「名前を持たない魔法」
塩塚 和人
第1話 分類不能
支所の会議室は、以前よりも機材が増えていた。
壁一面のモニター、天井から下がる投影装置、机の上に並ぶ端末。
香月小百合は、一番端の席に座っていた。
足は床に届かない。
椅子に深く腰掛け、背筋を伸ばしている。
「本日から、新しい魔法分類基準を正式に運用します」
前方に立つ研究員が、淡々と説明を始めた。
「魔力の発現形式、術式構造、再現性、数値安定性――これらを総合して区分します」
画面に、いくつもの分類表が映し出される。
アルファベットと数字が並び、整理された美しさがあった。
「これにより、教育・管理・安全対策を効率化できます」
効率。
小百合は、その言葉を心の中でそっと置いた。
説明が進む。
既存の探索者たちは、次々と区分に当てはめられていく。
「次に、香月小百合さんのケースですが……」
研究員が、少しだけ言葉を選ぶように間を取った。
画面が切り替わる。
だが、表は空白のままだ。
「該当区分が、ありません」
会議室が、わずかにざわつく。
「再現性が確認できない」
「術式構造が定義できない」
「数値変動が一定しない」
説明は続くが、どれも“ない”という報告だった。
「結論としては――」
研究員は、はっきりと言った。
「現時点では、分類不能。保留扱いとします」
小百合は、何も言わなかった。
驚きは、なかった。
どこかで、そうなるだろうと思っていた。
会議が終わり、人が出ていく。
霧島が、小百合の隣に来た。
「気にしなくていい」
「はい」
「気にしていない?」
少しだけ、考えてから答える。
「……名前が、なかっただけです」
霧島は、その表現に目を細めた。
「不安じゃないか」
「不安です」
正直に言った。
「でも……」
小百合は、膝の上で手を重ねる。
「無理に名前をつけると、変わってしまいます」
霧島は、何も言わなかった。
その日の午後、現場から連絡が入る。
低層ダンジョンの一部で、魔力の流れが鈍っているという。
「香月さん、来られますか」
電話口の声は、切実だった。
「……行きます」
分類不能。
それでも、呼ばれる。
現場は、数値上は安定していた。
だが、空気が重い。
「測定では問題ありません」
研究員が言う。
「でも、進みにくいんです」
探索者が困った顔をする。
小百合は、通路に立ち、目を閉じた。
流れが、絡まっている。
誰かが良かれと思って調整し、
別の誰かが上書きした結果。
――整えすぎた。
小百合は、魔力を使わなかった。
代わりに、皆に告げる。
「今日は、進まないでください」
「え?」
「人が、通らないほうが戻ります」
説明は、それだけ。
探索者たちは、戸惑いながらも引き返した。
数時間後。
再確認すると、流れは自然に解けていた。
「……本当に、何もしなかった」
研究員が、困惑した声を出す。
「何も、していません」
小百合は、そう答えた。
帰り道、夕暮れの街を歩く。
買い物袋を下げた人、部活帰りの学生。
いつもと変わらない。
分類不能。
保留。
それは、拒絶ではない。
理解が、追いついていないだけだ。
小百合は、そう思うことにした。
名前がなくても、
役割がなくても、
今日も世界は戻った。
それで、十分だった。
境界線のこちら側で、
香月小百合は、名を持たないまま立っている。
まだ、何も始まっていない。
けれど、確かに何かが動き出していた。
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