魔王ハンター
@yanryu8787
第1話 プロローグ〜火の山の邂逅
第一章 熱気
……どうにも下せねえ。
鬱蒼と茂る木々の下、
身の丈ほどもある雑草を剣で薙ぎ払いながら、
俺の歩みは思うように進まない。
一歩進むたび、足首まで泥に沈む。
ゴオゴオと耳にまとわりつく風は熱い。
火山の噴煙が、森の奥まで染みついてやがる。
活火山の調査依頼を受け
ボルカノ国に足を踏み入れて、早一週間。
ここまで人間はおろか、
小動物にすら出会っていない。
「国」とは言ったが、ここは国土の大半が険しい山岳地帯で、
山間に点在する小さな集落があるだけだ。
国家の体をなしているとは言い難い。
……もっとも、“国家の体”なんて言葉を気にしているのは、
外の人間だけだろうが。
ましてや俺が向かっているのは、
まだ噴火はしていないとはいえ、火山の懐だ。
人間に出会うはずもないと分かっていた。
だが、食料になる獲物すらいないとは思わなかった。
「どうにも下せない」のは、そんな環境のせいだけじゃない。
こんな土地の調査を依頼してきたのが、なんで“あいつ”なんだ?
依頼主は、親友にして南の魔王――セザグス。
なんであいつが、
自分の領地から三つも国境を越えた先の火山活動なんかに興味を示す?
高い金を払ってオリジナル・スタッフを雇わずとも、
優秀な部下はいくらでもいるはずだ。
……あいつの考えは、時々分からない時がある。
そういえば、旅立つ間際に言ってたな。
『見たままを鵜呑みにするなよ』
なんのことやら。
だが、あいつの助言は的確だ。心に留めておこう。
唐突に風が止んだ。
森のざわめきが途絶え、熱だけが残る。
俺は足を止め、周囲に意識を向けた。
本能が俺に注意を呼び起こさせる。
……いる。
第二章 赤い髪の少女
不意に、風が再び流れ出した。
先ほどとは違う。
熱を孕んだ重苦さはなく、俺に何かを知らせるかのような流れだった。
俺は剣の柄に親指をかけ、慎重に歩を進める。
意識を一点に絞る。――いる。間違いなく、何かが。
草木をかき分ける音が、すぐ近くで止まった。
刹那、強い風が砂埃とともに一陣、駆け抜ける。
一瞬、視界が奪われた。
「……誰?」
若い、女の声だった。
俺は思わず足を止め、砂埃が落ち着くのを待ってから、ゆっくりと目を開いた。
最初に目に入ったのは、炎のように真っ赤な髪だった。
風に煽られ、波打つように揺れている。
数年前にどこかの国で流行っていたはずの白いワンピースは、明らかに着潰されている。
あちこちに別の布が継ぎ足され、サイズも合っていない。
それでも大切に手入れされているのが分かる、不思議な服だった。
少女は両手でバスケットを胸元に抱きしめている。
中には薬草や木の実らしきものが、丁寧に詰め込まれていた。
未だどこか幼気な面影を残すその表情には、
突然現れた俺への警戒心がはっきりと浮かんでいる。
「……何か、御用ですか?」
「あ、いや……すまない。
こんな所に人が住んでいるとは思わなくて…」
そう言いながら、俺はゆっくりと剣を鞘に収めた。
敵意はない、という意思表示のつもりだった。
刹那、少女の瞳の奥。
ほんの一瞬、炎のような光が揺らいだ気がした。
気のせいか…?
