不快の蕾
冬鹿
第1話
「なー…どこまで行くんだよ。これ帰れんの?」
ずんずんと雑木林の中を進んでいく俊介に俺はすっかりバテていた。
「もうちょい先だ!それに、多分帰れる!俺迷ったことねーもん」
「そいつは心強い、…ならもうちょっとペース落としてくれるか?はぐれたら俺が迷子になるんだよ」
だいぶ距離が空いてしまい俺の言葉が届かなくなってしまったのか、それとも聞く気がないのか、俺の希望は叶わず俊介はペースを落とさずにどんどん先にいってしまう。
「……!……!」
見失う寸前、100mくらい離れたところで俊介は足を止めて声を上げている。
はぐれずに済んだのは良かったが、
遠すぎていまいち何を言ってるのか聞き取れない。
「…聞こえねぇっての、たく…」
ペースを落とさないのといい、聞こえない距離で叫ぶのといい、もうちょっと人の立場に立って考えてくれ…と俺は俊介の勝手さに心中毒づいてしまう。疲労もあってか心に余裕がなくなってきているのか妙にイライラしてしまう。
距離を詰めていく中でだんだん俊介の声が聞き取れるようになってくる。
「…れ!これだよ、これ!おせーよ、拓海!早く来い!日が暮れたら流石に俺も帰り道わかんねーからな!」
そいつは一大事だ。
もう西の空が真っ赤に染まる時間帯だ。
俊介が俺に見せようとしている何かよりも
帰れなくなることの方がよっぽど気がかりだ。俺は自然と小走りになっていた。
「……でっ?…どれよっ、…見せたいものっ」
やっと追いついた俺は呼吸を整えながら俊介に尋ねる。
「下だよ、下!お前疲れすぎ!なんも見えてねーじゃん!」
無茶言うなよ…、整備されてないデコボコ道を一時間もペースを落とさず歩けるような体力自慢なやつと比較しないで欲しいものだ。
「…下?…どれ?」
俊介の指差す木の根元を見た瞬間、俺は目を奪われた。
そこには墨汁に漬けたかのような黒々とした蕾をいくつかつけた植物が異様な存在感を放ちながら根を張っていた。
「…なにこれ?俊介が植えたの?」
「んなわけねーじゃん!んっと…一年くらい前?俺がこの辺に引っ越してきた時からずっとここに生えてんだよ」
「マジで?この1本だけ?」
「そーだよ。これ1本だけなのも変だけど、この花1年間でほとんど成長してないんだぜ?気持ち悪いだろ?」
「いやいや…、お前が見に来てない間にタネが落ちて芽吹いてって、代替わりして同じくらいにたまたま成長した二代目なんじゃねーの?」
「んなことねーよ、俺はこの辺何度か一人で散歩に来てたけどずっと蕾のままだったぞ?成長してねーんだよ。」
散歩…?こんな人が寄りつかない、道も街灯もない雑木林の奥地まで一人で?
よく無事だったな…。
…しかしまあ、成長しない花か。
「確かに奇妙な花だけど、なんでこのことを俺に?」
「いや、俺また引っ越すじゃん?お前にはさ、俺がいなくなった後もこの花をちょこちょこ見に来て欲しいんだよ。花が咲いたら写真撮ってスマホに送ってくれよ。」
嫌すぎる…。長期的な約束ほどだるいものはない。ここまでくるのもしんどいし…。
「めんどくせ…。俊介がこれ抜いて持ってっちゃえばいいんじゃねーの?植木鉢に入れてさ」
「じゃあ拓海が抜いてくれよ。そしたら持ってくわ」
なんで俺が…。そう思いつつ茎に手をかけようとし、手が止まる。
…なんだろう、この感じ。
茎に手をかけようとした途端、急に心拍数が跳ね上がったんじゃないかと思えるような緊張感・不安感に襲われる。
…抜いてはいけない、直感的にそう思えるのだ。
神秘的だから恐れ多くて抜けないというよりは、抜いたら呪われそうだから抜きたくないと言った感覚に近いかもしれない。
「な?抜く気になんねーだろ?気持ち悪いだろ?」
