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面白いです!
私も最初に小説を書いた頃は、まさに“パンツァー”でした(笑)。ただ、勢いだけで走ると、どこかで必ず詰まるんですよね。今はプロット必須で、まず「核になるシーン」を先に固定して、そこへ辿り着くために前後を組み直す――いわゆる逆算型で書くようになりました。
スティーブン・キングも確かパンツァー寄りでしたよね。ジョージ・R・R・マーティンの「設計図を引く人」と「育てる人(庭師)」の比喩は、その違いを一発で伝えてくれるから好きです。どちらが正解というより、自分の癖を理解して、詰まった時に立て直せるのが一番強い気がします。
作者からの返信
そもそものパンツァーはスティーブン・キングの「行き当たりばったりで書く人」からきていますが、現在の日本では「プロットなしで書く人」の意味の方が通りやすいので説明は省いてますねぇ。
定義は簡単に、気になれば物書きなのだから自分で調べればよろしい。
割とスパルタです(笑)
パンツァーからスタートしてプロッターになっていく人が大半だと思うんですよ、おっしゃる通り、行き詰まるから。
それでも、走り始めたパンツァーには補助輪が必要になるよな、という思いでこれを書いていました。
よかったら不定期ですがまた読んでやってください。
分かります!
自分もプロット立てて書けなくなった口ですから〜。
作者からの返信
プロットが枷にしかならない物書きは確かに存在するんですよね。
その辺り、あまり触れられない部分かな、という気がしています。
だから大概の創作論は「プロットを立てよう」から始まっているのだろうな、それで苦しむパンツァーもいるのだろうな、という思いです。