第2話 研究対象という距離
支所に入ると、いつもと少し違う空気を感じた。
受付の奥に、見慣れない人たちが立っている。
白衣。
腕に下げた端末。
視線が、まっすぐこちらに向けられている。
「香月小百合さんですね」
一人が、丁寧すぎるほど丁寧に頭を下げた。
「魔法研究機関、基礎観測班の者です」
その言い方に、小百合は胸の奥がわずかに硬くなるのを感じた。
――来た。
霧島がすぐ横に立つ。
「今日は、見学だけのはずだ」
「はい。あくまで任意の協力要請です」
研究員はそう言って、にこやかに微笑んだ。
“任意”。
その言葉が、やけに軽く聞こえる。
会議室に通されると、机の上には資料が整然と並んでいた。
グラフ、数式、観測ログ。
「香月さんの魔法は、非常に興味深い」
別の研究員が言う。
「介入が最小限で、なおかつ結果が安定している」
小百合は、黙って聞いていた。
「そこで、お願いがあります」
最初の研究員が続ける。
「次回の探索に同行させてください。
観測と記録を行いたいのです」
霧島が視線を向ける。
「強制ではない」
小百合は、少し考えた。
「……見るだけ、ですか」
「はい。こちらからの介入は一切ありません」
“こちらから”。
小百合は、その言い方が気になった。
その日の夕方、母と並んで食卓につく。
「研究機関の人が来てるんだって?」
「はい」
「大丈夫?」
母の声は、心配を隠していない。
「……よく、わかりません」
それが、正直な答えだった。
数日後。
研究員同行での低層確認が行われた。
「数値、安定しています」
「記録開始」
端末の音が、やけに大きく響く。
小百合は、いつもより歩きにくさを感じていた。
魔力の流れではない。
――視線だ。
見られている。
測られている。
「香月さん、今、何を感じていますか」
研究員が、すぐ後ろから問いかける。
「……重なっています」
「どの程度?」
「言葉では……」
「できるだけでいい」
小百合は、歩みを止めた。
いつもなら、黙って待つ場面。
だが、今日は違う。
説明しなければならない空気がある。
「ここは、少し……」
言葉にしようとした瞬間、胸の奥がざらついた。
流れが、遠のく。
「……すみません」
小百合は、小さく首を振った。
「今は、よく分かりません」
研究員たちは、互いに視線を交わす。
「観測値に変化は?」
「なし」
その声が、なぜか冷たく聞こえた。
結局、その日は何も起きなかった。
だが、帰還後の報告書には、細かい注釈がついた。
「感覚依存が強い」
「言語化に難あり」
「心理的要因の影響、要検討」
小百合は、その文字を遠くから見ていた。
研究対象。
その言葉が、頭に浮かぶ。
家に帰ると、母が声をかける。
「今日はどうだった?」
「……近かったです」
「何が?」
「距離が」
母は、一瞬考えてから言った。
「近すぎると、息苦しいこともあるわね」
その夜、小百合は布団の中で目を閉じた。
善意だということは、分かっている。
危険を減らしたい。
理解したい。
でも。
理解しようと近づかれるほど、
大切なものが、少しずつ遠ざかっていく。
魔法は、見せるものではない。
証明するものでもない。
ただ、そこにあって、戻すためのものだ。
翌日、支所に小さな連絡が届く。
「今後も、定期的な観測をお願いしたい」
小百合は、その文面を静かに見つめた。
距離が、変わった。
敵意ではない。
けれど、もう以前と同じではない。
香月小百合は、境界線のこちら側で、
一歩だけ、後ろに下がることを考え始めていた。
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