第一話
僕は赤い髪の少女に運ばれながら考えていた。
(まず、僕は死んだ。海に投げられて殺された。しかし、何故かもう一度目が覚め、水になっていた。)
一切意味がわからない。なぜこうなってしまったのだ。僕はこれから水としてどうすればいい?っていうか水だから何も出来ないのか。
「お母さん。お水汲んできたよ。あそこの池のお水は、病気によく効くって聞いたんだ。」
気づくと僕は少女の家まで運ばれていたようだった。
「ありがとう。ごめんね、苦労かけて。私が病気を患わなければ、サロリナに大変な思いをさせずに済んだのに…」
なるほど。この赤髪の少女はサロリナという名前で、病気よ母親のために病気によく聞くとされる池の水を、汲もうとやってきて、僕を運んできたらしい。
「お母さん、気にしないで。すぐにお薬持ってくるね。」
少女が小走りで薬とコップを持ってきて、コップに僕を注いだ。
(うお!)
僕の一部が削り取られていく。しかし痛くも痒くもない。少し心地いいくらいだ。
「はい。お母さん。」
「ありがとう。いつもごめんね。」
ふと、あるものが見えた。
(借用書?)
「いつまで薬を飲み続けなくてはいけないのかしら。まだ、借金だって返せる気がしないのに…」
「?どうしたのお母さん?」
(……)
どうしても、この母娘を他人事だと思うことはできなかった。僕の友達に、似たような境遇の奴がいたからだ。
(竹中、元気かな…)
竹中は僕の旧友だ。あいつの家は母子家庭で、お母さんが難病を患っていた。竹中はお母さんの治療を稼ぐため、学生をしながらアルバイトを掛け持ちし、お金を工面していた。でも結局、竹中のお母さんは亡くなった。竹中はそのあと、親戚の家に引き取られて転校し、その後は一度も話すことはできなかった。
(このお母さんは完治して欲しいな。)
僕はそう思わざるを得なかった。
「私、夕飯で使うキノコ取ってくるね。」
「行ってらっしゃい。気をつけてね。…
はぁ。これからどうしましょうか。主人はサロリナが産まれる前にに帰らぬ人となってしまい、病気を患ってしまった私の薬代の為の多額の借金もある。カロリナがこれ以上辛い思いをするなら私は…」
母親の切実な独り言を聞いてしまった。
しかし、僕は水だ。やれることと言ったら、何も出来ない自分を憎むことくらいだ。
※※※
「お母さん、ただいま。すぐに夕飯作るね。」
「ありがとう。本当に助かるわ。」
トン、トン、トン。カロリナが包丁を扱う音が、静かな室内に響き渡る。
「…ねぇ、お母さん。私のお父さんってどんな人だったの?」
「そうねぇ。お父さんはね。」
母親が一つ一つを大切に思い出すように話し出した。
「お父さんはね、剣士だったの。それはそれは強い剣士でね、たくさんの魔物を倒して、沢山の人に尊敬されてた。」
(剣士…。魔物…。)
「へぇ。お父さんって剣士だったんだ。」
(魔物だと?剣士だと?やはりこの世界は僕が元々いた世界ではない?)
「そう。そしてね、お父さんはとても優しい人だったの。誰にでも優しいから、お母さんが嫉妬しちゃうくらいだったのよ。」
「お母さん可愛い。」
「ありがとう。…だけどね、幸せな時間は突然終わりを迎えるの。この家に、とても強い魔物がやってきたの。お父さんは私のまだお腹の中にいた、あなたを守るために、命懸けで戦い、戦死した。」
「…そうだったんだ。」」
「ごめんね、こんな話、深く話しすぎちゃった。」
(戦死…)
僕が生きていた世界の日本では、「戦死」なんて言葉を身近な人に使うことはほとんどない。僕は母親の話を聞いて、いかに日本が平和だったのか、そして、「この世界がいかに過酷な世界なのか」を学んだ
※※※
僕が壺に汲まれてから、3日がたった。
母親の病態は急速に悪化し、ついには寝たきりになってしまった。
「お母さん、大丈夫?」
「うん。大丈夫よ。」
きっと大丈夫ではない。今は笑顔を見せているが、サロリナがいない時はいつも苦しそうな表情をしている。
「お薬持ってくるね。」
そこで、僕はあることに気がついた。
(僕の残りが少ない…)
壺の中の僕の体積がもう2回ほどコップに入れられたら無くなってしまうほどまでに小さくなっていた。
サロリナが少なくなった僕の一部をコップに移す。
「はい。お母さん。お薬飲んで早く良くなってね。」
母親が薬を飲んだ、まさにその時、家の戸が叩かれた。
「はーい。」
戸を開けたサロリナの目の前にいたのは、白い服を着た、若い男だった。
「サロリナさんのご自宅で間違いないですか?」
「そうですが…」
「お母様の病気の治療法が発見されました。今すぐお母様を王都に。」
「え…本当ですか!?」
これはこの親子にとって、思ってもいない知らせだった。
「うちには治療費がありません。どうぞお帰りください。」
母親のその声で気がついた。そう、この家には借金があったのだ。
「そんな!私が働いてお金を稼げばいいじゃない!」
「ダメよ。治療費だってきっと高額だわ。私はカロリナに辛い思いをさせてまで生き長らえたいとは思わない。」
「そんな…」
家には重苦しい空気が流れていた。
「…それでは、カロリナさんが王都で住み込みで働くというのはどうでしょう。住居や食事などは王都で用意することが出来ます。此処に残るよりは負担が減るでしょう。」
男が言った。
「お母さん、私、王都で働くわ。」
「どうして…どうしてわかってくれないの!さっきからあなたに辛い思いをさせたくないって言っているでしょう!あなたは、お父さんが命をかけて守った、大切な娘なのよ!」
寝たきりの病人から発せられたとは思えない、力強い言葉に、母親がいかに本気なのが伝わる。
カロリナがゆっくりと、噛み締めるように口を開いた。
「あのね、お母さん、聞いて。私は、お母さんの為に働くことが辛いなんて思わない。私が働くことで、お母さんが助かるなら私は幸せ。だって、お母さんが死んじゃうことの方が、私にとって世界で1番辛いことなんだもん。」
「カロリナ…。」
カロリナと母親が今にも泣き出しそうな表情をしている。僕も感傷的にならざるを得ない。
「王都の方、私、決めました。治療を受けます。この子のためにも。」
「その言葉が聞きたかった。カロリナさん、時は一刻を争います。準備をしてください。」
「わかりました。」
そういったあと、この3日間で1番嬉しそうな、幸せそうな表情で、僕を飲み干した。
(お母さん、良くなるといいな。)
カロリナが僕を飲む直前、そう思った。
僕にはこの母娘がこれからどうなるか、見守ることは出来ない。でも、きっと幸せになるはずだ。だって、こんな幸せそうな表情をする少女が、不幸になるなんてこと、許されるはずがないのだから。
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