火矢を放った。ほとんど同時に槍隊が柵にハシゴをかけ、中に突入した。
鬨の声があがり、闇を振るわせた。
大声を出したのは自分たちの攻撃をクノ国軍に知らせるためもあった。クノ国軍が攻める南側の国境まではかなりの距離があり、声が届くかどうかはわからなかったが、皆は届くと思っていた。
柵の突破にはそれほど時間がかからなかった。
敗走する奴国兵を追い散らし、ワタシたちは歩いた。走ろうとする兵がいるとたしなめた。奴国王の居城にたどりつくまでには時間がかかる。走っていては息がきれて体力を失う。
しばらく歩くと南側の空がうっすらと赤く染まった。
・・・・・・クコチどんが攻めている!
と思うと勇気が倍増した。
走り出す者が続出した。
ワタシにはもうそれを止められなかった。
イナヤ王は笑いだした。
やがて、奴国王の城郭が闇の中に浮かびあがった。
高く組まれた木柵と、幾重にも張られた土塁。松明の赤い灯が雨煙の中で揺れていた。
クノ国軍はまだ到着していなかった。が、もうすでに我が軍の兵は突入を開始していた。クノ国軍との連携が難しくなっていた。
「まて!」
と、言ったがどうにもならなかった。
ところが、このとき、奴国兵がどっと押し寄せてきて先走った我が軍の兵たちを押し返した。
クノ国軍を待つのには好都合だった。
伝令たちが泥をはねながら集まってきては散っていった。
そのとき、
「クノ国軍到着までにはあとふたとき!」
という者があった。
顔を見たが泥だらけでだれだかわからなかった。
「整列!」
というイナヤ王の声が遠くに聞こえた。
自分がどこにいるのかわからなくなった。
すると、奴国軍の第2波が来た。
「押し切れ!」
イナヤ王の檄が飛び、ワタシたちの足はもう止まらなかった。
城郭を取り囲む木柵をくぐり、土塁を登ると城が見えたが、そのまま空堀に落ちた。
そのとき、南の方角から鬨の声が轟いた。
「クコチどんが来た!」
ワタシは胸を高鳴らせて叫び、空堀を登り返して土塁の上に立った。
クノ国軍の軍勢は千と2百。だが、城郭にたどり着いたのはほんの少しであった。
我々は城郭の正面でクノ軍の先着部隊と合流した。
しばらくすると遅れて到着したクノ軍の一団が加わった。それでもクノ軍の数は7百ほどだった。
互いの兵が顔を見合わせ、ひときわざわめきが広がった。
「先に攻めるのは我らと聞いている!」
「ウソばひっ!」
そんな声が飛び交い、クノ国の武士たちは槍で地面を打った。
ワタシは焦った。敵はまだ城内で粘っているというのに、わが陣は足並みを乱していた。
「クコチどんはいるか!」
とクノ軍に向かって叫ぶと、
「け死んごわした!」
という返答があった。
胆をつぶした。
が、即座に、
「ならば指揮官はだれだ!」
と、ワタシは叫んだ。
これには返答がなかった。
「いいからかかれ!」
とイナヤ王の声が聞こえると皆が走りだした。
奴国軍は木柵のすき間から槍で突いてくることが多かった。この場合はひとりがその槍をつかみ、もうひとりが槍を突き返した。うまくいくときもあったが、うまくいかぬときもあった。
土塁のうえにあがると弓矢が飛んできた。
土塁の下に落ちると這い上がるのがひと苦労だった。
空堀の底に油が流し込まれ、火が放たれると大騒ぎになった。
我々は押しに押した。
3人ひと組となって城郭を登るクノの武士が多数あった。
ひとりが腰から縄を下げて登り、足場のある場所で下の2人にその縄をつかませていた。上のひとりは手ぶらであるが、縄をつかんで登る2人は武器を背負っていた。
奴国の兵は上から石を投げていたが、簡単には当たらなかった。
やがて、奴国の城郭は破られた。
正面の大扉がゆっくりとひらいた。
柵を倒し、クノ軍とともに我が軍も城内へ雪崩れ込んだ。
ワタシも手勢とともに土塁を駆け上がり、城内の扉を蹴破った。
「奴国王はいるか!」
と叫びながら走った。
だが、奥の広間にも奴国王の姿はなかった。
床には散乱する器、倒れた几帳、慌ただしく去った跡だけが残っていた。
「逃げたか!」
誰かが呻くように言った。
攻め手は標的を見失った。
クノの武士たちは酒倉から酒を持ち出したり、逃げ惑う女たちをおいかけまわしたりしはじめた。
「やめんか!」
と叫んだが聴く者は少なかった。
振り返ると、夏軍とクノ軍の将たちはすでに言い争いを始めていた。
「城を押さえたのは我らの軍だ!」
「いやいや、南からん突撃がなっけや、おいどんたちゃ、全滅しちょっど!」
