19~22才の雑文集
はる
DNA
部屋にはエメラルドグリーンのソファがあって、それがまったく僕らに似合っていない。夜中にもなって、友だちと飲んでいたときも、エリーはあいかわらず、その片言の変な日本語で、キモいよ、キモいよ、このソファー、ほんとにキモいよー、あはは、キモキモー、と酔っ払った勢いのままに口にしていた。
二人しか座れないソファーに、僕とエリーと、体が小さくてコンプレックスまみれの犬戸は座っている。犬戸は酒を飲むと寡黙になって、時々、ありとあらゆる魂の扉を開いたみたいに「結局さ」とまとめだす。僕はそういうときは大体、話を聞いていないのだけど、そのときだけはよく憶えている。
「DNAなのよね。ぜんぶ」
犬戸はわざとらしい女口調でそう言った。彼のコンプレックスは口調にまで侵食している。壮絶な人生を乗り越え、彼に残ったのは自分が男でも女でもない、まっさらな人間だという境地だった。だから、自分は好きな性別を選べる。彼が選んだのは女であった。
「どういうこと? DNA?」
僕の質問に対して、犬戸は酒をあおった。缶のチューハイ。顔はまっ赤。端っこの隅っこで貧乏揺すりをしている。
「あんたも、あたしも、みんなDNAよ。決まっていたのよ。あたしたちが今日、ここに集ったのも、すべてはこの世界のはじまりから決まっていたの」
「世界のはじまりー! ワールドイズビューティフル!」
「エリー。飲みすぎだよ」
「ニューロン!」
とにかく、犬戸は何かを悟りだしたらしい。その丸坊主の頭のなかでどんな思考が走っているのか。僕はDNAについて考えてみようとしたけど、それは螺旋状であること以外、特にイメージは膨らまなかった。犬戸は続けて「ねえ」と口ずさんだ。
「ビリヤードって知ってる?」
「知ってるよ」
「あいのう!」
「エリーは置いておくわね。とにかく、ビリヤードを想像してほしいのよ。真ん中に白い球があって、その少しさきにいくつもまとまった球が稠密に配置されている」
「それを棒でついて、弾くんだろ」
「そうよ。それでボールは散らばって――――どこかに止まるまで動き続ける」
「それがどうしたのさ」
「じゃあ、最後の地点。ボールが止まった地点が決定するのはいつかしら?」
不思議な質問だった。ボールが最後に止まった位置が決定するのは、もちろん最後じゃないか、と思ったら、犬戸は首を横に振った。
「違うわ。白い球を棒でついた瞬間よ。そのときの力と角度、棒がついた場所、その何もかもを計算すれば、ボールの停止地点はわかるのよ」
「確かに。それで? 何が言いたいのさ」
「あたしたちも同じだってことよ。はじまった瞬間の力によって、すべては決まっている」
「でも、世界のはじまりっていつなのさ」
「ビッグバンよ」
からん、と僕の持っていたコップの氷が転がった。僕はそれを口につけると、舌が炭酸で痺れるのを感じた。なるほど。ビッグバンの爆風のなかに、僕らは生きているのか。犬戸はため息交じりにソファーに背をつけた。エリーが「マンジュー!」と叫びながら正拳突きをしている。
「すべては決まっているの。まるでDNAのように。ほら、ケンドリックも言っていたでしょう。俺に刻まれているんだって。そういうことよ」
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