「……どうか、されましたか?」
少女の声で、俺は我に返る。
「あ、ああ……すまない。
物音がしたような気がして、つい……」
言い訳めいた言葉になったが、今はそれ以上踏み込む気にはなれなかった。
少女は一瞬だけ視線を彷徨わせ、それから意を決したように息を整える。
「……立ち話も何ですから。
私の家に、どうぞ」
そう言って踵を返し、森の奥へと歩き出す。
俺は少しだけ迷い、それから後を追った。
しばらく進むと、山肌の緩やかな斜面に沿って、
石造りの家屋が点在しているのが見えてきた。
人の気配はない。
ほとんどの家は自然に荒らされ、崩れかけている。
少女は、その中で唯一、補修された痕のある家の前で立ち止まった。
「……こちらへ」
扉を開ける前、ちらりとこちらを振り返る。
その口元が、ほんのわずかに――笑ったように見えた。
第三章 朽ち果てた村にて
家の中は、外観に反して驚くほど整っていた。
扉を開けるとすぐに小さなキッチンがあり、奥に簡素な扉が二つ並んでいる。
寝室だろう。家具は最低限だが、どれも丁寧に手入れされているのが分かる。
少女はバスケットを机の上に置くと、慣れた手つきで竈に火を入れた。
やがて湯が沸き、茶の香りが室内に広がる。
「どうぞ」
差し出された茶を受け取り、俺は一口啜った。
疲れた身体に、じんわりと染み込んでいく。
「この辺り、他に人の気配がありませんが…」
先ほどから感じていた違和感を、言葉にしてみる。
少女は少し困ったように微笑み、首を横に振った。
「ここに私が辿り着いた時には……もう、誰もいませんでした」
その言葉とは裏腹に、彼女の動きに迷いはない。
まるで、ずっとここで暮らしてきたかのようだった。
「……そうですか」
それ以上、踏み込むのはやめた。
しばし沈黙が流れる。
茶の湯気が、ゆっくりと天井へ消えていく。
「……そういえば、自己紹介がまだでしたね」
俺はカップを置き、軽く咳払いをしてから口を開く。
「ギリアム・ウェイバーと言います」
少女は目を瞬かせ、それから少しだけ、きまり悪そうに微笑んだ。
「私は……リエ・ファシナスです」
「……リエ?」
懐かしい思い出が微かに胸の奥をくすぐり、思わず聞き返してしまった。
「どうか、しましたか?」
「あ、いや……すみません。
知り合いと同じ名前だったもので」
半分は本当で、半分は違う。
だが、今はそれで十分だった。
リエは小さく頷き、再びカップに口をつける。
「……ギリアムさんは、どうしてこんな所へ?」
「火山の調査です。依頼を受けまして」
「学者様…なんですね」
少しだけ、興味を帯びた声。
「いえ…」
俺は一瞬言葉を選びかけたが、やめた。
「俺は――資格者です」
リエの手が、ぴたりと止まる。
世間一般で、その肩書きがどう受け取られているかは承知している。
だが、リエは怯えるでも、嫌悪を示すでもなく――
ただ、静かに俺を見つめていた。
「……そう、なんですね」
それだけだった。
拍子抜けするほど、穏やかな声。
「……怖くはないのですか?」
「少しは……でも」
リエは視線を伏せ、そっと言葉を継ぐ。
「噂より、ずっと……優しそうです」
思わず、苦笑が漏れた。
「それはどうも。
……ご存じの通りかと思いますが、
資格者の仕事と言えば、金と欲と血の匂いに塗れた話ばかりが耳につくかと思います」
俺は肩をすくめる。
「…ですが俺は、そういう仕事は極力避けるようには、しています」
「……それで、火山の調査を?」
「――まあ、そんな所です」
リエは、「ふうん」と言いたげに、ゆっくりと頷いた。
その時だった。
低く、地鳴りのような振動が、家全体を揺らした。
カップの中の茶が、小さく波打つ。
リエは驚く様子もなく、ただ静かに言った。
「……また、ですね」
「……ずいぶんと慣れているようですね」
「…ここでは、よくあることです」
だが、その声音には、どこか別の感情が滲んでいた。
俺は立ち上がり、窓の外を見た。
…なんだろう、この纏わりついてくるような奇妙な感覚は…?
