また逢う日まで-1

 その日の朝食は、チシャが三枚きりのサラダと、黴をむしりとったのが一目でわかる小さな黒パン、それから、沸騰させてエチルをとばした糖蜜酒だけだったから、だからいつもより少しはやめに昼食をとろうと、女の子は提案したのだ。

 隊長さんはたいていの場合、食費をとことんまで削ろうとするし、それでなくとも食料事情が悪いなかで安いお店ばかりを選ばれたら、いつか栄養不良で倒れてしまう。この日ばかりは、女の子も断固としてちゃんとした構えの店に入ることを主張した。もっとも、ポケットから取り出した財布をこころもとなげに握りながら、それでも乗り気でなかった隊長さんがそのお店を選んだのは、単純に野立の看板に『酒』の文字が見えたからなのだけれど。

 お店は東の国にありがちな、赤い煉瓦屋根にやや黄味がかった漆喰の壁の建物で、左半分にところどころ煤けた痕がのこっていた。扉の上にはみがかれた銅の看板が取りつけてあって、それが太陽の光をはじいて、まるで黄金のように輝いて見える。

 その看板がとても素敵だったので、女の子もお店にはいるのに異存はなかった。今日は、きっといつもより豪華な──具体的な料理名はなにも思いつかなかったけれど──昼食を食べるのだと、はりきって木戸を押した時、突然扉の向こうからたくさんの冷水を浴びせかけられて、それが、この物語のはじまりだった。


 * * *


「ほんとうに、申し訳ありません」

 女の子の髪を拭きながら、女の人は、何度も何度も謝罪した。

「あのう、できれば、俺にもタオルを貸していただけるとありがたいんですが」

 水に濡れ、普段よりもいっそうみずぼらしい姿で控えめに立つ隊長さんは、残念なことに誰も相手にしてくれない。

「あのー、すんませーん」

「あ、はい」ようやく気がついた女の人はふりかえって、「お父さん、タオル」

 お店には、だれもお食事をしている人がいなかった。けれどひとりだけ、端の木卓に肘をついて座っているお爺さんがいた。

「お父さん」

 女の人が強く言っても、お爺さんはそっぽをむいて席を立ってしまう。

「お父さん!」

 地団駄を踏みそうな勢いで、女の人はお爺さんを呼び止めようとする。……女の子の頭の上に乗せられた手にぎりぎりと力がこめられて、とても痛いのだけれど。

 さきほど女の子と隊長さんに冷水をあびせたのは、あのお爺さんだ。

「ちょっと!」叫ぶ女の人の声と同じくらいの荒っぽさで、右足を引き摺ったお爺さんは奥への扉を閉めた。その振動でぱらぱらと漆喰の欠片が落ちてきて、この建物大丈夫かなと、女の子は話の流れと関係ないことを心配した。

「……どうも、お取り込み中のところを失礼しましたようで」

「いいえ」

 女の人はしばらくお爺さんの消えた先をにらんで、やがてふっ、と溜息を吐いてうなだれた。

「すぐに暖かいものを用意します。こちら、あの、古着でもうしわけありませんが、着替をどうぞ」

 どうもと答えて、隊長さんは着替えを受け取る。それは、隊長さんが身に付けているものよりよっぽどまともな一揃いだった。

「俺のタオルのことも……忘れんでくださいね」

 けれどもとても悲しいことに、隊長さんの言葉は、みごとに忘れ去られたのだった。



 隊長さん(のお財布)にとって幸運だったのは、その日の昼食が、全部タダになったことだ。白くとろりと濃厚なポテトスープと、ほかほか湯気のたちのぼるお粥と、それから、新酒の赤葡萄酒──女の子には葡萄のジュースが与えられた──に、おまけに二階に泊めてもらえることにもなった(宿も兼業していたらしい)。スープはおかわりもできたので、隣でくしゃくしゃの黒髪をタオルで拭きながらくしゃみをしている隊長さんはともかく、女の子にとっては、たいへん満腹な結果となった。

 濡れた服は、二階の部屋の柱にかけて乾かしておく。もともと襤褸だから、いまさら水をかけられたくらい、どうってことはない。むしろ洗濯の手間がはぶけて幸運だわと、女の子は思うことにした。

