当選率ほぼゼロの異世界任務に、俺だけ毎週行ける件――拾ったアイテムで最速レベルアップ

@seijin_777

第1話 土曜夜の天秤

土曜の夜は、街が一斉に息を止める。

ニュースもバラエティも、最後には同じ画面へ流れ込むからだ。


駅前の大型ビジョンには、いつもの待機画面――白い円環と、天秤の紋。


「本日の渡航、まもなく開始」


その下に小さく、注意書きが流れている。

賭けは計画的に。時眠中の事故にご注意ください。


ベッドが並ぶ「時眠カフェ」の窓越し、横たわる人々は死体のように静かだった。賭けた時間だけ、意識が落ちる。十分のコメントひとつで、世界から十分快眠する。たったそれだけのことが、三年でここまで当たり前になった。


城戸朔は、狭いワンルームの床に座り込み、スマホを立てかけた。画面の中では、先週の任務の切り抜きが流れている。火花、叫び、透明な字幕みたいに浮かぶコメント。

世界最高レベル三十三――そんな怪物たちの配信が“週末の娯楽”になったのは、いつからだろう。


「朔、賭ける?」


同じ大学の友人、森瀬が缶コーヒーを揺らした。


「今日は新人帯だろ。倍率うまいって」


「俺は……見るだけでいい」


朔は笑って、指を組んだ。

彼は今夜、視聴者じゃない。


机の上には、応募完了のメール画面。異界任務への希望登録は、たった一つの操作で済む。あとは土曜夜、声が来たときに「はい」と答えるだけ。

答えた人間の中から、ランダムでどこかへ送られる。


当選するのは難しい。三年目の今、それが冗談みたいな現実だった。希望者は増え、抽選は渋り、結局、朔は“当たらない側”で大学生活を消費するのだと、どこかで思っていた。


九時五十九分。

時計の秒針が、妙にうるさく聞こえる。


――そのとき。


脳の奥、鼓膜より内側に、声が響いた。

冷たくも温かくもない、ただ“確か”な音。


『境界連結。渡航希望を確認します。

 ――異界へ渡航しますか』


朔は息を呑んだ。

来た。来てしまった。

怖さより先に、胸の奥が、子どものみたいに跳ねる。


「……はい」


唇が勝手に動いた。

言った瞬間、世界がほんのわずか傾く。床が、水平を失う感覚。


『希望、受理。選定を開始します』


短い沈黙。

秒針が、ひとつ進む音がした――ような気がする。


『選定:当選』


喉の奥が乾く。

朔が立ち上がろうとした、その瞬間。


光も音も、いっぺんに裏返った。

目の前が白くなり、次に暗くなり、足元から冷たい石の硬さが伝わってくる。鼻をつくのは湿った土と、木の匂い。


朔は円形の石床の上に立っていた。

周囲には同じように現れた男女が散らばり、誰かが「うそだろ」と声を漏らす。ざっと数えて二十……いや、もっといる。三十はいる。新人帯にしては多い。


頭上には、夜空。だが星は薄く、月もぼやけている。街灯はないのに、円陣の周囲だけが淡く明るい。光源がわからない明るさだった。


『試練領域:灰樹の森。

 任務:魔物牙狼の群れを討伐し、巣核を回収せよ。

 トップ達成者:レベルが一つ上昇します』


声が告げるたび、胸の奥に言葉が刻まれる感じがした。

トップだけがレベルアップ。

それ以外は、帰れるだけ。生き残るだけ。


誰かが笑った。震える笑いだ。


「や、やればいいんだろ。倒して核、持って帰れば――」

「待て、核って何だよ」

「え、動画で見たことないのか」

「見たことあるけど、実物は――」


朔は円陣の端に置かれた木箱に気づいた。蓋が開いていて、中に簡易装備が詰められている。短剣、手斧、ロープ、布包帯、火打ち石。現代の道具は、持ち込み自由だが、丸腰で来る人間が多い。それを見越した最低限の支給。


