パクラー~すりかえられない物語~

スズシロ

第1話

序章


俺の名前は赤松弘樹。差出人のない白い封筒を開けた瞬間、甘いインクの匂いが立った。中に入っていたのは、妹――赤松茉莉の結婚式の招待状。新郎は半藤正英、商社勤め。式のプロデュースは従姉の大橋恭子が“全面監修”。一枚目をめくるだけで、彼女の手癖が見える。余白まで演出したがる、あの感じだ。


席次表をスマホで拡大すると、違和感が喉にひっかかった。親族席の最前に「永沢綾」の名がすっと差し込まれている。茉莉の旧友――いや、正確には中学時代にこじれた相手。新婦の親友席よりも前。恭子の判断か、半藤の意向か。どちらにせよ、主役の周囲に置く“物語”を誰かが勝手に決めている。


同封のQRコードを読み込むと、オープニングムービーのプレビューが流れた。茉莉の幼い頃の写真、家族旅行の一枚……の合間に、綾が写り込んだ文化祭のスナップが妙に長い。カット尺が、兄の俺でも数えられるくらいに。さらに画面下には「Special Thanks:K.A.O.R.U Project」と小さく入っている。見覚えのない表記。“家族ユニット”的な何かを匂わせるタグだ。誰が付けた?


電話が鳴る。母の日向子だ。「弘樹、出られる? 無理ならいいのよ」声が少し硬い。「行くよ」とだけ答えた。受話器越しの沈黙の中に、父・誠の咳払いが混ざる。二人とも、言葉を選んでいる。俺も同じだ。高校をやめたあの日から、家族は“説明しない”ことで守ろうとしてきた。守り切れたかは別として。


ムービーを見直す。テロップがまた視界に刺さる。「原案協力:K.Ohasi/A.Nagasawa」。原案? 誰の何に協力した? 茉莉の人生は本人が原案でいいはずだ。画面の最後、白地に金箔で「Brand New Family」。ブランニュー、ね。新しくするには、古いものを何か捨てる必要がある。捨てるのは、茉莉の“書く手”か、名前か、それとも過去の傷痕か。


封筒を閉じ、机の引き出しから小さなUSBを取り出す。黒いテープで「MARI_works」と書いたやつ。データ移行を手伝ったときのバックアップ。フォルダの階層も、更新日時の連なりも、俺は覚えている。努力が残す小さな爪痕の列だ。あれは、誰の手癖でもない。茉莉の手の動きそのものだ。


窓の外で、冬の風が看板を鳴らす。行くべきか、行かざるべきか――じゃない。俺は行く。英語スピーチだの余興だの、どう見せ物にされても構わない。大事なのは、正面の明かりにさらされる瞬間ではなく、暗がりで積み重なった指の運動だ。式場のライトの下で、必要なら言葉にする。誰が原案で、誰が編集者で、そして誰が作者なのか。招待状を封筒に戻し、ジャケットの内ポケットに収めた。違和感は、証拠の位置まで手を伸ばせば、ただの配置になる。さて、配置を整えに行こう。




第二章 兄と妹の距離感


俺の名前は赤松弘樹。差出人のない白い封筒を開けた瞬間、甘いインクの匂いが立った。中に入っていたのは、妹――赤松茉莉の結婚式の招待状。新郎は半藤正英、商社勤め。式のプロデュースは従姉の大橋恭子が“全面監修”。一枚目をめくるだけで、彼女の手癖が見える。余白まで演出したがる、あの感じだ。


席次表をスマホで拡大すると、違和感が喉にひっかかった。親族席の最前に「永沢綾」の名がすっと差し込まれている。茉莉の旧友――いや、正確には中学時代にこじれた相手。新婦の親友席よりも前。恭子の判断か、半藤の意向か。どちらにせよ、主役の周囲に置く“物語”を誰かが勝手に決めている。


同封のQRコードを読み込むと、オープニングムービーのプレビューが流れた。茉莉の幼い頃の写真、家族旅行の一枚……の合間に、綾が写り込んだ文化祭のスナップが妙に長い。カット尺が、兄の俺でも数えられるくらいに。さらに画面下には「Special Thanks:K.A.O.R.U Project」と小さく入っている。見覚えのない表記。“家族ユニット”的な何かを匂わせるタグだ。誰が付けた?


