屍の巫女姫

神谷モロ

屍の巫女姫

 時は平安の世。

 山間の村々を襲う、黄泉渡蟹よもつわたりがにという妖怪がいた。


 それは人を喰らい、腹が満ちると気まぐれに呪いをまき散らした。

 呪いにかかった人々は、まるで流行り病のように意識を失い寝込む。

 そして死が訪れると、彼の眷属である意思なき人食い――屍鬼かばねおにへと変わった。


 事態を重く見た朝廷は、剣の達人として知られる都の武士、藤原竜也ふじわらのたつなりに討伐を命じる。

 長い戦いの末、妖怪は討ち果たされた。


 朝廷は竜也たつなりを英雄として称え、豪奢な住居を与え、皇族より美しき娘を娶らせた。


 しかし、妖怪が死に際に吐き出した呪詛は、竜也に降りかかる。


『汝、我が血を浴びし者。

 やがて我となり、永遠に血を欲すべし』


 都の英雄となった藤原竜也ふじわらのたつなり

 だが彼の体には、次第に異変が起こり始める。


 最初は夜ごと悪夢にうなされる程度であった。

 夢の中で、まだ黄泉渡蟹よもつわたりがにと戦っているのだろうと、妻はそっとしておいた。


 だが竜也は、やがて日中にも悪夢を見るようになる。

 そしてついに、妻はおろか側仕えの者たちを皆殺しにしてしまった。


 藤原竜也ふじわらのたつなりの乱心は、すぐに朝廷の耳に入った。


 しかし黄泉渡蟹よもつわたりがにの呪いを恐れた武士たちは、次は我が身かと震え、誰一人として志願しなかった。


「うぬぬ、その方ら! 腰の刀は飾りでおじゃるか!

 恐れ多くも帝の御前ぞ。我こそはと思う者はおらぬのか!」


「さよう、誰ぞ妖怪退治に名乗り出る者はおらぬか!

 俸禄十万石はもとより、従三位を授けられる恩賞でおじゃるぞ!」


 騒がしいのは公家の大臣ばかりで、武士団はいずれも沈黙を保っていた。


 そのとき、誰かがぼそりと呟く。


「……晴陀せいだ


「……晴陀せいだとな? おお、安倍晴陀あべのせいだ。近頃、妖怪退治で名を挙げた星読みでおじゃるか?」


「うむ。餅は餅屋。ここは晴陀せいだ殿に任せてみてはどうだ」


 …………。


 ……。


 こうして本人不在の御前会議にて白羽の矢が立ったのが、

 当時、宮廷の星詠みとして名を馳せた陰陽師、安倍晴陀あべのせいだであった。


 勅命とあらば、断ることはできない。


 安倍晴陀あべのせいだは使い魔を遣わし、まずは竜也たつなりの身辺を調べた。


 彼は最愛の妻亡き後、ただ肉欲のために、近隣の村々からうら若き乙女を生贄に差し出すよう要求していた。


 だが彼は、もはや人ではない。

 生贄にされた者は三日と経たずに殺されるか、あるいは自分の運命を呪い自害した。


「さて、いかがしたものか……」


 藤原竜也ふじわらのたつなりは、日本一の武士である。


 それに対し、陰陽師は呪術をもって妖怪を退ける。


 だが、刀剣の類は素人である晴陀せいだでは、呪術を使用する前に首をはねられてしまうだろう。


 今回の敵は、まさに強大な妖力と達人の剣術をあやつる。

 今まで晴陀せいだが対峙した妖怪とは比べ物にならない。


「……晴陀せいだ様、ならば私をお使いください」


 そう言ったのは春日静音かすがのしずね

 名門貴族の娘であるが、流行り病により両親が他界。同時に一人だけ生き残った娘を気味悪がった親族は彼女を追放し、長らく放浪していたところを晴陀に引き取られた過去を持つ。


