ダンジョンに取り込まれた俺は、今日も冒険者を罠に掛ける
アスパラガッソ
第一話
土埃と熱気、人の苦痛からなる喘ぎ声が満ちた前後の分からない通路で、俺はひたすら目の前の土壁を鋼鉄の板で補強する。
身体から染み出る汗はすぐに濁り、既に足の痛みは感じなくなっていた。
「第一通路の奴らは休憩所で休んでよし!」
そんな声が通路に響くと、金属が落ちる音や土が擦れる音、息を大きく吐く音が左右から聞こえて来る。
休憩所――聞こえは良いが直立すると天井が擦れる程の高さ、更に整備されていない石が突き出た土の床が広がる空間であり、休憩時間もそれほど与えられない。
休憩所で座り込むと、目の前を数人の集団が横切って行った。
彼らはこの地下で幅を利かせている奴らで、俺はまだ関わったことが無い(というか関わりたくない)が、標的を見つけるとソイツを
「よぉダーサル」
アイツの声質も関係しているのだろうか、そもそもここではみんな身体を癒すために余計な会話はしないので、嫌でも会話は聞こえて来る。
「な、なんだい?」
奴らの標的となったかわいそうな大男が、その体格からは似つかない弱弱しい声を出して返事をした。
アイツも逆らえば余裕で勝てそうなのだが、心根が弱いのかそうはしない。
「今日も頼むよ、俺ぁ肩が痛くてよぉ…これ以上酷使すると動かなくなっちまう。リーダーがそうなったらお前も困るだろ?ダーサルよぉ」
この地下に明確なリーダーは居ない、休憩の合図をしているのも俺らと同じような身分の奴だしな。
だが、アイツは自らをリーダーと呼び、更に詰め寄りダーサルを威圧する。
「わ、分かったよ…壁の補強だろう?やっておくから…」
「ありがとよぉ!おいみんな、コイツがあとは全部やってくれるらしいぞ!」
リーダーはダーサルの肩を組み、大きな声で部屋に居る俺らに向かってそう言い放つと、歓声が沸き起こった。
ダーサルはやはり『そこまでは言ってない!』的なことを叫んでいたが、リーダーに睨まれて委縮していたのが見えた。
俺としても多少心が痛むが、アイツの自己責任だと割り切ってここは喜んでおく、喜ばないと変に目立って次の標的にされかねない。
そして事実上今日のノルマは達成ということとなり、家へ帰ることとなった。
帰り際に通路を覗くと、土煙の奥で動く影が見えた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
地下から出ると目の前は虫の音が溢れる暗闇の森、背後には見上げるのも首が痛い城壁が迎えてくれる。
門番から今日の給料を受け取り街へ入ると、静まり返った路地裏に出る。
ここから俺の家は数分程度で、物心着いた時にはそこで暮らしていた。
頭が出る程度の高さが設けられた外壁の内側、見慣れた庭で服を脱ぎ、井戸からくみ上げた水を被り汚れを落とす。
濡れた衣服を庭の物干し竿に掛け、代わりにそこに元々掛けてあった衣服を着る。
玄関に行くと、奴らが貼ったであろう張り紙があったので力任せに剥がす。
扉に残った張り紙の茶色い切れ端、今日だけの物じゃない…いつからだろうか、それすら剥がすことを辞めたのは。
「コイツも、物心着いた時からあったな…」
月明りに照らされたクシャクシャの紙には『借金催促』の文字。
親が作った
玄関を開ける音があの夜、両親が俺を置いて出て行った夜に重なった。
いつの間にか玄関で寝てしまっていたようだ。
扉が強く叩かれる音で目が覚める。
奴だ――。
「おぉぉい、ローレンスさん帰ってるのは外の衣服で分かってるんですよぉっと」
コイツ、飽きもせず毎日押し掛けてずいぶん暇を持て余しているらしい。
脳裏に浮かぶのは整った緑が基調の制服に左腕のカラフルな腕章、そして顔に張り付いたような笑顔。
「おはようございます」
俺が少し扉を開けると、その隙間に足を差し込まれて次にあの顔が覗き込んできた。
そして玄関の侵入を許すと彼の定型文が始まった。
「えぇおはようございます。それで、今日の利息の準備は?私が紹介した仕事、日払いですのでしっかりとあるはずですが。昨日豪遊したなんてことはないですよね?」
「まさか、さっきまでここで寝てましたよ」
そう言いながら後ろのポケットに入れた袋から利息分を差し出す。
手元に残るのは朝食も満足に食べられない程度だ。
「お疲れですねぇ。今日の昼からまたお願いしますよ!」
彼はそれを素早く受け取ると、思っても無いような文言を残し去っていった。
静かになった玄関で立ち尽くす。
「このままじゃダメだ…。地下で働き地上では寝るだけ、実質的に休みなんてありゃしない」
この生活から出て行った奴は多く知っている。
だが、それらは大抵精神が壊れたか自殺…本質的な終わりは無いに等しい。
「逃げないと、死ぬ…」
この生活が始まってからずっと考えていた。
起きてから昼まで、そこから仕事場へ行く道中、働いている間、眠りに落ちる寸前もずっと考えていたこと――。
「ここ、は?」
ここがどこだか分からない。
「――っ!?」
足の痛みに下を見る。
裸足には無数の切り傷が走っていたが、これらの記憶も無い。
俺はまるで小説の場面転換の様に、次の瞬間森に立っていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
際限無く乾く喉、痛む足を他所に俺はひたすら前へ進む。
ここはどこで・いつで・どうやって来たかは不明だが、俺はあの最悪な地下から、街から逃げると決めた。
俺自身が背中を押した結果だと勝手に解釈し、とにかく前へ進む。
どっちに街があるか分からない、例えるなら前も見えない暗闇の中だとしても、俺の心は解放感に満ちている。
あの場所から逃げたという事実が、目の前の苦悩を打ち消してくれた。
「はぁ…はぁ」
だが、肉体には限りがある。
心は動けど足は動かず、俺はとうとうその場で倒れてしまった。
足が動かないのなら手だ。
そう考えた俺は手を動かす。
足は擦れ、腹這いになりながら必死に進む。
その時だった――。
「うぉッ!?」
盛り上がった柔らかい土に手を突いた瞬間、地面が破れた。
「ぐわぁー!」
俺の手はそのまま突き抜け転がる視点と増える痛み、だが即死は免れた様だ。
足がどこかに引っ掛かり動きが止まった。
「ぐっ…痛ぇ」
地下は根っこが張り巡らされ、その一部に俺の足が引っ掛かった。
宙釣りの視点の先には、俺がさっき開けた穴から差した光が照らす洞窟。
一連の考えがまとまる前に、俺の身体は再び浮遊感を得てそのまま意識を失った。
次に目が覚めると、落ちたハズの身体は宙に浮いていた。
これは比喩じゃない、身体の疲れや痛みは消え、文字通り身体は宙に浮いて岩で出来た地面を見下ろしていた。
声は出せず、身体も動かせないそんな状態が何日も続いたような気がする。
寒さも熱さも、空腹感も感じないこの状況に俺は察しが付く。
きっと俺は死んだんだ。
『いいえ、貴方はまだ死んでいません』
頭に誰かの声が響いた。
それは男か女か分からない抑揚のない声で俺に語り掛ける。
『私は”ダンジョン”です』
意味が分からない、俺の妄想も限界に達したようだ。
すると背中を掴まれて後ろに引っ張られる感覚があったと思えば、俺は地面に尻もちをついていた。
「いッッ――たァ!?」
「初めまして、先ほども言った通り私はダンジョンです」
声のした方を向くが、その先は暗闇…というか壁だった。
自分の身体が辛うじて見える程度の光の中、俺は疑問を宙に投げ掛ける。
「何から何まで意味が分からない、説明をしてくれないか?」
「貴方は私に取り込まれました」
「はぁ?取り込まれた?何に?まさかダンジョンにとは言わないだろうな」
疑問の答えは更に疑問を呼ぶだけだった。
「その通り、ダンジョンにです。端的に言えば私に取り込まれたということで、説明…ふむ、難しいですね」
喋りに抑揚が無い癖に内容は多少人間臭い。
とりあえず分かったことは訳が分からないということだけだった。
「…無駄話はこの辺にしましょう」
「無駄…って、説明ぐらいしてほしいものだ!」
虚空に叫ぶも反響すらしない。
歩いてみると確かに壁がある。
広さは大体俺が満足に立ち上がれて、両手両足を伸ばして寝転がれる程度の空間。
「こんな場所から逃げたと思ったら、またか」
「また、というのは?」
「疑問の素に疑問を投げ掛けられるのは不思議な感覚だな」
普通だったら閉塞感で息苦しそうな空間だが、妙な安心感がある。
そのため、ついつい俺は地面に胡座をかき、くつろいでしまう。
「ここに来る前、こんなような場所で生活していたってだけだ。というか、なんか頭の中読んでるような言い回しだったのに、俺の過去のことは読めないのか?」
「私が読めるのは、今考えていることだけです。しかし今、貴方が貴方の人生の振り返りをしたおかげで少しは分かってきました」
頭の中を読んでくれるのは便利だが、少々気味が悪いな。
それにそっち側が納得するだけ納得して終わりなのもズルい。
「とにかく本題です。貴方にはこのダンジョンの管理者をしてもらいます」
「管理者?」
ダンジョンってのはそんな人工物だった覚えは無いのだが…。
「分かりやすく言うのならば、貴方を生き返らせるため、この
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