電話が鳴る。母の日向子だ。「弘樹、出られる? 無理ならいいのよ」声が少し硬い。「行くよ」とだけ答えた。受話器越しの沈黙の中に、父・誠の咳払いが混ざる。二人とも、言葉を選んでいる。俺も同じだ。高校をやめたあの日から、家族は“説明しない”ことで守ろうとしてきた。守り切れたかは別として。


ムービーを見直す。テロップがまた視界に刺さる。「原案協力:K.Ohasi/A.Nagasawa」。原案? 誰の何に協力した? 茉莉の人生は本人が原案でいいはずだ。画面の最後、白地に金箔で「Brand New Family」。ブランニュー、ね。新しくするには、古いものを何か捨てる必要がある。捨てるのは、茉莉の“書く手”か、名前か、それとも過去の傷痕か。


封筒を閉じ、机の引き出しから小さなUSBを取り出す。黒いテープで「MARI_works」と書いたやつ。データ移行を手伝ったときのバックアップ。フォルダの階層も、更新日時の連なりも、俺は覚えている。努力が残す小さな爪痕の列だ。あれは、誰の手癖でもない。茉莉の手の動きそのものだ。


窓の外で、冬の風が看板を鳴らす。行くべきか、行かざるべきか――じゃない。俺は行く。英語スピーチだの余興だの、どう見せ物にされても構わない。大事なのは、正面の明かりにさらされる瞬間ではなく、暗がりで積み重なった指の運動だ。式場のライトの下で、必要なら言葉にする。誰が原案で、誰が編集者で、そして誰が作者なのか。招待状を封筒に戻し、ジャケットの内ポケットに収めた。違和感は、証拠の位置まで手を伸ばせば、ただの配置になる。さて、配置を整えに行こう。



# 第三章 中学の春:優秀賞と嫉妬


 あの春、茉莉は十五で「優秀賞」を取った。大賞じゃない、ただの副賞——そう言いながら、受賞メールを開いた指は少し震えていた。小さな賞金と、編集部の短い講評。「構成と情景の強さ」。俺はただ「おめでとう」と言い、古いノートPCのバックアップを増やした。タイムスタンプがまた一列、細く伸びた。


 問題はその翌週だ。放課後の文化講義室、アニメサークルの雑談で、永沢綾がこう言ったらしい。

「私、サムライのサブストーリー考えててさ。名前は“鬼隠(きがくれ)城”。影に紛れて誇りを守る感じ」

 茉莉は別件で、夜桜をモチーフにした短編を書いていた。題は「鬼桜」。鬼隠と鬼桜——字面の“鬼”だけが共鳴した。綾はそこで“盗られた”と勘違いし、火がついた。柔道部の仲間に「根回し」と称して噂を回し、「あれは私のネタをパクった」と上塗りしていく。取り巻きは皆、格闘系の部活で体格がよく、廊下で囲まれるだけで威圧になる。


 裏垢には“証拠(らしきもの)”が積まれた。綾のノートの端に書かれた「鬼隠城」の落書き、音声メモの「影の武士」という断片。どれも物語の欠片に過ぎないのに、「一致」を示す証と扱われた。教室の空気は早い。人は“物語の方が真実より飲み込みやすい”とき、そっちへ流れる。


 茉莉は反論しなかった。代わりにノートPCを家に持ち帰り、ファイル名を整え、版を分け、日付を刻み続けた。夜更けのキー音は小鳥の足音みたいに軽いのに、折れずに続く。俺は移行の手伝いをしながら、中身は覗かないと決めた。だが容量グラフは嘘をつかない。増えていく下書き、プロット、リライト。努力は数で可視化できる。


 綾は“善意の相談”を武器にした。地元同人の大手、大橋恭子に「私のネタを盗まれた」と訴え、恭子は字書きの権威として「それはパクリだ」と太鼓判を押す。証拠はない。ただ、言葉に重りが付いた。そこからは早かった。帰りの昇降口、茉莉の足元にプリントが落ち、「謝りなよ」と低い声。“許される手順”としての謝罪が組み立てられていく。


 俺が気づいたのは、叔父から「学校に話しに行く」と連絡があった頃だ。茉莉は明るく振る舞うほど、肩の力が抜けない。夕飯のあと、彼女はPCの前で呟いた。

「私、パクってない。だから、書く」

 その言葉に、俺は何も足さなかった。ただ椅子の高さを直し、電源タップを交換し、バックアップ先を増やした。殴り合いの代わりに、証跡を積む。春は、そうして静かに、戦いの準備期間になった。




第四章 屋上11:30――土下座強要


 四限のチャイムがほどけた直後、叔父から「職員室に行く」と入っていた連絡が「急用で行けない」に変わった。代わりに俺が向かう。十一時二十五分。昇降口を抜けると、風向きが変わったみたいに校舎がざわついている。メッセージ欄に茉莉のクラスメイト名で「屋上」「和解」とだけある。和解なんて言葉は、だいたい良くない。


 非常階段を上がると、屋上扉のチェーンは外され、内側からドアストッパーで固定されていた。風が抜ける。十一時三十分、円を描く影の中心に茉莉。周りを囲むのは永沢綾と、柔道部・他格闘系の女子たち。腕を組む、腰を落とす、カメラを構える。誰かが紙を読み上げる。「本日は謝罪の席を——」。別の誰かが笑ってスマホを突き出した。「土下座でいいよ。読み上げ、録るから」


 茉莉は俯いていない。目だけがこちらを見て、いまは動くなと告げてくる。けれど、スマホのレンズが頬に触れるほど近づいた瞬間、身体が先に動いた。反射で手を伸ばし、端末をはね除ける。甲高い音。一拍の静寂。「男が暴力!」と誰かが叫ぶ。過剰防衛——この言葉がのちに使われるのを、俺はまだ知らない。


「記録はそのままでいい。消すな。先生を呼ぶ」

 俺は声を低くして言い、茉莉の腕を取り、彼女の背中を自分の胸に寄せる。綾が一歩踏み出す。「逃げるの?」

「避難する。ここは交渉の場じゃない。学校だ。責任者を呼べ」

 柔道の受け身みたいに、言葉を地面に落とす。輪の外へ押し広げ、通路を作る。誰かが肩を当ててくる。踏ん張る。茉莉の足元が震えた気がして、握る手に力を足した。


 踊り場に出る直前、俺は振り返って言った。「十一時三十二分、屋上、招集・恫喝・録画。俺は赤松弘樹。これから職員室に行く」

 綾の目が揺れる。強気に貼った膜が、風で剥がれそうになる。「パクリを認めれば、すぐ終わるのに」

「終わらせるために、事実を確かめる。それだけだ」


 階段を下りながら、俺は茉莉に囁く。「大丈夫だ。呼吸、四つ数えて吸って、六つで吐く」

 彼女はうなずき、小さく息を整える。手は熱いのに、指先は冷たい。保健室の前で立ち止まり、担任に電話をかけ、来てもらう段取りをつける。俺は短く現状を伝え、屋上のドアストッパー、扉の開き具合、人数、スマホの台数と配置——覚えている限りの“場の情報”を口に出して固定する。言葉で留めれば、あとから検証できる。


 職員室に向かう廊下の窓から、春の薄い陽光が差し込む。ここから先は大人の領分だ。だが、この瞬間に線は引かれた。土下座という儀式に、茉莉は参加しない。参加させない。その意思表示として、俺は彼女の肩に上着をかけた。袖が余って、彼女は少し笑った。笑えるうちは、まだ戦える。そう思った。


第五章 退学の真相と“表向き”


 保健室で担任と合流し、俺は事実だけを短く並べた。招集の経緯、屋上の配置、録画の有無、時間。十分もしないうちに生活指導と教頭が来て、会議室に移された。丸机の真ん中に、校章入りの書類ばさみ。教頭は咳払いひとつ、言葉を選ぶ顔で切り出した。


「本来、生徒間の“話し合い”に、対外の方が介入するのは望ましくありません。今回は、保護の意図があったことは理解します。しかし——」


 しかし、の後ろに本音があった。録画の存在、柔道部を含む複数名の関与、卒業直前の処分リスク。学校は炎上を避けたい。停学も退学も出したくない。だからこそ、俺の“外部者”という立場を梃子に、最小の火消しを図る。


「こちらで穏便に収める案として——」教頭は書類を回す。「赤松君(弘樹)が、進路変更を理由に“自主退学”という形を取る。学校は“行き過ぎた動画撮影の抑止”を指導で完了とし、記録は内部に留める。対外発表は『学業方針の変更』一本化。どうでしょう」


 俺は沈黙した。勝ちも負けもない提案に見えて、実際は“交換条件”だ。茉莉の土下座動画を世に出させない代わりに、俺が看板を背負って去る。理不尽だが、守るべき優先順位は明確だった。


「確認ですが」と俺は言う。「当該生徒らへの指導は記録に残す。今後、同様の呼び出しや録画行為は明確に禁止——その文言、書面でください」


 生活指導がうなずき、文案を書き起こす。叔父に電話で合意を取り、父の誠と母の日向子にも連絡が回った。両親は到着するなり、茉莉の前でだけは言葉を選んだ。「お前のせいじゃない。弘樹が自分の道を早めに選んだ、それだけだ」


 夕刻、退学願に署名した。理由欄には「学業方針の変更」。教頭は万年筆を置き、「進学支援先の紹介もできます」と無難な言葉を添えた。俺は首を振る。「通信制に編入します。英語と情報処理の資格を取る。ここでのことは——必要なときに、必要な形で開示します」


 会議室を出る直前、窓越しに西の空が茜色に濁っていた。俺は今日の時刻をメモに刻み、頭の中で線をつないだ。招集、録画、囲み、土下座要求。主導は永沢綾、取り巻きは格闘系。担任の目が届かない時間帯を狙い、出口を塞ぐ段取り——構図は見えた。だが、この日、茉莉の肩にのしかかる罪悪感だけは、俺が引き受けると決めた。


 玄関で靴を履き替える茉莉に、俺は笑ってみせた。「なあ、寄り道しよう。データ移行用の外付け、もう一台買う。お前の小説、バックアップ増やしとけ」


 彼女は目を潤ませ、こくりとうなずいた。表向きの物語はここで終わる。けれど、真実の側の物語はこれからだ。俺の退学は、妹の作品を守るための最初の書き出しにすぎない。



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