 お腹がくちくなれば次に待つのは睡眠だ。店の窓辺はたいそうぬくく、木卓に頬をくっつけて、女の子はうとうと微睡みに身をゆだねた。そのあいだに木卓のむこうでは女の人が自分の名前を名乗ったり、隊長さんが女の人──リーベさんを口説こうとして振られたりしていたけれど、特に後半はどうでもよいことなので、女の子は天国にいるような気分をたっぷり堪能──しようとした。

「こんにちは」

 その安眠を妨害したのは、ふたつ前の窓から身を乗りだしてきた女の人の声だ。笑いの混じったよく通る声で、流行の短かめの髪に、きらきら赤く光るピアスが綺麗だった。

 ひとめ見て、また眠りに入ったので、その女の人の容姿はそれ以上わからない。けれど、リーベさんが居ずまいを正したのは気配で察せられた。

「フェレさん」

 やっほー、と明るく挨拶する敵の名は、フェレさんと言うらしい。

「どうしました」

「いやサ、お父さんがウチの店に来たから、逃げてきたのよ。──ナンか派手にやってたねぇ」

 苦笑しながら答えるフェレさんと、すみません、と恥ずかしそうに呟くリーベさんの声が、女の子の耳にも入って来る──ああだめだ、どんどん眠気があさっての方向に行ってしまう。

「おお、べっぴんさんがあらわれた」場の空気を読まない隊長さんが口を挟んだ。

「何、このオッサン」

「ええと……」

「……おとうさんの癇癪の被害者ね」

 御愁傷様、とフェレさんは笑う。はぁ、どうも、と気の抜けた声で隊長さんは応じた。

「最近、おとうさん、とんでもなく機嫌が悪いから」

「あの、父がそちらにうかがっている、ということは……」

「うん、まぁ、いつものパターンね」

「すみません。今すぐ引き取ります」

 窓の向こうから、狼の遠吠えみたいな大音声が響いた。「……うん。いつのもパターンだわ」

「ああ、もう!」リーベさんが、木卓をバン! と叩いて立ち上がる。

「……荒事になるなら手伝いましょうか?」隊長さんの提案は、不幸なことに誰の耳にも届かなかった様子だ。

 先ほどのお爺さんそっくりの足取りで、リーベさんは立ち去っていく。知らない人を残しておいて、お店の防犯は大丈夫なのかなと女の子は思ったけれど、どうやらフェレさんがお留守番みたいだ。

「あー、ホントに、厄介なところをお邪魔したようで」

 寝るのを諦めて顔を上げた女の子の視界の端に、困ったふうに頬を掻く隊長さんの姿が映った。

「早々に立ち去った方が良いですかね、俺達」

「別にいいんじゃない?」

 フェレさんは肩を竦めた。「久し振りの金蔓だもの、ゆっくりしていけば?」

「可及的速やかにお暇させていただきます」

「冗談よ」

 フェレさんは何と表現したら良いかわからない表情をする。それから、ひょい、と後ろを振り返った。

「いつものことだもの。一爆発したら治まるわよ。じきにあの娘が回収してくるわ──その前におとうさんの音響兵器が炸裂するんだろうけど」

 フェレさんの言葉が終わるか終わらないかの内に、少し離れたどこかから、びっくりするほど汚い声で、東の軍歌が聞こえてきた。



 リーベさんに引き摺られて帰ってきたお爺さんが、その後どういう行動をとったかは、簡潔に概要だけを説明しよう──何のことはない、隊長さんを相手に夜までずっとお酒と愚痴をこぼし続けていただけなのだけれど。話を要約すると、西の国の人はチビで、非論理的で、扇動され易いバカで、ついでに娘はぜんぜん言うことを聞いてくれなくて、年々死んだ母親に似てきて父の威厳と言うものをちっとも鑑みてくれなくて、昨日も煙草を取り上げられてしまったけれどまだ部屋に隠してあるから大丈夫とかなんとか云々……。

「まぁ、エチルの酒を思う存分飲めただけで良しと言うことで」

 とうとう木卓に突っ伏して寝てしまったお爺さんを横目で見下ろしながら、誰にむかってか隊長さんは呟いた。

「いえ……ほんと……何と申し上げれば良いか」

 ほくほくのチーズを木卓に置いて、リーベさんも椅子に腰を下ろした。顳谷をぐりぐり押さえているけど、風邪なのかな?