 無表情ながらも整った顔立ちで、文武両道の彼女は、いつかご恩返しの機会を伺っていたのだ。


「しかし、静音しずね殿。貴女の呪術はまだ未熟。あの怨霊は荷が重いかと」


「ええ、それは知っております。しかし、剣の鍛錬は怠っておりません。

 それに私は女ですから、竜也たつなり殿の警戒を解き、懐に入るのは容易かと……」


 それはその通りであった。彼はまた次の生贄を欲していたのだから。

 だが、安倍晴陀あべのせいだは実の娘のように思っている静音しずねを、みすみす死地に送るのはためらわれた。


 しかし、こうしている間にも犠牲者は増える。

 今日とて、なんの罪もない村娘が一人、生贄にささげられたとの報告が都に届いたのだから。


 苦渋の決断であった。

 だが、すべては天下泰平のため。晴陀せいだは了承せざるを得なかった。


 …………。


 ……。



 朝早く、身支度を済ませた静音は、都を出ようと関所まで歩いていた。

 巫女装束をまとった彼女を遠くから眺める者はいても、声をかける者はいない。


 それもそのはず――春日静音かすがのしずねといえば、狐憑きの娘として忌み嫌われていたのだ。


 だが、その時だった。


「お待ちなさいな! 春日静音かすがのしずねさん、あなただけが犠牲になる必要はありませんわ!」


 声の主は三条静花さんじょうのしずか

 やや大げさで特徴的な話し方ではあるが、これでも名門公家のご令嬢である。


 彼女は今日も、動きやすい壺装束を着ていた。

 袴は足さばきのよい形に整えられ、袖も邪魔にならぬようまとめられている。


 まるで旅立ちの装いだが、お転婆令嬢として知られる静花は、いつもこの格好だ。特に気になる者はいなかった。


「三条さん……いいんです。晴陀せいだ様には、返しきれない御恩がございます」


「御恩? はっ! 女であるあなたが、それを背負う必要はないのだわ!

 それこそ、口ばかりの武士や公家の連中に言っておやりなさいな!」


「三条さん……わたくしの身分では、とても……」


「ふん、だからよ。あたくしは言ってやったわ!

 ……まあ、そうしたら勘当されてしまいましたけど。

 剣を握る女子など女子にあらず、ですって。清々しましたわ。これで心置きなく剣に励めるというものですわ」


「あの……三条さん。なにが言いたいのでしょうか」


「もう、鈍いわね。同じ女子でありながら、あたくしと互角に剣を交えられる好敵手に、勝手にいなくなられては困るのだわ!

 それに、もう三条とは縁が切れております。あたくしのことは、静花と呼んでくださいまし!」


「はぁ……それでは静花さん。あまり長居をしていても任務に差し支えますので、ごきげんよう」


「もう! 剣はあんなに鋭いのに、本当に鈍いんだから!

 あたくしも一緒に妖怪退治に行くって言ってるのよ!

 いいこと? 勘違いしないでよね!