朔は短剣と、布を数枚取った。自分の手が汗ばんでいるのがわかる。

そして、森の方角から――低い唸り声。


灰色の樹皮をした木々が、無数の槍みたいに立っている。風が通るたび、枝が擦れて、骨を鳴らすような音がした。


「固まるな! 数人で行動しろ!」


いかにも経験者めいた男が叫ぶ。首から下げたスマホが、ここでは無意味なのに、癖のように揺れていた。


朔は迷って、近くにいた二人組に声をかけた。


「一緒に……行きませんか」

相手は女の子で、同い年くらい。もう一人はガタイのいい青年。二人とも頷いた。


「私は加賀。そっちは、原田。あなたは?」


「城戸朔」


三人で森へ踏み出す。

足元の落ち葉が、湿って柔らかい。転べば即死――そう思うだけで、視界が鮮明になった。


透明な文字列が、ふっと視界の端に浮いた。


「新人きたー」

「赤パーカー映ってる?」

「賭けた人、起きてる?」


コメントだ。配信。見られている。

けれど文字はすぐに薄れ、全部は読めない。脳に流し込まれすぎないよう、勝手に間引かれている――そんな感じがした。


「……見えてる?」


加賀が小声で言う。


「うっすら。やっぱり、見られてるんだな」


原田が唾を飲み込む。


「俺、炎上したくねえ……」


唸り声が近い。

草むらが揺れ、灰色の毛皮の影が飛び出した。狼に似ているが、目が妙に白い。牙が長く、口から湯気のようなものを吐いている。


「来る!」


原田が前に出た。短剣ではなく、支給の手斧を構えている。

狼が跳ぶ。原田の斧が横に走り、毛皮を裂いた。血が黒い。


朔の身体が勝手に動いた。体育館のライン取りみたいに、足が横へ流れる。狼の視線が、いま原田に固定された隙。

朔は短剣を、喉元ではなく――前脚の付け根へ突き立てた。体重を乗せる。骨がきしむ感触。


狼が悲鳴を上げ、地面を蹴って暴れる。

加賀が後ろから石を投げ、目を狙った。石が当たり、白い目が潰れる。

原田の斧が、最後に首筋へ落ちた。


倒れた狼の胸の奥で、何かが淡く光った。

朔が息を呑む。魔核――ではない。まだ小さい、火種みたいな輝きが、すぐに消える。

“核”は、別にある。


「今の……」


加賀が震えた声で言う。


「倒しただけじゃ終わらない。巣へ行けってことだ」


朔は自分の声が、思ったより落ち着いているのに驚いた。


森の奥へ。

途中、木の根が不自然に絡み合う場所に、半ば埋もれた箱があった。古い木箱。錠は壊れている。


「罠じゃない?」


原田が言う。


加賀が首を振った。


「任務の……拾えるやつかも」


朔は手を伸ばし、箱の中の小さな包みを掴んだ。

布にくるまれた何か。重さは、薄い本一冊分。


その瞬間、掌が熱くなった。


『封印登録』


短い声。

包みが、煙のようにほどけて――朔の掌の中へ吸い込まれた。

消えた。何も残らない。代わりに、胸の奥に“ひとつ空き枠が埋まった”みたいな感覚が残る。


「うわ封印枠w」

「中身見えないやつだ」

「何引いた?!」


コメントが一気に増え、朔の視界がざわついた。

だが、肝心の中身は見えない。朔にも、まだわからない。


「……今、消えた?」


原田が青い顔で言う。


朔は頷いた。


「多分、持ち帰り……枠?」


そのとき、遠くで――鐘の音のような響き。

森全体が、ひとつの鼓動を打つ。


『目標達成』


声が宣告し、世界が引き剥がされる。

誰かが、巣核を回収した。トップが決まった。

朔は叫ぶ暇もなく、身体が白へ落ちた。


***


戻った瞬間、肺が現実の空気で満たされた。

朔は自室の床に膝をつき、思わず咳き込む。胃が揺れ、汗が背中を伝う。壁の時計は、さっきの九時五十九分から、たった数分しか進んでいない。


森瀬は椅子で眠っていた。いつものように三十分賭けたらしく、その時間は現実で正直に奪われる。

朔は震える手で自分の掌を見た。そこには、何もない。

けれど掌の中心が、微かに温かい。見えない“何か”が、そこにいる。


スマホが震えた。

「帰還しました」――応募者用アプリの通知。配信のアーカイブが自動で残る。

朔が開くと、すでに切り抜きが作られていた。


【新人帯:灰樹の森/トップ:佐倉千隼(Lv2へ)】

【城戸朔:封印枠にアイテム登録(中身不明)】


画面の下には、コメント欄のサマリー。


「影薄いのに急に刺すの草」

