誘拐した社長令嬢がワガママすぎて自首したいです

まうす

第1話 ワゴンR

「これで人生逆転だ……!」


俺は震える声で自分に言い聞かせるように呟き、ゆっくりと車を発進させた。


就職に失敗し、気づけば二十八歳。バイト先では年下の学生に「石田さん、動くの遅いっすよ」と顎で使われる日々。貯金もほとんどない。 だが、そんなクソみたいな毎日も今日で終わりだ。


「――っ!」


車の後部座席から女のくぐもった声が聞こえてくる。ルームミラーを一瞥すると、さるぐつわを噛まされ手足を縛られている華奢な彼女と目が合った。


彼女の名前は九条院綾乃。世界でも有数の製薬会社の社長令嬢だ。そう、彼女こそが俺の死にかけの人生を救う“特効薬”だ。 俺はそんな彼女を誘拐し、自宅へ向かっている。


「――っ! ――っ!」


さらに大きく抵抗する声が聞こえる。恐怖のあまりパニックになっているのだろう。


「君を傷つけるつもりはない。金を受け取ったらすぐに解放する」


平静を装い、まっすぐと正面を見据えて言葉を紡ぐ。落ち着け、悪党になりきれ。


「うー!」


突如、至近距離で叫び声が響いた。


「うおっ!?」


急ハンドルを切りそうになった。 驚いて振り向くと、どうやったのか彼女は体勢を整えて後部座席に座っていた。 俺は急いで車を路肩に留め、彼女に向き直った。


「まったく……」


呼吸を整え少し考える。深夜で人気が少ないとはいえ、こんな様子を誰かに見られてはまずい。


「外してやるが、変な気は起こすなよ? もし大声を出したら……どうなるか分かってるな?」


彼女は黙って頷いた。 俺は手の震えを押し殺し、彼女の口の布を解いた。


「……ですわ」


解放された彼女が小さな声で何かを呟いた。 命乞いでも始まるのだろうか。


「この箱、狭いですわ」


「……え?」


その言葉に脳の処理が追いつかない。 ポカンとしている俺には目もくれず、眉をひそめながら彼女が続けた。


「それにとても臭いですわね。鼻がおかしくなりそう」


状況が飲み込めない。命の危機に瀕しているはずの誘拐被害者が、最初に放つ言葉がこれか? だが、ここで舐められては終わりだ。


「おい、ワゴンRをバカにするなよ!」


絶対に言い返すポイントではないが、俺は精一杯どすの利いた声で怒鳴った。


「わごんあーる? こんなのが最下層民の間では流行っていますのね」


この女を殴るしかないと本能が告げたが、なんとか冷静を装う。


「ふん、金持ちの嫌味か。いいさ、大金を手に入れたらこんなオンボロ中古車ともおさらばさ!」


「ちゅう、こ……?」


彼女は目を見開き硬直する。顔からは血の気が引いているのが見て取れた。


「他人が……他人が触ったシートにわたくしを座らせたのですか!? この人でなし!」


「お、おい暴れるなって!」


悲しいことにサスのへたっている俺のワゴンRは、彼女の暴れに合わせてグラグラと揺れた。


「わたくしの純潔がワゴンRの歴史に汚されてしまうなんていやああああ!!!」


人生で後にも先にも聞くことはないであろう絶叫のあと、彼女は白目を剥いて気を失った。


本当に彼女は俺の人生を救う特効薬なのだろうか……? 一抹の不安を胸に、俺は再びエンジンをかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

誘拐した社長令嬢がワガママすぎて自首したいです まうす @mousee

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