 あたくしは、あたくしの剣術のため。そして臆病な武家や口ばかりの公家の男どもに、あっと言わせてやるのだわ。

 そうよ、女二人で見事、あの大妖怪を退治してやりましょう!」


 そう、三条静花は父親と大喧嘩をしたのだ。

 女が剣など家の恥だとか、そろそろ縁談の話があるだとか。


 ならばと、件の大妖怪を退治し、三条家はおろか天下に自分の武を認めさせてやる。

 そう啖呵を切って、家出したのであった。


 …………。


 とある山村にて、宿を取る二人。


「それにしても、静かな村ですわね。しかも空き家がいっぱい。

 ここだって、まるで最近まで人が住んでいたみたいですし……」


 囲炉裏の火の面倒を見ながら、何気ない話をする静花。

 だがすぐに、この村の置かれた状況を察したのか、声を落とす。


「……なるほど。道理で、この空き家を紹介してくれた村長さんの顔が暗かったのだわ」


「ええ、静花さん。

 ここはつい先日、娘を生贄に捧げられたご夫婦が住んでいた家なのですが……。

 娘を差し出され、すぐに心中したそうです」


 静音は一度、言葉を切る。


「……それも、そのはずです。今回で二度目、いいえ、三度目でしたから。

 一年前、長女を生贄にされ、すぐに長男は姉を取り戻すために竜也たつなり殿の屋敷へ向かい、そのまま帰らず……

 そして今度は、末娘が選ばれてしまったのですから」


「……そんな。

 そんなことが起きているのに、都はまだ誰が行くのか行かないのかで揉めていたのね」


 静花は唇を噛みしめる。


「ほんと、武家も公家も、どうしようもないわ。

 それに……あんたのご主人様も大概ですわ。ほんと、男はだらしないったらないのだわ」


「いいえ」


 静音は静かに首を振った。


晴陀せいだ様は、そのような方ではございません。

 今も、式神にて見守ってくださっています」


 そう言って、静音は懐から、人型に折られた紙を取り出す。


「ふうん……でも、それってただの紙人形でしょう?

 なんの役に立つのかしら?」


「はい。

 晴陀せいだ様は、今も都の祭壇にて、強力な呪術の準備をしております。

 黄泉渡蟹よもつわたりがに竜也たつなり殿の体から離れた、その一瞬の隙に――

 この式神を通じて、封印術を施すのです」


「……なるほど」


「ですので、竜也たつなり殿を倒すのが、私の役目です」


「なるほど。

 ――あたくしたちは、剣で倒すのですわね」


「はい。

 そうですね……静花さんと一緒なら、倒せるかもしれません」


「“一緒なら”って、あなた、最初は一人だったじゃない。

 どうするつもりだったのかしら?」


「……はい。

 最初は、寝屋に忍び込んで、一瞬の隙を突こうと思っておりました」


 そう言うと、静音は髪飾りから小さな短刀を取り出す。


 静花は、すぐに気付いた。

 静音は嘘をついている――と。


 仮に忍び込んで殺すのであれば、わざわざ髪飾りに武器を隠す必要はない。

 つまりは、寝屋にて、情事の最中にことを成し遂げるつもりだったのだ。


「……ちょっと、どういうつもりですの?」


「はい。藤原竜也ふじわらのたつなり殿は、都一の剣豪。

 いくら剣に覚えがあっても、女の私では勝ち目はないでしょう」


 静音は淡々と続ける。


「しかし、女を使えば、勝ち目もあるかと。

 実際、都の名の知れた武士たちですら、竜也たつなり殿には勝てないと、

 誰も名乗り出る者がいないのです」


 一息つき、静音は視線を落とした。


「そのおかげで恩賞は膨れ上がり、十万石はおろか、

 従三位の官位まで約束されたと聞いております」


「……ふうん」


 静花は鼻を鳴らす。


「それはつまり、男どもがだらしないだけじゃないかしら。

 ちなみに、あたくしは都一の女傑よ。自称ではなくてよ?」


 静音を横目で見やり、続ける。


「それに、あなたが本気で戦ったなら、

 その地位も危ういかもしれないわ」


 そして、静花はきっぱりと言った。


「だから……よ。

 あたくしと組んで、正々堂々、剣で倒しましょう!」


「……正々堂々、ですか?

 二対一なのですけど」


「う、うるさいですわ!

 相手だって黄泉渡蟹よもつわたりがにが乗り移っているのだから、

 実質、二対二ですわ!」


 そう言って、静花は小指を差し出す。


「さあ、約束しなさい。指切りげんまんですわよ!」


 だが静音は、その小指を見つめたまま、微動だにしなかった。


「……静花さん、いったい何を、ですか?」


「ですから。

 女を武器にしないってこと。そんなことをしなくても、あなたは十分強いのですから」


「ああ……それでしたら、お約束します」


 静音は一拍置き、静かに続けた。


「ですが、指切りだけは遠慮させてください。

 我々、陰陽師の間では――指切り玄慢といって、解呪不可の最悪の呪術のひとつなのです」


 静花の表情が、わずかに強ばる。


「喜びも、悲しみも。

 いかなる事象も、強制的に分かち合う呪い。

 それこそ、どちらかが死ぬまで、永遠に……」


 静音は、淡々と告げる。


「……いいえ。死すらも分かち合いますから、

 結局は二人同時に死ぬことになるのでしょう」


「え?」


 静花は目を瞬かせた。


「……そ、そうなの?

 それは、さすがに……遠慮しておくわ」


 そして、照れ隠しのように笑う。


「小指は大事、ってことですわね!」


「……そういうことでは、ないのですが」


 静音はわずかに困ったように微笑んだ。


「ですが……無駄話はこのあたりにして。

 明日は早いですから、そろそろ休みましょう」


 …………。


 二人は、早朝、村を発った。


 目的地は、村から少し離れた、藤原竜也ふじわらのたつなりの屋敷。


 帝より賜った、かなり豪奢な屋敷だと聞く。

 大きな庭園には池があり、松に桜、梅の木なども植えられており、

 並の公家屋敷よりも、よほど立派だという。


「評判とは、ずいぶん違いますわね。

 お庭番がいないのかしら? これでは、まるで妖怪屋敷ですわ……あらあら、実際に妖怪屋敷でしたわね」


「静花さん、ふざけるのもその辺にして。

 そろそろ、真面目に行きましょう」


「失礼ですわね。あたくしは、ずっと真面目ですことよ。

 この喋り方は生まれつきですの」


 静花は肩をすくめ、門の方へと視線を向けた。


「それより……来ますわね。

 あら、お庭番? でなければ……」


 門から現れたのは、うつろな表情で、ふらふらとおぼつかない足取りの男たちだった。


屍鬼かばねおに……。

 やはり、食するのは女性で、男性は皆、呪いの犠牲になってしまうのですね」


「準備運動には、ちょうどよいお相手ですわ。

 あたくし、女子供を斬る趣味は持ち合わせておりませんの!」


 そう言うと、静花は背中に背負った大太刀を引き抜いた。

 全身の筋肉と関節の動きを巧みに使い、長大な刃を軽々と構える。


 ほぼ静花の身長と同じ長さの太刀。

 長身の男でも扱いに難儀するそれを、静花は難なく振るう。

 その様は、まるで大道芸でも見ているかのようだった。


「静音さん、ご存じでしたかしら?

 あたくし、陰で“怪力鬼女”と呼ばれていたことを」


「ええ、存じております。

 ちなみに私は“不愛想な巫女”、死人みたいだと……」


「まあ、なんてひどいのかしら。

 そうですわね……どうせなら“屍の巫女姫”にしましょう。

 我ながら、なかなか素敵ですわ」


 静花は楽しげに笑う。


「少なくとも、怪力鬼女よりは可愛らしいですもの。

 まあ……お互い、化け物には変わりませんけれど」


「ふふ……それも、妖怪退治にはふさわしい、ということでしょうか」


 そう言って、静音は腰紐に下げていた二本の小太刀を抜き、静かに構えた。


「数は……ええと。ひー、ふー、みーの……十、かしら?」


「……いいえ、二十です。

 静花さん、算術について、もう少し学ばれた方がよろしいかと」


「うるさいですわ!

