バグだらけの異世界で、僕は神様の尻拭いをしています 〜全パラメータ反転の世界でテストプレイヤーになりました〜
ソコニ
第1話 新米女神の失敗作
「蒼井先輩! 逃げてください!」
後輩の悲鳴が聞こえた瞬間、僕の身体は勝手に動いていた。
研究室で深夜まで実験していた時、突然爆発音と共に炎が上がった。出口に向かって走る僕の目に、転んで動けなくなっている一年生の姿が映る。
(間に合え!)
僕は彼女を抱えて窓際へ押し出した。その瞬間、背中に熱い衝撃が走る。
ああ、これはまずいな。
蒼井そうま、22歳。大学院生。材料工学専攻。こんなところで人生終了らしい。
意識が遠のいていく中、最後に浮かんだのは「実験データ、バックアップ取ってなかったな」という、研究者らしい後悔だった。
▽▽▽
「うわああああん! また失敗したぁぁぁ!」
目が覚めると、目の前で派手に泣いている少女がいた。
金髪碧眼、白いドレス、頭上には光る輪っか。どこからどう見ても天使か女神の類だ。
(ああ、やっぱり死んだんだな。仮説:僕は今、死後の世界にいる。検証方法:目の前の存在に話しかける)
妙に冷静に状況分析する僕の前で、少女は鼻水を垂らしながら喚き続けている。
「もう三人目なのに! みんな『そんな世界やだ』って断るの! このままじゃ私、見習い女神のまま永遠に昇格できない!」
「あの、すみません」
「なによ! 今忙しいの! ……って、起きてる!? しかも冷静!?」
少女が驚いて僕を見つめる。涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔だった。
「えっと、僕は死んだんですよね? 確率的に考えて、あの状況で生存は0.3%以下でしょうし」
「な、なにその数字!? でもそうよ! 火事で死んだの! 可哀想に! でも後輩ちゃんは助かったから安心して!」
それを聞いてほっとする。せめてそれだけでも報われた。
「で、その……泣いてる理由を教えてもらえますか? 観察した限り、僕の死に対する悲嘆ではなく、別の要因によるストレス反応のようですが」
「あ、あなた本当に大学院生なのね! 喋り方が論文みたい!」
少女——名前はルナというらしい——は、見習い女神だった。正式な女神になるには「異世界を一つ創造し、転生者を住まわせて繁栄させる」という試験に合格しなければならない。
ところが、彼女が創った世界には致命的な欠陥があった。
「世界創造の呪文、間違えちゃったの」
「間違えた? プログラムのコーディングミスみたいなものですか?」
「そ、そんな感じ!『バランスの取れた世界を』って唱えるべきだったのに、寝不足で『バランスの壊れた世界を』って……」
「ああ、符号の反転ですね。プラスとマイナスを間違えるとシステム全体が逆になる。よくあるバグです」
「わかってくれるの!?」
ルナが目を輝かせた。
「大学院では毎日バグと戦ってましたから。で、その結果できた世界の仕様を教えてください。デバッグするには全体像の把握が必要です」
「ほ、本当に協力してくれるの!?」
「まだ決めてません。まずは情報収集です」
ルナによると、その世界『逆転世界エラーランド』では——
・魔王が心優しい聖人で、勇者が自宅警備員
・最強モンスターがスライムで、ドラゴンは村人にいじめられる弱小生物
・回復魔法を使うとダメージを受け、攻撃魔法で傷が治る
・レベルが上がるほど弱くなる
・経験値を積むと若返る
・お金を払うと物を押し付けられ、盗むとお礼を言われる
僕は脳内で簡単な図を描きながら整理する。
「なるほど。つまり、世界を構成する全パラメータに『−1』が乗算されている状態ですね。善悪、強弱、加減、売買……すべての二項対立が反転している」
「そ、そういうこと! もうめちゃくちゃでしょ!?」
「いえ、むしろ美しい」
「え?」
「完全な反転なら、理論上は整合性が取れるはずです。問題は、部分的な反転や、反転による二次的矛盾でしょう。例えば『レベルが上がると弱くなる』場合、経験値取得のインセンティブが消失します。それでもシステムが機能しているなら——」
「ま、待って待って! 頭がついていけない!」
ルナが両手を振る。ああ、つい専門用語で喋ってしまった。
「すみません。要するに、興味深いバグだということです」
「きょ、興味深い!? これまで来た二人は『狂ってる』『ふざけるな』って怒鳴って帰ったのに!」
「怒る理由がわかりません。デバッグは研究者の基本作業です。むしろ、これほど大規模なシステムエラーに遭遇できる機会は貴重でしょう」