第四章 夜の気配
リエは余程人恋しかったのだろう。
日が暮れるまでいろんな話で盛り上がり、結果その夜、俺はリエの家に泊まることになった。
外はすっかり暗く、山肌を渡る風が低く唸っている。
昼間よりも熱を帯びた空気が、家の中にまで滲み込んでくるようだった。
用意された寝床は簡素だが清潔で、長旅の疲れもあって、横になるとすぐに意識が沈みかけた。
――だが。
どれほど経った頃だろうか。
ふと、微かな物音で目が覚めた。
風の音……ではない。
床を擦るような、布が揺れるような気配。
俺は身を起こし、耳を澄ます。
……キッチンの方だ。そっと様子を窺った。
薄暗い室内に、月明かりが差し込んでいる。
その中で、リエが一人、立っていた。
昼間とは違う。
月明かりのせいだろうか、肩から垂れる赤い髪が、妙に艶を帯びて見える。
彼女は、何かを確かめるように両手を胸の前で組み、
小さく、深呼吸をしていた。
「……眠れないのですか?」
俺の声に、リエの肩がびくりと揺れた。
「……っ」
振り返った彼女の表情は、驚きと――
それ以上に、何かを必死に押し殺しているように見えた。
「ご、ごめんなさい……起こしてしまいましたか?」
「いえ、なんとなく起きてしまって…」
しばし、沈黙。
風が窓を叩き、また遠くで地鳴りが低く響いた。
リエは一度、視線を伏せ、それから小さく微笑んだ。
「……夜になると少し……落ち着かなくて」
「……火山の影響ですか?」
「そう、かもしれません」
だが、その答えはどこか曖昧だった。
リエは、無意識のように自分の手を強く握りしめている。
刹那
家の外で、地面が低く唸った。
リエの表情が、一瞬だけ――
別人のように、鋭くなる。
……見間違いか?
「…どうか、しましたか?」
「……何が…でしょうか…?」
穏やかな声で返して来た。
「あ、いえ…すみません、なんでも…」
俺は、それ以上踏み込まなかった。
「明日、山の様子を見てきます」
「…はい…おやすみなさい」
リエは小さく会釈をし、寝室へと戻っていった。
その背中を見送りながら、俺の中の違和感はますます大きくなっていた。
火山の気配だけではない。
この家、この集落、そして――リエ自身。
何かが、静かに、だが確実に動き始めている。
そんな予感だけが、夜の闇に残っていた。
第五章 火口へ
リエの家を後にした俺は、まっすぐに山頂を目指した。
理由は一つ。
――そこに、何かがいる。
根拠はない。
ただの直感だ。だが、これまで何度も俺を導いてくれた。
山上から吹き下ろす風は熱く、拒むように強い。
俺はその風をかき分けるように、足を進めた。
やがて植物の気配までもが完全に消え、足元は崩れやすい岩と砂利に変わる。
硫黄の匂いが濃くなり、呼吸が少しずつ重くなっていった。
……いる。
俺は足を止め、意識を研ぎ澄ます。
普通の人間には感じ取れないはずの“違和感”。
俺はそれを、集中することで、辛うじて掴むことができる。
魔力――
いや、正確には“魔力の揺らぎ”だ。
山肌の陰、赤黒い岩の向こう。
それは唐突に姿を現した。
真っ赤な羽毛に覆われた巨体。
炎を纏っているかのような錯覚を覚えるほどの色彩。
嘴は血のように赤く、鋭い。
翼を広げれば、俺の背丈を優に超えるだろう。
――火喰鳥。
火を好み、戦や災厄の前兆として現れる。
そう語られることの多い存在だ。
だが、それは半分は誤解だ。
こいつは臆病なだけだ。
火の近くにいるのは、天敵の多くが火を嫌うからに過ぎない。
燃えにくい羽毛を持つヤツにとって、火山は格好の“安全地帯”という訳か。
だが……おかしい。
火喰鳥は、翼を大きく広げ、俺を威嚇するように鳴いた。
――その瞬間。
地面が、不自然に揺れた。
「……っ!」
咄嗟に飛び退いた直後、足元に拳大の穴が穿たれ、
俺の背丈ほどのマグマ柱が吹き上がる。
なるほど……そういうことか。
火喰鳥が持つはずのない力。
微弱だが、確かに感じる“魔力”。
こいつは知っているのだ。
この地の下に“火”があることを。
経験として知った事実を、
無意識の想像力で引き出している。
その積み重ねが、火山活動を刺激していると言ったところか。
俺は怯まずに睨み返す。
それだけでヤツは明らかにたじろいだ。
『力』を手に入れたと言うのに、無得手の相手に気圧されている…と、いうことは…
「……望んでない力、か?」
先程のは『攻撃性』からではなく、あくまで本能的な自己防衛の故、と見た。
であれば、殺す必要はない。
俺は片膝をつき、右手を地面に、左手を火喰鳥に向ける。
封印は、対象そのものを閉じ込めるためのものではない。
――力だけを、眠らせる。
それが、俺のやり方だ。いや、俺にしか出来ないやり方だ。
火喰鳥は、力なく一声鳴き、大人しくなった。
意図が伝わったか。
短い詠唱。
対象の魔力を固定化し、流れを断つ。
一瞬、火喰鳥の動きが止まる。
少し苦しそうなうめき声を上げたが、それも一瞬の事だ。
すぐに火喰鳥は何事も無かったように
胸の辺りを毛づくろいするような仕草をすると
ゆっくりと翼を畳み
やがて火山の奥へと姿を消した。
…これで、解決…か?