 あなたとあたくしで十ずつ、足したら二十。合っていますわ!」


「……はい。そういうことにしておきましょう」


「もっとも、今のあたくしに算術など不要。

 ――猪突猛進ですわ!」


 静花は左手で柄を握り、大太刀を上段に構える。

 突き出した右手は、刃の峰を支え、足を前後に開く。


 わずかな間。


 次の瞬間、静花は前へと飛び出した。


「三条流、奥義――鬼の牙!」


 屍鬼の胸に、大太刀の切っ先が突き立つ。

 勢いのまま、胴から上が引き裂かれ、後方へと吹き飛んだ。


 斬るというより、叩き砕くに等しい一撃だった。


 仮に流派を起こしたとしても、

 これを受け継げる弟子など、現れはしないだろう。


「まずは一つですわ。

 静音さん、ぼーっとしていないで、さっさと片づけますわよ!」


「ええ。……すっかり、見とれてしまいました」


 そう言いながらも、静音は二本の小太刀で鍬を持つ屍鬼をいなし、

 すれ違いざまに首を掻き切る。


「やはり、あたくしの目に狂いはなかったのだわ。

 その二刀流、なんという流派なのかしら?」


 静花は言葉を交わしながら、大太刀を薙ぎ払う。

 同時に、屍鬼の首が宙を舞った。


「流派は存じておりません。

 放浪の身だったころ、山奥の小さな村にお世話になったことがありまして、そのときに教えていただきました」


 静音は、淡々と語りながら動く。


「しかし、その村も、とある妖怪の襲撃を受けました。

 その際、晴陀せいだ様に救われたのです」


 二本の小太刀が、鋏のように交差する。

 そのままの勢いで、屍鬼の首が飛んだ。


「それ以来、私の命は、晴陀せいだ様のものです」


 静花は一瞬だけ、視線を向ける。


「……なるほど。

 だから、あんな男のために命を捨てるつもりだった、というわけですのね」


「はい」


「でも、それも今日までですわ」


 静花は大太刀を振り抜き、さらに一体を打ち倒す。


「これからは、あたくしたち二人でやりますのよ。

 主従でも、人柱でもなく、戦友として」


「……はい」


 静音は小さく、しかし確かにうなずいた。


 二人の息は、ぴたりと合っていた。


 あっという間に、地面に転がる首の数は二十。


「片付きましたね」


「ええ。準備運動も終わりましたわ」


 静花は大太刀を肩に担ぎ、屋敷の奥を見据える。


「さあ、本番ですわよ」


 …………。


 中庭を抜ける。

 聞いていた以上に広い屋敷だった。


 そして、その男は、母屋の縁側に、一人で座っていた。


「ほう……先ほどの騒ぎの原因は、お前たちか。

 都から来た武士かと思えば、どうやら違うようだな」


 男は、愉快そうに口元を歪める。


「随分と血なまぐさい小娘が二人とは。

 我が妻となるなら、それもよし。生贄となるのも、またよし。

 ……まあ、どちらにせよ、旨そうだ」


藤原竜也ふじわらのたつなり殿とお見受けしましたわ」


 静花は、一歩踏み出す。


「我が名は三条静花。

 ――その首、もらい受けますわ!」


 言い終わるや否や、距離を詰める。

 上段から、大太刀を振り下ろした。


「ほう……前口上だけは立派だな。

 だが、女の細腕で、この俺が斬れると思うなよ!」


 竜也は縁側に立てかけてあった太刀を抜き、これを受け止める。


 火花が散った。


「……今のを、受け止めますか」


「受け止めたとも。

 だが女、なかなかやる。褒めてやろう。俺でなければ、やられていたぞ」


 次の瞬間。


 竜也の右足が、静花の腹部に叩き込まれた。


「――っ!」


 蹴り飛ばされ、静花の身体が宙を舞う。


 石畳に叩きつけられる寸前、

 静音が滑り込み、かろうじて抱き留めた。


「静花さん、大丈夫ですか?」


「……ぐっ。