ルナの目から涙が溢れた。今度は嬉し涙のようだ。
「あ、ありがとう! じゃあ、協力してくれる!?」
「条件があります」
「なんでも!」
「一つ、僕にチート能力を三つください。作業効率を上げるためです」
「わかった!」
「二つ、元の世界に戻る選択肢を残してください。実験終了後の進路は自分で決めたいので」
「それも了解!」
「三つ——」
僕はルナの目を真っ直ぐ見つめた。
「その世界の住人が、本当に不幸なら修正に協力します。でも、もし彼らがその世界を気に入っているなら、『バグ』ではなく『仕様』として扱うべきです」
「し、仕様……?」
「バグと仕様の違いは、それが意図的かどうかではなく、ユーザーが受け入れているかどうかです。住人が幸せなら、システムは正常に機能していると言えます」
ルナはきょとんとした顔で僕を見つめていたが、やがてふっと笑った。
「あなた、変わってるわね。でも、優しい。いいわ、その条件で契約成立! チート能力を三つ選んで!」
僕は少し考えて答えた。
「一つ目、『逆転の理の解析』。この世界の法則を数値化して把握したいです」
「おっけー! それって、モンスターとかのステータスが見えるってこと?」
「そうです。定量的データなしに仮説は立てられませんから」
「二つ目は?」
「『システムログの閲覧』。エラーの記録を確認できれば、バグの発生源を特定できます」
「流石テストプレイヤー! 完全に研究者の発想ね! それで三つ目は?」
「『ルナとの双方向通信機能』」
「へ?」
「困ったことがあったらリアルタイムで相談したい。それに、バグ報告も即座にできた方が効率的です。フィールドワーク中の研究者には必須の機能でしょう」
ルナの顔が真っ赤になった。
「な、なによ! 私を心配してくれてるの!? もう、照れるじゃない!」
「いえ、単なる業務上の必要性です。感情的要因は0.3%程度かと」
「数字で言わないで! でも、嬉しい! よーし、それじゃあ張り切って転生させちゃうわよ!」
ルナが指を鳴らすと、僕の身体が光に包まれる。
「あ、そうそう! いくつか注意事項!」
「聞いてます。メモの準備を」
「この世界、バグで『死亡』の概念が壊れてるから、死んでもすぐ復活しちゃうの! でも、痛みはちゃんとあるから気をつけてね!」
「了解。つまり、死亡=リスポーン地点への強制転送、と。痛覚は正常動作、と」
「それと、レベルが上がると弱くなるから、レベル1が最強よ! でも経験値は勝手に入るから、どんどん弱くなるわ!」
「仮説:経験値取得の無効化、あるいは意図的な低レベル維持が攻略の鍵。検証します」
「あ、あと魔王様がすっごくいい人だから仲良くしてあげて! それと勇者はニートだけど根は悪くないから! 商店では絶対にお金を払っちゃダメ! 払うと商品を押し付けられて追い出されるから! 逆に『これください』って言いながら店主を殴ると——」
「ちょっと待って、最後の情報は重要度が高い。もう一度——」
「頑張ってねー! 私、応援してるからー!」
「ルナさん! 商店での正しい購買行動のプロトコルを!」
少女の能天気な声を最後に、僕の意識は闇に沈んだ。
(……システムエラー487件。これは、修士論文より大変かもしれない)
それが、蒼井そうまの第二の人生の始まりだった。
▽▽▽
目が覚めると、僕は草原の真ん中に立っていた。
「……転移成功。五感正常。重力加速度はおそらく9.8m/s²。地球と同等か」
青い空、緑の大地、遠くに見える中世風の街。典型的なファンタジー世界の風景だ。
まずはルナから貰った能力を確認しよう。
「システムログ、表示」
目の前に半透明のウィンドウが現れた。まるでARグラスを通して見ているようだ。
【エラーログ】
重大度:HIGH
・警告:世界法則が反転しています
・警告:レベルシステムが逆転しています
・警告:善悪パラメータが反転しています
・警告:経済システムが崩壊しています
重大度:CRITICAL
・エラー:死亡処理が正常に機能していません
・エラー:魔法属性が入れ替わっています
その他:487件のエラーを検出
[詳細を表示しますか? Y/N]
「487件……予想通りだが、実際に見ると壮観だな」
研究室で朝まで格闘したシミュレーションコードのバグが200件だったことを思い出す。あれの倍以上か。
その時、背後で何かが蠢く音がした。
振り返ると、そこにいたのは——
「ぷるぷる」
スライムだった。
直径30センチほどの、可愛らしい青いスライムが、ぷるぷると震えながら僕を見上げている。
(そうだ、この世界ではスライムが最強だったな。まずは『逆転の理』で解析を)
「解析、起動」
スライムの頭上に情報が表示される。
【スライム】
分類:魔物
レベル:99
HP:9999/9999
攻撃力:9999
防御力:9999
魔力:9999
特殊能力:
・即死攻撃(確率100%)
・全体攻撃(範囲無制限)
・超速再生(1秒で全回復)
・物理無効
・魔法無効
弱点:なし
※備考:この世界における頂点捕食者
※警告:遭遇した場合、生存率0.001%
※推奨行動:全力逃走
「……これ、どう考えても勝てないな」
スライムがぷるぷると近づいてくる。
僕は反射的に身構えた。研究室での火災を思い出す。あの時も、危機は突然やってきた。
「た、頼む。攻撃しないでくれ」
「ぷる?」
スライムが首を傾げた——ように見えた。
そして——
「ぷるぷる〜♪」
スライムは僕の足元で嬉しそうに跳ねた後、ぴょんぴょんと草原の向こうへ消えていった。
「……襲われなかった」
データと実測値が一致しない。これは——
「ルナ、聞こえる?」
『わ! 本当に繋がった! どう? 無事に着いた?』
「着いたけど、早速矛盾を発見しました。スライムのステータスは『即死攻撃・確率100%』なのに、僕は攻撃されませんでした」
『ああ、それバグね』
「詳細を」
『スライムは最強なんだけど、敵対心のパラメータも反転してて、実は超友好的なの。だから誰も襲わない』
僕は脳内でメモを取る。
「なるほど。つまり——」
仮説1:「最強=攻撃的」という相関関係も反転している
仮説2:住民は実測せず、ステータスの数値だけで判断している
仮説3:この誤認が社会全体に浸透し、「常識」となっている
結論:スライム最強説は、データの誤読による集団的な思い込み
「面白い。つまり、この世界の『常識』の多くは、バグによる誤解の可能性がある」
『そういうこと! だからあなたには、そういう世界の「誤解」も解いていってほしいの!』
やれやれ、これは想像以上に複雑な系だ。
その時、遠くから悲鳴が聞こえた。
「助けてー! ドラゴンが襲ってくるー!」
見ると、街の方向から人々が逃げてくる。その後ろには巨大な——いや、意外と小さい——ドラゴンの姿。
体長は馬程度。伝説の魔獣にしては随分こぢんまりしている。
僕は『逆転の理』で解析する。
【ドラゴン】
分類:魔物
レベル:1
HP:50/500(残り10%)
攻撃力:5
防御力:3
魔力:8
特殊能力:
・火炎放射(温度:30℃)
・飛行(最大高度:3m)
弱点:全属性
状態異常:
・飢餓(4日間絶食)
・疲労(重度)
・外傷(全身に打撲、翼に裂傷)
※備考:この世界で最も弱い生物に分類される
※警告:HP残量危険域。このまま放置すると24時間以内に衰弱死
「これ、弱いどころか瀕死じゃないか」
ドラゴンをよく見ると、鱗はボロボロで、翼には穴が開いている。目は虚ろで、明らかに衰弱している。
村人たちが石を投げ始めた。
「帰れ! 弱虫ドラゴン!」
「お前なんか怖くないぞ!」
石がドラゴンの身体に当たる。その度に、HPの数値が減っていく。
45……42……38……
ドラゴンは石が当たるたびにびくびくと震え、小さく火を吐こうとするが、出るのは体温程度の温かい息だけ。
僕は——走り出していた。
「やめてください!」
ドラゴンの前に立ちはだかる。村人たちが驚いて動きを止めた。
「あんた、何者だ!? そいつは危険なドラゴンだぞ!」
「危険? このドラゴンのステータスを見てください。攻撃力5、HP残り38。どこが危険なんですか?」
「ス、ステータス? 何を言ってる? ドラゴンは弱くて卑怯な生き物だ! だから排除すべきなんだ!」
「『弱い』のに『排除すべき』? 論理が破綻しています」
村人は言葉に詰まった。
僕は冷静に続ける。
「質問です。あなたたちは実際に、このドラゴンに襲われたことがありますか?」
「それは……ないが……」
「では、なぜドラゴンが危険だと?」
「常識だからだ! みんなそう言ってる!」
エビデンスなき常識。データなき確信。
研究室でさんざん見てきた、科学的思考の欠如だ。
「とにかく、このドラゴンは僕が引き取ります」
「勝手にしろ! そんな役立たずのトカゲ、いらないからな!」
村人たちは捨て台詞を吐いて街へ戻っていった。
僕はドラゴンに近づく。ドラゴンは怯えた目で僕を見つめていた。
「大丈夫。もう傷つけたりしない」
