09|心理学研究資料

作成時期不明

██大学人文学部心理学科 心理学研究資料


※メモ

「ふつうはそう」

「でもちがう」



中高生が学校内で友達を「無視する」理由



■「無視」といじめの関係性

 学校内での「無視」は、外から見るとさいに見えやすい一方、当事者にとっては関係そのものを断たれるつらい体験になり得ます。まず行政的な前提を確認すると、文部科学省が示すいじめの定義(調査上の注釈)では、「攻撃」には「仲間はずれ」や「集団による無視」のように直接触れない形でも、心理的圧迫によって苦痛を与えるものが含まれると明記されています。


 つまり、無視は目に見える暴力がないから軽いと言えるものではなく、制度的にも〝心理的攻撃〟として、いじめの一貫となる行為として位置づけられます。


 ただし重要なのは、ここで言う「無視」が常に当人の自覚的な悪意から生じるとは限らない点です。文科省の基本方針でも、好意からの行為が意図せず相手に苦痛を与えた場合や、軽い言葉で傷つけた後に当事者間ですみやかに関係が修復できた場合などでは、「いじめ」という語を使わずに指導する柔軟な対応もあり得るとしつつ、法の定義上はいじめに該当しうるので組織へ共有する必要がある、という趣旨が述べられています。


 ここから読み取れるのは、当人の意図だけでなく、「相手が受けた苦痛」「集団の中で排除が成立しているか」を含めて評価する必要があるということです。無視はまさに、この意図と効果がズレやすい領域にあります。



■無視とは社会的排除であり痛みが出やすい構造

 心理学では、無視は「社会的排除(ostracism)」として研究されます。無視・排除・拒絶が、生存上の脅威のシグナルとして迅速に検出され痛みや苦痛反応をともないやすいこと、短い排除経験でも悲しみや怒りが増し、基本的欲求(所属、自尊、統制、存在意義など)がおびやかされるという示唆もあります。


 ここで大事なのは、「排除されるとつらいと感じるのはメンタルが弱いから」という話ではなく、排除がつらく感じるように人間の社会的システムができているという点です。そのため、無視は相手を殴るなどの直接的な暴力を伴わなくとも、相手の〝居場所〟に直接ダメージを与えることができる手段として働きます。


 さらに、無視は相手の反応を断つ行為です。反応が返ってこない状況では、被害側は原因推論を止めにくくなります。「自分が何かしたのか」「どこが悪かったのか」「いつまで続くのか」が見えず、統制感が削られやすいのです。排除研究が指摘する「統制感のおびやかし」は、学校のように一日の大半を過ごす場所で起きると、生活全体の見通しを奪う方向に働きます。


 この点で、無視は短時間でも強く、長期化するとさらに深刻になりやすいという理屈が立ちます。



■「無視する側」の心理としての回避・自己防衛

 中高生が無視をする理由を説明するとき、単純に「性格が悪いから」で終わらせるべきではありません。無視には、少なくとも2系統のロジックがあります。



 第一は目的の合理的なロジックです。無視は、相手を従わせたり、グループ規範に合わせたりするための制裁として機能します。言い争いで正面衝突すると、反論される、先生に発見される、双方が傷つくなどのコストが発生します。一方、無視は黙って距離を置く形であるため、外からはトラブルに見えにくく、当事者も「何もしてない」と言いやすい状況を生み出すことができます。つまり、コストが低く、効果(相手への心理的圧力)が高い手段になりやすいわけです。


 文科省の基本方針が「具体的ないじめの態様」の一つとして「仲間はずれ、集団による無視」を明示していること自体、学校現場で頻出し、かつ対処が必要な型として認識されていることを示します。



 第二は防衛的なロジックです。ここがいじめの自覚がないケースと接続します。例えば、誰かがクラス内で馴染めていない、いわゆる〝浮いた状態〟になり始めたとき、近くにいる生徒は「関わると自分も巻き込まれるかもしれない」「変に目立ちたくない」「トラブルを避けたい」と感じます。すると、積極的に攻撃するのではなく関わらないという選択が起きます。


