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2025年12月27日 10:06 編集済
長文の質問で申し訳ありません。大枠と終着点だけは決めて、道中のイベント展開は即興で、基本的にキャラクターに任せて書いています。その結果として当初の想定から外れても、最終的に自分が納得できれば壊れても構わない、という考え方です。ただその一方で、出来上がった物語に対しては「自分が面白いと思えるかどうか」という基準で常に検閲がかかっており、物語の最終的な「手綱」まで完全に手放すことには、まだ強く抵抗があります。これは典型的な初心者パンツァーの書き方だと自覚していますが、慣れたパンツァーの方々は、・手綱を手放した後の整合性・ご自身が物語を面白いと思える説得力を、どのように整えておられるのか──という点を伺いたいです。「どの段階で」「どのくらい」作者として介入するのか、考え方や経験があれば教えていただけると嬉しいです。
作者からの返信
ここがあなたが苦しんでいる部分ですね。言語化するのも苦しかったと思います。まず、大前提として「私は最初から手綱を握ることを放棄している」ということ。これは単なる無責任ではなく、結果として私が介入しないほうがキャラクター達はそれぞれの思考で動いてくれるからです。また、私は常に自分の書いた物語が面白いと思っています。これは精神論に過ぎないかもしれませんが、私が書いたものを一番面白いと思って、一番愛してあげられるのは私だからです。次回の内容で触れますが、パンツァー型の物書きにとって「書いている時の熱量」を後から介入することで冷ましてしまうと、「自分の本当に書きたかったことはこれなのか?」という疑問が浮かび、「これは本当に面白いのか?」「脳内で見ていたものはもっと面白かったはずだ」という呪いになります。おそらく、書き上がったものに対して「自分が面白いと思えるか」という目で見ると、勢いで書いた部分=手綱を放した部分が粗として見えてしまい、そこを改稿することで熱が失われ、より「これは面白くないのではないか」という悪循環を起こしてしまうのではないかと思います。結果として最終的な手綱を放すことが出来なくなるのでしょう。それは物語が想定と変わってもいい、という思想と真逆の、心を守るセーフティーになっているのだと思います。「最低限の面白さだけでも担保したい」という欲求です。物書きとして、それを間違っているとは決して言えません。慣れたパンツァーは手綱は必要としない、それでも整合性を保ってくれるキャラクターがいる、だから、私が信じて任せた彼らの話は面白い。これが根本の思考です。作者として介入するのは「校正」の時だけです。「推敲・改稿」ではありません。「校正」です。パンツァーは、脳内の映像を見て書き留めています。「校正」はその時のレンズの曇りを取る作業。誤変換や、タイプミスなど、見たものがちゃんと伝わらない、という部分だけ修正することです。一方で「推敲・改稿」は、自分が見た光景を後から編集で作り変える行為です。浮きます、当然、後付けだから。だからパンツァー……私は書き上がったら校正以上の手を入れないんです。パンツァーというのは、自分の感性と直感だけで無意識のうちに物語の方向を決め、キャラクターを解き放ち、信じてついていく物書きです。なので「作者」ではなくて、パンツァーは「観察者」なんですよ。今は連載のことで頭がいっぱいだと思います。だからこそ、4000字程度の、連載と全く関係ない短編を、最初から手綱を放棄して書いてみてください。大枠も結末も決めない、全部フリーハンドで。もしそれで、とりあえずでも破綻せず、読んでてまあまあ面白いじゃん、というものが書けたら、貴方はパンツァー寄りでしょう。コツを掴めば手綱を放しても面白いものが書けるようになります。まったく言葉が出てこない、きちんと話を畳めない、キャラクターがどこへ行ったらいいかわからなくて止まってしまった、この症状が出た場合は、貴方はプロッターの方が向いています。作品をきちんと管理したい、という欲求を抱いたならば、プロットを立ててきちんと話を整えて書き始め、ここはちょっとキャラに任せようかな、という部分だけ手綱を緩める。そういう書き方が合っている可能性があります。長文の上、的外れな返答になっていたら申し訳ない。ただ、初心者の内は書き方で迷ってもいいんです。私は30年以上かけてこの状態に体や思考を調整しました。あなたはまだ、たった3ヶ月じゃないですか。大いに迷って、色んなやり方をしていいんですよ。貴方にとっての正解は、経験と時間が連れてきてくれます。
2025年12月27日 08:11
パンツの観さ……パンツァーの観察をさせていただいていますよ。キャラクターを信頼するのはとても重要ですよね。これはプロッターとて一緒です。物語を演じてもらうためには、キャラを信用していないと動かせませんからね。『キャラを信じて動いてもらう』この言葉は読むと一緒ですが、パンツァーとプロッターとでは受け止め方がまるっきり違うのが面白い。
そうですねぇ、プロッターは設計図を託してその通りに動いてもらう、パンツァーはゴールに連れて行ってもらう。この違いは大きくとも、共にキャラを信じて動いてもらうのは同じです。パンツは流石に見えないはず…長ズボン履いてるからね!