手を伸ばすと、ドラゴンは最初びくっとしたが、やがて僕の手に頭を擦り付けてきた。
温かい。体温は推定37℃。哺乳類に近い。
「君、名前は?」
ドラゴンは小さく鳴いた。言語野が未発達なのか、それとも種族的に発声できないのか。
「じゃあ、フレアでどうかな。小さな炎、という意味で」
ドラゴン——フレアは、嬉しそうに尻尾を振った。
『ちょ、ちょっと! 蒼井くん!』
ルナの声が頭に響く。
「どうしました」
『いきなりドラゴンと契約しようとしてるの!?』
「契約というか、保護対象です。HP38で放置すれば、24時間以内に死亡します」
『でも、ドラゴンは弱いからペットにするには——』
「ペットではなく、研究対象です」
『え?』
「このドラゴンは、この世界の矛盾を象徴しています。『レベル1=最弱』という前提が正しいなら、なぜ村人たちはこれほど敵視するのか。逆に、なぜスライムは『レベル99=最強』なのに友好的なのか」
『あ……』
「つまり、フレアを観察することで、この世界の『強さ』の定義そのものを再検証できる。貴重なサンプルです」
『……あなたって、本当に研究者なのね』
「それに」
僕はフレアの傷ついた翼を優しく撫でた。
「目の前で苦しんでいる生き物を放っておけない。それだけです。研究室の火事の時と同じように」
『…………蒼井くん、やっぱり優しいわ』
「データに基づく合理的判断です。感情的要因は——」
『もういいわよ、その口癖! わかった、フレアちゃんをよろしくね!』
ルナの声が、少し笑っているように聞こえた。
僕はフレアの状態を確認する。
「まずは応急処置だ。このままでは衰弱死する」
周囲を見回すと、近くに果実のなる木があった。解析すると『栄養価:中、毒性:なし』と表示される。
「フレア、これ食べられるか?」
果実を差し出すと、フレアは嬉しそうに齧りついた。HP が少しずつ回復していく。
38……45……52……
「よし、この調子だ」
フレアに果実を食べさせながら、僕は街を見つめる。
(この世界、確かにバグだらけだ。でも——)
スライムは最強だと怖がられているのに実は友好的。
ドラゴンは弱いといじめられているのに、実は無害。
魔王は聖人で、勇者はニート。
回復魔法でダメージを受け、攻撃魔法で治療する。
(この歪んだ世界の真実を、一つずつ検証していこう)
「ルナ」
『なに?』
「僕、この世界のこと、ちゃんと調べてみます。本当に『バグ』なのか、それとも『システムとして機能している』のか。科学的に検証します」
『……ありがとう、蒼井くん』
「それに——」
僕はフレアの頭を撫でた。フレアは気持ち良さそうに目を細める。
「実験には、必ず結論が必要です。この世界が『失敗作』なのか『新しい可能性』なのか。それを証明するまでは、簡単に諦められません」
『蒼井くんなら、きっとできるわ。期待してる』
ルナの声が、温かかった。
僕はフレアと共に街へ向かう。
HP が100まで回復したら、本格的な調査を開始しよう。
そこで待っているのは、きっと常識外れの世界だろう。
レベルを上げると弱くなり、死んでも復活し、お金を払うと物を押し付けられる。
でも——
(データが揃えば、必ず真実が見えてくる)
蒼井そうま、22歳。大学院生改め、異世界テストプレイヤー兼フィールド研究者。
失敗した女神の実験台として、今日も逆転世界を観察する。
ポケットから取り出した——いや、この世界に物理的なポケットはないか——脳内メモ帳に、最初の記録を残す。
【観察記録 Day 1】
時刻:転生後約30分
場所:草原、座標不明
サンプル1:スライム(レベル99)
・ステータス上は最強だが、実際の攻撃性は皆無
・仮説:敵対心パラメータの反転による
サンプル2:ドラゴン(レベル1)
・ステータス上は最弱だが、住民からは過剰に恐れられている
・仮説:「弱い=排除すべき」という逆転した価値観
次の調査目標:
1. 街での経済システムの観察
2. 魔王と勇者の実態調査
3. 魔法システムの検証(特に回復・攻撃の反転)
結論:この世界は『バグ』ではなく『完全に反転したシステム』として機能している可能性あり
こうして、史上最もバグだらけな異世界での、最も科学的なフィールドワークが始まったのだった。
第1話 終
バグだらけの異世界で、僕は神様の尻拭いをしています 〜全パラメータ反転の世界でテストプレイヤーになりました〜 ソコニ @mi33x
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