だが――
火山の鼓動は収まる気配が無い。
それどころか昨日よりも僅かに強まった感もある。
俺は眉をひそめる。
「まだ、何かあるな」
俺は踵を返し、急ぎ下山を始めた。
リエに避難を促さなければ…
第六章 離れない理由
リエの家に戻ると、彼女は変わらずそこにいた。
「……お帰りなさい」
その声は穏やかで、俺の胸に引っかかっていた焦りとは対照的だった。
「リエさん、ここを離れる準備をしたほうがいい」
俺は前置きもせず、そう切り出した。
「火山が不安定だ。
噴火まではいかなくとも、この集落が無事で済む保証はない」
リエは驚いた様子も見せず、ただ静かに頷いた。
「……でも、ギリアムさんは、調査を続けられるのでしょう?」
「あ、ああ…」
「でしたら」
リエは、まるで当然のことのように言った。
「調査が終わってから、迎えに来ていただけませんか?」
「……リエさん?」
地鳴りが、低く響いた。
俺は思わず視線を外へ向ける。
確実に、火山は動いている。
「このままでは危険だ」
「分かっています」
だが、その声に迷いはなかった。
「でも、できるだけ、ここを離れたくないんです」
「…理由を、聞いても?」
しばしの沈黙。
風が家を揺らし、窓が小さく鳴った。
リエは両手を胸の前で重ね、視線を落とす。
唇をきゅっと結んでから小さく息をはいた。
「……私、自分が原因なんじゃないかって、思っているんです」
「原因?」
「行く先々で、よく分からない火事に巻き込まれるんです」
淡々とした口調だった。
「それなのに……なぜか、怖くない自分がいて」
俺は息を呑んだ。
火事に巻き込まれて平静を保てる人間はそうはいないだろう。
「家族は何も言いませんでした。
でも……気味が悪かったんじゃないかって、思ってます」
リエの声が、かすかに震えた。
「……でも、ここなら」
火山を見上げる。
「ここなら、誰にも迷惑をかけないと思ったんです」
不意に、セザグスの助言が頭をよぎる。
俺は眼の前の少女に意識を集中した。
――強い…!
リエから溢れ出す強大な魔力。
意識を向けて初めて気付いた。
それこそ、火山活動を刺激しかねない程の無秩序な魔力の漏出だ。
何の鍛錬もしていない一般人が持つレベルではない。
まさか、これが…
「今でも思い出すんです」
リエの独白は続く。
声が、震えだした。
「燃え落ちる家の中で、泣くことしかできなかった。
そこに……お父さんが飛び込んできて」
一度、言葉を切る。
「私を抱えて外に出してくれました。
でも……全身に、大火傷を負って」
医者は、言ったそうだ。
――助かるかどうかは、分からない。
「それを聞いた途端……怖くなって」
リエは、俯いた。
「気がついたら、逃げ出していました」
沈黙が落ちる。
火山の奥で、低く地鳴りがした。
「……でも」
かすかな声。
「もし……帰ることが許されるなら。
お父さんが……生きていてくれたなら……」
小さく、呟く。
「謝りたい……」
俺は、リエを見つめた。
この、強い魔力。
無意識に、周囲と共鳴するほどの力。
放っておけば、いずれ――。
だが
俺には有効な切り札がある。
ここで巡り合ったのは天恵かもしれない。
「リエ」
俺は、はっきりと告げた。
「君には『力』がある。それは間違いない。
それが『火』にまつわる事であろう事は明白だろう」
少し愕然とした表情でリエは俺を見た。
帰りたい、と言っている相手に
『お前は二度と帰れない』と言っているようなものだ。
だが俺は構わず言葉を続ける。
「…だが、俺は君に、三つの選択肢を提示する事が出来る」
彼女の目に希望のような灯が浮かぶ。
「一つ。
その力を、自分で制御する」
「……」
「長期の鍛錬が必要になると思う。」
リエは、黙って聞いている。
「二つ。
今まで通り、誰にも近づかずに暮らす」
その言葉に、リエの指がわずかに震えた。
「そして――」
