「『一撃源 夢必殺拳(いちげきのみなもと ゆめひっさつけん)』 後ろから狙え!! という話」

穂上龍(ほがみ りゅう)

堀辺正史師範没後10執念(←字は意図的)企画

 喧嘩芸骨法・・・今思えばよくあんな設定を押し通したなぁという感想しかないが、結構な人が夢中になった部分を鑑みれば基本的に人は見たい夢を見ようとする生き物なんだろうなぁという感想しかない。


 この胡散臭い?自称「純粋な日本傅の古い格闘技」が本当に実戦で強かったのか?はまったく解らないが、打倒グレーシー柔術を標榜して路上格闘技の路線を捨ててしまったのは残念だった。


 この不思議な格闘技が漫画やゲームと云ったフィクション界隈に与えた影響力はかなり大きい(苦笑)


 ↓:数年前に書いたエッセー


 エッセー:「『一撃源 夢必殺拳(いちげきのみなもと ゆめひっさつけん)』 後ろから狙え!! という話」


 オネエ。という人生を送るような人でないなら「男」として生まれたら(生まれてしまったら)大抵の場合は「強くあれ」「強くなれ」と周囲からある程度は強要される。いやオネエという人生を送る人だって云われただろう。


 外国は知らないが日本・・・少なくとも昭和までの日本はそういう風潮があった。


 私もご多分に漏れず親や周りからそーいう期待を受けたし、また自分も「俺は強いだろう」と思い込みたかったが、残念ながら7歳になる頃には父遺伝の運動音痴も手伝って「俺は弱い」というコンプレックスにさいなやまされるようになった。


 普通の人ならば「弱者として相応の人生」を送る工夫をするものだが、自分という人間は親が一応金持っているような✘✘✘である”人生イージーモード”であったにも関わらずに、空手黒帯は勿論のこと「どいつもこいつもぶん殴るし、俺が俺の城を建てる!!」という”ルナティックモード”にいってしまったので、コンプレックスというものの扱いを間違えると人生が大変なことになるという逆説的な証明である。


 もしこれを読んでいる人が「子育て中」だったり、20歳くらいの”青春の真っ只中”だったりしたら、穂上龍という狂気を思い出して多少のため息を付いて自戒して欲しい。


 人は自分の中の狂気という炎をどう扱うかで自分と他者の人生が大きく変わるのである。


 私は結局、精神流(仮名)という奇怪な空手流派に居合の修行で関わってしまったが為に二十代の初めに大損をこいてしまった。


 さて、トンチキインチキ居合空手道場で酷い目にあった私であるが、その下地…芽胞は割合早い時期にあったと思う。それが「喧嘩芸骨法」への傾倒である。


 喧嘩芸骨法というのは80年代後半くらいにメジャーになった武術流派で、現在もカルトな形で息はしている武術流派である。


 当時インターネットなどは世間にはなく、それこそ宮本武蔵の頃のように「俺は強い」と工夫して宣伝して雑誌やテレビ番組に出演したりして自流派を広めるのである。


 勿論、他流試合もやって勝利する必要がある。


 創始者は堀辺正史(ほりべせいし)というオジサンで、一見すると「修行するぞ!修行するぞ!」「ポア!」の、奇怪な言動で知られたオウム真理教の麻原彰晃教祖を思い出すロン毛でヒゲという風貌であった。


 まあやっていることも今思えば大差はないかもしれないが、彼は「喧嘩の達人」としてマスコミに登場したのである。


 彼が云うには堀辺家は茨城県にあって、新羅三郎義光から戦国大名の佐竹家を経て脈々と「骨法」という日本独自の伝統武芸を継承しているのだという。


 その骨法であるが、残念なことに現在では中国伝来の武術として他流では教えられているというが、本来は奈良時代の大伴古麻呂が完成させた古代日本武道であり、相撲や合気道と流れが同じものであるという。


 ・・・。


 はい、そこのアナタ、胡散臭いと思いましたね?


 正しい!その感性を大事にして下さい。


 こんな感じの与太話が「本当」として取り上げられるのであるから”昭和の終わり頃”というのは、伊達に”大東亜戦争をやった時代”と同時代ではなかったのだろう。


 80年代の初めはテレビで『川口浩の探検隊』が未開の奥地で首刈り族を探したりして視聴率を稼いでいた。


 まあそういう流れの末に「骨法」は堂々登場したのである。


 堀辺正史氏は幼少期から戦時中に東條英機のボディガードをしていた元特別高等警察官の実父から、家伝の骨法という武術を学んだ後に、青年期は時代に翻弄され左翼から右翼になり、ついにはヤクザの用心棒として喧嘩の日々を送るようになったという。


 ここで堀辺師範は培った喧嘩のノウハウを家伝の骨法に加え、現代的な路上の闘いにも順応させて此れを古伝骨法から現代の骨法こと「喧嘩芸骨法」に完成させたというのだ。


 堀辺正史氏の骨法の特徴としては掌打(しょうだ)がある。


 掌の底で相手を殴るのである。これを行うことで自分の指や拳が相手を殴ることで怪我をすることを予防するのだ。


 実際に喧嘩なり空手なりをすると判るのであるが、これは本当で相手を殴ると余程鍛え込んでいないと拳を痛めるのである。自分で自分の拳を痛めて廃業したボクサーもいるという。


 骨法の必殺スタイルは掌打で殴るだけではない。胴体を縦に回転させて「浴びせ蹴り」を出したり、相手の腕を掴んで関節を極めたり、股間を蹴り上げたりする。


 この骨法というニューウェーブにいち早くプロレスラーや格闘家以外で飛びついたのが漫画家の永井豪である。


 漫画家の永井豪先生は古代日本(邪馬台国)を舞台にした『骨法伝説夢必殺拳』という漫画を執筆し、後に自身の漫画の集大成である『バイオレンスジャック』という作品にも夢彦という骨法を遣う格闘家キャラを出演させている。


 夢彦の名前の由来が堀辺氏なのは明白であり、彼は自伝に自分の系譜的な諱が”源一夢”という名であると名乗っており、「夢」の字は様々な意味で骨法を体現している字であった。


 千数百年の伝来であり日本のオリジナル武術。


 川原正敏の格闘漫画作品の『修羅の門』の主人公とその流派、陸奥圓明流もそういう設定であり、もしかしたら骨法から影響を受けたのかもしれない。


 90年代初頭当時、「中二病」を患っていた十代の私は、習うなら骨法かマーシャルアーツかムエタイかと思っていた。


 世の中は格闘技と格闘ゲームの大ブームであり火付け役の『ストⅡ』こと『ストリートファイターⅡ』は勿論、ライバル会社SNKがリリースしている『餓狼伝説』や『キング・オブ・ファイターズ』の主人公たちはそういうちょっと田舎の少年には変わった流派を格闘のスタイルとして遣っている印象の設定であった。


 が、堀辺正史氏の喧嘩芸骨法の夢は唐突に終わりを告げた。といっていい。


 1994年に「バーリトゥード」という”なんでもありの素手の格闘大会”(※)がアメリカで開かれたのである。


 ※…流石に「目潰し」と「噛み付き」は禁止されたが。


 これに圧倒的な強さで優勝したのがホイス・グレイシーが遣うブラジルの「グレイシー柔術」であった。


 優勝者のホイスは「兄のヒクソンは私の10倍は強い」と述べて格闘技界は大騒ぎになった。


 そしてホイスの云う通りヒクソンはプロレスラーなど相手に無敗のまま90年代から00年代を戦って引退した。


 グレイシー柔術のファイトスタイルは至ってシンプルで、ボクサーや空手家の打撃には付き合わずにタックルして押し倒し引き倒し、馬乗りになってボコボコに殴る、もしくはスキを見つけたら相手の腕や首を関節技や締め技で極めてしまう、という日本古来の武士が戦場で行ったであろう闘い方であった。


 なにを隠そうその”グレイシー柔術のルーツ”は明治時代に日本で盛んに行われた柔道、柔術の闘い方を、日系ブラジル移民が伝えたものであったのである。


 皮肉にも「日本古来の闘い方が一番強い」というのが外国人の手で証明されたのである。


 さて喧嘩芸骨法である。


 このグレイシー柔術の衝撃を受けた堀辺氏はそれまでの完成されていた筈の「喧嘩芸骨法」を寝技中心の格闘体系に変化させてしまったのである。


 ???


