まだ、あなたの妻でいさせて

しゆう

忘れる順番

人が人を忘れる順番は、

最初に声で、次に顔で、最後に思い出だと、

何かの本で読んだ。


それは、

こんなにも長く一緒にいた人にも、当てはまってしまうんだろうか。


結婚して、十数年。

名字も、生活も、毎日が当たり前みたいに並んでいた。

気づけば子どもはもう中学生になって、

あなたの背中を追い越しそうな勢いで育っていた。


それなのに。


あなたは、

ある日、突然、事故でいなくなった。


朝は、いつも通りだった。


「行ってきます!」と言った声を、

私はちゃんと聞いた……


はずだった。


なのに今は、もうその声を思い出せない。

おかしいでしょう……

だって、毎日聞いていたのに。


十年以上も、一緒にいたのに。


顔も、少しずつ曖昧になっている。

写真はあるのに、

記憶の中のあなたは、輪郭がぼやけている。

怒った顔も、笑った顔も、

どこか遠くに引いていく。


でも、

触れられた感覚だけは、まだ残ってる。


夜、眠る前に、

背中に回された腕の重さ。

寒い日に、無言で近づいてきた気配。

私が何も言わなくても、

そばにいるのが当たり前だった。


甘えていたんだと思う。

あなたがいなくなるなんて、

一度も考えたことがなかった。


老後の話もしたし、

子どもが巣立ったあとのことも、

なんとなく、ぼんやり決めていた。

だから私は、

あなたを思い出にする準備なんて、

何ひとつしていなかった。


夢の中のあなたは、ずるい。

あの頃と同じ距離で、

同じ調子で話しかけてくる。

「大丈夫だろ」って、

簡単に。


目が覚めたとき、

隣が冷たいことに、

いちいち傷つくのにも、

もう慣れた……はずなのに。


子どもには、やっぱり言えない。

ちゃんと、母親でいなきゃいけないから。

前を向いているふりは、

結構、上手になったと思う。


それでも、

心の奥では、

私はまだあなたを呼んでいる。


声も、顔も、

少しずつ失っていってるのに、

あなたと夫婦だった時間だけは、

私の中で、まだ終わっていない。


ねえ。

もう一度だけでいい。

名前を呼んでほしい。


そうしたら私、

ちゃんと、前に進めると思うから。


でもね、ホントは……

まだ、前に進むって、

どこへ行くことなのかも、

分かってない。


だから……

今は、まだ、もう少しだけ、

あなたの妻でいさせてほしい。


ずっと……愛してる。

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