 本人の主観では、これは攻撃ではなく回避です。しかし、集団でこの回避が同期すると、結果として集団による無視が成立します。つまり、個人のレベルでは小さな回避が、集団のレベルでは排除に変換されるのです。この変換こそが学校内の無視を理解する鍵です。個人レベルの意図と全体で生み出される効果がズレることにより、本人は「いじめてない」と感じ、被害側は強い苦痛を感じる、という食い違いが起きます。



■「二者関係」ではなく「場の現象」

 学校の無視を加害者と被害者の二者関係だけで理解すると限界があります。いじめ研究では、周囲の子どもたちが果たす役割(煽る、笑う、黙認する、止める)が、いじめの維持や拡大に影響するという見方が繰り返し議論されています。たとえば、いじめを集団過程として捉え、加害・被害だけでなく、強化する側(reinforcers)や外側に退く側(outsiders)、守る側(defenders)といった参加役割が存在すること、介入は個人だけでなく集団全体に向ける必要があることを論じる研究があります。


 日本の文脈でも、いじめを「場の問題」として捉える視点が強く、被害者・加害者に加えて観衆・傍観者を含む「四層構造」で理解すべきだという議論が知られています。四層構造は、周囲の子どもがただ見ているだけに見えても、実際には暗黙の支持やはやし立てがいじめを支える、という洞察を含みます。


 ここで無視が厄介なのは、観衆が大声で煽らなくても成立する点です。笑わない、返事をしない、席を空ける、会話に入れないといった「しない行為」が集団で揃うだけで排除が完成します。つまり、無視は参加の敷居が低い集団行動です。だから広がりやすく、止めにくいのです。



■中高生という発達段階における所属不安と序列調整による無視の増幅

 中学生から高校生は、対人関係の重心が家族から同年代集団へ移りやすい時期です。ここで起きやすいのが、所属不安(仲間から外される恐怖)と、序列の感度上昇(誰が中心か、どのグループが強いかへの過敏さ)です。この二つは、無視の同調を強めます。


 まず所属不安です。社会的排除が基本的欲求を脅かすという排除研究の枠組みは、思春期の学校生活にそのまま当てはまりやすいものです。なぜなら、学校内の友人関係は生活の中心にあり、「所属の喪失」は日常全体の安全感を揺らすからです。 そのため、クラス内で誰かが標的化されたとき、「止めたい」より先に「自分が標的になりたくない」という意志が優位になりやすく、結果として傍観や同調が増え、無視が集団として固定化します。


 次に序列調整です。教室は小さな社会で、評価や人気、中心性が生まれやすい状態にあります。学級集団の構造といじめの関係を概観した研究では、いじめを四層構造(加害者・被害者・観衆・傍観者)として捉えつつ、学級の集団構造や関係性がいじめの深刻化に関わる点が論じられています。


 無視は、この序列の可視化にも使えます。誰をグループに入れるかの決定権・主導権を握ることで、中心性が示されるからです。言い換えると、無視は〝関係の配給〟を通じた権力になります。これは大人の職場でも起こりますが、逃げ場が少なく、評価基準が曖昧な思春期集団では特に強く作用しやすいのです。



■ 関係を武器にする攻撃様式

 児童期研究を起点に確立した概念として、「関係性攻撃(relational aggression)」があります。これは身体的攻撃のように目に見える形ではなく、友人関係や所属を操作して相手に害を与える攻撃様式です。


ここでのポイントは、攻撃の媒体が言葉や拳ではなく、関係性そのものであるという点です。中高生は、日常の多くが同級生との関係でできています。そのため、関係を断つこと自体が強い圧力になるのです。無視はこの関係性攻撃の代表例として理解しやすい行動です。