「ああ、気味悪いよ。だからもうここ来たくないんだけど、写真は諦めてくれるか?」
「そう言うなって!頼むよ!」
「……覚えてたらな、保証はできないぞ」
引き受けないと帰れなさそうな雰囲気に気圧されて俺は渋々承諾する。
…正直、ちょっと不気味だが異様な雰囲気を放つ花が俺自身も気になっていた。
だんだんあたりが暗くなった帰り道、俺と俊介はスマホを見ながら林の中を歩いていた。
俊介が見ているのはマップのアプリだ。
先程は道に迷う心配をしていたが、スマホを持ってきていることを2人揃ってすっかり忘れていた。
とりあえず道に迷う心配はなさそうだ。
そして俺が見ているのは…さっき撮った黒い蕾をつけた植物の写真だ。
どうにもこの植物を気になってしまった俺は花が咲く前ではあるがつい写真を撮ってしまい、今もこうして意味もなく眺めてしまっている。
その蕾は写真越しですら、存在感を感じされる。
「なあ、あれって新種の植物だったりするんじゃないか?どこかに報告すれば俺たち有名人になれんじゃね?」
…つい下世話な発想が浮かんでしまい、俊介に共有する。
「別にいいよ、そんなん。そんなことしたらアレどっかに持ってかれちゃうぞ?俺はあの蕾が花になるところが見れればそれでいいんだ!誰にも言うなよ?」
「…わかったよ、見つけたのは俊介だしな。お前の言うとおりにする」
「わかってんじゃん!じゃあ写真もよろしくな!」
「…期待すんなっての」
そんな他愛もない会話をしていたら雑木林を抜け見慣れた街並みが視界に広がる。
既に街灯は灯っており、あたりは真っ暗になっていた。
俺たちが入っていったのは人が全く寄りつかない日中でも暗い林の中なのもあってか、正直めちゃくちゃ怖かった…。
それ故が見慣れた街並みに心から安堵してしまう。
…そもそも中学校の帰り道に来るのは絶対におかしい、あんな遠いなら休日に来るべきだろう…と不満を抱くが、興味深いものを見せてもらった手前あまり文句は言えない。
「…じゃ、また来週」
「お!じゃあな!」
いつも通りの淡白な挨拶を済ませ俺は家へ向かうのだった。
翌日の土曜日、俺は昨日教えてもらった林の奥地を目指して歩みを進めていた。
あれだけ疲れたデコボコ道を性懲りもなく歩いている。
あれだけ気味悪かった植物を今一度、この目で見に行くために...だ。
俊介が目の前にいた手前、安易に興味ありげな反応を示してしまうと俊介を調子に乗らせてしまうと思い、さも興味なさげな反応をしては見たものの、実際のところ俺はあの黒々とした蕾に魅入られていた。
「...にしても町から4kmも離れていたのか、そりゃ疲れるわけだ」
おれはマップアプリの表示をみてどこか納得する。
昨日花の写真を撮った際に現在地の住所をマップアプリに登録しておいてよかった。我ながらファインプレーだと思う。
とりあえずは道に迷うことはなさそうだ。
しかし、いざという時にバッテリー切れになっては目も当てられない。
無駄遣いはするまいと、目的地まで100mを切った俺はスマホをポケットにしまい歩くことに集中した。
...ここまでくれば大丈夫だ、迷わない、確かあの太めの木の下に...
「おっ、...あったあった。
...やっぱし直接見るとなんか気持ち悪いな」
つい独り言で植物に悪態をついてしまう。
それでも、それなのに、なぜか見に来てしまった。
どうしてなのか、その黒々とした蕾を見ていると心が吸い込まれるような感覚を覚える。魅了されるとはこういうことなのか?
そんなことを考えながら蕾を見ていると、あることに気が付いた。
「...?...なんかでかくなってね?」
いくつかある蕾の内1つだけが妙に膨れ上がって成長しているように見てる。
何で1つだけ?いままで全く成長しなかったはずなのに?というより、たったの一日で?
まさかっ...。気のせいだろう。
そう思いながら昨日のスマホを取り出し昨日取った写真と見比べる。
「...いや、やっぱり大きくなってる。この蕾だけ」
写真と見比べると明らかだった。たった一つの蕾だけが成長していた。
途端に背筋に寒気が走る。
これはもう雰囲気だとか、そういう話ではない。植物の生態として明確に気味が悪い。
正直俺はホラー番組を見る際はどこか他人事に感じてしまい全く怖いと感じたことがなかったが…
当事者になるとこうも肝が冷えるものか。
俺は体がこわばりながらもその植物を観察する。
もう帰りたいくらい気味が悪いが、どうにもこの蕾に引き付けられてもう少し見ていたい気分だった。
「...お前、宇宙人か何かなのか?地球外の生命なのか?それとも...、幽霊の花とか?」
当然だが植物からは何も帰ってこない。
...何を言ってんだ俺は。んなわけあるか。
おおかた、朝露かなんかが1つの蕾の上に局所的に垂れて蕾の隙間に入り込んだんだろう。
俺は蕾を触り、蕾の隙間に水が入り込んでいるであろうことを手触りで確かめようとした。
...特に水が入っているようなぶよぶよ感は感じない。なんというか、ぎっしり詰まっている...そんな感覚がする。
同時に小さい蕾も触ってみるが、触感に変わりはない。
その時だった。
パァンッ!
無音ではあったがおよそそんな効果音がピッタリなほどに、その成長した大きな蕾は一瞬で開花した。
まるで風船が割れるかのような、はじけるような開花だ。
「ひっ!?」
あまりの出来事に驚いた俺は情けない声をあげながらつい尻餅をつく。
しかも、その無様な姿勢のまま固まってしまった。
その不気味な蕾だったものはとても綺麗な花に姿を変えており、俺は釘付けになっていたのだ。
しかし不気味ではなくなったわけではない。
不気味であり、美しいのだ。
見ている者を不安にさせるような黒々とした花びらは健在であるが、花の中心はどこか青白い。
黒い外側と青白い内側が境目を曖昧にしながら溶け合っている。
それは、黒い世界を内側から照らしているようであり、白い世界が外側から浸食されているようでもあった。
そんな奇妙な花をじっと見ていた俺は、
その直後
心に鉛が吊るされたような苦しさに見舞われた。
なんだこれ……、やけに苦しい……。
胸焼け…とは違う、物理的に胸が痛いわけではない、しかしなぜだか俺は胸を両手で押さえてうずくまってしまっていた。
…?うるさいな…、なんだよこれ…。
胸だけじゃない、頭もどうにかなっている。
言ってもない、思ってもいないような声が脳内で矢継ぎ早に響く。
『………んでうちだけこんな何度も…』
『………人の立場に立って考えてくれ…』
『………でへばってんじゃねーよ…』
『………ほどだるいものはない…』
『………しえてやったのに、こんなことも…』
脳みそを乗っ取られたような不快感が続く。
…1,2分は悶え苦しんだだろうか。
やがて、頭で響く声は止み、胸の不快感はおさまっていた。
「………なんだったんだ」
脳が混乱していたギャップからか、頭が働かず判断がつかない。
「…いや、それよりも写真だ。あの花を撮って俊介に…」スマホをポケットから取り出し、植物に向け、そこで俺の手が止まる。
咲いた花が無くなっている。
いや、厳密には違った。落ちているんだ。花の部分だけが地面に。
それもしわしわに枯れており、あの美しさのみる影も無くなっていた。
「…嘘だろ?一瞬咲いただけじゃん…」
困惑の末、思わず安直なツッコミを入れてしまう。
触れたら開花するのか?んで、その後は即枯れて落ちるのか?
なんだそれ、受粉する隙もねーじゃん。
やっぱり生き物としてコイツはおかしい。
…それに、なんで他の蕾は咲かない?俺は他の一個の蕾も触ったぞ?
俺はさっきの悶絶も忘れて、興味本位ですべての蕾を指でつついていた。
しかし、びくともしない。
「…成長してないと開かないのか?」
そもそもなんで成長したんだ?
一年間まるで育たなかったはずだ。
それが、俺と俊介が来た翌日には1つだけ急成長していた。
たまに俊介が1人で散歩で来る以外に人がほとんど寄りつかないような雑木林の奥地で…
「……声か?お前、人の声を聞くと育つのか?」
ポジティブな話を聞くと、より一層植物が成長する…なんて胡散臭い話を聞いたことがある。
「お前はその冗談みたいな話を体現しているのか?」
…もちろん返事は返ってこない。
しかし、なぜだろうな、昨日の俺の声が少なからずコイツの成長に貢献しているような気がしてしまう。
既に朧げな記憶になりつつあるが、さっき脳内で飛び交っていた声の中に昨日の俺の声?があった気がする。
俺が昨日、俊介に対して発した声だったような…
だとすると、この花は…
「お前、声を吸って成長するんだな?そんで、吸った声を開花時に触れたやつの脳に流し込むんだろ?そうなんだろ?」
うんともすんとも、植物からは回答は返ってこない。
ただ…
「…試してみる価値はあるな」
俺はこの植物を育てて俊介に花の開花を見せる計画を立て、実行に移すことにした。
「……それでな?なんとなーく出来心でコンビニのくじを1回分ひいてみたんだけどさ、A賞っていうの?でっかいぬいぐるみが当たってさ。そのキャラクター、女児向けっていうかさ、よく知らなかったけど、それでも当たりを引いたのは嬉しかったね。今も部屋にあるんだけどだんだん愛着湧いてきてさ…」
10分くらいは独り言をしているだろうか。
俺は奇妙な植物の前でなるべくいい気分になった思い出話をし続けている。
楽しかった話、嬉しかった話、当時の感情を思い出して気持ちを込めて蕾に語り聞かせる。
…この植物の開花を再現する上で気がかりだったのは、開花時に感じた壮絶な苦痛だ。
おそらくだが、脳に流れ込んできた声がネガティブなものばかりだったからではないかと思っている。思えば昨日の俺は、足の疲れや帰れるかどうかの不安もあってかかなり疲弊していた。
そんな中で発したネガティブな言葉に感情もセットで吸い取られて、今日になって言葉と感情をセットで返却されたのだろうと俺は考えた。
…それもだいぶ増幅されてな。
昨日も辛かったのは確かだが、さっきの苦痛よりは遥かにマシだった。
まさに扱い注意、だいぶ危うい植物だ。
しかしそれなら、いい気分になった思い出の話や感情を吸っても同じはず。それが増幅されたらそれはもう…危ない薬みたいにハッピーな気分になるんじゃないか?
そう思った俺はさっそく独り言を始めたわけだが…
「…まあ、こんなもんでいいか?」
ちょっとしゃべり疲れてきた。
相変わらず蕾に変化はない。
まあ…、これだけたくさん喋ったんだ。明日はきっと大きな蕾になっているはず。
そんな期待をしながら俺はその場を後にした。
「さっきからお前が何言ってっかわかんねーよ!」
「だから…、あの植物の花が咲いたんだよ。まあ、もう枯れたけど…。でも今日も1輪咲くはずなんだ」
翌日の日曜日、俺は俊介を連れ出し雑木林の中を歩いている。
昨日のことを赤裸々に説明しているが…、俺の説明が下手なのだろうか、全然伝わらない。
「いいから来てみればわかるって、そんで一番成長してるやつをつついてみてくれ」
「…夢でも見たんじゃねーの?一年まるで成長しなかったのに何で2,3日で成長するんだよ!」
「いやそれは…」
らちが明かない。もう見てもらう、もとい体験してもらおう。
「…つーか、今日荷造りの予定だったんだけど。」
「まじ?引っ越しってそんな早いんだっけか。」
「来週の土曜の朝には出発すんだよ。平日は家族みんな忙しいし、今日に粗方済ませておかないといけねーの。」
「それは…すまんかった。でも後悔はさせねえよ。たぶんすごいことになるから。」
「…どうだか」
全然信じてもらえないが…、大丈夫だ。モノを見せれば挽回できる。
なにより、今日が引っ越す前の最後の休日ならばなおさら今日しかチャンスはない。
行き来に時間がかかる分、平日の放課後に向かうのはもうしたくない。
あの美しさは写真じゃだめだ、自分の目で体験しないと損をする。
何より…自分がもう一度開花させても写真を撮る余裕があるとは思えない。
体験させるほかなかった。
まるで話を信じずに帰りたがる俊介を説得しながら俺たちは雑木林の奥に向かった。
3度目ともなると脚が鍛えられてきたのか、それとも体力のペース配分ができるようになってきたのか、疲れを感じることもなく難なく例の植物の元へ到着する。
「咲いてねぇじゃん」
俊介が冷ややかな目で俺をみてくる。
「いや、触ってからなんだって。1番でかいやつを…」
と俺は言いかけてふと気づいた。
植物についていた蕾はどれも小さく均一なサイズだった。
成長してない?
いや、そんなはずは…
「…とりあえず全部の蕾を触ってみてくれないか?多分咲くやつがあるはずなんだ」
植物の仕組みは俺の読み通りで、今回はたまたまサイズの変化がないだけなんじゃないかと…そんな可能性にすがっていた。
俊介はしばらく無言で俺を睨んだのち、黙って蕾を順番に触っていく。
しかし変化がない。
まさかだれかが成長したやつを触った?
いや、昨日の俺がしおらせた残骸は残っているが、落ちているのはそれ1輪分だけだ。
それすらも粉々になっており咲いた証拠と言っても信用されないだろう。
おかしい、…読みが外れたか?
「……帰るわ」
俺が考えていると俊介は立ち上がり来た道へ歩き始める。
「おい待てって!」
俺はたまらず追いかける。
「…タチの悪い嫌がらせだったな。」
むすっとした顔で俊介は歩みを進める。
「いや、違うって!昨日は本当に育ってて咲いたんだよ」
俺も追いかけながら弁明するが俊介は足を止めない。
「…引っ越し作業の邪魔がしたかったのか?」
「なわけねーじゃん!今日がそんな作業日だなんて知らなかったんだよ!」
「行きの時に伝えただろ!なんでその時点で中断にならなかったんだよ!」
「それは…、そもそも!引っ越すからって言って面倒な仕事押し付けんのが悪いんだろ!あの花は写真に撮れるようなもんじゃない、実際見るしかなかったんだよ!」
「まだ言ってんのかよ!おちょくるのも大概にしろよ!引っ越すんだから人に頼むしかねーじゃねーかよ!」
良かれと思って連れてきたのに…引っ越す引っ越すって…、引っ越す側はそんなに偉いのか?周りの人間は引っ越す人間にそんな世話焼かなきゃいけないのか?
「…もう勝手にしろよ!さっさと帰って荷造りすりゃいいだろ!だれが写真なんか送るかよ!」
「誰のせいで時間を無駄にしたと思ってんだよ!」
俊介はそう吐き捨て、早歩きでペースを上げる。
俺は…、あえてペースを落として帰ることにした。
一緒に帰っても揉め事が続くだけだ。
「なんなんだよ、あいつ…」
あいつのためにあれこれ手を焼いたのがバカらしく思えてくる。
時間の無駄はこっちのセリフだっての。
俺は苛立ちを抑えて家へと向かった。
それからというもの、翌週の平日は学校で俊介と顔を合わせてもお互いに無視を決め込んでいた。
しかし、まだ怒ってるわけではない。
正直あの日は、売り言葉に買い言葉で喧嘩腰になってしまったが正直言いすぎたと思っている。
俊介はどう思っているかわからないが…。
ただこうなってしまうとどうにもいつも通りには戻れない。
…水曜、木曜、金曜と時間が経っても関係は変わらなかった。
金曜日の夜、俺は風呂に入りながらふと考えてしまう。
「このままだと喧嘩別れか…」
最後に謝っとくか?
しかし、でもな…
考え込む中でふと思う。
「…咲いてる花を見せれば丸く収まるんじゃねーの?」
毎回1日で咲くわけじゃないかもしれない。
1週間近く経って今頃は咲いてるかもしれない。
そんな可能性が頭に浮かんできた俺は、
次の日、俊介の出発前、それが何時かはわからないが、とにかく早朝に雑木林に向かうことにした。
翌日、太陽は登っていないがあたりが明るくなってくるような時間帯に俺はビニール袋とハサミを片手に雑木林の中を進んでいた。
抜くことをつい躊躇ってしまうような異様な植物。じゃあ部分的に切り取るのは?
俊介は呼んでもついてきてくれないだろうし、
正直賭けだったがもうこの手しかない。
俺は蕾の成長を願って奥に進む。
目的地にたどり着いた時、一目でその異様さに気がついた。
成長している。
いや、膨張していると言った方がいいか。
1つの蕾が、俺の時より遥かに丸々と膨れ上がっていた。時間経過で膨らみ続けたのか、それとも1週間前の10分のポジティブトークのボリュームが良かったのか、理由は定かではないが触れれば一瞬で弾けるように開花することは明白だった。
「…おっと、危ない」
無意識にその蕾に触ろうとしていた。
どうにもこの花にはそうさせる力があるようだ。
「さて…じゃあ本題だ。」
俺は蕾をビニール袋で覆い、茎の部分の切断を試みる。
切る気になれないんじゃないか、袋に落ちる拍子で蕾が弾けるんじゃないか、そんな心配をよそにすんなりと切断できた。
蕾も弾けもせず、枯れもせず、健在だ。
「引っこ抜くことは許さないけど、部分的な持ち出しはいいんだな。わかんねえ奴」
つくづく妙な植物だが、まあ今はいい。
俊介が家を出るまでに届けなければ、と俺は急足でその場を後にする。
…帰り道にふと思ってしまう。
「この花、どこまでの距離なら吸い取れるんだ?」
…まあ、せいぜい数メートルだろう。
100mくらいの位置からでも声が吸えるならちょっとまずいことになる。
昨日の揉め事を起こした距離もそれくらいだっただろうか。
…思い出すだけでムカムカしてくるが慌てて平常心を心掛ける。
何か100mだ。今から触らせようって蕾が1m圏内にあるんだ。
そもそも、あの時の声量はそんな遠くから聞こえるものではないので不要な心配だ。
「仲直りだ…、これは仲直りのため…」そう心に念じ迂闊なことは喋らないようにしつつ、作戦成功を期待して俊介の家に向かった。
俊介の家の前につき、まだ出発前であることを確信する。
家の中からはバタバタと駆け回る足音が聞こえる。
「…間に合ったみたいだな」
俺はほっと胸を撫で下ろしインターホンを鳴らした。
家の中からは『引越しのトラックきた!』と声が聞こえてくる。
そうだよな、引越しの日の来訪なんてとんだ迷惑行為だよな。
その直後、俊介の母親がドアを開け俺と目が合う。
「…あの」っと俺は発声するやいなや、
一瞬眉をしかめた母親は俺が要件を聞く前に家の中へ振り向き「俊介!!友達来た!!」と大声をあげ、家の中にバタバタと帰っていってしまう。
程なくして俊介が顔を出す。
「……なんの用」
ジトっした目を俺を見ている俊介は明らかに不機嫌そうだった。
「この前はすまん!これ持ってきた!ほら!成長した蕾!触ると花咲くから!」
ビニール袋の中身を見せながら、帰り道に考えた口上を一息で言い切る。
丸々と膨れ上がった蕾を見た俊介は目を見開いていた。
「…まじで?うわ、キモ、本当に成長してんじゃん。え、なに、これ触ればいいの?」
どうやら刀を鞘に収めてくれたようだ。
「ああ、これを触れば…」
と言いかけてちょっと考える。
そういえば蕾に思い出話する際に女児向けキャラクターのぬいぐるみを部屋に飾っていることなどかなり赤裸々に語ってしまったことを思い出した。
ここでこの話が爆発するのは…ちょっと、というかだいぶ恥ずかしい。
「…1人で!1人のときに触るように!」
そう言って俺はビニール袋を俊介に押し付ける。
「ふーん?まあそういうことなら後で触るわ」
蕾の急成長という突拍子もない話が本当だったわかった後だからか、数日前が嘘のようにどうも聞き分けがいい。
「じゃあまあ、そういうことで!達者でやれよ!」
引越し間近でどうも忙しそうだ。メッセージアプリもあるし仰々しい別れの挨拶は要らないだろう。
俺はそそくさとその場を去った。
その日の夜、俺は俊介にメッセージアプリで連絡を入れる。
『花咲いた?どうだった?どんな気持ちになったかも教えて欲しい』
…と、まあこんなもんでいいだろ。
メッセージを送信する。
別に俊介もあまりマメな奴じゃないのはわかっていたが案の定、その日は俊介からの返事はなかった。
翌日、俺は奇妙な植物の元へ行き、小さくもちょっと膨れた蕾を突いた。
その美しさに魅了されたのち、またしてもうずくまり悶絶する。
そして頭に飛び交う声を意識的に聞き、昨日の俺の言動と照らし合わせ、知ることとなった。
その蕾は
発声に限らず、心の声も聞いていることを。
ポジティブな声は一切吸い取らず、つらい気持ちばかりを吸うことを。
そして帰り道の途中までの声を、
つまり…だいぶ広い範囲から声を吸い取ることを。
俊介は花を触ったらどうなったのか、
正直聞くのが怖いが
いまだにメッセージの返事は返ってこない。
その後、返事どころか俊介宛のメッセージにはもう2度と既読がつくことはなかった。
不快の蕾 冬鹿 @fuyuzika
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