貴方と私で紡ぐ日常記念日

くずきり

第1話

 明るい証明が灯るリビングの一室。

 2人がけのソファは安価なもので、長く座っていると腰が痛くなってしまうほどにかたい。

 にも関わらず、幸せと心地良さに満ち溢れている。

 そんなとある夜、そんなとある日常。


「私ね、ご飯を上手く食べれないの」


 カチ、カチ。


 長針が数歩進む。


「ああ、そうかい。それは大層しんどい事だろう」


 綺麗なハスキーボイスは壊れ物を扱うかのように丁寧に私に言葉を紡ぐ。

 彼女__小鳥遊たかなし りつの括られた長い髪がサラリと私のうなじにかかるのがわかった。


 長い髪が黒色に染まっている。

 地毛が紫だと聞いていた。なぜ染めたのか、私は聞けないでいる。


「特に味付けの濃いものは苦手。焼肉のタレが世界でいちばん嫌い。吐き出しそうになっちゃう」


「……そうか」


 彼女は私__たちばな 芽依めいの手をぎゅっと握った。

 1ヶ月ほど前まで綺麗にネイルが塗られてあった派手な爪は、色が落とされ短くなっている。

 健康的で、結構好きだ。


「私ね、夜寝るのが怖いの」


「そうかい。それはどうしてだい?」


 カチ、カチ。針が四歩進んだ。

 私の肩にそっと寄りかかる彼女。人肌を感じ、私は少しだけ安堵した。


「朝起きたら、貴女がいなくなってしまう気がして」


「そうかい。それなら毎晩共に寝よう」


 彼女の職業は怪盗だ。夜が本業であろう。

 にも関わらず、最近彼女は夕方に帰ってくる。

 なんの都合だろうか。それとも、夜中こっそり抜け出してでもいるのだろうか。


 彼女のいないお昼時、私は一人黙々と文を綴る。

 そうすると彼女は目をきらびかせて喜ぶからだ。

 彼女のいない午後初め、私は事前に撮っておいた彼女の写真を見てはデッサンを繰り返す。

 すごいなあ、私だけの画家になってくれないかい? と嬉しそうに目を細めてそれを見る彼女の姿を、一生忘れたくはない。


「何を考えているんだい?」


「……なんでもない」


 そうかい、と彼女は笑う。彼女のことを考えていたことを見透かされているのだろう。

 本当にそういう所に腹が立つ。それでいて、心の底から愛している。


「あなたとの将来が永遠なら、私の拙い部分、苦手なもの、嫌いなこと、全部受け入れて貰えるのかな」


 彼女の方を向いていないから分からぬが、恐らく目を見開いていることだろう。

 手を握る力が少し強まったのがわかった。


「ところで芽依。プレゼントがあるんだ」


 彼女はソファから起き上がり、私の目の前に跪いた。

 怪盗である彼女がよくする紳士な仕草である。


「ほら」


 出てきたのは一本の赤い薔薇の花。

 花言葉は……一目惚れ。


「最初会った時と同じお花だね」


 初めて会った時も確か、こうして1本の薔薇の花を渡された。それも、青色の。


「ああ、不可能は今、可能になった。だから__」


 ポンっと音がして視界に赤色が増える。

 数えてみると、それは十二本。


「意味は分かるかい?」


「……さすがにそこまでは知らないかな」


 彼女は苦笑する。

 君らしいね、と愛おしそうに笑った。

 この笑顔も、いつかは消えてなくなってしまうのだろうか。


 唐突に彼女は私と目を合わせる。

 ニコリ、といつもの笑顔で微笑んだ。


「わっ……!」


 ポン、と音がした。

 手元を見ると、そこには綺麗な指輪がある。


 キラキラと輝いているそれは、恐らくオパールだ。

 オパール。私の、そして彼女の誕生月の石。


「お揃いなんだ。ほら」


 彼女は手の甲をこちらに向ける。

 キラキラと光るオーロラが異様な存在感を放つのは、彼女がつけているからだろうか。


「それは婚約指輪さ。結婚して欲しいと思っている」


「結婚……?」


 ふわふわと浮ついた単語のそれは、あまり現実的に思えない。

 この七彩を受け取れば私は、それになるのだろうか。


 ずっと憧れていたそれ。でも、私なんかにそれを受け入れる権利はおそらく無い。


「私はね」


 黒色の髪の少女は話し出す。


「食って寝て、それで幸せならなんでも良かった。だから怪盗なんていう汚い職をしていた。でも」


 私の世界には、君が現れた。


 心底愛おしげにそう言う紫色の瞳の少女に私は涙を零しかける。

 ここで泣いたら恥ずかしい。だから、泣くのはダメ。


 熱い目頭に知らないふりをした。唇の震えを止めようと噛み締める。


「君のことを思って足を洗ったんだ。日中はパン屋でアルバイトをしている」


「えっ」


 意外かい? と言いたげな顔で笑う。

 私の視界がぐわりと広がり、より鮮明にその瞳を捉えた。


 パン屋。あの、律が?


「給料三ヶ月分。頑張ろうと思うんだ。だから……」




 私に普通の幸せを教えてくれたこと、心から感謝している。





 涙腺が緩み、なくなったに等しくなる。

 私は普通なんかじゃないのに。普通のこと、何も出来ないのに!

 なのに、なんで……。


 カチ、カチ、カチ。


 針が七回進む。


「君が普通じゃないかどうかはさておき、君がくれたのは普通の日常だ」


 水滴が落ちてはやまない。彼女も一生懸命私のそれを拭ってくれるが、止まらないものは止まらない。


 救われている。愛されている。苦しくて苦しくてしょうがない。


「私で、いいのなら……」


 喜んで、生涯を貴方に捧げます。


 そう言うと、怪盗……いや、パン屋のアルバイトは、心の底から嬉しそうに笑った。

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