かませ悪役貴族令息に転生したから妹を守るために全力を尽くそうと思います

@10160918

幼少期編

第1話 かませキャラの目覚め


 ――柔らかい。

 最初に感じたのは、そんな拍子抜けするほど穏やかな感覚だった。

 背中全体を包み込むような反発。沈みすぎず、しかし確かに身体を受け止める感触。普段なら「いいベッドだな」なんて感想を抱いて終わるはずだが、今の俺はそれどころではなかった。

 ……おかしい。

 目を開けようとしても、うまくいかない。まぶたが重いというより、身体そのものが自分のものじゃないような違和感がある。手足を動かそうとしても、力が入らない。いや、正確には――動かすという発想自体が、どこか曖昧だった。

「……マアヤ」

 不意に、頭上から声が降ってきた。

 低く、しかし柔らかい男の声。聞き覚えがないはずなのに、不思議と耳に馴染む。

「マアヤ、大丈夫か?」

 名前を呼ばれた。その事実が、妙に胸に引っかかる。

 マアヤ。

 確かに、そう呼ばれた。

 だが俺は――

 混乱の中、ゆっくりと視界が明るくなっていく。ぼやけた輪郭が次第に形を持ち、天蓋の内側を覆う豪奢な布地が見えてきた。刺繍。金糸。見たこともないほど手の込んだ装飾。

 ……病院じゃない。

 実家でもない。

 そもそも、こんな天井は日本には存在しない。

「目を開けたわね」

 今度は、少し高めの女性の声。優しさと安堵が混じった声音だった。

 視線を動かす。

 いや、正確には「動いた気がした」だけだが、視界の端に二人の大人が映った。

 男は背が高く、整えられた髭を蓄え、重厚な服を身にまとっている。女は落ち着いた微笑を浮かべ、宝石のはめ込まれた首飾りをしていた。どちらも、どう見ても「一般家庭」の雰囲気ではない。

 ……誰だよ。

 そう思った瞬間、頭の奥で何かが軋んだ。

 ずきり、と鈍い痛み。

 同時に、洪水のように流れ込んでくる情報。

 伯爵家。

 帝国。

 レオンハルト。

 理解する前に、知識だけが先にある。まるで、元からそこにあった記憶を無理やり引きずり出されたような感覚。

「マアヤ・レオンハルト」

 男が、はっきりと告げた。

「それが、お前の名前だ」

 ――ああ。

 その瞬間、すべてが繋がった。

 レオンハルト。

 マアヤ。

 帝国立魔法学園。

 『魔法と剣のアリステア』。

 頭の中で、パズルが一気に完成する。

 思い出した。

 前世の記憶。

 ゲームの知識。

 そして――自分が誰だったのかを。

 現実世界の俺は、何の取り柄もない人間だった。

 野球部に入ったが、ベンチにも入れず。

 勉強しても、成績は中の下止まり。

 恋人なんて、できたことすらない。

 努力しても報われない。

 結局、才能がすべて。

 才能のない人間は、何も手に入れられない。

 その事実を、嫌というほど突きつけられてきた。

 だから逃げた。

 ゲームの世界に。

 『魔法と剣のアリステア』に。

 そして――

「……はは」

 声にならない笑いが、喉の奥で引っかかった。

 よりにもよって。

 よりにもよって、俺は。

 マアヤ・レオンハルト。

 原作で、共通ルートの途中。

 邪神教団のテロに巻き込まれて、あっさり死ぬ。

 名前だけ存在する、かませキャラ。

 プレイ中、正直どうでもよかった存在。

 妹を虐めるクズとして描かれ、死んでも誰も悲 しまない男。

 そのポジションに――転生した。

 豪華な子供用ベッドの上で、俺は天井を見つめながら理解する。

 柔らかな布。

 高価そうな装飾。

 優しげに名前を呼ぶ両親。

 すべてが、完璧な「始まり」だ。

 だが同時に、確信していた。

 この人生は、死ぬところまで用意されている。

 理由も、場所も、時期も。

 細かいことは思い出せない。

 それでも、結末だけは分かる。

 ――俺は、このまま何もしなければ死ぬ。

 胸の奥が、ひどく冷えた。

 才能に恵まれなかった前世。

 才能を持つ妹を妬み、死ぬ運命の原作。

 また同じだ。

 また、最初から負けが決まっている。

 ……それでも。

 ベッドの上で、幼い身体のまま、俺は静かに思った。

 今度こそ、違う。

 これはゲームの世界だ。

 俺は、この物語を知っている。

 そして――

 この世界には、選択肢がある。

 たとえ俺が、かませキャラだとしても。

 たとえ結末が用意されていたとしても。

 ――死ぬと分かっているなら、回避すればいい。

 そうだろう?

 まだ、何も始まっていない。

 俺は今、帝国伯爵家に生まれ、豪華な子供用ベッドの上で目を覚ましたばかりだ。

 ここからだ。

 ここから、全部を否定してやる。

 俺は、マアヤ・レオンハルト。

 かませキャラで、

 才能を信じられない男で、

 そして――

 死ぬ運命を、知っている転生者だ。

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