第5話 思いもよらぬ再会

黒い煙が、床の板の隙間からじわりと滲み出してくる。

昼間だと言うのに、室内が不自然に暗くなっていく。


黒煙の奥で、天井を圧迫するほど巨大な翼が、ゆっくりと開かれた。


その翼は、悪魔の皮膜を思わせた。

節だらけの骨が黒い皮を押し上げ、内側には薄紫の血管が脈打っている。


続いて煙の中から現れたのは、二本の角を宿した凶悪な顔だ。


全身は、長く太い尻尾まで青黒い鱗で覆われている。

濡れた石を思わせる光沢が、灯りを飲み込みながら鈍く反射していた。


煙が完全に晴れた瞬間、そいつは姿を現した。


《水竜ガルグイユ》。


奴の姿を目にした途端、さすがの俺も驚いた。


……魔族界の魔物が現れた、だと……?


水竜ガルグイユは魔物の中でも、高位の存在だ。

人間界に意味もなく現れるなどありえない。


魔族の誰かが暗殺目的で送りつけたということか。


……おいおい、この王家、魔族にまで命を狙われているのか?


俺が死んだあと、魔界がどうなったかはわからない。

新たな魔王が誕生し、そいつがこの国に対して好戦的なのか。


まあ、どんな理由であれ、楽しめそうな相手ではある。


水竜ガルグイユは俺のいるベビーベッドを覗き込むと、低い声で笑った。


『……この城に侵入するまで、かなり手こずったが、ついに辿り着けた。この執念が無駄にならぬこと、祈っているぞ……!』


そう言うと、ブワッと舞い上がった。

空気が歪み、猛烈な魔力の圧を感じる。


ガルグイユが翼を広げた瞬間、胸腔がバキバキと割れ、巨大な裂け目が開いた。

そこから強烈な水流ブレスが解き放たれる。


『ギャオオォォォッ!!』


勢いよく吹き出した水が、猛烈な勢いで俺目掛けて押し寄せてくる。


あんなものを食らったら、赤子の骨など粉砕してしまう。


「おぎゃあ!」


俺は、ひと泣きして地面を縦に揺らした。

その反動で、ベビーベッドそのものが跳ね上がる。

水竜ガルグイユの放った濁流ブレスは、ベッドの下をすり抜けていった。


『なっ!? 泣き声だけで、大地を揺さぶれるのか……!?』


水竜ガルグイユの目が驚愕のあまり見開かれる。


『とんでもない技の使い手ではないか……! ――しかし、これならどうだ!!』


水竜ガルグイユが背中の巨大な翼を一振りした。

風の衝撃波が床石を裂きながら俺へ迫ってくる。


水の次は風か。


ならば――。


「おぎゃー!」


俺は床に転がっていた兵士の盾に目をつけた。

地震の反動で射出された盾が、衝撃波の根元に突っ込んでいく。


バキィンッ!


水竜ガルグイユの放った風は、盾に弾かれて軌道を外れ、天井を突き破った。

室内に石片がぱらぱらと降り注ぐ。


水竜ガルグイユはポカンと口を開たまま、穴の空いた天井を見上げている。


「……し、信じられん……。やはり、とてつもない能力だ……! こんなことまでできるとは……!」


呆然としながら呟く。


その直後――。


急に巨体を揺らしながら、どすどすと飛び跳ねはじめた。


『うれしい! うれしいぞ!! もう間違いない! この気配……! この時を、我がどれほど待っていたか!!』


繰り返し『うれしい』と叫びながら、両手を振って踊っている。


……は?

なんなのだ、こいつは……。


急に態度を変えたガルグイユを見て、呆れ果てる。


まさか、こちらの不意をついて、攻撃をしかけるつもりか?


……実にくだらん。


急にやる気が削がれた。


確かにこいつの魔力量は破格だ。

だが、退屈しのぎとは程遠い。


何よりも、妙に興奮している様子が鬱陶しくてかなわん。


やめだ、やめ。

これ以上遊ぶ気にはなれん。

興覚めだ。


「おぎゃあ!」


俺は再び強烈な横揺れを起こすと、室内にあった重そうな家具を高速で水竜ガルグイユにぶつけた。

轟音とともに、家具ごと水竜ガルグイユが壁へ叩きつけられる。


石壁が砕け、煙が上がる。

水竜ガルグイユの巨体はその中に崩れ落ちた。


『ううっ……ぐうう……な、なんたる威力……っ』


水竜ガルグイユは瀕死だ。

それでもまだ生きてはいる。


「ほう。今ので死ぬと思ったのに意外だ。よく持ちこたえたな」


でも、だからどうということもない。

慈悲をかけるつもりなど毛頭なかった。


俺はベビーベッドごと水竜ガルグイユの頭上に落下し、とどめを刺そうとした。


そのとき――。


水竜ガルグイユが涙を流しながら微笑んだ。


『……魔王様。二百年ぶりにお会いできて……我は幸せです……』


……魔王様?

こいつ、俺の正体を理解しているのか……?


まじまじと、水竜ガルグイユの顔を見る。


おぼろげな記憶が徐々に蘇っていく。


……待て。

……この顔、この気配。


……まさか、こいつは……。

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