「昔はもっとマシな性格だったんですけど。塹壕で毒ガスにやられてから、あんな偏屈になってしまって」

「それは御愁傷様です」言いながら、隊長さんは、彼を肥満の魔の手から救うべくチーズ皿へと伸びた小さな手をぱちん、と叩く。

「ですが、ずいぶん戦功をあげられたらしいじゃないですか。潜水艦隊がどうとか」

 そんな話をしていたのか。女の子はがぜん興味を持って、身を乗りだして耳を寄せた。その時ちょうど読んでいた本が、銛使いの漁師と学者とその助手が、電気の潜水艦に乗って冒険するという話だったので。

「潜水艦隊?」リーベさんは少し首をかたむけて、「違います違います。父が行ったのは北部戦線です。すぐに足を撃たれて帰って来てますし。潜水艦隊は私の兄達の話です。海軍に徴兵されて、海狼作戦に参加していて」

 はぁ、と、隊長さんは対応に困った声をあげた。「ご兄弟は?」

「二人とも戦死しました」

 それは、と言ったきり、隊長さんは言葉に詰まる。なんだか重たい話になりそうだったので、女の子はこっそりチーズを片付けることに専念した。表面の縁の部分に、ほんのり狐色に染まったチーズの焦げは、噛むとカリカリとした触感といっしょに温かさと中の甘い部分が染みだしてきて、とても幸せな気分になれた。

 誰かが戦死したとかいう話は、もうお腹一杯だ。

「あなたは? どちらに従軍していらっしゃったんですか?」

 沈黙に堪えかねたのか、リーベさんは少し甲高い声で質問した。

「いやぁ、さて、どこにいたんだか」

 リーベさんはまたたいた。

「判らんのですよ。──西部国境戦線の何処かだとは思うんですが」

 リーベさんの瞼がピストンみたいに高速で上下している。隊長さんは癖のある黒髪をわしわしと掻いて苦笑した。

「休戦して一週間くらい後だったかな。西部国境戦線の端で目覚めましてね。それ以前のことが全く思い出せんのです。記憶喪失って奴ですか。自分の名前も出身も思い出せません。読み書き計算の一通りは理解できるんですが」

 リーベさんが言葉の意味を理解するのに、少し時間がかかった。伏目がちに隊長さんの言葉を吟味して、とりあえず最初に思い付いたであろう質問を口にした。

「ええと、じゃあ、この子──茶髪の子は……?」

 茶髪じゃない、金髪だ。

「さあ。──目覚めた時に傍に居たんですよ。ずっとついてくるんで、とりあえず連れて廻ってるんですが」

 二人の視線が注がれる。

「おちびさんに訊いても無駄ですよ」

 女の子に質問しようと腰を浮かせたリーベさんを、隊長さんが制止した。無言で人指し指を唇の前で組んで、ペケの形にする。

 リーベさんは目を見開いた。女の子が、まだ一言たりとも口をきいてないのに思い至ったのだろう。

 その一連の流れを、女の子はまるっきり無視した。下の方にあったチーズが意外に熱くて、舌が大変なことになっていたからだ。


 * * *


 翌朝、お爺さんは、それはひどい二日酔いで起きて来られなかったので、一階のお店の中は非常に静かで居心地が良かった。

 開かれた窓からは、女の子の知らない鳥の歌がチロロロと流れている。空は薄く雲のかかった、けれども太陽の光が地上を暖かくするには充分な明青色で、夏の終わりの風は、少し肌寒いけれど目を覚ますにはちょうど良い。

 しかしそれよりなにより、女の子の関心を引いたのは、店の隅に置かれた丈長のドレスだった。お店の木卓をどかして作られた空間に、トルソーに着せられた、純白のドレスが置かれている。