 ええ?骨法は完成されていたのではなかったのではないのか?


 結論から言うと、一対一で選手同士がリングで戦うということと、多数入り乱れて喧嘩のように突発的に路上で戦うというのは全くと云って勝手が違うのである。


 アスファルトの地面の上ではグレイシー柔術お得意の寝技の威力は半減してしまう。(固い地面で寝るのはそれだけハイリスク)


 堀辺氏が提唱した喧嘩芸骨法はロジックに癖はあったがそこまで的外れではなかった。


 しかし売り文句が、新羅三郎義光以来の武士の・・・いや日本古来の武術である。


 堀辺正史とその門弟たちは外国人のグレイシー柔術に負ける訳にはいかなかったのである。


 1996年、こうして総合格闘技用に改変された”元”喧嘩芸骨法の「骨法」は2枚看板の選手を大会に出した。


 結果は惨敗。


 一人は喧嘩芸骨法にもあったはずの立った状態の絞め技に敗れ、もう一人はボコボコに120発以上殴られて敗北した。


 セコンドの堀辺氏はそんな状態でもタオルを投げなかったのであるから・・・立派というよりも選手が死んだらどう責任を取るつもりだったのだろうか??これがカルト団体の怖さである。


 1998年、自分は東中野で浪人生をやっていた。1995年から浪人をやっており4浪目である。


 96年から東京圏に出てきておりマスコミは基本遮断していたので「骨法」の惨憺たる事実を知らなかった。


 その骨法の道場があるのがなんと東中野である。


 東中野の駅には漫画家の永井豪が許可を出したのか?彼の漫画キャラクターのスラムキングにそっくりな甲冑武者のイラストがあり、「骨法」とある。


 20歳も過ぎた自分は流石に浪人生の身分で格闘技の道場へ通うおうとは思わなかったが、骨法の看板が気になった。


 そんなある日である。


 街の通りにどこかで見た印象的な姿がある。


 ヒゲに長髪・・・堀辺正史氏ではないか!


 私は興奮して、その興奮を隠しつつも、ストーキングを開始した。


 堀辺氏はそんな男が後ろにいるとは知らずに街を歩いている。


 今ここで私が殴りかかったら、「トアー!!」とか云いながらこの達人は私の素人攻撃を見事に捌くのであろうか??


 堀辺「ん?君、私になにか用かね?」


 穂上「あー気が付きましたかぁ、流石骨法の堀辺先生だ」


 堀辺「まぁね、殺気がね・・・こうビンビン来るんだよ」


 穂上「じゃあ、理解っていますよね?」


 堀辺「やりたいってことか。いいだろう」


 ぐにゃぁ~~~~~ん


 とお互いの空気とその空間が歪み

 2m程の距離が明らかにおかしくなった。


 ・・・なんて事はなく


 そういう妄想もして


 期待に胸が膨らんだ。


 しかし流石に知らない人を後ろから殴るのは卑怯にして非常識であろう。


 ・・・。


 時間が流れた。


 結局、私は堀辺氏をつつくこともしなければ、声を掛けることも出来ずに見送ってしまった。


 一度だけ堀辺正史氏は後ろを振り返ったがそのまま戦闘ではなく東中野の”銭湯”へ入っていってしまった。


 堀辺師範は「戦闘」ではなく「銭湯モード」で東中野の銭湯へ入っていってしまった。。。


 近くにまだまだ無名の林家たい平が下宿している屋敷があった。


 90年代に大風呂敷を広げた大武道家との遭遇はその後、数度あったがやっぱり見送るだけだった。


 それから20年くらいした2015年、インターネットで堀辺正史氏の訃報を聞いた。


 声を掛けなかったのが正解だったのかはわからない。


 まあ正解だったんだろうな。


 私の田舎にも今ではムエタイや総合格闘技のジムが結構ある。


 多分、私と同世代のつける薬もないようなバカが黒帯やインストラクターをやっているのだろう。


 おちまい。  


(2020年12月09日・筆 を 一部改稿した)



 追記:結局、私が上手くなったのは『餓狼伝説SPECIAL』のギース・ハワードのモノマネくらいであった(笑)

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