二つの卵と彼の胃痛 ~伝説のドラゴンはどっちだ!~

よし ひろし

第一話 混ぜるな危険、並べるな卵

「胃が痛い……」


 王立生物学研究所の薄暗い一室。ゼノ(三十四歳・独身)は、重厚なデスクに突っ伏して呻いた。

 彼の視線の先には、豪奢なベルベットの座布団の上に鎮座する、一つの卵があった。大きさはダチョウの卵ほど。殻の表面は白銀色に輝き、複雑な幾何学模様が浮き出ている。見るからに高貴で、触れることすら躊躇われるオーラ。

 これが、先日勇者アレックスが魔境の奥地から持ち帰った『ゴールドドラゴンの卵』である。三日後の国王生誕祭にて献上される予定の、国宝級の代物だ。


「よし、湿度よし、温度よし。魔力供給も安定している」


 ゼノはチェックシートにペンを走らせる。彼は優秀な生物学者だが、それ以上に優秀な「事なかれ主義」の公務員だった。この卵をあと三日間、何事もなく管理し、王の元へ届ける。それだけで特別ボーナスと有給休暇が手に入るのだ。


「先生、お茶ぁ、入りましたよぉ!」


 研究室の扉が勢いよく開き、助手のミア(十九歳)が飛び込んできた。手にはティーポットと、不釣り合いなほど巨大なマグカップを持っている。彼女は元気で素直ないい子だが、唯一の欠点は「手先が絶望的に不器用」であることと、「整理整頓の概念がズレている」ことだ。


「ありがとう、ミア。……あっちの『泥団子』の方も、異常はないかな?」


 ゼノが指差したのは、部屋の隅にあるボロボロの木箱だ。中には、まるで乾いた泥の塊のような、汚い茶色の卵が無造作に転がっている。これはゼノが個人的な趣味で拾ってきた『ドラゴンモドキ』の卵だ。


「はぁい! モドキちゃんも元気そうですぅ。でも先生、あんな汚い卵、なんで大事にしてるんですかぁ?」

「失礼な。ドラゴンモドキは興味深い生物なんだぞ。強い種族の近くにいると、その外見を真似て身を守る『擬態』のスペシャリストだ。特にドラゴンに擬態することが多く、その名の由来となったのだ。まあ、今はただの泥団子だが……」


 ゼノは茶を啜り、ふぅと息を吐いた。

 連日の徹夜続きで限界が近い。この安全な地下室で、少しだけ仮眠を取ろう。


「ミア、僕は三十分だけ寝る。その間、絶対に余計なことはするなよ。特に、。いいか、絶対にだぞ!」

「はい! お任せください!! でもぉ、掃除しておきますねっ!」


 その「掃除」という言葉に一抹の不安を覚えたが、睡魔には勝てなかった。ゼノはデスクに突っ伏すと、瞬く間に意識を手放した。



☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆



「……ん、うーん」


 何かの眩しさで、ゼノは目を覚ました。

 窓のない地下室のはずなのに、やけに明るい。誰かが照明の出力を上げすぎたのだろうか?

 ゼノはのっそりと体を起こし、目をこすり――そして、動きを止めた。


「……?」


 目の前のデスク。さっきまで、白銀の卵が一つだけ置かれていたはずの場所に――二つの、白銀に輝く卵が、仲良く並んでいた。


「……は?」


 ゼノは眼鏡を外し、拭いて、かけ直した。


「…………」


 幻覚ではない。


 右にも、白銀の卵――

 左にも、白銀の卵――


 どちらも神々しい光を放ち、表面には高貴な幾何学模様。大きさも、形も、放つオーラすらも、完全に瓜二つ。


「み、ミアーーーーーッ!!」


 ゼノの絶叫が地下室に響き渡った。

 箒を持ったミアが「はいはい??」と呑気に顔を出す。


「な、な、なんだこれは!?  なんで『ゴールドドラゴンの卵』が増えてるんだ!」

「え? ああ、それですか。棚の上が埃っぽかったのでぇ、掃除しようと思ってぇ、モドキちゃんの卵を動かしたんですぅ」


 ミアは「私、良いことしましたよね?」という満面の笑みで続けた。


「一人ぼっちじゃ寂しかろうと思ってぇ、ドラゴンの卵の隣に置いてあげたんですぅ。そしたら急に、ピカーッ、て光りだしてぇ! いや~あ、やっぱり類は友を呼ぶって言いますしぃ、並べると見栄えがいいですねぇ!」

「うぐ…見栄えの問題じゃなぁぁぁい!!!!」


 ゼノは頭を抱えてその場に崩れ落ちた。胃袋の奥底で、キリキリと鋭い痛みが走り始める。


「い、いいかミア、よく聞け……。さっき言っただろう。ドラゴンモドキは『擬態』すると!」

「はぁ…言いました、よね、たぶん……」

「ドラゴンモドキの卵は、孵化する確率を上げるために、近くにある『強い生物の卵』の外見を完璧にコピーする習性があるんだ。敵に襲われないようにな!」

「ふへぇ…すぅごい! じゃあこれ、どっちがモドキちゃんなんですか?」

「う…それが分かれば苦労はしないんだよ……」


 ゼノは震える手で二つの卵を見比べた。


 左の卵を見る。「神々しい……」

 右の卵を見る。「……威厳がある」


 完全に同じだ。肉眼ではミクロン単位の違いすら分からない。


「ま、まずい……。非常にまずいぞ……」


 ゼノの顔から血の気が引いていく。本物は、三日後に国王へ献上する国宝。偽物は、ただのトカゲ(しかも性格が悪いことで有名)が生まれる泥団子。

 もし間違えて偽物を献上し、王の御前で貧相なトカゲが生まれたら――


「詐欺罪」で投獄?

 いや、「王室侮辱罪」で打ち首か?


 勇者アレックスの筋肉ダルマが「俺の功績を汚した!」と殴り込んでくる光景が目に浮かぶ。


「せ、先生、落ち着いてください。どっちを動かしたか覚えてればいいんですよねぇ?」

「そ、そうだ! 君はどっちからどっちへ卵を動かしたんだ!?」

「えーと……確かぁ、右から左へ……いや、掃除するために一度両方持ち上げてぇ、棚を拭いてから、えーと……トン、トンって置きまぁしたぁ!」

「く…シャッフルしてどうする!!」


 ゼノは白目を剥いた。


 詰んだ。完全に詰んだ……


 科学的アプローチが必要だ。だが、この世界最高の擬態能力を持つ生物は、一度擬態したら中身が孵化するまで変化を解かない、と言われている。


「先生、顔色が土色ですよぉ? モドキちゃんの元の色みたい。ふふっ!?」

「誰のせいだと思ってるんだ……」


 壁の掛け時計がチクタクと無慈悲な音を刻む。国王への献上まで、あと七十二時間。手元には、全く同じ見た目の二つの卵。偶然が生み出した悪夢。


 ――片方は栄光

 ――片方は死


「……ミア、今すぐ研究所中の分析機をフル稼働させるぞ」

「はい! ……何をするんですかぁ?」

「決まってるだろ、問題を解決する。『間違い探し』だ!!」


 こうして、生物学者ゼノの人生で最も長く、最も胃の痛い三日間が幕を開けた。


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