 床に引き摺るほど長い、薄い布が幾重にも重ねられたスカート、ケーキのデコレーションのようにふんだんに取りつけられたレース。

 コルセットはきゅっと締まってつやつやした絹の光を際立たせ、その上の、胸元にこれでもかといわんばかりに施されたビーズやレースや造花の数々。

 小さな女の子が目を輝かせるには充分なしろものだった。

 結婚式用のドレスだ。

 女の子はピンときた。興奮して、このドレスを着ることになるであろう人物を捜していると、さっき女の子が下りてきた階段から、綺麗なドレスとはおよそ対極に存在するおじさんがのっそりと姿を現した。

「……おお、こりゃあ凄い」

 隊長さんはドレスを一目見て、なんとも抽象的な感想を述べた。

「これ、いつ運んできたんだ?」

 答えを知らなかったので、女の子はふるふると首を振った。食堂には二人しかいないから、隊長さんも知りたかったわけではないのだろう。

「これを着て化粧をすれば、さぞやべっぴんさんになるんだろうねえ」

 ……隊長さんの数多い欠点の一つは、人を誉める語彙に乏しいことだと、女の子は思う。

 このまま食堂で、朝食を食べながらドレスアップの様子を眺めていられれば素敵だったのに、隊長さんは女の子の襟首を引っぱって、扉に向かって歩きだした。女の子は一生懸命足を踏んばって抵抗したけれど、いかんせん体重差がありすぎた。やめてよね、服が破けたって買ってくれないくせに。

「部外者が邪魔しちゃ悪いだろう」

 黙って見ているだけだから、迷惑はかけない。

「こおゆうのは、まず当事者同士の内で祝うもんなの」

 お祝いごとは、沢山の人に一度に祝ってもらうほうが盛大でいいに決まっている。

「言っとくが、朝食は断ったんで。どうしても見たいっつーんなら置いてくが、昼まで何も無しだからな」

 ──女の子は抵抗を諦めて、すごすごと隊長さんの後について敷居を跨いだのだった。



 この街の窓は、女の子の故郷のそれよりもずいぶんと小さくて、しかも硝子の代わりに鎧戸がはまっている家が多かった。たいていの壁には煤けた跡が残っていて、更地になっている土地も多い。同心円を何個も重ねた模様の、赤茶色の石畳の道路は、ほんとうはたいへん綺麗だったのだろうけれど、今や敷石は砕け、めくれ上がってでこぼこで、吸血鬼のお城の石畳みたいになってしまっている。

 前日は諸事情(保護者が昼間から酒を飲み続けていた)によりほとんど街を見て廻ることができなかったけれど、こうしてみると、さすがに国境に近いだけはあるなと、女の子は考えた。地図で見ると、この街はほとんど国境線の真上にあるのだ。

 パンを求めて大通り沿いに歩いていく。大きな交差点で行き止まりになった。路を遮る縄が何本も張られ、『危険』『通り抜け禁止』と書かれた布が、一定間隔ごとに下げられている。

「……何だこりゃ」

 街をよく知らない隊長さんと女の子は、その親切な警告を思い切り無視して縄を持ち上げた。一歩中に入ってみても、これまた同じ街並みが向こうへと続いていて、けれど、誰も住んではいないふうだった。

 交差点の向こう側にも、同じように縄が張られている。

 そちらには、人間の姿もある。

 これはどういうことだろうと、女の子が疑問に思った瞬間、

「──お前等、何をやってる!」

 背中から大砲みたいな大声が飛んできて、女の子は飛び上がった。

「馬鹿野郎! 進むな! 歩かせるな! 親、止めろ!」

 慌てて逃げだそうとすると、いっそう切羽詰まった声が追う。隊長さんが、すばやく女の子を抱え上げた。

「お前等ちゃんと脳味噌入っているのか! 縄張ってある意味くらい常識で考えろ! 自殺するつもりか!?」

 走ってきたのは義勇隊の制服を着た、隊長さんよりも一回りくらい年上のおじさんで、突きでたお腹を激しく揺らしながら、かぼちゃみたいな顔を限界まで真っ赤にして、口の端から泡を飛ばしながら隊長さんを怒鳴りつけた。

「貴様等の目は節穴か? ここに吊してある文字も読めんのか? 図解までしてあるんだがな!」

「いえ……あの、ホントすんません」

 おじさんがひっ掴んで掲げて見せた布切れには東の文字でしっかりと『地雷 危険』と記されており、その下にはご丁寧にもドクロマークと、爆発して足が飛んでしまっている人間のピクトグラムまで入っている。女の子のような小さな子や、文字の読めない人にもきちんと危険が伝わる丁寧な仕組みだ。