俺は、最後の選択を口にする。
「その『力』だけ、封じる」
「……そんなことが…?」
「君さえ望めば」
短く、断言した。
「ただし、相当の痛みを伴う」
リエは、しばらく俯いていた。
そしてゆっくり顔を上げると、俺の目を真っ直ぐに見た。
「……お願いします」
迷いのない声。
「封じてください」
俺は、頷いた。
「……分かった」
夜風が、二人の間を吹き抜ける。
火山の鼓動が、少しだけ、静まった気がした。
だが俺は知っている。
これは、終わりではない。
――始まりだ。
第七章
俺は即座に準備を整えた。
特別な陣も、仰々しい準備も要らない。
必要なのは、自ら望むこと――それだけだ。
それさえあれば、
対象物と『力』を分離して封じ込める事が出来る。
俺にしか出来ない芸当だ。
「……始めるぞ」
リエは、はっきりと頷いた。
俺は地面に膝をつき、意識を内側へと沈める。
魔力を流し、形を与え、固定する。
封じるのは、リエそのものではない。
彼女の中で暴れている“力”だけだ。
だが『魔力』は魂と表裏一体。
魔力を長く維持すればするほど、
引きはがすのは術者、被術者ともに苦労する。
「……っ」
『封印』の力が、リエの中で荒れ狂う魔力を強引に抑え込む。
リエは想像し難い痛みに息を詰める。
リエの体の内から沸き起こる反発の力で、
一瞬髪の毛が逆立つ。
だがリエは、声を上げることもなく、
強く目を瞑り、歯を食いしばり、ただ耐えている。
そして少しの後、
封印は、静かに完了した。
空気が変わる。
火山の奥でくすぶっていた熱が、すっと引いていく。
あの忌々しい地鳴りも、ピタリと収まる。
リエは、しばらくその場に立ち尽くしていたが、
やがて、ゆっくりと息を吐いた。
自分の手を見つめる。
「…成功、したのですか?」
俺は頷きながら立ち上がった。
「ああ」
リエは、胸に手を当て、何度か深呼吸をする。
「……軽い」
その声には、戸惑いと安堵が混じっていた。
「……本当に、終わったんですね」
「応急処置だがな」
正確には、そうだ。
「だが、今すぐ危険が及ぶことはない」
リエは、しばらく黙っていたが、
やがて、意を決したように顔を上げた。
「……帰りたいです」
俺は頷いた。
「送ろう」
リエの実家がどこにあるのか、彼女自身も正確には覚えていなかった。
だが、手がかりはあった。
彼女が着ていた服だ。
何年か前まで流行っていた、農村向けの簡素な意匠。
俺の記憶にある限り、それはホウショー国のものだ。
「ここから四つ、国境を越える事になる」
「……そんなに?」
「子供が一人で辿り着ける距離じゃない」
リエは、言葉を失った。
「大丈夫、しっかりと送り届けるよ」
旅支度を整え、俺たちは火山を後にした。
道中、リエはよく笑った。
年相応の、明るい表情を取り戻していた。
俺の腕に縋るように歩き、
時折、くだらない話で場を和ませる。
妹がいたら、こんな感じなんだろうか。
俺も、楽しい時間を過ごすことができ、幸せだった。
だが、ホウショー国が近づくにつれ、
リエの足取りは、少しずつ重くなっていった。
風景が、記憶を呼び覚ますのだろう。
そして――
ある家の前で、リエはぴたりと立ち止まった。
「……ここ、です」
春の陽気の中、
なぜか、その家だけが重く沈んで見えた。
俺は、リエの肩に手を置く。
「……俺が、声をかけよう。良いね?」
リエは、小さく頷いた。
俺は、扉の前に立ち、ノックする。
「御免下さい」
しばらくして、扉の向こうで足音がした。
第八章 家族
扉が、ゆっくりと開いた。
現れたのは、俺とそう変わらない年齢の男だった。
訝しげな表情で、俺を見ている。
「……はい」
「突然失礼します。
ウェイバーと申します」
男はさらに怪訝そうに俺を見たが、
その視線が、俺の背後へ移った瞬間――動きが止まった。
瞳に涙を浮かべ見つめてくる少女と、
