勇者をやめた僕は、世界を救ったことを誰にも言わずに恋をする

長晴

世界を救ったことを誰にも言わずに恋をする

 目覚めた瞬間、最初に思ったのは――静かすぎる、だった。


 風の音も、剣が擦れる音も、遠くで響く魔物の咆哮もない。ただ、規則正しく動く秒針の音だけが耳に届く。


 見上げた天井は白く、ひび割れ一つない。


「……戻った、のか」


 自分の声が、やけに現実的に響いた。


 数分前まで、僕は魔王城にいた。

 最後の一撃を放ち、光に包まれて、仲間たちの顔を見て――。


 スマホを手に取る。

 日付は四月八日。午前六時三十二分。


 異世界に召喚された、あの日と同じ日付。


「……時間、止まりすぎだろ」


 笑えない冗談を呟きながら、ベッドから降りる。

 身体は軽い。魔力も、剣技も、全部残っている感覚があった。


 けれど、それを使う場所はもうない。


 今日から、僕はただの高校生だ。




 制服に袖を通し、鏡を見る。


 そこに映るのは、どこにでもいそうな新入生。

 魔王を倒した勇者には、どう見ても見えない。


「……これでいい」


 誰にも言わない。

 誰にも知られない。


 世界を救ったことも、血を流した夜も、すべて胸の奥にしまい込む。


 そう決めて、家を出た。




 校門前は、ざわめきに満ちていた。


 新品の制服、緊張した顔、写真を撮る親たち。

 この光景を、僕は異世界で何度も夢に見ていた。


(……帰ってきたんだな)


 そのときだった。


「……ユウ?」


 呼ばれた名前に、心臓が跳ねた。


 振り返ると、そこにいたのは――

 ありえないはずの存在。


 長い白髪、澄んだ瞳。

 見覚えがありすぎる、その笑顔。


「……リリア?」


 異世界で、最後まで共に戦った仲間。

 聖女で、回復役で、何度も僕の命を救ってくれた少女。


 彼女は、日本の制服を着て、校門の前に立っていた。


「やっぱり……君だ」


 少し震える声で、彼女は言った。


「目が覚めたら、知らない部屋で。スマホがあって、制服があって……今日が入学式だった」


「……そうなのか」


 しばらく、言葉が出なかった。


 再会は、あり得ないものだと思っていた。

 けれど現実は、あまりにも日常的で――だからこそ、胸が締めつけられた。


「ねえ、ユウ」


 リリアが、聞いてくる。


「……ここでは、もう戦わなくていいんだよね?」


 僕は、はっきりと頷いた。


「戦わない。魔王も、運命も、もう終わった」


「……そっか」


 彼女は、安堵したように微笑んだ。


 その笑顔を見た瞬間、胸の奥にしまい込んだはずの感情が、静かに揺れた。



 入学式は、正直ほとんど覚えていない。


 リリアが同じクラスだと知ったこと。

 隣の席だったこと。


 それだけで、頭がいっぱいだった。


「……ねえ」


 式が終わり、人の少なくなった教室で、彼女が小さく声をかける。


「ユウは……ここで、どう生きるつもり?」


「普通に」


 即答だった。


「普通の学生として、普通に勉強して、普通に笑って……」


「それで、幸せになれる?」


 その質問に、言葉が詰まった。


 異世界では、幸せなんて考える余裕はなかった。

 ただ、生き延びること。守ること。それだけだった。


「……なれると思う」


 少しだけ、嘘を混ぜて答えた。


 リリアは、じっと僕を見つめてから、静かに言った。


「私ね。異世界でのこと、全部忘れようと思ったの」


「……え?」


「だって、ここでは必要ないでしょ? 聖女の力も、使命も」


 そう言って、彼女は笑う。


「でも……君を忘れるのは、無理だった」


 心臓が、嫌な音を立てた。


「勇者としてじゃなくて、一人の男の子として……君のこと、好きだったから」


 教室が、やけに静かだった。


 世界を救うよりも、重たい言葉。


「……リリア」


 僕は、ゆっくりと息を吸う。


 隠すと決めた。

 過去も、力も、全部。


 でも――


「僕も、同じだ」


 彼女の目が、少し見開かれる。


「異世界で、君がいなかったら……多分、何度も死んでた」


 それは事実だ。


「ここでは、勇者じゃない。ただの高校生だ。それでも……」


 一歩、彼女に近づく。


「それでも、君の隣にいたい」


 沈黙のあと、リリアはゆっくり笑った。


「……それ、告白?」


「たぶん」


「不器用だね」


 そう言いながら、彼女は僕の袖を掴んだ。


「じゃあ、約束して」


「何を?」


「ここでは――普通の恋をしよう」


 戦いも、犠牲もない。

 心臓が少し痛くなるくらいの、平凡な日常。


「……ああ」


 頷いた瞬間、胸の奥が温かくなった。



 世界を救った物語は、もう終わった。


 誰にも知られない英雄譚は、胸の中に眠る。


 そして今、始まるのは――

 勇者をやめた僕と、ヒロインの、ただ一つの恋の物語。


 それは、剣も魔法もいらない。


 ただ、隣で笑える日々があればいい。

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