「路のあちら側に行きたいんですけどね……どっかから迂回するしかないんですかね」

 縮こまってぼそぼそと呟く隊長さんを、おじさんは鼻で笑った。

「あっちに行ってどうするね」

「特に用は無いですが。どんな店があるか覗いてみようと」

「あちらは外国だ」

 隊長さんは頬を掻いた。「いやあ、路のあちら側へ行きたいだけですよ」

「だから、この路を越えたら西の国だ」

 おじさんは持っていた縄をもう一度示して見せる。「これが、今の国境線だよ」

 女の子はびっくりして、おじさんの縄と路の向こうとを見比べた。

 なるほど、ほんとうに国境の真上に街があるのか。

 じゃあ、戦争の時はどうしていたのだろう。

「戦前は東領だったんだ。それが四年前に西に半分捕られたまま休戦しちまいやがった」

 あっちには俺の甥も居るってのに。隊長さんが質問すると、そう言っておじさんはいまいましげに舌打ちした。

「どうしても行きたいってんなら、東嶺要塞に検問所があるから、そこで必要な手続きを取って行きな」

 二週間くらいでいけるだろうよ、とおじさんは説明してくれる。東嶺要塞と言うのは、西部国境戦線の中でも最も戦死者の多かった激戦地だ。

「こっちは地雷原だからな」

 おじさんは顎で縄に挟まれた道路をしゃくってみせた。じらい、と、気の抜けた声で隊長さんは反復する。今一つピンと来なかったようだ。それもそのはず、地雷はこの戦争で初めて大々的に使われたものだから、隊長さんの記憶には残っていないのだ。

 おじさんは深くうなずき、

「どっちの軍隊も認めちゃいないがな。俺は見たんだ。軍服を着た連中が、夜中じゅう石畳の下に阿呆みたいに地雷を埋めやがった。お陰でこの通りは地雷の見本市になっちまったよ」

 なんでも、踏めば爆発する普通の地雷だけではなくて、何回か踏まれて初めて爆発するものとか、爆発する時に腰や目の高さに飛び上がったり金属片が飛び散ったりするのや、なんと戦車を破壊してしまうほどのものまであるのだそうだ。

「へぇ、そりゃまたえらい高性能に進化したもんすね」

 隊長さんが驚嘆の声を上げると、おじさんがギロリと怖い目でにらんでくる。

「……失礼」首を竦めて、隊長さんは謝った。

「じゃあ今はもう道のこっちとあっちで交流は無いんですかね。元同じ街なのに」

「当たり前だろう。いつまた戦争が再開するかもわからんのに」

「再開? 戦争はもう終わったでしょう?」

「な訳あるかい」おじさんは心底馬鹿にした顔になった。「賠償金もぶん取ってないのに終われるか」

「賠償金ねぇ。そもそも負けたのは……」

「あっちの方が滅茶苦茶になってんだ」おじさんが吐き捨てる。「俺等の負けなはずがないだろう」

「いや、ですが条約に調印……いえ、なんでもありません」

 ふん、とおじさんは鼻を鳴らした。「まあ、中にはあちらに嫁に行きたがる変人も居る訳だが」

 女の子は瞬きして、苦笑する隊長さんを見上げた。

 その、次の瞬間だった。

 轟音と共に遠くで火柱が上がった。


 * * *


 ──死者一名、負傷者一八名。

 店鋪の裏口にあったゴミ置き場に仕掛けられていた爆発物が爆発して、一軒が全壊、三軒が損壊。犯行声明なし。

 街の人いわく「終戦からこれで三回目」とのことで、その中では、今回は一番被害が少なかったのだそうだ。とはいえ怖いし犯人が憎いのは変わらないみたいで、ええと、つまり何が言いたいかというと、早朝から国境付近をふらふらしていた、よそ者二名が、被疑者の筆頭になった、ということだ。