記憶の奥底に残る“妹”の面影が、重なったのだろう。
「……リエ、か……?」
その声に引き寄せられるように、リエが一歩前に出る。
「……お兄ちゃん」
次の瞬間、リエは走り出していた。
「お兄ちゃん!」
男は言葉を失いながらも、駆け寄る妹を受け止め、
強く抱きしめた。
「……本当に……」
二人は、しばらくそのまま動かなかった。
やがて男が我に返り、家の奥へ向かって声を上げる。
「父さん! 母さん!」
その声に応えるように、奥の戸が開いた。
現れたのは、気品を残した中年の女性だった。
息子、俺、そして――リエ。
最後にリエを見た瞬間、
女性は目を見開き、声を失った。
「……リエ……?」
「……お母さん」
その一言で、母親は崩れ落ちるように前へ出た。
「お母さん!」
兄妹が駆け寄ろうとした、その時――
女性の背後から、もう一人の人物が現れた。
男だった。
歩みは遅く、だが確かだ。
体には、今も残るであろう火傷の痕。
男が母親を優しく抱き留め、母親は倒れずに意識を戻すことができた。
リエの足が、ぴたりと止まった。
ずっと会いたかった人。
謝りたかった相手。
――死んだと思っていた父親が、そこにいた。
「……お父さん」
父親はリエを見つめ、
すべてを察したかのように、穏やかに微笑んだ。
「おかえり、リエ」
その言葉に導かれるように、
リエは一歩一歩、父親の下に歩み寄った。
自分のせいで父が死ぬと思い込み、
恐怖と罪悪感に耐えきれず逃げ出した日々。
誰も傷つけずに済む安心感と引き換えに、
自らに課した孤独。
そのすべてが、
父に至る数歩の中で、静かに溶けていく。
お互い手の届くところでリエは立ち止まり、父親を見上げた。
「リエ、本当によく無事に…!」
母親が跪いてリエを抱きしめた。
「おかあさん…!」
父親はそっと、二人を抱きしめた。
リエの瞳から、喜びの涙が零れ落ちる。
「……ごめんなさい……
ごめんなさい、お父さん……」
嗚咽交じりの声。
幸福に包まれた家を後にし、
俺は、そっとその場を離れた。
説明は、要らない。
家族の絆というのは、想像以上に強固なものだと俺も思い知った。
だが
家を後にしながら、
胸の奥が、ちくりと痛む。
「ごめんなさい」
それは、
俺がずっと、親父に言いたかった言葉だと気付いた。
物心つく前に亡くなった父に、
何を謝りたかったのか。
考えても分からない。
だが――
丘を登り切った、その時。
「ギリアムさん!」
風に乗って、声が届いた。
振り返ると、リエと、その家族がこちらを見上げていた。
皆、穏やかな表情だ。
だが、リエだけが、少しだけ不安そうだった。
その表情と、リエと過ごした日々が俺を引き留めようとする。
リエとの旅は長い方では無い。寧ろ短かったが、楽しかった。
リエのことは、本当の妹のように可愛かった。
こんな感情、自分でも不思議なくらいだ。
全ての日々がいとおしい。
手放したくない。
そう思った。
だが、今、彼女の傍には家族がいる。
遠く離れていても強くお互いの事を想い続けた、
血を分けた本当の家族が。
そしてその再会は俺との別れの時であることを、
彼女も知っているはずだった。
俺も、辛かった。
それら全てを胸の内に押し込むと、
俺は無言で微笑み、
大きく手を振った。
リエはそれを見ると、何事か悟ったらしい。
胸いっぱいに息を吸い込むと、大きく口を開いた。
「ありがとう、ギリアムさん!…また今度…遊びに来て下さいね!」
そして、最上の微笑みを返してくれた。
それを見て、俺は全てが報われたような気がした。
風が俺の帰るべき方角からそよいでくる。
俺はもう一度手を振ると、背を向けた。
そして、再会を約した別離の第一歩を、踏み出したのだった。
(了)
魔王ハンター @yanryu8787
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