編集済
長文の質問で申し訳ありません。
大枠と終着点だけは決めて、道中のイベント展開は即興で、基本的にキャラクターに任せて書いています。
その結果として当初の想定から外れても、最終的に自分が納得できれば壊れても構わない、という考え方です。
ただその一方で、出来上がった物語に対しては「自分が面白いと思えるかどうか」という基準で常に検閲がかかっており、
物語の最終的な「手綱」まで完全に手放すことには、まだ強く抵抗があります。
これは典型的な初心者パンツァーの書き方だと自覚していますが、慣れたパンツァーの方々は、
・手綱を手放した後の整合性
・ご自身が物語を面白いと思える説得力
を、どのように整えておられるのか──という点を伺いたいです。
「どの段階で」「どのくらい」作者として介入するのか、考え方や経験があれば教えていただけると嬉しいです。
作者からの返信
ここがあなたが苦しんでいる部分ですね。
言語化するのも苦しかったと思います。
まず、大前提として「私は最初から手綱を握ることを放棄している」ということ。
これは単なる無責任ではなく、結果として私が介入しないほうがキャラクター達はそれぞれの思考で動いてくれるからです。
また、私は常に自分の書いた物語が面白いと思っています。
これは精神論に過ぎないかもしれませんが、私が書いたものを一番面白いと思って、一番愛してあげられるのは私だからです。
次回の内容で触れますが、パンツァー型の物書きにとって「書いている時の熱量」を後から介入することで冷ましてしまうと、「自分の本当に書きたかったことはこれなのか?」という疑問が浮かび、「これは本当に面白いのか?」「脳内で見ていたものはもっと面白かったはずだ」という呪いになります。
おそらく、書き上がったものに対して「自分が面白いと思えるか」という目で見ると、勢いで書いた部分=手綱を放した部分が粗として見えてしまい、そこを改稿することで熱が失われ、より「これは面白くないのではないか」という悪循環を起こしてしまうのではないかと思います。
結果として最終的な手綱を放すことが出来なくなるのでしょう。
それは物語が想定と変わってもいい、という思想と真逆の、心を守るセーフティーになっているのだと思います。
「最低限の面白さだけでも担保したい」という欲求です。
物書きとして、それを間違っているとは決して言えません。
慣れたパンツァーは手綱は必要としない、それでも整合性を保ってくれるキャラクターがいる、だから、私が信じて任せた彼らの話は面白い。
これが根本の思考です。
作者として介入するのは「校正」の時だけです。
「推敲・改稿」ではありません。「校正」です。
パンツァーは、脳内の映像を見て書き留めています。
「校正」はその時のレンズの曇りを取る作業。誤変換や、タイプミスなど、見たものがちゃんと伝わらない、という部分だけ修正することです。
一方で「推敲・改稿」は、自分が見た光景を後から編集で作り変える行為です。
浮きます、当然、後付けだから。
だからパンツァー……私は書き上がったら校正以上の手を入れないんです。
パンツァーというのは、自分の感性と直感だけで無意識のうちに物語の方向を決め、キャラクターを解き放ち、信じてついていく物書きです。
なので「作者」ではなくて、パンツァーは「観察者」なんですよ。
今は連載のことで頭がいっぱいだと思います。
だからこそ、4000字程度の、連載と全く関係ない短編を、最初から手綱を放棄して書いてみてください。
大枠も結末も決めない、全部フリーハンドで。
もしそれで、とりあえずでも破綻せず、読んでてまあまあ面白いじゃん、というものが書けたら、貴方はパンツァー寄りでしょう。コツを掴めば手綱を放しても面白いものが書けるようになります。
まったく言葉が出てこない、きちんと話を畳めない、キャラクターがどこへ行ったらいいかわからなくて止まってしまった、この症状が出た場合は、貴方はプロッターの方が向いています。
作品をきちんと管理したい、という欲求を抱いたならば、プロットを立ててきちんと話を整えて書き始め、ここはちょっとキャラに任せようかな、という部分だけ手綱を緩める。
そういう書き方が合っている可能性があります。
長文の上、的外れな返答になっていたら申し訳ない。
ただ、初心者の内は書き方で迷ってもいいんです。
私は30年以上かけてこの状態に体や思考を調整しました。
あなたはまだ、たった3ヶ月じゃないですか。
大いに迷って、色んなやり方をしていいんですよ。
貴方にとっての正解は、経験と時間が連れてきてくれます。