「あー、抵抗は致しませんので銃突き付けるのは止めてもらえませんかね」

 もっとも、一番の理由は、身元を訊かれた時に「知りません」とはっきり答えてしまった隊長さんの馬鹿正直さにあるのだろうけれど。

 女の子と隊長さんは、狭い公用車の後部座席に、体格の良い義勇隊員二人に挟まれて座っていた。隊長さんが体勢を変えようと動いたら、すぐに銃口が向けられる。汗臭い、お尻痛い。どうしてでこぼこだと判っている道を乗用車で走るのだろうと不思議に思ったけれど、すぐさま逃走防止のためなのだと、女の子は気が付いた。

 どこへ向かっているのかと言えば、二人が泊めてもらっていたお店だ。やましい所はなにもございません、と主張する隊長さんは、部屋の荷物を調べられるのに同意した。女の子の方は、内心冷や冷やしてたまらない。隊長さんの旅行鞄には、銃が入っているからだ。

「……事件現場、近所なんすね」

 爆発した店舗が、泊まっていたお店と道を挟んで三軒先だったことも、不安に拍車をかけている。

 店舗の窓も入口も、ガラスや扉が吹っ飛んで枠だけになっていた。全壊したのは、その隣の、もともと崩れかけの空家だったらしい。けれども店舗の内側はひどいありさまで、女の子はちらと流し見ただけだったけど、とても数時間前まで営業していた場所とは思えないくらい、瓦礫だらけになっていた。

 二人が泊まっているお店の方は、避難所になっていたようだ。窓ガラスは全て割れていたけれど、室内はちゃんと形を保っている。リーベさんが居て、お爺さんも居た。ドレスは片付けられて、その場所には見知らぬお爺さんがうなだれている。入口のすぐ隣にフェレさんが腰を下ろしていて、義勇隊に挟まれながら入って来た隊長さんを見上げて、胡乱な目付きで口を開いた。

「あたしらは関係ないわよ」

 フェレさんはよそ行きの、赤いスパンコールのドレスを身にまとっていた。真っ赤な口紅の直ぐ横には絆創膏が貼られていて、どうやらフェレさんも、被害にあったらしかった。

「この男の宿泊している部屋を捜索する」

 リーベさんは爪先から頭のてっぺんまで緊張して、直立不動の姿勢で捜査官達を迎えている。

 お爺さん(リーベさんのお父さんの方)は、殺気立って目を血走らせて、もうひとりのお爺さんの傍に立ちながら隊長さんを睨んでいる。

 見知らぬお爺さんは、顔を上げて物々しい訪問者を一瞥すると、すぐにまたうつむいた。

 お爺さん達の横を通り過ぎる時、義勇隊のひとりが、お見舞い申し上げます、と声をかけた。

 どうやら亡くなったのは、お爺さんの知り合いらしかった。



「さて、今現在のこの部屋の状況に関する合理的な説明を頂戴いただこうか」

 銃はあっさり見付かった。隠してなかったから当然だ。

 問題は、部屋の椅子の上に分解された銃が放りだされていたことだ。

「……銃って男の浪漫ですよね」以上、隊長さんによる合理的な言い訳でした。

「見たことの無い型だが、払い下げ品か。どこで手に入れた」

「従軍時代に支給されたやつです。記念にもらったんですよ。組み立てても使えやしません。何なら組み直してみては?」

 嘯きながら、隊長さんは不敵に笑う。銃の作りが特殊で、素人にはとうてい組み立てできないのを知った上での提案だ。

「……証拠は」

 黙って旅行鞄に歩み寄ると、隊長さんは腕を下ろして中をまさぐろうとした。廻りの義勇隊員が、慌てて銃を突きつけ直して隊長さんを威嚇する。

 隊長さんは諦めて立ち上がり、もう一度両手を上げた。

「鞄の一番下。軍服があるでしょう」

 義勇隊員が、ややもするとゴミと間違えられそうな襤褸服をつまみ上げた。

「俺のですよ。着てみましょか?」

 肩や胸の部分には、女の子には理解できない記章が沢山付けられている。今となっては隊長さん自身もそれらの持つ意味を読み取れない、過去の栄光だ。

 けれど、女の子の隣に立っていた義勇隊員は驚いた様子で目を開いた。

「陸軍の……中尉?」

「……本人のものかどうかわからん」

 上司らしいおじさんがつぶやく。

「そりゃあひどい。御国の為に戦った人間を疑うんですかい。義勇隊風情が」

 隊長さんの声が一段低くなった。もともと長身で威圧感があるから、普段の態度を改めれば、かなり凄みがあった。

「なら、退役軍人証をみせてみ……ください」

「ありゃしませんよ。こっちにもどって来た時には休戦からずいぶん経ってたんでね」

「証書が無けりゃ年金だって受けられないんだ。貰わないなんてあるか」

「おっさん、西部国境戦線に行ったことはあるか? 塹壕戦の経験は? あの戦場で、自力で国境越えてもどって来たら軍はとっくの昔に解散、政権は取って変わってる。そんな状況で証書がまともに発行されてると思ってんのか?」

「……偉そうに。少し前線で戦った程度で」

「だから、アンタはその前線に少しでもでたのか、って訊いてんだ。内地で毒ガスとも弾幕とも縁のない生活送れてたのは誰のお陰だと思ってる? 傷痍軍人見下せるほどあんたには勲章があるのか?」

 記憶がないのに戦時中の自慢をするのはありかな。ふと女の子は疑問に思ったけれども、態度に出すのは控えることにした。義勇隊はみんな黙り込んでしまったので、たぶん気にしているところを突かれたのだ。

「戦争でアンタ等のために戦った俺が、なんで同じ国の人間に攻撃仕掛けなきゃならんのよ。まだ若いのにこんな犯罪で人生潰す気は無えって」

 嘘だ。もしも口が利けたなら、女の子はすぐにそう否定していただろう。隊長さんは若くない。どう見積もっても、女の子のお父さんと同じくらいだ。

「疑うんなら西国人が筋でしょう」

 証拠はなにも無いのに、隊長さんは決めつけた。

 義勇隊の人たちは、何だか苦い顔をする。

「……ここには西の人間などいない」

「道路挟んだ向こうが敵国なのに? それともアンタ等、仕事さぼってんのかい?」

 義勇隊の目付きが一段階悪くなった。けれども隊長さんの表情の方が、それより更に二段ほどきつくなる。

「……何だその目は」

 突然、飛び上がりそうになるくらいドスの利いた声で隊長さんが吠えた。「人を犯罪者扱いするのならば確たる証拠を持って来い! それもできん無能なら今すぐ制服なんざ脱ぎ捨てろ! 一丁前に権威を着込んでお高く止まるな! 聞き込みをしろ。鑑識をだせ。俺達を疑うのはそれからだ。──ぐずぐずするな! とっとと動け!」

 腹式呼吸って偉大だな。音楽の授業を思いだしながら、女の子は考える、ことにした。オペラ歌手の人も、これくらいの声量があるのかしら。

「敬礼はッ!」

 最後の一声で、義勇隊はバネ跳ね人形みたいな動きで直立した。それを見渡した隊長さんは満足そうにいつもの表情にもどったけれど、すっかり怖気付いた何人かは、まるで逃げるようにして部屋を駆けだした。

 最後まで残っていた上司のおじさんに視線を向けると、青白くなっていたおじさんは、さっと女の子から顔をそむける。

 ちょっぴり得意になって、女の子は部屋の中を見廻した──女の子は隊長さんの怒鳴り声にはもうすっかり慣れっこだったので。もしかしたら、女の子のほうが義勇隊の人より軍人に向いてるかもしれない。

 ……後に隊長さんが語ったところによると。前の日、どうも銃身にゴミが詰まっているらしいという理由で点検の為に解体(お酒を飲んだ手でだ!)したところ、結局色々な汚れを発見してしまったので、翌日ちゃんと掃除しようと、ばらしたままでいたのだとのことだった(女の子は聞かなければよかったと後悔した)。

 本人は溢れでる人徳の勝利だとのたまったけれど、女の子の見立てでは、元陸軍中尉の肩書きが効いたのではないかと思っている。準軍事組織の義勇隊より、国の陸軍の方が立場は当然上なのだ。

 ちなみに、銃は使用していた本物をそのまま携行していたもので、組み立てて弾を込めれば、もちろん、それで人を殺すこともできる代物である。

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