ドラゴン・ギャンブル・シティ

@heyheyhey

第1話

 龍が飛んでいた。


 まだくすみのある初夏の空を、物凄い速さで、それも人を乗せて飛んでいる。振り下ろされる旗を合図にスタートし、山を舞台にアップダウンを繰り返し、ゴール目指して気持ちよさそうに飛んでいる。


 地上のざわめきが歓声に収斂する。最後の直線、龍たちは斜面を登り、後は下るだけ。歓声は爆発し、山全体が震えたように沸き立った。


 競龍──ドラゴンレーシング。


 この街で最大の娯楽だ。たった一レースで信じられないほどの大金が動き、多くの人生が、ほとんどの場合悪い方に変わっていく。レースが終わった途端、龍券売り場に殺到する連中にも例外はない。現実逃避がちょっと上手いだけだ。


「行くぜ、エイシロウ」


 そう俺を呼んだニコラスの小さな躰は、既に人の波に飲まれようとしていた。辛うじて表面に出ている茶色い癖っ毛を頼りに、俺は熱気でむせ返る人の波を掻き分けて進んでいく。


 目的の男が、俺の眼にも見えた。

 今まさに龍券売り場で当たり龍券の払い戻しを受けている。結構な額が当たったらしい。銀貨が何十枚も見えた。男はそれを素早く袋で覆い隠し、銀貨を人目に触れないように収めてそそくさと立ち去ろうとする。


 そこを、ニコラスが後ろから肩を組んで捕まえた。背が低いせいで男にぶら下がっているようにも見えるけど、お陰で体重が掛かったのか男の足は簡単に止まった。


「その金は勿論、俺たちに返す為の金だよな?」


 俺は無言で二人の正面に回り、適当に睨みを利かせた。男の表情が強張っている。ニコラスは意地の悪い笑みを浮かべていた。


「そ、そんなの当然じゃないですか。これから、その、事務所に行こうとしてたところですよ」

「なら一緒に行こうか。勿論いいよな?」


 言いながら、ニコラスは男が抱える現金入りの袋に手を掛ける。それに気付いた男は、袋をさらに懐深く持ち直してさりげなく抵抗した。


「い、いいですよ。でもその、離れてもらえるとありがたいんですが」

「固いこと言うなよ。おれとてめえの仲だろ? それともなんだ? エイシロウと肩組みてえのか? モテモテだなエイシロウ」


 俺は何も答えなかった。ニコラスは気にした風もなく、男の肩を揺らして歩くように促した。


「じゃ行こうか。返済日はとっくに過ぎてる。利子がいくらになるかは事務所に着くまでのお楽しみってな!」


 ニコラスは大笑いする。男の顔はいつの間に酷く青ざめ、とぼとぼと足を動かした。


 


 競龍場の正門を出て山麓に広がる街を進んでいく。正門から街の入口まで一直線にメインストリートが続いているが、立ち並ぶ店は浮かれた連中向けだ。俺たちはすぐに横道に入り、表通りから離れていく。


 始めは現地住民向けの店で賑わっていた喧噪も遠くなり、石造りの街並みが木造のものに変わってきた。通行人の服装も粗末なものに堕ちていき、至る所が擦り切れたボロ布を躰に巻き付けた奴や沼から這い出してきたような見た目の奴が目に付くようになってきた。

 そう遠くない場所では怒号や悲鳴が上がり、男か女かも分からない長髪が血の足跡を残して俺たちの目の前を横切っていく。


 この街で立派なのは、競龍関連の施設とメインストリートだけだ。


 そこから捨てられたゴミや生活排水が広がるにつれ街は澱んでいく。臭いなんて特に顕著だ。処理体制が初夏に追い付いていないのか、どこからか流れてきた死体の腐った悪臭が漂っていた。


「もう一レースだけ待ってもらえませんか?」


 男はそう言った瞬間、ニコラスに突き飛ばされた。民家の壁にぶつかって地面に倒れ込む。それでも現金入りの袋を庇おうとするその後頭部に、ニコラスが靴底を押し付けた。


「うるっせえな。ボコられたいならそう言えよド変態」


 男はもがき、なんとか頭を横に寝かせて声高に喚いた。


「絶対に当たる龍券があるんだ!」

「当たんねえよ。だからてめえは今こうなってんだろうが」

「いいや当たるね」


 唇を震わせながらも男は笑みを浮かべる。


「このレースの一番人気は来ない。来るのは俺が買った五番人気、単勝十二倍の龍だ。ちゃんとした根拠もある。いいか、まず」


 ニコラスが男の頭を踏みしめる。


「語んな、聞いてねえよ」


 呻き、しかし男は現金入りの袋を手放さずに踏まれるがまま話を続ける。


「待って、いや、待ってくれれば儲けを一割渡します。それでどうですか?」


 ニコラスの眼が金に眩んだ。見なくても分かった。

「……半分寄こせ。それなら話ぐらいは聞いてやる」


 ニコラスが足を退けた。男は現金入りの袋を大事そうに抱えたまま立ち上がり、周囲に視線を巡らせてから堂々とニコラスを見やった。


「一番人気の龍はそもそも消去法の一番人気なんです。毎回出遅れて、最後だけかっ飛んでくるから無駄に人気する。それに調教も悪い。今回のレースはライバル不在だから一番人気になっただけで、そもそも大した龍じゃないんです。それに引き替え俺が買った五番人気の龍は良い」


 ニコラスは相槌まで打って聞き入っていた。

 いつもの光景だ。これで金が回収できなくなったところで、それはニコラスの責任で俺には微塵も関係ない。どうせ助けどころか野次馬すらも近寄ってこないんだ。俺は今まで通り無言を貫いた。


「じゃあなんで五番人気だって話ですよ。理由は単純、こいつが一番人気の下位互換だと思われてるからです。毎回出遅れる割には、最後の速度は一番人気に劣る。でもそれが間違いなんです」


「ほう、間違いか」


「そうです。この龍は道中抑えて溜めなきゃ駄目なんです。少しでも前を追っかければ必ず最後の飛翔に響く。簡単な龍じゃない。でも一度だけ、完璧に飛べた時があった。それがデビュー戦です。そしてなんと、今回乗るのはその時のジョッキーなんですよ」


「つまりまた、そのジョッキーがやってくれるってわけか?」

「そういうことです! だから待って、いや、どうせなら一緒に競龍場まで行きましょう!」


 冗談だろう。また競龍場に戻るのはごめんだ。ニコラスが騙されようが知ったことじゃないから黙っていたけど我慢の限界だ。俺は溜息を吐いて口を挟んだ。


「その龍券は外れるよ」


 ニコラスが俺を見る。やっぱり表情がだらしない。男の方は余裕そうに鼻を鳴らした。


「何が分かるんですか。こっちはずっと競龍のこと考えて生きてきたんですよ」


 思えばこいつと喋るのは初めてだな。どうでもいいことが頭に過る。


「お前はジョッキーを神格化しすぎだ。出遅れる龍は誰が乗っても出遅れる。デビュー戦は上手くいってもそれ以降はずっと出遅れてるんだろ? だったら今日も同じだ。それに出遅れた龍が道中溜めて、どうやって一着取るんだよ。出遅れた分取り返す為にはどこかで前に出していくしかない。でもそれだと道中溜められないからやっぱり負ける。お前の考えは幻想だよ。龍券は大外れだ」


 ニコラスの表情が戻った。ようやく現実が見えてきたらしい。男に向き直って睨みを飛ばす。


「行先は予定通り事務所だ」


「待ってください」

 男が急に気色ばんだ。

「龍券は当たります! あとは競龍場に行くだけなんです。それぐらいは待ってくださいよ!」


 ニコラスは歯を見せて笑い、俺の首を親指で差し示した。


「見てわからねえのか、エイシロウのこのぶってえ首がよ。こいつは元競龍のジョッキーだぜ」


 ジョッキーですらなかったけどな。心では思っても口には出さない。訂正したってなんの意味もないことだ。


 不意に、鐘の音が聞こえた。

 山頂で鳴らされる龍券の販売終了の合図だ。それは同時に、この街で時間を知る数少ない手段の一つでもある。


「そろそろ昼か」

 呟き、ニコラスは男の胸倉を掴んだ。

「これから事務所に行けば昼飯には間に合うな。さっさと──」


 ──男の反応は早かった。ニコラスの腕を払い落とし、一目散に逃げだそうとする。見え透いた行動だ。間髪を入れず、俺は男の手首を掴んだ。


「あちっ!」


 声を漏らし、男の顔が歪んだ。俺が手を離すのと同時にニコラスが男を蹴り飛ばす。


「ノミ屋だと思って舐めてんじゃねえぞ!」


 地面に蹲る男に何度も蹴りを入れる。男が躰を丸めて動かなくなっても蹴り続け、声すら出さなくなっても一向に止める気配がない。この調子なら殺すまで続けそうな雰囲気だ。


「そう言えばよ」

 唐突に、ニコラスが蹴りを止めた。

「さっきこいつ熱いって言わなかったか?」


「……痛いの聞き間違えだろ」


 ニコラスは首をひねり、気絶した男から現金入りの袋を奪った。

「ま何でもいいや。先に行ってるからそいつ連れて来いよ」


「命令するな」


 反射的にニコラスがガンを飛ばしてくる。構わず、俺は真正面から見返した。


「お前に雇われたわけじゃない。動けなくしたのはお前だろ。ケツぐらい自分で拭け」


「ガキが」

 ニコラスが唾を吐き捨てた。

「てめえも所詮俺たちから金借りてる分際でなま言ってんじゃねえぞ」


「お前個人に借りた金じゃない。俺の仕事はお前を守ること。金の回収はお前の仕事だ。困るのはお前だろ?」


 また、ニコラスが男を蹴った。


「覚えてろよクソガキ」

「口喧嘩の内に忘れとけよ」


 俺は一足先に歩き出した。ニコラスに背中を見せても殴りかかってはこない。取り立てこそ上手いけど、腕力に劣る分純粋な荒事には弱い奴だ。


 だから俺が用心棒として付けられた。とは言え、俺も特別喧嘩は強くない。こいつらノミ屋──競龍にしがみつく寄生虫がさらに弱いだけだ。


 そして俺は、その程度の奴らに使われている。

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