「原田くん盾役でえらい」

「封印枠ガチャ当たり説」


――“見られていた”事実が、現実へ追いかけてくる。


レベルアップはしていない。トップは別の誰かだ。

それでも胸は、不思議と冷えていなかった。

生きて帰ってきた。しかも――持ち帰った。


森瀬が、ぐらりと起き上がった。


「……は? え、今何時……」


次に朔を見て、目を見開く。


「当たったのかよ!?」


朔は笑おうとして、頬が引きつった。


「当たった。……死ぬかと思った」


森瀬が興奮で立ち上がり、すぐにスマホを弄る。


「ちょ、アーカイブ見る、見る……え、封印枠!? 中身なに!?」


「俺もわかんない」


朔は掌を握った。

意識を向けると、そこに“触れられる感覚”がある。内側に引っかかる、小さな札。


朔は指先で、見えない縁をなぞるようにして――引いた。


すとん、と。

掌に落ちたのは、白い紙片だった。和紙みたいに薄いのに、折れ目がまるでつかない。紙の表面に、黒い文字が浮いている。


優先渡航権(30回分)


朔は、呼吸を忘れた。


森瀬が横から覗き込み、声を裏返らせる。


「……は? 何それ。なにそれ!? え、優先って、“抽選すっ飛ばす”やつ?」


「そんなの、聞いたこと……」


「噂でしかないって! 都市伝説だって!」


朔は紙片を裏返す。裏には小さな注意書きがあった。

譲渡不可。週一回のみ消費可能。契約違反時、没収。


喉が鳴る。

三年目、抽選が当たりにくくなった今――“当たる権利”は、金では買えない。

ポイントでスキルを買うことも可能だが、必要なポイントは千、万、十万。

けれどそもそも任務へ行けなければ、何も始まらない。


朔はふと、配信で見た上位帯の人間たちを思い出した。

レベル十に届いて初めて、スキルが手に入る。

それまで勝った者だけが、ほんの少しずつ先へ進む。


――三十回。

三十回の確定枠。


「……レベル十」


朔の口から、言葉が漏れた。

森瀬が瞬きする。


「え?」


「三十回あれば、九回勝てれば、レベル十に行ける」


自分で言って、途端に胸が熱くなった。

簡単じゃない。トップを九回取るなんて、狂ってる。

でも、“抽選に当たらない”っていう最大の壁が――目の前で崩れた。


森瀬が、ゆっくり笑った。


「……お前、顔がやばい。目が、配信のやつらと同じ」


「……俺、運だけはいいみたいだ」


運。

ただの運。

けれど運は、逃げる。掴んだ瞬間に、別の誰かへ転がっていく。

なら、逃げないように――握り潰すしかない。


それからの一週間、朔は身体を動かした。授業の合間に階段を使い、夜は公園を走った。短剣の握りを忘れないように、ペットボトルで手首を鍛えた。


そして次の土曜。


九時五十九分。

部屋の灯りが少しだけ眩しい。

森瀬は今度は賭けないと言って、カウントダウンを見守っている。朔の掌には、あの白い札。消費すると決めた。


――声が来る。


『境界連結。渡航希望を確認します。

 ――異界へ渡航しますか』


朔は迷わず答えた。


「はい」


『希望、受理。追加選択を提示します。

 通常抽選に参加/優先渡航権を消費/辞退』


現実が、ひと呼吸ぶん静かになる。

朔は札を握り、心の中で選ぶ。


――優先渡航権を消費。


『消費、確認。選定:当選』


森瀬が息を呑む音がした。


「……マジで、確定なんだな」


朔は頷く。怖い。けれど、怖さの底に、火がある。


「三十回」


朔は小さく言った。


「この三十回で――レベル十まで行く。行かなきゃ、意味がない」


言い終える前に、世界が白く裏返った。


冷たい石。湿った木の匂い。

また円陣の上。今度は人数が少ない。十数人。

“当たりやすくなる”という話は嘘じゃない。だがそれは、ここへ来る者が減っているということでもある。


頭の奥の声が告げる。


『試練領域:――』


朔は、短剣の柄を握り直した。

月の輪郭が、薄い雲の向こうで滲んでいる。新月に近い夜だった。


運を、掴みにいく。

逃がさないために。

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2025年12月28日 12:00
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