 さすがに、一対一は無理みたいですわね」


 静花は歯を食いしばり、すぐに立ち上がる。


「ごめんなさい、先走ってしまいましたわ。

 でも、ここからが本番ですの」


 大太刀を握り直し、視線を前へ。


「静音さん。

 一気に叩き込みますわ。よろしくって?」


「はい。動きを、合わせます」


 …………。


 ……。



 一方、京の都。安倍晴陀あべのせいだの邸宅にて。


安倍晴陀あべのせいだ殿、首尾はいかがでおじゃるかの?」


「はい。封印の儀式は滞りなく。あとは宿主である竜也たつなり殿が死ねば、黄泉渡蟹よもつわたりがにの霊体が抜け出し、次の宿主に向かいます。

 その瞬間に封印術を発動すれば、何とかなるはずです」


「ふむ、上々でおじゃる。しかし、おぬし、血も涙もないのう。実の娘のごとき女子を人柱にするとはのう……」


「……これも人々のため、世のためです。それに三条殿とて、かわいい愛娘をお供につかわしてくれたではありませんか。

 おかげで勝ちも見えてきたのです」


「なに! 麻呂は聞いておらん! ……まさか静花! あの親不孝者め! 勘当じゃ! 金輪際、三条家はあやつのことなど知らぬ!」


 …………。


 ……。


 静花は、間を与えず踏み込んだ。

 大太刀を振り下ろし、薙ぎ返す。重い刃が屋内を満たす。


 対する竜也は太刀で受け流す。

 その動きに無駄はなく、床を踏む音すら一定だった。


 その背後を、静音の小太刀がかすめる。

 一太刀は肩口を狙い、もう一太刀は足元へ。だが、いずれもかすり傷程度。

 それでも竜也は、確実に動かされていた。


「そなたら、気に入った。女の身でよくぞここまでの武芸を身に着けたものだ。剣を収めて我が嫁となれ。

 正室側室などと優劣はつけぬ。二人平等に、永遠に愛してやろうぞ!」


「あら、大胆な告白ですこと。でも、以前の竜也殿なら、お受けしたかもしれませんが……今のあなたには、何の魅力も感じませんわ」


「はい。あなたが愛したという女たちの末路、知らないものなどおりませんから。

 竜也殿は、お忘れなのですか?」


 一瞬、竜也の太刀筋に、わずかな狂いが生じた。


 静花はそれを見逃さない。さらに圧をかける。

 正面から、力で押す。

 刃がぶつかり、硬い音が響いた。


 一瞬、竜也の腕が沈み、太刀が遅れる。

 その隙を、静音は見逃さなかった。小太刀が斬り込む。


 手ごたえあり。致命傷とはいかずとも、たしかに傷を与えた。


 だが、竜也は都一の剣豪。その覇気は衰えることはない。

 攻撃の一瞬の隙を突き、竜也の太刀が閃く。


 ……。


 天井に突き刺さる小太刀。

 その柄には、握られた腕がぶら下がっていた。


「ちっ……! 油断しました」


「静音さん! 腕が! おのれ――!」


 静花は怒り狂い、大太刀を両手で握り、竜也に渾身の一撃を浴びせる。


 守りを捨てた、捨て身の突きだ。


 同時に、竜也も太刀を真っ直ぐ突き出した。


 刃が、互いの体を貫いた。

 一瞬、時間が止まる。


「ごぼっ……! 静音さん……はやく……! とどめを……!」


 失った片腕から血を流しながらも、静音は最後の力を振り絞る。

 小太刀を竜也の首にあて、思い切り引き抜いた。


「竜也殿、ご苦労様でした。黄泉渡蟹の呪い、お引き受けします。

 ――晴陀せいだ様! 封印術を!」


 …………。


 ……。


 安倍晴陀あべのせいだの邸宅にて。


「かしこみ申す。

 境を犯す大妖、黄泉渡蟹。

 穢れを離れ、黄泉へ還れ。

 生と死の理により、ここに鎮まり奉られそうろう」


 そのとき、儀式の祭壇が燃え上がる。


『ははは、愚かなり。我を制するなど不可能よ。

 なぜならば、我の力の源は呪いよ。貴様ら人の業。

 枯れることのない怨嗟の泉。

 知っていたか?

