私のための、私でない思考
@Enjo-G
;;1.評価
オムニ社、東京本社45階。手術室のように白い待合室は静まり返り、床も壁も椅子も継ぎ目のない光沢を放つ。窓はスクリーンに遮られ空は見えない。
私、ユキを含め五人の就活生が等間隔に座っている。誰も口を開かない。彼らは左肩に浮かぶ知性「レキシコン・ネクサス」と無言で対話していた。最終面接のシミュレーションだろう。この静寂は、全員が脳内でAIと高速で対話し、思考を研ぎ澄ませているからだ。
宙に浮かぶホログラムは緊張を映して微細に震える。隣の男性のレキシコンは、精巧なクロームで縁取られ青いオーラを放つ高価なモデルだ。彼の網膜には膨大なデータがリアルタイムで表示されているのだろう。羨望と焦りが胸を焼き、私は自分の初期モデルの素朴な光を少し暗くした。
やがて、「ハヤマ・ユキ様」という合成音声が静寂を破った。私は深呼吸し、白い廊下の先の部屋へ足を踏み入れた。
面接官のタナカは私を一瞥すると、すぐ視線を私のレキシコンへ移した。人間より先にAIのスペックを確認するのが、この時代の効率的な人物評価だ。彼のレキシコンは金色のリングが惑星の軌道のように回転する最新モデル。その威圧的な光が、私の初期モデルを玩具のように見せた。
「では、始めましょうか」
タナカの言葉で、彼のレキシコンから光の糸が伸び、私のに接続された。レキシコン・シンク。思考、倫理観、知識。私の人生が数秒で丸裸にされていく。不快感を押し殺し、私は背筋を伸ばした。
スキャンが終わると、タナカは興味を失ったようにパネルに視線を落とした。
「文学部で『失われた言葉の美しさ』を研究? 素晴らしい。だが我々が必要なのは感傷ではなく、データに裏付けされた最適解だ」
彼は続けた。「君のレキシコンの基礎スコアが低いのは百歩譲ろう。だが、プロンプトが浅すぎる。先ほどの課題に『最適解を求めよ』と指示しただけだ。これではAIの性能を30%も引き出せていない」
タナカは教え諭すように言った。「エリートはこう入力する。『倫理的配慮と長期的利益を両立させ、かつステークホルダーの心理的満足度を最大化するパスを、アイザック・アシモフのロボット三原則が抱えるジレンマを解決するような、多層的な論理構成で提案せよ』…とね。君には『問いを立てる力』、すなわち『プロンプト力』が欠けている」
アシモフ。子供の頃、夢中で読んだSF作家の名。その世界が、今や私を切り捨てる基準になっている。物語の感動でなく、構造的ジレンマを解くこと。それが価値になる時代だ。
「君のレキシコンは、君の『善性』は記録しているが、それを企業の『価値』に変換できていない。非常にもったいない」
それが、私という二十二年間の人生への、最終評価だった。
カフェの喧騒が、遠い世界の音のように聞こえる。渋谷の「ミヤマスザカ・カフェ」。テーブルのARディスプレイに友人サキの情報が映る。
「またダメだった? やっぱり初期モデルのままじゃ厳しいって」
サキは悪びれずに言った。彼女のレキシコンは明るいオレンジのUIにカスタマイズされている。
「見てよ、この論文要約機能!昨日公開された量子コンピューティングの論文、もう学習済みだよ? 便利すぎ!」
彼女は続ける。「アップグレードも大事だけど、『プロンプト力』講座も必須だよ。月額3万クレジットで、エリートAIの性能を120%引き出すプロンプトが学べるんだって。結局、AIも使う人間次第だからね」
私には返す言葉もなかった。会計時、サキのレキシコンが一瞬で割り勘を計算し、私の網膜に送金リクエストを送る。私の初期モデルが承認にもたつく。その0.5秒の遅延が、私とサキの途方もない距離に感じられた。
その夜、故郷の両親にビデオ通話をした。画面の向こうに温かい居間が映る。
「無理しなくていいのよ、ユキ。いつでも帰っておいで」
母の言葉に涙を堪える。父が続けた。
「…お父さんは今でも、お前が文学を学んでくれて良かったと思ってる。人の心の動きを理解する力は、どんなAIにも真似できん『人間だけの力』だからな。いつか必ず役立つ時代が来る」
父の言葉は、心から私を信じている響きだった。でも、ごめんなさい、お父さん。今の社会で必要なのは物語を読み解く『心』じゃない。アシモフのジレンマを解く『技術』だ。その『人間だけの力』を金に換える方法を誰も教えてくれない。
通話を終え、暗いワンルームでレキシコンを見つめた。両親がくれた愛情の証は、今や成功を阻む「足枷」だ。
私のレキシコンが、静かに網膜に問いかけてきた。
『オムニ社への就職に失敗しました。原因分析:レキシコン・スコア及びプロンプト力の不足。解決策を提案します』
目の前に広告が浮かぶ。
【レキシコン・アップグレード v2.5:アカデミック・モデル】
その下で、悪魔の囁きのようなボタンが誘うように点滅していた。
【AIモデルローン:未来の自分への投資を始めよう】
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