形なき者たちの挽歌――絶望が怪物を生むこの島で、ぼくは他人の感情を武器にする――

プロローグ

 濃紺の夜空をこじ開けるように、東の水平線からやわらかい橙の光が広がってくる。

 夜明けを告げるその光が照らすのは、10年前からほとんど変わらない、倒壊した家屋がいくつも残る街並みだった。


「おう、イオ。よく眠れたかよ」


 いつもと同じ、ドゥルーじいさんの声。イオは寝ぼけ眼のまま、床の抜けたところを避けながら、「うん、ありがとう」とガタつく椅子に腰掛けた。


「明日はお前の誕生日だからな。……どうにか、今日も乗り切ってくれよ」


 ドゥルーさんは申し訳なさそうに、片腕でふかし芋と豆のスープをテーブルに並べた。

 ドゥルーさんの言葉と所作を受けて、イオの心の中にふわっとやさしい、しかし悔恨にも似た感情が喚起される。思いやりと、不甲斐なさ。目の前の人の心情に、イオはいつも引っ張られてしまう。


「ぼくは、大丈夫。まだ、若いから」


「はっはっは。言うじゃねぇか。若さは力だ。俺も、あと10年若ければ……いや、このセリフがもう年寄りなんだよなぁ」


 ふふっと笑いながら、イオの心はドゥルーさんのおどけた振る舞いの裏にある悲嘆に共鳴する。申し訳なさを抱えているのは、イオも同じだったから。

 3年前の事故が原因で、ドゥルーさんの利き腕は肘から先がなくなっている。それ以来、彼は政府から「無生産者」として扱われるようになった。


 10年前から続く、政府の隔離政策と、強制労働。イオたちトーウォン人は、日々工場での労働に駆り出され、一方ドゥルーさんのような無生産者は労働を免除されるかわりに、人としての尊厳を奪われる。どんな攻撃的な言葉も、無生産者に対するものであれば、一切咎められることがない。

 そもそも10年前、ドゥルーさんが自分を拾っていなければ。毎日の配給の大部分を与えられるたび、イオはそういう負い目に駆られるのだった。


「なぁ、お前なら、いつか……」


 ここから抜け出せる、と言おうとして、ドゥルーさんは口をつぐむ。それは簡単なことじゃない。


 悪夢のような災害で文明を失い、労働力の搾取によって再建の進まぬこのアムネス島に、トーウォン人は隔絶されている。それでも暴動が起きないのは、10年前の災害が、トーウォン人たちによって引き起こされたと信じられているからだ。

“フレームレス”と呼ばれる怪物――人の姿を失い、破壊衝動に取り憑かれたその化け物に姿を変えてしまう因子を、トーウォン人だけが保持している。政府による隔離政策は、そのような観点から正当化されていた。


「ぼくはいま幸せだよ。じゃあ、そろそろ行ってくるね。おばあちゃんにもよろしく」


「あ、あぁ。本当に、無理だけはするなよ……」


 乗り合い場に向かうイオを見送ったあと、ドゥルーさんはキッチン奥の食料庫の床を外し、地下室に入る。

 小さなベッドとテーブル1つの、こぢんまりとした空間。3年前から立ち上がることすらできなくなった伴侶のジッドを、ドゥルーさんはそこに隠していた。無生産者の存在は1世帯につき1名までしか認められていない。違反した場合、超過人数分の無生産者は否応なく強制収容の対象とされるのだった。

 穏やかな顔で眠る妻に向かって、ドゥルーさんは懺悔するようにうつむき、語りかける。


「せめてあの子だけは、真っ当に生きられたらなぁ……ただイオは、この世界に歯向かうには、あまりに優しすぎるんだ……」

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