 人を呪わば穴二つ。そうとも、倍になるのだ。まさに我が世の春よ。

 ふははは!』


「なんと……ここまで巨大な、神のごとき呪いの化身。

 我々は見誤ったのか……いけません!」


晴陀せいだ殿! どちらへ!」


「失敗しました。申し訳ありません。私は静音たちを探しに行きます。

 もしかしたら、まだ生きている可能性も……」


「ならば、麻呂の馬を使いなされ! それと、そなた一人では危ない。供を遣わす」


「いいえ、三条殿。相手は呪いの化身です。

 三条殿のお身内を、これ以上危険にさらすわけには……」


「それならば丁度よい者がおる。

 三条家の当主でありながら、娘の気持ちを理解しない、とんだ愚かな男がのう……」


「三条殿……」


 …………。


 ……。


「式神が……燃えていく……」


 燃え盛る紙人形。どうやら封印術は失敗したと思われる。

 そのとき、死んだはずの竜也から、怪しげな声が聞こえてきた。


『ふははは! 愚かなり。そんな呪術、呪いの神である我に通じると思ったか。

 だが、お前らの努力は評価してやる。

 さてと……代わりの体が必要だな。

 かたわの娘か、穴あきの娘か。

 こんなことなら、手加減をすべきであったな』


「そんな……これでは……すべて無駄に……。静花さん……ごめんなさい……」


「ごほっ……ごほっ……。そんなこと、ありませんわ。

 あたくしは満足していますのよ……。精一杯、戦って生きたわ……。

 だから、静音さん。あなたは逃げなさい。

 呪いは、あたくしが引き受けてあげるわ。

 ……いつかまた、私を殺しに来てくださいまし……」


『ほほう、穴あきが我をご所望か。だが安心しろ。

 その程度の傷ならば、我が呪いの力で直してやるとも。

 ほれ、かたわの娘。お前はこの娘に感謝し、後悔しながら生きよ。

 再び相まみえるころには、より旨くなりそうだ』


「ごほっ……。無駄口たたいてないで、さっさと呪うなりしなさいな。

 あーあ……あんたと、これから何年付き合うことになるのかしら……。

 あたくし、静音さんみたいに寡黙なお方が好みなのに」


『ふははは! それは悪かったな。

 だが安心しろ。貴様の自我など、よくて一週間もたてば消えてなくなるさ。

 まあ、小娘の無駄話に付き合うのも悪くはないがな。

 そうだ……自我を残したまま、かたわの娘と斬り合う。それも見ものではあるな』


 そのとき、静音に思い当たることがあった。


「静花さん……。今から、私の術に付き合ってもらえますか?

 この先、未来永劫、私とお付き合いしてもらうことになりますが……」


「あら、静音さん。素敵ですわね。そんなの、願ったりかなったりだわ!」


「……ありがとうございます。では、片腕を貸してください」


 静音は片方の腕で印を結ぶ。

 静花も、それと対になるように印を結ぶ。


「最後に……小指を……指切り玄慢」


「うふふ、約束ですわよ。この先もずっと、二人で生きましょう……指、きった」


『貴様ら……なにを……。まさか、その呪いは!

 やめろ! ばかが! それでは、おぬしらの自我がもたぬぞ!?』


「はい。ですから、お互いを励まし合いながら。

 あなたが諦めるまで、封印し続けようと思います」


「そういうこと。

 あたくしたちの友情は永遠だって、教えてあげますわ。

 あなたこそ、あたくしたち相手に、いつまでもつかしら?

 文字通り、嫐って差し上げますわよ!」


 …………。


 ……。


 数日が経つ。


 とある山村の神社にて。


 ここには、最近奉納された立派な慰霊碑があった。


【春日静音・三条静花之霊

 黄泉渡蟹封印

 ここに鎮まる】


「三条殿、こんな立派な慰霊碑……ありがとうございます」


「ふん。麻呂は知らぬ。

 そなたが受け取るはずだった報酬、それをすべて被害に遭った民に分け与えてしまって、

 娘のために墓も碌に立てられぬ愚かな陰陽師の、しりぬぐいじゃ。

 ……そして、それのお供である三条流の女剣士の活躍も、たたえねばならぬでのう。

 麻呂の金など、娘の嫁入りのために貯めておいたものよ。

 いまさら麻呂が持っておっても、しかたないのだ」


 こうして、都を震撼させた黄泉渡蟹よもつわたりがにの呪いは、

 二人の勇敢な乙女の犠牲によって払われたのだった。


 しかし今も、春日静音と三条静花は、永遠に呪いを分かち合い、

 どこかで生き続けている。


 伝承では、鬼女、あるいは屍の巫女姫として。


~~おしまい~~

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屍の巫女姫 神谷モロ @morooneone

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