 また、関係性攻撃は周囲の反応によって威力が変わります。一対一で無視しても、別の友人が普通に会話していれば、排除は弱まります。逆に、周囲が空気を読み示し合わせるほど排除の力は増します。ここでも、集団過程としての性質が見えてきます。



■誰にでも起こりうる

 必ず把握しておきたい点として、無視の回転構造が挙げられます。国立教育政策研究所と文科省がまとめた「いじめ追跡調査2010–2012(いじめQ&A)」は、いじめが一部の特別な子どもだけの問題ではなく、状況によって誰にでも起こりうること、そしてタイプ(態様)によって重なりやすさや見え方が異なることをデータをもとに説明しています。


 ここで仲間はずれ・無視・陰口のような暴力を伴わない類型は、加害・被害が固定されず、集団内で入れ替わりながら発生しやすい、という理解につながります。


 この入れ替わりやすさは、道徳的に言うと厄介ですが、分析上は重要です。なぜなら、発生原因を人格の問題に還元しにくいからです。たとえば、ある時期に無視に同調した生徒が、別の時期には無視される側に回ることが起き得る。関係が固定されにくいからこそ、当事者は自分の行為を状況対応として理解しやすい。ここに自覚の薄さが入り込みます。本人が「自分はいじめをしていない」と感じる背景に、集団内での立場変動と、行為が能動的かつ可視化された行動として行われないという心理的軽さがあるという説明が成り立ちます。



■文化・慣習は主因ではなく増幅器

 文化によって自己の捉え方(独立的/相互協調的)が異なり、それが認知・感情・動機づけに影響し得ることを論じる研究があります。


 これを学校の無視に接続するなら、関係調和を重視する環境では、対立を言語化して正面から扱うよりも態度や距離で調整しようとする傾向が相対的に選ばれやすいという仮説が考えられます。つまり、自分からは言わずに相手に察してもらうという方向に寄ると、無視が葛藤処理の手段として採用される余地が増えるという位置づけです。


 ただし、文化要因だけで説明しきるのは危険です。現実には、学級集団の構造、教師の介入のあり方、SNSを含むコミュニケーションの変化、個人の対人スキルやストレス状況など、多くの変数が絡みます。文化は、その上に乗る選好を少し傾ける程度の増幅要因として扱うのが妥当です。ここを丁寧に押さえると、「日本人の国民性によって無視が起きる」という雑な結論ではなく、「条件が揃うと無視が成立しやすいが、その成立の仕方には文化的なコミュニケーション様式が影響し得る」という、検証可能な説明になります。



■結論

 ここまでを統合すると、学校内で中高生が友達を無視する理由は、単発の「嫌い」や「悪意」ではなく、複数レイヤーの要因が噛み合った結果として説明できます。


 第一に、排除は人間の基本的欲求を脅かすため、短時間でも痛みが出やすく効果的であること。


 第二に、無視は行為としてのコストが低く、集団で同期すると強い圧力になるため広がりやすいこと。


 第三に、中高生期は所属不安と序列調整が強まり、傍観・同調が増えやすいため、無視の発生が固定化すること。


 第四に、当人の自覚が薄い回避行動が、集団水準では排除へ転化し得るため、自覚なしの加害が起こること。


 このように整理すると、無視を「性格の悪さ」という個人の内的な問題に閉じ込めず、学級という〝場〟の条件と発達段階の課題として理解できるようになります。


 その上で、文科省は「仲間はずれ・無視」をいじめの具体的態様として明示しつつ、意図と効果のズレに配慮した柔軟的な対応と、組織的共有・対応の必要性を同時に述べています。


 これは理論的にも合理的で、無視が見えにくく、集団過程として進む以上、個人の善悪判断だけで処理すると取りこぼしが出るからです。無視は一見個人の問題に見えますが、集団と制度の問題とし再定義し、対応すべきと考えられます。

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