勝利の叫びの裏で、夏国とクノ国の間に決定的なすれちがいが起きていた。
六
奴国王はこの後、西北へ拠点を移し、再起をはかろうとしたようだが多くの村が離反し、王の下へ集まる将兵も少なく、その領地は一気に四半分となった。
そして、離反した奴国軍の将官たちが次々と独立を宣言した。クノ国が突き破った南の国境周辺で王号を称した者はオオタといった。オオタの国はヤマダ国と呼ばれた。最初は3つの村を合併した程度であったが、翌年にはかなりの強国となった。
これに前後して北の沿岸部の港を囲む地域でイトガンという名の将が王を名乗った。その国はイト国と呼ばれた。
この他に、フミ国、トマ国、ハカタ国なども出現した。
・・・・・・なぜ奴国は、これほどあっけなく崩れたのか。
と、ワタシは不思議に思い、いろいろと考えてみた。
奴国ももとは夏国と同じく、大人が統治する国であった。黒き肌をもつ大人こそが神に近いとされ、その血統を守ることが王権の根幹であった。が、漢王朝から金印を授かり、それを王権の基礎としたころからおかしくなった。
王は漢王朝の庇護を強化するために漢人の女を妻に迎えるようになり、その子を後継とするようにした。そうして生まれた王たちは、もはや真っ黒な大人ではなく、黄色い肌を持つ者となった。これでは下戸と見分けがつかない。
それでも漢王朝が健在であるうちはその号令に反発する者はなかった。しかし、漢王朝が滅亡し、魏王朝から金印を授からなかったことで奴国の王権の基礎が揺るぎはじめたようだ。
将たちは王に仕えながらも自分たちは大人の血統を守りつづけており、黄色くなった王への忠誠心を持てなくなったのだろう。
・・・・・・と、ワタシは思った。
奴国はまだ消え去ったわけではないが、時間の問題であろうと皆が言っていた。
ちなみに、我らはイト国の独立を認めなかった。
イト国の港はピエンハンの鉄を持ち込むための出入り口であり、これを独立させてしまっては奴国を攻めたことが無意味になる。
イナヤ王は3千の兵を集めてイト国を囲み、イトガンの首を要求した。イトガンの首が届くまでにはかなりの日数を要したが、やがて届いた。 その後、イナヤ王は自分の息子をイト国の王とした。
奴国南部のヤマダ国についてはクノ国にまかせた。
クノ国王ヒミヤンコはヤマダ国を攻めさせるためにクコチどんの息子を新たにクコチに任命し、これに兵2千を与えて派遣した。が、2回の戦闘でもヤマダ国は滅びず、オオタの首をとることができなかった。
ヤマダ国は奴国の武具と米の集積地だったところであり、兵を集めるのに苦労がなかった。
対するクノ国の本拠地はアタと呼ばれるツクシの島(九州)の最南端の地であり、ヤマダ国までの距離が長い。山をいくつも越えねばならない。武具や食糧の供給がなかなか追いつかなかったらしい。
そして、ここに問題が生じた。
ヤマダ国を攻めあぐねたクコチはヤマダ国の南西側に陣を構え、そのまま動かなくなり、強固な防御柵をつくって長期戦の構えをとったのだ。そして、その場に百姓を集めて田を開墾しはじめた。これは、
クコチ領、
と呼ばれるようになった。
だが、そのクコチ領は夏国の南側の平野部であり、イナヤ王はそこに大規模な田を新たにつくろうと計画していた。
クノ国とのあいだに衝突が起きたのはイナヤ12年の夏であった。
夏国とクノ国は、両国の境の広野において矛を合わせた。
我が軍は鉄器をもって戦ったが、クノ国の黒曜石の矢は鋭かった。
一進一退がつづいていたとき、ここにヤマダ国の軍勢が押し寄せた。広野は3つの軍勢が入り乱れて秩序を失い、イナヤ王は退却命令を出した。
クコチ領はそのままとなり、その田は毎年大きくなっている。
ワタシはクノ国の人質となっていたタギリのことが心配だった。だが、あとで聞いた話によれば、クノ王の兄の娘を妻にしていたことでタギリは命を奪われることはなかったらしい。ただし、アタの東側に土地を与えられ、そこで田を開墾するよう命じられたらしい。
クノ国は砂から鉄を抜けるようになっていたが、鉄は依然として貴重品であった。そのためタギリは石器をつかうしかなかったようだ。石器による開墾作業は地獄であろう。
若き日のタギリの姿を思うとき、ワタシの胸は複雑な思いに揺れる。クノ国との協働作戦を老臣たちに決断させるため、ワタシは鍋の石を拾った。だが、そのことがタギリの人生を大きく狂わせたのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます