転生牟田口は無能なりや?
竹本田重郎
第1話 盧溝橋事件
「数発の弾丸が全面的な戦争を引き起こす」
牟田口廉也
世界の愚将に数えられる人物だった。非の打ち所がないと称賛の言葉があればである。牟田口こそ真反対の存在に該当した。インパール作戦だけでなく盧溝橋事件の拡大など結果論だが失敗は数多い。仮に奇跡的な回避に成功すれば時間は稼げたかもしれず、奇跡的に作戦を成功させれば温和な着地を目指せたかもしれず、私は評価を覆してやると意気込んだ。
なぜなら、私は牟田口廉也に転生して憑依してしまったから。
(まずい、まずい、まずい。このままでは盧溝橋事件が起こってしまう。絶対に拡大しちゃいけない)
「連隊長! ご決断を!」
「まずは演習を中止して行方不明の者を徹底的に捜索せよ。中華民国軍の演習は挑発ではない。何かの事故かもしれない」
「しかし、これは明確な!」
「指示が聞けんのか! いいか! 一発の弾丸が欧州全土を揺るがす大戦争になったんだ! お前はその覚悟があって言っているのか!」
盧溝橋事件を拡大させるわけにはいかないのだ。大使館でヌクヌクせずに現場近くにいることを選択して正解である。まさか盧溝橋事件の数週間前に転生して舞い降りるとは想像すらできなかった。幸いなことに、牟田口連隊長は中央のエリートから左遷されたにもかかわらず、意外にも辣腕を振るって部下から敬愛を集めている。
しかし、なんというか、喧嘩早いというか、中華民国軍の動きに敏感すぎた。数発の銃声で攻撃されていると判断することは早計である。現在はお互いに夜間演習を実施中だった。こちらは発砲を禁じて実弾は木箱に仕舞っているが中華民国軍は実弾を使用しているよう。不注意による事故にしては恣意的だが挑発にのることも考えものだ。先の大戦は1発の弾丸に始まって欧州の大地が火に包まれている。
「即座に演習を中止し不明者を捜索する。中華民国軍と話し合う。そこで確認を取る」
「攻撃されたら…」
「自衛の戦闘は認めるが間違っても制圧することがあってはならん。それは陛下の顔に泥を塗ることに等しいぞ」
「承知いたしました」
「明日には私が直々に出向く。河辺さんにも相談せねば…」
一木清直大隊長には演習中止と行方不明者捜索を命じた。ここで戦闘を認めれば同じ轍を踏む。不要な刺激を避けるために演習は中止させた。行方不明者は放っておくこともできず捜索は行おう。ここで判断を誤れば後に数百万の人間が死ぬことを理解していた。河辺正三駐屯軍司令官には不敬を承知で連絡を取る。夜間であったが快く応じてくれた。
電話口であるが先の一件を事細かに報告した上で自身の考えを伝える。自分を可愛がってくれる故にしっかりと聞いてくれた。転生前は保険の営業マンで憎まれがちだが様々な方々と調整を図っている。そのスキルが陸軍で立ち回るに発揮された。人脈さえあれば無理を通すことができる。すでに装備品の把握と刷新のために動いていたが盧溝橋事件で破綻しかけた。
「やれるか…」
「なんとか不拡大で収めます。私から働きかけますが…」
「わかった。本土には丸く収めるように努力している旨で言っておく」
「お願いいたします」
「悪いが、頼んだぞ」
まだ詳細の詳細を詰められていない故に簡潔が精一杯である。とにかく、本件は不拡大で全面的な衝突は一切認めなかった。仮に中華民国軍が本格的な攻撃を仕掛けて来た場合は自衛を許容するが殲滅戦は厳に禁ずる。敵軍が本格的な殲滅を図ってくれば敵軍の責任であると主張した。これに反撃はやむを得ないが帰責性を押し付けられる。本世の盧溝橋事件は中華民国軍の仕業として国際的にも立場を危うくさせた。謀略により転覆させられるかもしれない。
現在は事態を収拾に導くために交渉の中華民国軍連絡士官にコンタクトを図った。翌日には現地司令官と話し合うことを望んでいる。中華民国は大日本帝国と事を構える余裕はないはずだ。共産党の拡大や各地勢力の反乱が重なる。
一木大隊長など現地の話を聞いていると中華民国軍の連絡士官が訪れてくれた。どうやら、彼らも寝耳に水のことで明確に動揺している。それを見るに「兵隊が感情に身を任せて暴走した可能性」が浮上した。
「許さん。我々は戦いたくない。これはお互いの誤解による事故だと思っている」
「はい。私も先ほど知りまして、自制するように依頼しましたが、如何せん…」
「貴国は共産党、地方匪賊、欧米諸国と蝕まれてきた。神経質になってしまうことは理解できます。ここで武器を取って撃ち合っては何の利益を生みません。取り急ぎで申し訳ないが、どうかお伝えいただきたい」
「承知しました」
「それと現場である盧溝橋ですな。ここで話し合いの場を設けて早期に解決したい」
「わかりました。難しいでしょうが、何とかしてみます」
「よろしくお願いいたします」
交渉担当の連絡士官なだけはある。こういうスマートな人物であれば助かるが本番は明日に定められた。牟田口自身が日中交渉の担当官のため自ら出向く覚悟である。これまで何度も修羅場に立ち会ってきたが当事者となることは初めてだ。どれだけやれるかわからない。日中戦争が起こることだけは回避しなければならないが、日本が譲歩し過ぎて権益を損なうことがあってもならず、どこか良い塩梅に落とし込むことが求められた。おそろしく難解であるがやらねばなるまい。現場単位で収めれば国家単位でも上手くいくはずだ。
「一木大隊長。誤るなよ」
明け方まで緊張状態は続いている。両軍共に軽挙妄動は控えてくれた。一木大隊長は演習中止と捜索開始で収める。中華民国軍は散発的に銃撃してきた。こちらに目立った被害はない。交渉のテーブルで揺さぶりに使えそうだ。いかに穏便に収めようと頑として譲れない部分は存在する。
許氏の尽力を賜り衝突危機の現場である盧溝橋に話し合いの場が設けられた。日本側から牟田口廉也が出席する。中華民国側から秦徳純が出席した。所詮は現場単位と雖も事実上のトップ会談である。なぜかわからないが橋上で両軍が睨み合う格好だった。ここで相手に舐められてはならずと佐賀の魂が主張した故に威圧を込めて車上にある。
「ご苦労さんだ。ここからは歩いて行く」
「お気を付けて…」
「万が一は主砲をぶっ放します」
「そんなことはせんでいいよう努めるよ」
盧溝橋に現れたのは日中の両軍だが中華民国軍は歩兵を主とすることに対して日本軍は虎の子の機甲部隊を連れた。まるで威圧しているようだが、下手に刺激せぬよう主砲は塞がれており、砲塔はグルっと逆側を向いている。牟田口廉也は新型中戦車である九七式中戦車チハの車上にあった。
(チハも対戦車と対歩兵の両立を急がねば…)
さすがに突っ込むわけにもいかない。チハから颯爽と降りると自らの足で歩き始めた。本当に信頼できる護衛だけを連れている。万が一に撃たれれば交渉決裂と即時開戦だが中華民国も馬鹿でなかった。自身の感情に身を任せた末に愛する祖国が滅ぶなんて笑い話にすらならない。
「牟田口廉也です」
「秦徳純です」
「ここが事件の場所ですか?」
「厳密に言えば違いますが、象徴としてはそうです」
「なるほど」
軍の通訳を介して事態の確認から入った。お互いの認識をすり合わせていくが中華民国側は「日本軍に不穏な動きがあった」と言う。確かに夜間演習中であったが実弾すら禁ずる中で動いていた。不穏と言われる筋合いはないと反論して誤解である旨を返す。
「秦殿。貴軍の銃声で誤解が生じたが交戦の意図は一切ない。ここはお互いに演習を中止して平静を取り戻そうではないか。無駄な血を流すのは両国に益なしである」
「今更何の意図か? 抗日感情が高まっているぞ!」
「それは理解しているが誤解である。貴国も共産党の脅威に苦しんでいるはずだ。我々も悩んでいる。それ故にこの橋で銃を交えるのは愚策だ。したがって、共同調査を提案する。我々は即座に演習中止して華北の安定のため撤兵してもよい。どうか、蒋介石閣下に伝えていただきたい」
「満州からも退くと言うのかね?」
「それは別の話だが蔣介石閣下次第では考えられる。まずは本案件に関して共同調査を強いて二度と起こらぬ再発防止に努める。ここで戦えば共産党の思うがままではないか」
「共同調査か。良いだろう。応じよう。私も全面的な戦闘は避けたい」
なんとか、なりそうだ。
(続くかも)
転生牟田口は無能なりや? 竹本田重郎 @neohebi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。転生牟田口は無能なりや?の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます